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■春弦(8)
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というので、青葉が持参していたドミナント(ヴァイオリンの弦では有名所。プロの演奏家で愛用する人が多い)の弦を渡し、杏那さんに張り替えをしてもらう。杏那さんはまず、糸巻きを4本とも緩め、今張ってある弦を取り外した。
「この弦、かなり痛んでますよ。これで弾いても音が悪いと思うなあ」
などと杏那さんは言っている。
それで全部の弦を外し、新しい弦を張ろうとした時
「あ、ちょっと待って」
と青葉は言った。
「ん?」
青葉はその弦を全部外したヴァイオリンを杏那さんから受け取ると、f字孔の中を覗き込む。
「ああ、これか・・・・」
「どうかしたの?」
「このヴァイオリンの内側にですね。紙が貼ってあるのですが、そこにどうも呪符が描かれているようなんです。これ解体して調査したいのですが」
「なんと、そんな所に!」
「ちょっと知り合いに楽器関係に強いコネを持っている人がいるので、その人に頼んで信頼できるヴァイオリンのメンテ技術者をこちらに呼びます。楽器を傷つけたりはしませんから、解体調査にご同意頂けませんでしょうか?」
「ヴァイオリンって、バラしたりまたくっつけたりは自由自在なんだよね?」
と桃香が訊く。
「うん。ヴァイオリンは部品を膠(にかわ)で接着しているから、蒸気を当てたら簡単に外れる。もっとも素人がやったら木材を痛めかねないから専門家にやらせる訳だけど」
すると山田さんは
「でしたら、この楽器を川上さんの方で専門家の所に持ち込んでもらえますか?」
「いえ、高価な楽器ですから、技術者をこちらに寄越しますよ」
「いや、どうも呪いがやはり本物みたいだから、あまり手許に置いておきたくないので」
などと山田さんが言う。
「分かりました。それではお預かりします」
今までは《呪いのヴァイオリン》ということ自体に半信半疑だったのだろうが、どうも本物っぽいということで急に怖くなったのだろう。それに姪の後輩の妹ということで信用してくれた感じもあった。
「ところでこの外した弦ですが、何でできているか、お分かりですか?」
と青葉は訊いた。
「ガットでしょ? かなり古いものみたいだけど」
と杏那さんが言う。
「ガットというのは本来羊の腸ですよね」
「うん」
「これは人間の腸です」
「えーーーーー!?」
弦に触っていた杏那さんが慌てて手を離す。
「恐らく呪いに関わる誰かの腸なんでしょうね」
「きゃー」
「いつ頃のものだと思う?」
と桃香が訊く。
「これはせいぜい70-80年だと思います。恐らく昭和の初期です。だからこの呪いも実は新しいものなのかも」
「わぁ・・・」
そういう訳で、山田さんのヴァイオリンを預かって(桃香がその場で預かり証を書いて青葉と一緒に署名捺印した)、その日は取りあえず自宅に帰った。
「あら、何かヴァイオリンを借りてきたの?」
などと朋子が訊いたので
「うん。《呪いのヴァイオリン》を預かってきた」
と桃香が答える。
「ちょっとぉ!」
と朋子が声を上げるが
「この楽器は所有したり演奏したりしない限り影響は受けないから大丈夫だよ」
などと青葉は言う。
それで早速、東京の冬子(ケイ)の所に電話する。
「実は《呪いのヴァイオリン》というのを預かったんですけどね」
「何それ?」
「持つ人、演奏する人が次々と不幸になるというヴァイオリンなんですよ」
「それ本物?」
「はい。それで、実はヴァイオリンの胴の内側に紙が貼ってあってですね、そこに呪いの呪符が描かれているんですよ。それでこのヴァイオリンを解体して、その紙を剥がして処分したいんで、どなたか信頼できるヴァイオリンの技術者さんを紹介して頂けないかと思って。その方に呪いが及んだりしないように、しっかりお守りしますので」
