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■春空(11)
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庵の前に立ててあった自然石(瞬嶺によれば20年以上前からあるらしい)に、5人の弟子が1文字ずつ交替で顔料系墨汁を使って師匠の名前と誕生日・命日を書いた。
《長谷川瞬嶽(俗名光太郎)明治十九年六月三日生・平成二十五年三月二十一日没》
みんなで手を合わせて般若心経を唱えた。
「師匠の葬儀はあらためて★★院の方で」
「いつになりますか?」
「ゴールデンウィークは多分、みんな忙しいよね。その前がいいかな」
「じゃ4月21日・日曜日にしましょうか」
「そういえば、師匠が使っていた鉢と法衣はどうしたんだろう?」
と庵の中で遺品を整理していて瞬嶺が言った。
「法衣は私が昨年頂きました」と菊枝。
「鉢は私が昨年頂きました」と青葉。
「瞬嶺さんに渡した方が良いですか?」
と菊枝が訊くと
「いや。君たちふたりが頂いたのであればそれで良い。君たちがいちばん若い弟子だから、衣鉢を伝えたのだろう。文句言う奴がいたら僕が睨みを効かせるよ。それに僕は鈴(りん)を頂いてるしね。やはり去年だけど」
と瞬嶺は言った。
「僕は自分が死んだら庵にある経本を全部持って行けと言われた。去年」と瞬高。「僕は自分が死んだらこの庵とか寝具をやると言われた。やはり去年」と瞬醒。
「もっともやると言われても、ここに籠もって回峰行する気にはなれないな」
「しかしみんな去年それぞれ何か頂いたってことは、やはり自分の寿命を予測しておられたんですね」
「だろうね」
その時、瞬嶺が言った。
「ねね、瞬醒君。使わないのなら、この庵、僕がもらった鈴(りん)と交換しない?」
「いいですよ。瞬嶺さん、ここで回峰行するの?」
「夏の間だけでもできないかなと思っている。君たちも参加しない?」
瞬嶺は90歳を越えている。その年で回峰行をしようというのは凄い意欲だ。
「一ヶ月くらいなら」と瞬高。
「一週間くらいなら」と菊枝。
「右に同じ」と青葉。
「僕は回峰はしないけど、みんなの食事係で」と瞬醒。
「霞の食事も悪くないけどね」
「ああ。せめてお粥くらい食べたいね。できたら」と瞬高。
「提案」と菊枝。
「ここ、道付けません?」
「うん。僕も付けたい。山道でいいからね」と瞬嶺。
「ええ」
「僕の弟子たちを動員して道を作っちゃおう」
「おお」
「数年がかりだろうけどね」
「お弟子さんたちをそういうのに使っていいんですか?」
「作務だよ。回峰行付きで」
「いや、回峰行は遠慮する人が多いと思う」
「それにここ土木業者に頼んだりしたら、行方不明者続出するよ」
「確かに」
「ある程度の修行をしている人でないとここでは作業ができない」
ここは磁界が特殊なので、人間の方向感覚がくるいがちなのである(富士の樹海に似ているがもっときつい)。工事現場からほんの数m離れただけで、普通の人は元の場所に戻れなくなるだろう。
庵からの帰りは、来る時に切り開いた道を逆に辿れば良いので3時間ほどで★★院まで辿り着くことができた。
その後、瞬高さんが自分のお寺で休んで行かないかと菊枝と青葉を誘ったので、結局菊枝の車に瞬高さんを乗せて、瞬高さんのお寺がある大阪に移動した。
「菊枝徹夜明けで運転大丈夫?」
「青葉先に寝てて。来る時みたいに途中で運転代わって」
「あれはまずいよぉ」
瞬高さんのお寺は敷地も広く、大勢の参拝客が途切れない感じであった。
「君たち、因果はもらったんだよね?」
「はい」
「どこかの住職になる?紹介するよ。まあ川上は大学を卒業した後だろうけど」
「いえ。今のところ肩書きとか無くてもいいし」と菊枝。
「私は神仏混淆だしなあ」と青葉。
「なんか、あの祭壇凄いよね。いや仏壇なのかな?」
「ああ。私もよく分かりません。中央に金色の阿弥陀如来像があって、その後ろに天照皇大神宮の大麻が置いてあります」
「なかなか面白いね」
「榊を供えてるよね?」
「ええ。だから多分基本は神道系だと思います。朝晩は祝詞を奏上してますし」
「へー」
「曾祖母は実は鈴(りん)を打って、木魚を叩きながら祝詞奏上していたのですが」
「面白い!」
「曾祖母が亡くなった後、私と公式後継者の佐竹さん(慶子の父)とで話し合って、鈴と木魚はやめました。今は普通に太鼓を叩いてから祝詞を上げます」
「うん。その方がしっくりくるな」
「でも左右に、南無阿弥陀仏・南無観世音菩薩の額が掛かっています」
「うむむ」
「元の額は震災で失われたので、今掲げているのは、地元のお寺の住職に書いていただいたものですが」
「自分で書けばいいのに」と瞬高さん。
「えーっと・・・」
「私もそう言ったんだけどね」と菊枝。
「でもいろんな人の協力で作り上げたかったし」と青葉。
「まあ、それは一理あるかもね」
「でもあの阿弥陀様はきれいだよね。金ピカだから一瞬菩薩像かと思っちゃう」
