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■春音(7)
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その日は遠野市の後、釜石で1件、大船渡で1件の依頼をこなして、その日は慶子の家に泊まる。翌日曜日は午前中に大船渡でもう1件処理した後、午後から気仙沼で1件処理して仙台に向かった。到着したのは17時。用意してもらった休憩所で仮眠を取り、豪華なお弁当をもらって食べた後、20時半に仙台公演が終わった春奈のヒーリングを約1時間する。春奈も公演後の食事は後回しにしてヒーリングを受ける。そして青葉は仙台駅前22:10の高速バスで富山に戻る。
なかなかのハードスケジュールであった。
今回は合流できなかった彪志とは、高速バスの車内でメールで会話した。彪志はバイトしていたピザ店でこないだガス爆発事故があり、店舗改装中なので、現在バイトも休止中。夜が暇である。
《北海道で泊まったホテル、凄く素敵で感動した》
《高そうだね》
《いわゆる豪華ってのとは違うんだよね。むしろ質素だけど、心地よい感じにまとめられてるの》
《ああ。でもゴージャスでキンキラキンなら、落ち着いて休めないよ、きっと》《でも自費で泊まるのにはあんなホテルには泊まれないなあ》
《まあビジネスホテルだよね、俺たちは。でもそういうホテルに泊まれる程度には青葉も貧乏性を抜け出してきたのかな。2年前なら私トイレでいいです、とかゆってそー》
《そうだね。せっかく提供してもらったものはありがたく受け取る》
《よしよし。そうだ。青葉、ケイちゃんの仕事もしてたよね》
《うん》
《ローズ+リリーの大分公演のチケットとかコネで取れないかな?》
《聞いてみてもいいけど、私は行けないよ。受験生だから》
《内々定しててもダメ?》
《ダメ。頑張ってる子たちに悪いから》
《そうか。。。青葉が行けないんじゃ詰まらないしなあ》
《来年行こうよ。たぶん全国ツアーくらい、するかもよ》
《お、裏情報?》
《No,No.想像。マリさん、かなり精神力回復してきてるから》
《へー。それは楽しみだ。あ・・・もしかして青葉、マリさんもヒーリングしてるの?》
《業務上の秘密なので教えられません》
《ふみふみ》
翌朝・月曜日は朝6時半頃に高岡駅前に着き、迎えに来てくれていた母の車で自宅に戻って、車中と自宅で合計1時間ほどの仮眠をしてから、学校に出た。
青葉が昼休みに恒例のお土産配布で「白い恋人」を配ると
「なぜ岩手に行って『白い恋人』?」
と訊かれる。
「ああ。金曜日は北海道に行って、土曜日朝一番の便で岩手に移動したからね」
「えー!? なんて素敵な」
「全然素敵じゃない。新千歳に着いたのが金曜日の夜21時半でそのまま千歳市内のホテルに22時半到着。翌朝ホテルを出たのが朝6時で、7:30の花巻行きに乗った。だから千歳市内から出てない」
「なんつー鬼畜なスケジュール。観光とかは?」
「無理。お店はみんな閉まってる。札幌にも行ってないし。この『白い恋人』は事前にホテルの人に頼んで買っておいてもらったもの」
「お仕事?」
「そそ」
「そんなハードスケジュールになるんなら、たっぷり依頼料取りなよ」
「うん。高額もらったよ。泊まったホテルも一流ホテルだったしね」
「しかし一流ホテルなのに、夜10時に入って朝6時に出たんじゃ、もったいない」
「しかもその内2時間はお仕事してたからね」
「じゃ、まともに寝てないのでは?」
「うーんと。4時間くらいは寝たよ」
「凄くもったいない」
「あ、下旬には似たようなスケジュールで沖縄にも行ってくるけど、お土産何がいい?」
「沖縄も夜着いて朝帰還?」
「沖縄は昼間しか接触できない人のヒーリングするから、今回より少しはマシになるかも」
「A&Wのハンバーガー」
「それはさすがに鮮度的に無理」
「タコライス」
「右に同じ」
「アイスぜんざい」
「融けちゃうよ」
「ゴーヤチャンプル」
「そのくらい今度作ってあげようか?」
「サーターアンダギー」
「ちんすこう」
「紅芋ポテト」
「まあ、その辺かな、やはり無難な所は」
次の週末は、スリファーズの公演は9日土曜が金沢で10日の日曜が大阪であった。春奈が金曜日の富山行き最終便で富山空港に降りて、レコード会社の人の車で高岡まで来たので、夏に春奈が1ヶ月滞在した、レコード会社の部長の友人宅で青葉がヒーリングをした。春奈はそのままその家に泊めてもらい、翌日の金沢公演で歌う。
