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■春泳(10)
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ここまで終わったのは既に2時である!
むろん明日も厳しい合宿の練習が待っている。千里は「寝る!」と宣言してベッドに入り熟睡した。
そして6月28日朝、千里は7時に起きた。普段ならもっと早く起きるのだが、合宿がかなりハードな上にあれこれ交渉事をしているし、実は合宿終了後や休憩時間中には青葉にパワーを送ってあげているので、無茶苦茶消耗しているのである。
冬子からメールがあるので状況を簡単に説明するメールを送る。直接電話が掛かってくるので、貴司の妹がお母さんを大阪に連れて行って直接説得するために名古屋に向かっている最中であることを説明した。
理歌は新千歳を朝1番のセントレア行きに乗り、11時半頃に阿倍子さんのお母さんが入院している病院に辿り着いた。白子さんと合流し、外出の手続きを取って、レンタルした車椅子に乗せ、大阪に向かう。3人が阿倍子さんのいる病院に辿り着いたのはもう14時頃であった。
それでお母さんに、一進一退の状況が続いて疲れ果て、もう意識が半ば飛んでいる阿倍子さんを見せ、お医者さんがお母さんを説得する。お母さんはそれでもかなり抵抗したものの、1時間近い説得で、とうとう帝王切開を行うことに同意した。
同意書に貴司と連名でサインする。
それで病院では手術のための準備を始めた。
千里はこの日朝からかなりイライラしていた。京平には事前にちゃんと面倒を掛けずに出て来いと言っていたのに、既に産気づいてから1日半が経過している。いったい何やってんだ?出て来方が分からないわけでも無いだろうに。
それで15時で練習がいったん休憩になったところで《きーちゃん》に頼んで位置を交換してもらった。
それで千里は阿倍子さんの入院している病院に来る。じっと目を瞑って京平の気配を探す。あ、居るじゃん!
どうも京平は病院内をあちこち探訪して回っている感じなのである。何遊んでるんだ?こいつは。
千里は怒った顔をして、京平が居た1階別棟のMRI室ロビーに行った。京平はまるで患者の連れか何かのような顔をして、アンパンマンの本を見ていた。
「京平、何やってんの?」
「あ、お母ちゃん」
「あんた、泳次郎様から26日に出て行くように言われたんでしょ? もう28日だよ。なんで出て来ないのさ?」
「お母ちゃん、話が違うよー。お母ちゃんが僕を産んでくれると思ったのに、よく見たら知らない人なんだもん」
「阿倍子さんが産んでも京平は私の子供なんだよ」
「僕、お母ちゃんから産まれたいよ」
千里は悩んだ。確かに私が産んであげたかったけどね。私が産むと世間が大騒ぎになってしまうからなあ。自分の性別問題は常にバスケ協会のコントロール下にあり定期的な検査を受けている。ホルモンバランスなどにも常に気を配っている。しかしここは何とか京平を説得しなければならない。
そこで千里はとっておきの秘密を京平に教えた。これは本当は誰にも言ってはいけないと言われていたことなのである。
「え〜〜!? そうだったの?」
「だから安心して阿倍子さんから産まれておいでよ。それでも私が産んだことになるんだよ」
と千里は笑顔で言った。
「じゃ仕方ないな。出て行くか」
「うん」
「でも取り敢えず僕、阿倍子さんの子供ということになるんでしょ?」
「まあそれは日本の法律の上では仕方ないね」
「阿倍子さんのこともお母さんと呼ばないといけないの?」
「そうだねー。じゃ、私がお母さんだから、阿倍子さんのことはママと呼んであげたら」
「あ、それならいいな」
「じゃ、今すぐ産まれてきてよね。これ以上ぐずぐずしてたら、京平が産まれてきたところで、おちんちん切って女の子にしちゃうから」
などと言って千里は京平のお股に手をやっておちんちんを掴む。
「え〜?それ嫌だ〜」
と京平は言って、千里の手を振り払おうとするものの、シューターの握力には勝てない。そして掴まれているのでその刺激で京平のおちんちんは大きくなってしまう。うふふ。さすが貴司の息子だね。反応が早いのはそっくり、などと千里は思った。(別に親子でなくても、男の子のおちんちんはすぐ大きくなるものなのだが、そのあたりの知識が千里は弱い)
「じゃ約束する。でもお母ちゃん、お願い」
「何?」
「僕が産まれたら、お母ちゃん、最初に僕を抱いてよ」
「まあいいや、それは何とかするよ」
「うん」
「抱いたついでにおちんちん切ってあげてもいいけど」
「それは切らないでー」
それで千里が微笑んで京平のおちんちんから手を離すと、京平はバイバイをして走って産科の方に行った。千里はその背中を愛おしい表情で見守った。次、京平と普通に会話できるのは3−4年後かな。それまでいい子してろよ。
阿倍子さんが分娩室から手術室へ移動される。本人はもうほとんど意識が無いに近い。青葉が、そして青葉にも気づかれないように《びゃくちゃん》も必死で彼女の体調の維持を掛けているのだが、それでも体力的にはもう限界に近づいている。
麻酔科医が背中のやや下の方に注射針を刺して麻酔薬を投入する。やがてお腹の付近より下の感覚が無くなる。