と菊枝が言う。
「ええ。ひょっとして法蔵菩薩、もしかしたら観音菩薩かとも思ったことありますが、竹田宗聖さんは確かに阿弥陀如来像だと言ってました。装身具付けた如来像は大日如来は普通だけど阿弥陀如来では珍しいそうです。あの像は震災の時、祭壇を管理している佐竹さん(慶子)が、これだけは絶対持って逃げなきゃと思って抱えて高台まで走ったらしいんです」
「ああ」
「左に大黒様の像、右手に招き猫があったのは震災で失われました。どちらも大きすぎて持って逃げることは困難だったと言ってましたが、人間の命が優先ですから」
「そうそう。それでいい」
と瞬高さん。
「どこかで買ってきて補充しようかとも思ったけど、縁があれば必ず向こうからやってくるだろうと思って、そのままにしていたら、招き猫は震災から1年たった時に、知り合いの方から常滑焼の招き猫を頂きました。震災でやられたのは白い招き猫だったのですが、頂いたものは黒い招き猫で、黒いのもなかなか可愛いね、なんて言ってます。大黒様もその内どこかから持ち込まれるのかも知れません」
「ふーん」
と言って、瞬高さんは
「ちょっとこちらに来て」
と言って、ふたりを別の部屋に連れて行く。そこは倉庫のような感じの部屋だった。
「確かこのあたりに・・・・」と言って瞬高さんは何かを探していたが
「あったあった」
と言って、古い木箱を取り出す。
「これ、君にあげる」
「はい?」
元の部屋に戻ってから、箱を開けてみた。高さ10cmくらいの古い大黒様の木像が入っている。かなりの年代物のようである。
「これは・・・・」
「知ってるでしょ?」
「この形、備前焼では見たことあるけど、木像では初めてです」
「うんうん」
それは前から見ると大黒様なのだが、後ろから見ると男性器に見える。頭巾が亀頭、大黒様が乗る2つの俵が睾丸、大黒様本体が剥けた陰茎本体に見えるのである。衣服の襟の部分が後ろから見ると包皮に見える。
「その像、下から見てごらん」
「ん?これは!?」
「へー。面白い」と菊枝も楽しそうな声を挙げた。
この像は下から見ると今度は2つの俵の間の窪みが女性器のように見えるようになっていた。
「両性具有ですか!」
「そそ。僕は神道の方はあまり詳しくないのだけど、大黒様って、仏教では大黒天・マハーカーラだけど、神道では大国主命(おおくにぬしのみこと)になるよね。その大国主命の別名で大物主神(おおものぬしのかみ)・大穴持神(おおあなもちのかみ)というのがあって、大物主ってのは大きな陰茎の主、大穴持ってのは大きなヴァギナを持っている、ってことで元々両性具有的な性格を持っている・・・と神道家から聞いたことあるんだけどね」
と瞬高さん。
自身が仏教の僧であることから控えめな言い方をしているが、瞬高さんは神道に関する知識もひじょうに深い。瞬高さんの部屋には大正大蔵経全100巻の隣に神道大系全120巻が並んでいる。
「一般的には大穴持というのは、多くの女性を所有している。つまり妻が多いという意味だと言われています。でも、実際に立派な女性器を持っているという意味ではという説もあるにはあります」
と青葉は補足した。
「これ以前何か入ってたみたい」と菊枝が言う。
「うん。もう抜いてある。川上君、自分で何か降ろせば良いよ。できるでしょ?」
「あ、はい」
「この像は、元々堺の大店(おおだな)に祭られていたんだけど、戦時中の空襲で店も蔵も焼けてね。この大黒像だけは主(あるじ)が店の宝だからと言って、持って逃げたので無事だった。でも戦後のハイパーインフレで資産を全て失い店を再建することはできず、この像は知り合いのお寺に収められた。その商家は息子さんが次男さんは戦死、長男さんは広島の原爆で亡くなり、頼りにしていた三男さんも戦後に交通事故で亡くなってね。親戚とかにも継ぐ人が無くて家系は途絶えてしまったので、帰るべき所が無くなってしまって、それで、そのお寺からこちらに回されてきた。それがもう1960年代の話で、それから50年ほどこの大黒様はこのお寺で眠っていたんだよ」
「ああ」
「ところが先月になって、この像が僕を呼んでね。近々自分の行くべき所が定まるので、長年このお寺にお世話になったことで御礼を言いたい、なんて言ってた。さっき川上君から大黒様の話を聞いてピンと来たんだよね。川上君は性別を越えちゃった人だから、この両性具有の大黒様をもらい受けるのに最適だと思う」
青葉は深く礼をした。
お寺で夕食を頂き、菊枝はそれから車中泊しながら高知に帰ると言って寺を出た。青葉はその晩、お寺に泊めてもらった。翌31日朝、帰ろうとしていると、瞬高さんが「あ、これも持って行きなさい」と言って何か出して来た。
「袈裟?」
「山園君は師匠から袈裟をもらったみたいだから、君には僕からあげるよ」
「ありがとうございます。拝受します」
と言って受け取る。
大船渡のお寺で法衣を作ってもらったし、瞬高さんから袈裟をもらって、これですっかり、尼さんになれるじゃん!!
