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■春弦(9)
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(C)Eriko Kawaguchi 2014-02-11
翌朝、青葉は東京都内にある、兄弟子の瞬法さんが住職をしているお寺を訪れ、呪符と弦のお焚き上げをしたいので協力して欲しいと言った。
「邪悪だね、これ」
と呪符を見て、瞬法さんが言う。
「この形は初めて見ましたが、見ただけで効果は分かりました」
「うん。1枚目はダミー。2枚目は生殖関係、3枚目は精神だよね」
「ええ。ただ、これを所有した人が株で3億損したらしいんですけど」
「関係ないだろ? 株やってれぱ、普通にその程度は起きること」
「ああ、やはり呪いとは無関係かな」
「だと思うよ」
と瞬法さんは言う。
「しかし、それ人間の腸?」
と弦の方を見て言う。
「だと思います」
「ある程度敏感な人間はこれ見ただけで気分悪くなるはず」
「これまで所有した人はみんな鈍感だったんでしょうね」
般若心経を唱えながら一緒にお焚き上げをした。
『今回は私の出番が無かった』
と、噴水の女神様が少し不満そうに言う。
青葉はヴァイオリンのケースを抱えて帰りの《はくたか》に乗っていた。
『このヴァイオリン、もう《きれい》ですよね?』
『そのヴァイオリン本体に何か封じ込めてやろうか?』
『よしてくださいよー』
ヴァイオリンをケースから取り出してあらためて見てみた。その時、棹の端の女性の彫刻の、目が光ったような気がしたが、気付かなかったことにした。まあ、女神様も色々遊びたいのであろう。
夕方、桃香と一緒に山田さんの所を訪問する。
「東京で専門の技術者さんに裏板を剥がしてもらい、呪符の書かれた紙は剥がしました」
と言って、きれいになったヴァイオリンを返還する。むろん弦もちゃんと張ってある(弦は冬子が張ってくれた)。
「おお、じゃこれで解決ですか!」
「ええ。もう大丈夫ですよ」
と青葉は笑顔で答えたが、すると山田さんは思わぬことを言った。
「だったら、あれかなあ。《呪いの壺》も見てもらった方がいいかな?」
「は!?」
青葉は全く予想もしてない言葉だったので本当に驚いたが、後ろで噴水の女神様は笑っている。くそー。知ってたのか!
「見てもいいですけど、別途依頼料を頂きますよ。それから今回の東京への出張費と、ヴァイオリン技術者さんの技術料も実費として請求させて頂きますので」
「うんうん、払うよ」
と山田さんは何だかご機嫌である。
それで出てきたのは、いわゆる《青花》の壺である。
青葉は溜息を付いた。天を仰ぎたい気分である。
「元時代の景徳鎮だと言われて2000万円で買ったんだけど、どうだろう?」
「えーっと、少なくともここ20-30年の内に作られたものだと思いますが」
「えーー!? じゃ偽物?」
「まあ骨董屋さんに持ち込んだら200円かなあ」
「そんなに酷い!?」
「山田さん、これ私が見ても、安物にしか見えません」
と桃香まで言う。
「うむむむむ」
骨董好きの人には、目の良い人と、全く目利きのできない人の両極端があるという話は聞いたことがあるが、この人は完璧に後者のようである。
「それに呪いとか何とか以前に、これも人骨を焼き込んでありますよ」
「えーーー!?」
「ボーンチャイナなんですよ。普通のボーンチャイナは牛の骨を混ぜて白い色を出すのですが、これは牛の骨じゃなくて人の骨を使ったものです」
「じゃ、呪いは本物?」
「本物ですね。これを持っておられたら、かなり運気が下がりますよ」
「お祓いとかして何とかなる?」
「これは無理です。焼き込まれているから、所定の方法で破壊するしかありません」
「じゃ、これ処分してくれない?」
「いいですけど、処理料で実費込み、30万円頂いていいですか?」
「うん、払う払う」
青葉はちょっと疲れる思いで、その壺を引き取った。
「山田さん、他にも怪しいものとかありませんか?」
と桃香が尋ねる。
「そうだなあ。龍の置物とか、鏡とか、写真立てとか・・・あと時計もあったかな?」
青葉は思わず桃香と顔を見合わせる。
「あのぉ、お宅のその怪しげなコレクションを見せて頂けますか?」
「うん」
それで、山田家の蔵に行った。
「良かったら、この中から危ないものを全部取りだしてくれない?」