「それ、いっそ楽器ごとお焚き上げしちゃう訳にはいかないの?」
「なにせ1億円のヴァイオリンなので」
「ひぇー!」
と冬子は声を上げたが、適当な人を紹介すると言ってくれた。
電話は30分ほど後に掛かってきた。
「それ郵送とかする訳にはいかないだろうし、その楽器を持ってこちらに出てきてくれない?」
「了解です。いつならいいですか?」
「今から来れる?」
「行きます」
青葉は取り外した弦の方は、封印用にいつも用意しているお茶の缶に入れた。金属製なので、封印効果が高いのである。そしてそれとヴァイオリンケースを持ち、母に高岡駅まで送ってもらい、《はくたか》に飛び乗って(越後湯沢で新幹線に乗り継ぎ)東京に出た。
飛行機を使った場合、飛行機にこのヴァイオリンの影響が出たら怖いので列車にした。列車の方がこの手のものの影響を受けにくいのである。
東京駅で冬子と落ち合い、ヴァイオリンの工房に行った。
「ああ、何か貼り付けてあるね。了解。解体しますよ」
それで蒸気を当てて少し置き、簡単に胴の裏板と側板の間とを外してしまう。
「この紙を剥がすのもやってあげようか?」
「あ、お願いします」
それでやはり蒸気を当てて少し置くとそれはきれいに剥がすことができた。こちらは、どうもふつうの糊で貼ってあったようである。紙は三重に貼られていた。
「どういう種類の呪符?」
と冬子が訊く。
「全部**系のものです。その方面に詳しい人が作ったものでしょう。表面に出ていたのは、割とどうでもいい呪符です。むしろ下にある呪符の力を抑えてますね。この楽器を所有したり演奏した人に、急激に呪いが掛かるのではなく、ゆっくりと効くようになっているようです」
「いやらしいな」
と技術者さんが言う。
「2枚目のは生殖器に作用する呪符です。これを使っていると、女性なら不妊になるし、男性は勃たなくなりますね」
「怖い、怖い」
山田さんの息子さんが痴漢で捕まったのもその影響だろうなと青葉は思った。
「3枚目のは精神に作用する呪符です。鬱になりやすいし、幻覚なども見るでしょうね。所有者から聞いた話では、これを1人で弾いていたのに、他の部屋に居た人がヴァイオリンを二重奏しているように聞こえたそうです」
と青葉。
「そもそもそのヴァイオリンの棹の先がヴァイオリンを弾いている女性だから」
と冬子。
「うん、この手の装飾ヴァイオリンは僕も何度か見たことあるけど、ヴァイオリンを弾く乙女というのは初めて見た。物凄く細かい細工だよね」
と技術者さん。
「あまり荒く扱えませんよね。細工が細かいから」
「うん。丁寧に扱わないと、この細工を折っちゃうよね」
「じゃ、このヴァイオリン、また裏板、くっつける?」
「あ、その前にこれを貼ってください」
と言って青葉は持参した呪符を書いた紙を技術者さんに渡す。
「これはどういう呪い?」
「弾く人が演奏がうまくなるようにという呪符です」
と言って青葉はニコリと笑った。
「そんなのがあるのなら、私にもちょうだい」
と冬子が言うので、
「じゃ、また1枚書いて、そちらに郵送しますね」
と青葉は答えた。
なお、この時、冬子が「ヴァイオリンの内側に紙を貼り付けておく」というのを見ていたことが、数ヶ月後にワンティスの高岡が使用していたヴァイオリンの内側に多数の詩が貼り付けてあったのを発見する、きっかけになったのであった。
その日は冬子のマンションに泊めてもらった。
「ああ、とうとう冬子さんがKARIONのメンバーだったこと、政子さんにバラしてしまったんですか」
と青葉は夕食の席で、政子からその件について話を聞いて言った。
「青葉はいつ気付いたの?」
と政子が訊くので
「KARIONのCDを、偶然聴いて気付きました」
と青葉は答える。
「この子は、演奏に含まれる波動で、全部分かっちゃうんだよ」
と冬子は説明する。
「その辺が凄いな」
と政子は言った上で