午前中のサンダーバードで富山に戻った。帰宅すると母が
「あ、美由紀ちゃんから電話あったよ」
と言う。
電話すると「あ、青葉帰ったの?ちょうど良かった。お昼御飯を兼ねて今から合格祝賀会するからおいで」と言う。
「つい数日前にもした気が・・・」
「こないだのはT高校に合格した女子の祝賀パーティー。今日のはうちの勉強会と奈々美の勉強会の合同の祝賀会」
まあ要するに何か食べながらおしゃべりしようということのようだ。
「制服着てきてね」
「どっちの?」
「もちろん高校の」
「了解」
出て行くと結構な人数がファミレスのパーティールームに集結していた。T高校、C高校、M高校と3種類の高校の女子制服が入り乱れている。呉羽もちゃんとT高校女子制服を着て来ているので、青葉は微笑んだ。
「でも呉羽の女子制服姿には驚いたよ」と奈々美が言う。
「呉羽、ちゃんと高校に行って状況を説明して、女子制服での通学許可をもらったんだって」
「おお、それはめでたい! 良かったね」
「でも呉羽がこんなに急速に女の子になっちゃうというのは予想を遥かに超えてた」
「うんうん。たくさん唆してれば高校卒業頃までに女子高生になるかなと思ってたのに、もう入学前に女子高生になっちゃったね」
「これはきっと高校在学中に性転換しちゃうね」
「ああ、しちゃいそう」
「でも高校では、名前は大政のままなの?」と奈々美が訊く。
「それはやはり姓と名前を入れ替えて・・・・」などと明日香は言うが「一応、ヒロミということで。ヒロミはカタカナ」と呉羽。
「呉羽ヒロミ?」
「うん」
「へー」
「ヒロマサからヒロミだから、愛称はそのままヒロちゃんで」
「でも私たちヒロちゃんなんて呼んでない」
「そのまま呉羽でいいんじゃない?」
「うん。それでいいことにしよう」
青葉は画数を暗算してみた。
「ああ。呉羽ヒロミは凄く良い名前」
「へー」
「天格13, 地格8, 人格8, 外格13, 総格21 全部大吉」
「おお、すごい」
「呉羽、これで運気が上がるよ」
「それは良かった」
「じゃ、温泉オフには女湯に入れるね」と奈々美。
「でも女湯に入るには女の子の身体にならなくちゃ」
「ああ、呉羽はもうおっぱいを作っちゃったのだよ」
「へー。いつの間に」
「秋頃から女性ホルモン飲んでたんだって」
「なんとまあ。じゃ、もう男の子は辞めちゃったんだ」
「うん、もう男性機能は無いって」
「じゃ、女湯問題無いね」
「あれ、もうおちんちんも無いの?」
「それは別に大したことじゃないよ」
「大したことないんだっけ?」
「立たないおちんちんは無いのと同じ」
「青葉だって、付いてても女湯に入ってたよ」
「まあ付いてたら隠せばいいことね」
「ああ。青葉におちんちんタックしてもらえばいいよ」
「付いてたら、取っちゃうともっと良い」
「確かに。じゃヒロミはもしまだおちんちんが付いてたら4月18日までにちゃんと取っておくように」
「ああ。青葉におちんちん取ってもらえばいいよ」
「私たちなんか凄いこと言ってる気が」
「うーんと・・・」と呉羽は反応に困っている。
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春空(11)