などと山田さん。
「分かりました」
それで青葉は目を瞑って蔵の中をセンサーでスキャンしていく。依頼された以上、危険なものは全部見つけ出したい。青葉は数ミリ単位で中を探査した。
その間、山田さんが余計なおしゃべりなどして青葉の集中を乱さないように、桃香は少し離れたところで山田さんの囲碁に付き合ってあげた。桃香は囲碁は「黒が先に打つ」「交互に打つ」「相手の石を囲んだら取り上げる」というのが分かる程度のレベルだが、山田さんもヘボ碁でなかなか良い勝負であった。
「ねね、桃香ちゃんだっけ? この碁盤は江戸時代のもので、本因坊道策が使っていたといって200万円で買ったんだけど、どう思う? ほらここに道策の署名が」
「えっと少なくとも江戸時代のものには見えないですよ。これどう見ても10年くらいしか経ってないと思います」
「じゃ、これも偽物かなあ」
「その署名もおかしいです。シンニョウの点が1つしかない。新字体じゃないですか。江戸時代の道策が第二次世界大戦後にできた新字体を書く訳ないです」
「そうかぁ!」
やがて「もう打つ所無さそう」となった所で、(ふたりとも整地ができないので)そのまま地を数えたら黒の桃香が3目多かった。コミ6目半を入れて山田さんの3目半勝ち・・・と思ったら、山田さんが「コミなど要らん!」と言うので、結局そのまま桃香の勝ちということにした。
そのヘボ碁が決着付き掛けたころ
「12個ほど見つかりました」
と青葉は言った。
「取り出して来ていいですか?」
「よろしくー」
それで中に入って10分ほど掛けて取り出してくる。
青葉が見つけたのは、軟玉っぽい素材で作られた緑色の龍の置物、古風な銅鏡、自殺した俳優のサイン入りTシャツ、白い金属製の写真立て、何の変哲も無さそうな童話の絵本、錘で動く方式の和時計、何だかあやしげな黒い革表紙の本、青い長袖の上衣、割箸で作られた帆船の模型、万年筆、不思議な模様の風呂敷、それに箱庭細工であった。
「ああ、どれも《呪いの品》だと言われて買ったものだ」
と山田さんはむしろ面白そうに言っている。
「そういう危険なことは、おやめになった方がいいですよ。特にこの箱庭は近くに居る人の寿命を食います。鬼が封じ込められているんですよ。元々はどこかのお寺にでもあったのではないかと思いますが」
「うん、それお寺から借金の形に取ったものだと前持ってた人が言ってた」
「恐ろしい」
「これ全部処分したら、息子の無実は証明されるだろうか?」
と山田さんが訊く。
青葉はチラっと後ろに気を向ける。女神様は知らんぷりである。
「弁護士さんを、もっと腕の立つ人に変えた方がいいです」
「そうか? やはり10万円で何でも引き受けますって弁護士じゃだめか?」
「本裁判の弁護で10万円ってことは無いです。特に事実関係を争うなら絶対にあり得ません。多分その弁護士、罪を認めさせて情状酌量に持ち込むつもりですよ。事実を争う場合、痴漢裁判は女性側の証言だけで物的証拠が無いのでひじょうに難しいんです。着手金だけで50万取ってもおかしくないです。息子さんの一生が掛かっているんでしょ?ケチっては駄目です。できたらこの手の裁判の経験のある弁護士さんに頼みましょう」
青葉は珍しく熱弁を振るった。
「そうか。ちょっと考え直してみるかな」
と山田さんは少しは真剣な表情で言った。
山田さんの蔵から回収したものを車に積み込み、青葉はいったん自宅に戻った上で、千里にも同乗してもらい、高野山に行くことにした。
1個や2個なら近くのお寺でお焚き上げしてもよいのだが、こんな大量の物品の処理はふつうの場所では出来ない! 遠出になるので運転を交替でしてもらうために千里に乗ってもらったのだが・・・・。
「ごめーん。私、まだ高速を運転する自信が無い」
などと千里が言う。性転換手術から1年経っているが、まだ体調が完璧ではないのだろう。
「やはり青葉が運転すればいいな」
と桃香。
「仕方無いな。じゃ夜間は私が運転するよ」
ということで、結局、桃香と青葉が交代で運転し、千里には助手席で睡眠防止のおしゃべり相手になってもらうことにした。
2時間交替で運転し、早朝、高野山の★★院に着いた。
ここの主の瞬醒さんは今、山の上で、回峰行をしている人たちの食事係をしていて留守だが、見知ったお坊さんが何人もいるので、そこで千里と桃香には休んでいてもらうことにするが、処分しなければならない荷物が多くて青葉ひとりでは持てない!