「青葉ならさ、Raibow Flute Bands の各々の子の性別分からない?」
などと訊く。
「えっと、その名前を知りません」
「じゃビデオ見せてあげるよ」
と言って、政子は先日のサマーロックフェスティバルのステージの録画を見せる。まだ発売などはされておらず、本来は★★レコードの内部資料である。
「これフルートは全員マジで吹いてますね。エア演奏じゃない」
「そうそう。全員、それはデビュー前に猛練習したみたい」
「性別は・・・・同性愛の男の子、男装者、FTM性転換者・・・トランスはまだ途中かな?、同性愛の女の子、女装者、MTF性転換者・・・この子は性転換手術済みですね。そして・・・この一番うまい子の性別は私にも分かりません」
「フェイちゃん?」
と言って、政子はCDのジャケットの右端の子を指差す。
「そうです。その子です」
「青葉にも分からないことあるんだ!?」
「オーラが完璧に中性なんですよ。MTXの可能性、FTXの可能性、そして半陰陽の可能性もあると思います」
「半陰陽って、ふたなり?」
と政子が訊くが
「ふたなりは半陰陽の一形態ですね。色々なタイプの半陰陽の人がいますよ」
と青葉は超簡易な説明をする。
「一度フェイを裸にひん剥いてみたいな」
などと政子は言うが
「裸にしてみても分からないかも」
と青葉。
「うーん。。確かに冬だって、高校時代に何度も裸を見たけど、性別がよく分からなかったな」
などと政子は言う。冬子は苦笑していた。
「そう、この子はまるで天使か妖精みたいな子ですね」
と青葉はフェイについてコメントした。
「ああ、そういえば、そもそも『フェイ』は妖精という意味だよな」
と政子が言う。
それを聞いて冬子は、今日見たヴァイオリンの棹の先の彫刻を思い出していた。そうだ。あれはヴァイオリンを弾く女性と思ったが、もしかしたら天使か妖精なのかも知れないという気がした。それとともに、ずっと昔、高岡さんと一緒に書いた曲(Fairy on String)のことに思いが及ぶ。あの楽譜、どこに置いたっけ?探しておかなきゃ。
そんなことを冬子が考えたら、青葉がニコッと笑い
「小学校の卒業アルバムに挟まってますよ」
と言った。
「え?」
というので冬子が本棚の置いてある部屋から小学校の卒業アルバムを持って来た。
果たして、楽譜はその最後のページにはさまっていた。
「サンキュー! 助かった」
「見つけ賃は今日ヴァイオリンの件で協力して頂いた分と相殺ということで」
「OKOK」
「ふーん。小学校の卒業アルバムか。冬ってどんな感じで写ってるの?」
と政子が訊いた。
「あ、えっと・・・これ戻してくるね」
と冬子は明らかに焦っている。
「ちょっと待て。見せろ」
と言って政子は冬子からアルバムを取り上げる。
「ちょっと、プライバシーの侵害反対」
「元々公開されてるもんじゃん」
と言って政子はページをめくっていく。
「なるほどー」
6年2組の集合写真の中で、冬子は可愛いブラウスに膝丈スカートという姿で写っていた。
「これ、白鳥の形の遊覧船。どこだっけ? 河口湖?」
「あ、えっと、山中湖。修学旅行の時かな」
「ふーん。つまり、冬は修学旅行にスカート姿で参加したんだ?」
「いや、なんかこれ穿いてと言われて・・・」
「誤魔化さなくてもいいよ。自分でちゃんとスカート持っていって、それを自主的に穿いたんだよね?」
「違うよー」
「なんか以前、小学校の修学旅行でスカート穿かされたけど、記念写真の直前に着替えたという話を聞いた気もするのだが、多分無理矢理穿かされたという話自体が嘘だな」
「えっと・・・」
「この手の話では冬はすぐ嘘つくからな」
と政子は言う。
「しかも、すぐバレるような嘘なんだから」
政子は楽しそうに他の写真も眺めていた。
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