そして日曜日は青葉が午後からサンダーバードで大阪に行って、公演が終わった後の春奈のヒーリングをし、夜行バスで翌朝富山に帰還した。
このようにして性転換手術後わずか3ヶ月で組まれた「鬼の(春奈談)」ライブツアーは、青葉あってこそ敢行できたのであった。
そして10日の日曜日に大阪まで往復したのに、その週の水曜日14日は今度はアナウンススクールの2回目に出席するのにまたサンダーバードと夜行バスで大阪まで往復した。母が「あんた本当に大丈夫?」とあらためて訊いたが、青葉は「大丈V」などと古いギャグを飛ばしていた(青葉は世俗に疎いが時々変なものを知っている)。
次の週は17日土曜日が岡山で18日日曜日は福岡である。これはさすがに対応困難なので、どうしようと言っていたら、菊枝が「私が代行しようか?」と言ってくれたのでお願いすることにした。それでこの週末は菊枝が高知から出てきて、スリファーズのツアーに帯同してくれたのである。
青葉はいつも「非接触式」で掌を身体と平行に動かす方式で春奈のヒーリングをしていて、菊枝も普通はその方式でやるのだが、この時は「サービス」と称して、春奈を裸にして自分も裸になって抱きしめる方式でヒーリングをした。
春奈は「ちょっとドキドキした」などと言っていた。純粋な褒め言葉として
「もしまだ私に男の子の器官が付いてたらセックスしたくなったかも」
などと菊枝に言ったが、菊枝は笑顔で
「春奈ちゃん、可愛いからセックスしてあげてもいいよ」
などと言う。春奈は一瞬悩んでしまったらしいが
「菊枝さん凄くいい女だから、私男の子辞めたこと後悔しちゃうかもしれないから、セックスは遠慮しておきます」
と言った。すると菊枝は代わりにと言って、女の子のオナニーの仕方を何通りか教え、更にGスポットの場所を実際に春奈のヴァギナに指を突っ込んで押さえて教えた。
「あ、確かにそこ気持ちいい」
「ね。ここの快感にハマると、きっと男の子だった時より気持ち良くなれるよ」
「わぁ・・・私、ハマって猿になっちゃったらどうしよう」
「ピンクローターをお供にね」
「う・・・・買っちゃうかも」
また菊枝は、男の子との恋愛についても色々と実践的なことを教えてくれた。
「妊娠しないってのは結婚しようとすると不利だけど、恋愛するにはむしろ有利だよ。男の子は安心してセックスできるからね」
「確かに」
「それを武器に男の子を落としまくればいい」
「はい、頑張ってみます」
と春奈も結構乗り気になってきた。
一方の青葉は17-18日に岡山・福岡に行かなくて済むことになったので、じゃ当初の予定通り、岩手に行ってきます・・・などと言っていたのだが、青葉の体調を心配した朋子から「岩手行き禁止」の命令が下りた。
「あんた自身も手術してからまだ4ヶ月しか経ってないことを忘れちゃダメ」
青葉も実はさすがに疲れていたので、素直に従った。そういう訳で青葉の受験前の岩手行きは結局、11月上旬のが最後になったのであった。
そして翌週は23日金曜日の祝日から25日の日曜まで三連休である。スリファーズのライブも、23日沖縄、24日東京、25日横浜と三連チャンになる。
青葉は金曜日授業が終わってすぐに、上旬の北海道行きと同様に母に学校まで迎えに来てもらい、車で富山空港まで走って16:55のANA羽田行に乗る。羽田で冬子・政子と合流して20時の沖縄行きに一緒に乗る。そしてその日はそのまま冬子たちと一緒に宜野湾市の一流ホテルでゆっくりと休んだ。
翌日の午前中、那覇空港に沖縄某島在住の祈祷師Tさんを迎えに行く。Tさんはいわゆる「ユタ」であるが、ユタというのは基本的に俗称であり、正式にはその活動分野によって様々な名称を名乗っている。Tさんの場合、病気平癒の祈祷を得意としており、ウグヮンサーと自称している。現在は別の島に住んでいるのだが、Tさんのお母さんは久高島の出身で「イザイホー」を経験した最後の世代である。イザイホーは本来12年に1度午年に行われてきたのだが、過疎化などのために1978年を最後に行われていない。そのイザイホーを受けた正規の巫女であるお母さんを連れて行くかもとも言っていたのだが、ここ数年病気がちで今回も飛行機の旅は辛いということで見送りになった( 数ヶ月後に体調回復したお母さんを連れて再訪した)。
Tさんは冬子を見るなり「あれ?あなた男の人?」などと言ったが、青葉が「私と同類ですよ」と言うと「ああ!」と言って、冬子に非礼を詫びた上で、「あなたの魂は歌う巫女。音楽を職業にすると成功しますよ」などと言う。