それで、醒春さんという30代の僧が荷物持ちを兼ねて付き合ってくれることになった。
最初に青葉は自分と醒春を紐でつなぐ。
「これは・・・?」
「こうしておかないと、醒春さん、多分あそこから脱出できなくなります」
「うーん・・・」
それで山道を2時間ほど歩いて、その場所にやってきた。
「何なんです? ここは!?」
「醒春さん、もし処分したい恥ずかしい写真とかあったら、ここに持って来て放り込んだら、絶対出てきませんから」
「いや、そもそも自分が脱出できないと思う」
なるほど、その程度の判断は付く程度の能力は持っている訳だ。2人で協力して問題の品を、般若心経を唱えながらそこに放り込んだ。
そしてその場を《脱出》してから言う。
「そもそも硫黄の臭いが凄まじかった。あそこに放り込んだ物ってどうなるんです?」
「数千度のマグマの中で分解されちゃうでしょうね」
「あれ、そんなに高温ですか?」
「あそこで見える部分はせいぜい100度か200度ですよ。でも内部は凄まじい高温のはずです」
「でもこんな所に火山があるなんて。地図にも載ってないのに」
「航空写真にも写らないようですね。空間が歪んでるんです」
「なんか凄い場所なんですね」
「ここは事象の地平みたいな所ですから。それで五感だけでは外に出る道が分からなくなるようです」
私が最初に来た時は、いきなり1人で出て見ろと言われたなあ。あの時は脱出に30分掛かった。師匠は外で待っててくれてるかと思ったら庵に帰ってたし!あの程度脱出できなかったら弟子じゃないからなどと言われた。そりゃ脱出できなかったら死ぬしかないから弟子ではなくなるよな。
「何年くらい修行したら、あそこから自力で出られるようになりますかね?」
「たぶん10年」
「なるほど。いや、これは自分の修行不足をよくよく再認識できました」
と醒春さんは言った。
「多分あと5年くらい修行したら、回峰行に参加できるようになります。それを5年くらいやったら、ここから脱出できる程度の力は付くと思いますよ」
「それを目標に頑張ります」
桃香と千里は奈良まで出たついでに大阪の友人に会ってくるということだったので、青葉だけ先にサンダーバードで富山に戻った。
翌日はふつうに部活の練習に出る。
練習はコーラスの練習を2時間した後、軽音の練習を2時間である。軽音で空帆たちと一緒に彼女のオリジナル曲『Love in the Air』を練習していたのだが、この曲で主役となるギターの空帆が首をひねっている。
「どうかしたの?」
「うん。どうも自分のイメージと違うんだよなあ」
「誰の演奏が?」
「自分の演奏」
「うーん。それは自分で練習を重ねて解決するしかないね」
「だよねぇ」
その時、青葉は後ろで例の女神様が何か企んでいるような顔をしているのが少し気になった。
桃香と千里は2日遅れで戻って来た。その千里がヴァイオリンケースを抱えているので
「あれ、ちー姉、ヴァイオリン買ったの?」
と訊くと、
「友だちがくれたー」
と言う。
何でも小学生の頃に弾いていたヴァイオリンをもう10年以上放置していたので弾くのならあげるよと言われてもらってきたらしい。
「楽器は弾いてあげないと可哀想だから」
と千里。
「ストラディヴァリウスとかグァルネリとかで高価な楽器だからと大事大事に仕舞い込まれているものもあるが、あれは可哀想だよ。楽器に生まれたからには鳴りたいだろ? それも凄く良い音を鳴らせるのにさ」
と桃香は言う。
早速取り出して、千里は『アメイジング・グレイス』を弾いた。
「美しい!」
と朋子が言う。
「凄い!」
と青葉は言った。
「弦1本だけで、そんなに弾けるなんて!」
「ん?」
「へ?」
桃香も朋子もそれは気付かなかったようである。
「そうそう。青葉。実は私は移弦が苦手なのよ」
と千里。
「じゃ、一緒に練習しよう! 私はどこを押さえたらどの高さの音が出るかの感覚を作る所からだけど」
と青葉。
「うんうん。一緒に練習しよう」
と千里は笑顔で答えた。
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