数分待ってから医師が阿倍子に訊く。
「このあたり感覚ありますか?」
阿倍子は首を振る。
「じゃ大丈夫ですね」
それで医師がメスを入れようとした時のことであった。
「先生待ってください」
と付き添っている助産師が言った。
「あれ?」
「これは?」
「赤ちゃん、これ産道に移動し始めましたよ」
医師は焦った。帝王切開というのは、胎児が子宮内にいることが前提の施術である。しかし産道に移動してしまうと、子宮を切り開いても胎児を取り出すことはできない。
「これ少し様子を見よう」
ということになり、医師たちはとりあえず状況を見守る。助産師が母親の手を握り
「阿倍子さん、頑張って」
と励ます。
「誰か親族を呼んでこよう」
何かの時のために手術室の外に理歌が手術衣も着用して待機しているのである。
「ご親族の方、ちょっと入って下さい」
と看護師が言うので、理歌は緊張して中に入る。手術中に呼ばれるというのは概して良くない兆候だ。しかし理歌は自然分娩が始まってしまったと聞き、驚いた。
なおこの時、場が混乱していたので、手術衣を着た人物が2人入って来たことに誰も疑問を感じなかった。理歌は自分と一緒に入ったのは看護師か助産師だと思っているし、手術室内に居たスタッフは入って来たのは2人とも親族だと思ったのである。大きなマスクで顔を覆っているので人相などは分からないし、緊張した現場ではいちいちそこにいるのが誰かという吟味までしない。
それで今手術室に入ってきた2人が阿倍子の手を握り、助産師はお腹のマッサージをして出産をサポートする。
そして、赤ちゃんは、産道に移動し始めてから医師たちも驚くほどの速度で、あっという間に産まれてきたのである。会陰切開をする間もなかった。
「オギャー、オギャー」
という元気な声が聞こえる。
医師が時計を見ると15:30:00ジャストであった。
「阿倍子さん、産まれましたよ、男の子ですよ」
と助産師が声を掛ける。阿倍子は赤ちゃんの泣き声を聞き、嬉しそうな顔をして、そのまま気を失いそうな雰囲気である。へその緒にクリップを付け、その挟まれた場所を助産師が切断。泣いている赤ちゃんをまずは親族の女性(と助産師が思っていた人)に手渡した。彼女は赤ちゃんを愛おしそうに撫で、ついでに小さなおちんちんを人差し指と中指でチョキンとするような動作をする。赤ちゃんがギクッとしたような表情をした。それでその人物は赤ちゃんを更に理歌に手渡す。理歌も笑顔で赤ちゃんを撫でて、理歌までおちんちんを少しいじってから阿倍子に抱かせた。
もっとも阿倍子は赤ちゃんを抱く力が残っていないので抱くというより触っただけという感じ(赤ちゃんの身体は理歌が支えている)であったが、物凄く嬉しそうだ。看護師さんが写真撮影をしてくれる。そして阿倍子はそのまま気を失ってしまうので、医師たちは阿倍子のバイタルをチェックしながら、子宮収縮剤を投与し、胎盤が出てくるのを待って処置をした。
千里は京平が誕生した後、更に混乱している現場で人の出入りがあるのを利用して巧みに外に出て、別室で手術衣を脱ぎ、普段着に戻った。そしてそっと1階に降りて、トイレに行き、大きく息をついた。さすがに疲れたのでしばしボーっとしていた。やがて独り言を言う。
「疲れた〜。でも京平、ちゃんと約束を守ったぞ。あんたを最初に抱いたのは私だからね。あとは頑張って成長しろよ」
それで水を流して個室を出、手を洗って外に出る。玄関の方に行こうとしていたら、阿倍子さん担当の助産師さんとバッタリ遭遇する。へその緒を切ってくれた人である。きゃー。私が手術室に居たこと、この人、気づかなかったよね?と思ったのだが、彼女はそれには気づいてないようである。
「あ、細川さんのお友達でしたよね」
と彼女はニコニコと話しかけてきた。
「はい」
「今、阿倍子さん、赤ちゃん産んだんですよ」
「ほんとですか! いや時間が掛かっているみたいだからどうなってるんだろうと思って来てみた所だったんですよ」
「もうすぐ病室に戻るはずですから」
「ありがとうございます」
「いや帝王切開にしようと言って、手術室に運び込んで麻酔も掛けたんですが、その途端、突然、自然分娩が始まってしまって」
「へー」
「結果的にはあっという間に出てきました」
「男の子ですか?女の子ですか?」
「男の子でした。可愛いおちんちん付いてましたよ」
「じゃ事前の診断通りですね」
「ええ」
「じゃ病室の方に行ってみます。ありがとうございました」
と言った時、千里は目の端で冬子と政子がこちらにやってくるのを見た。やばい!
それで千里は助産師に御礼をして、そのままさっきのトイレの方に逆戻りする。そして冬子たちから死角になったところで《きーちゃん》とチェンジした。こちらは既に練習が始まっていて、本物の千里みたいな動きのできない《きーちゃん》が
「こら村山、どうした?疲れたのか?」
などと言われているところであった。
「頑張ります!」
と千里は答えてプレイを続けた。
一方の《きーちゃん》は「練習きつかった〜。千里、遅すぎ」と文句を言いながら、トイレのドアの前ですっと姿を消し、《びゃくちゃん》たちが待機している空き病室の方に移動した。
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