「いや、この人、プロの歌手です」と青葉が言うと
「えー?ごめんなさーい」と言っていた。
「へー。冬は歌う巫女か、Tさん、私の魂は?」と政子が訊くと
「あなたの魂は神懸かりになってお筆先を書く巫女。あなた、こちらの人の相棒? そしたら作詞を担当してあげたら良いわよ」
などと言う。
「いえ、私そのまさに作詞担当です」
と言って政子は笑った。
Tさんは政子の手を握り
「あなた、一時期かなり精神的に落ち込んでいたわね。でも自分でそれを克服した。あ、もしかしたら、こちらの相棒さんの助けがあってのことかな。でももうほとんど元気になってる。そろそろ本来の自分の力を発揮して活動を再開すべき時よ」
と言った。政子は深く頷いていた。
そのTさんと青葉、冬子・政子の4人で、例の患者が入院している大学病院に行く。最初に医師に面会して、病気の状況などについて説明を受けた。
「ウィルスなどによって起きるものではないですし、一応空気や接触などで感染することはないとはされていますが、面会なさる場合、その点は自己責任でお願いします」
と念を押される。
「この病気は発病したらその進行を止める方法は無いとされてきたのですが、この患者の場合、2007年夏に発病し、いったん急速に状態が悪化して11月に緊急入院したものの、2008年夏から進行速度が急に遅くなりまして、2009年秋から症状が一進一退の状況になりました。そして2010年の12月に一時危篤状態になったものの、その後は、むしろ改善が見られるようになりまして、病変細胞の数が減り始めました。このようなケースは、世界的にもひじょうに珍しく、欧米の医師からも注目されています」
そのあたりの経緯は青葉が先月九州大学医学部の○○教授とやりとりして聞いた話でもある。
「その後徐々に回復してきて、今年の春にはそちらのおふたりのライブを聴きに一時外出できるまでになってきています。そして、これは新情報なのですが、実は先月になって、九大の方から、この病気にこの薬がひょっとしたら効くかもという情報がもたらされまして、本人や家族の同意の下現在治験をしているのですが、確かに改善が見られています」
それも実は聞いている話である。
「このまま行きますと、退院して日常生活に戻れる可能性もあると見ています。ただ、前例の無いことなので、いつまた病気が再進行して生命に関わる事態になっても不思議では無い、ということは覚悟しておいて欲しいとご家族には言っております」
常に最悪の場合を家族に伝えておくのは、医師の基本的な行動である。不測の事態になった場合に「先生、治ると言ったじゃないですか?」などと批判し、更には医療過誤訴訟に進むケースもあるので、医師も大変なのである。祈祷師や占い師・宗教家の場合も「インチキ」として詐欺で告発されるリスクが常にある。警察官が凶悪犯に発砲したのを批判するマスコミや人権団体まであり、現代は、命を守る仕事をしている者にとって生きにくい時代である。
青葉たちは、担当の女性看護師さんに案内されて病室に向かった。
病室(個室)に入った途端、とても力強い波動が感じられ、青葉は「おおっ」
と思った。Tさんも同様の感覚を持ったようで、青葉と顔を見合わせた。
患者はベッドの上に渡したテーブルの所に肘を置いて、見舞いに来ていた友人の女の子と腕相撲をしていた!凄い元気!
「こんにちは」と冬子と政子が言うと
「わあ、ケイさん・マリさん。また会えた!嬉しい!!」
と明るい声で言う。
「今日はね、麻美ちゃんの状況を知り合いの霊能者さんに見てもらかうかと思って連れて来たんだよ」
「わあ」
患者は最初、Tさんがその「霊能者」で青葉は付き添いか何かと思ったようであったが、Tさんは久高島出身のウグヮンサー、いわゆるユタ。そして青葉は「日本で五指に入る霊能者」と紹介すると、びっくりしていた。
「高校生くらいですよね?」と訊かれる。
「いえ、まだ中学3年です」
と青葉が答えると、2度びっくりされた。
しかし青葉は患者の様子を見て、更に素早く患者の身体をスキャンしてみて、かなり意外だったので「うーん」と言って、Tさんと顔を見合わせた。
青葉が難しい顔をしたもので、冬子が心の中で『難しいの?』と呟くのが聞こえる。青葉には聞こえるだろうと思って、心の中で呟いたのであろう。
「これはあれですよね?」と青葉。
「私もそう思います」とTさん。
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