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■春望(5)
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(c)Eriko Kawaguchi 2012-05-27
翌日、コーラス部は急遽学校に出てきた校長に全国大会3位の報告をした。その後、全員で市内のステーキハウスに移動し、ステーキランチを食べた。最初教頭先生がひとりで全員分おごるつもりだったようであるが、校長先生も「私も一口乗せて」と言って、校長・教頭ふたりでのおごりになった。部員は東京まで行けなかった子たちでも、ずっと夏休みに練習に出てきていたメンツには招集を掛けて一緒におごってもらった。寺田先生も教頭先生も「全国3位は、実際に大会で歌えなかった生徒まで含めて全員で取ったもの」と言った。
「寺田先生、何か欲しいものは無いですか? 予算ぶん取りますよ」と校長。
「コーラス部はブラスバンド部と違って特に楽器とかも必要ないですしね。昨年立派な練習部屋を用意して頂きましたし」と寺田先生。
「パート別練習できる場所があると便利かな。ブラスの人も欲しがってるから共同で使えるものでいいので」と美津穂が言った。
「音楽準備室の隣の空き部屋を改装して細かく間仕切りして、カラオケ屋さんみたいな構造になってるといいかも知れませんね」と日香理が補足した。
「ああ。そういうのがあるならピアノ伴奏とか他のパートを録音した音源を流しながら練習できるといいからICレコーダ1個とMP3プレイヤー何個かがあると便利かな」と青葉も付け加えた。
その日の夕方、石巻から和実がこちらにやってきた。手術から3週間がたち、松井医師の検診を受けるのと、もうひとつは青葉のヒーリングをダイレクトで受けるためである。和実は青葉のヒーリングを毎日リモートで受けていて、かなり手術の傷も癒えては来ているのだが、9月15日に銀座店がオープンして、そこの店長をすることになっているので、それまでにできるだけ体調を万全にしておきたいということで、しばらく高岡に滞在して青葉の集中ヒーリングを受けたいという希望だった。本当はもう少し早くこちらに来たかったようだったが、コーラス部の全国大会までは青葉も時間的な余裕が無かったので、それまで待ってと言っていたのである。
「それにリモートでやってもらうことで、余分な負担が青葉に掛かってるんじゃないかというのもあったんだよね」と和実。
「うん。確かにこちらもダイレクトでやる方が楽」と青葉。
和実は高岡でホテル暮らしするつもりだったようだが、青葉が
「私の家に滞在してくれる方が、私も移動しなくて楽なんだけど」
と言うので、青葉の家に泊めてもらうことにした。
青葉の部屋に泊めたのだが、和実は料理などをできる程度には体力が回復しているので、朋子が仕事で出ている間に御飯を作ってくれて、特に日々のお昼御飯が充実したし、晩御飯も少し時間の掛かるメニューなども登場するようになり、桃香が「御飯がグレードアップした」と言って感動していた。
「いや、桃香が御飯作りしてくれていれば、今までも問題無かったんだけどね」
などと朋子は言っていた。
「でも、娘が4人もいるみたいで、私何だか幸せ」
「私が男に性転換していたりしたら、娘0人になる所だったね」と桃香。
「それはさすがに悪夢だわ。でも千里ちゃん、女の子になれたことだし、このまま桃香のお嫁さんになってくれないかしら?」
「そうですね・・・・私できたら男の人と結婚したいけど、私と結婚してもいいなんて男の人いないかも知れないし。30歳まで独身だったら考えてみようかな。でも、桃香だって男の人と結婚するかも知れませんよ」
「いや、それはあり得ない」と桃香と朋子が同時に言った。
青葉と和実は吹き出した。
23日にはスリファーズの春奈が性転換手術を受けたアメリカから帰国し、付き添いのお母さんと一緒に高岡にやってきた。所属レコード会社の部長さんの大学時代の友人が高岡に住んでいて、その人に同年代の娘さんもいるということで、そこに9月中旬まで滞在させてもらうことになっていた。
高校生の春奈は本当は青葉たちと同様に学校が夏休みに入った直後くらいに手術を受けたかったようであるが、8月の夏フェスに出演が内定していたので、そのステージ終了後に渡米して手術を受けたのである。
「あまり休むと出席日数が足りなくなっちゃうので、9月の連休明け18日からは学校に復帰したいって春奈は言ってるんです。私は最悪留年してもいいから、身体をゆっくり休めた方がいいって言うんですけどね」と春奈のお母さん。『春奈』と彼女のことを呼ぶ時に一瞬ためらった様子だった。本人の意志で改名したその名前をまだ受け入れきれずにいるのだろう。
「やはり春奈さん、普段から、お仕事の都合で学校を休まないといけないこと多いんでしょう?」
と滞在している家のお嬢さんで、高校生の希美(のぞみ)さんが言う。
「ええ。一応学業優先ということにはさせてもらっているんですが、やむを得ないものもあるんですよねー」と春奈。
「ああ、私もこのお仕事してて、都合でけっこう学校休んでるもんなあ」
と青葉も言った。
「除霊とかのお仕事するんですよね?」
「相談がほとんどですよ。健康相談とか家相の相談とか。霊とか全然関係無くひたすらグチを聞いてあげるというのも多いです。除霊が必要なようなものは年に数回ですね。こういうヒーリングは余技なんで、基本的には知人とかから特に頼まれたりした場合のみです」
「私が受けられたのはケイ先生のおかげだなあ」と春奈。
「身体と並行に手を動かしてますよね。それで血液とかの流れをよくするんですか?」と希美さんが尋ねる。
「血液より『気』の流れですね」
「き?」
「『気のせい』とか『気配り』の『気』」
「へー。それで調子良くなるんですか?」
「希美さん、その右肘、痛めてるでしょ?」
「あ、凄い。どうして分かったんですか? 3日前にドアの取手にぶつけて」
「ちょっとその肘貸して」
というと、青葉は希美の肘のところにヒーリングを始める。
「あれ?何か気持ちいい・・・・」
青葉はヒーリングを5分ほど続けた。
「あ・・・・痛みが弱くなった」
「気の乱れを修正しただけです。自己治癒能力を高めると共に過度の痛みを緩和します」
「すごーい」
「また明日もヒーリングしてあげますよ」
「なんか凄いですね」と春奈のお母さんも言っている。
「お母さんも、少し疲れがたまってません?」と青葉。
「ええ。飛行機の乗り継ぎでけっこう大変で。でも、む・・・春奈の方がもっとたいへんなのに」
さっきも「む」という口の形をしてから「春奈」と言った。たぶん「娘」という言葉を言えないのだと青葉は思った。でももう「息子」と言う訳にも行かないということだろう。
青葉はまた春奈のヒーリングに戻り、左手をずっと身体に並行に動かすが、
「こういう時は、本人よりかえって周囲の方が疲れたりしますもんね。お母さんも頑張ってくださいね」
と言って、青葉はさりげなく、お母さんの手を右手で握った。
「でも青葉さん、ほんとに凄い。手術を受けた直後にしてもらったヒーリングのおかげで、最初もう耐えられないくらいの痛さだったのが、どんどん痛みが軽減していったから」
春奈のヒーリングをしやすくするため、青葉は6月下旬に岩手に行った時、仙台市内のホテルで春奈に会い、2時間ほどのヒーリングをして霊的コンタクトを作り、同時に準備しておいた自分の依代を渡した。
その時も春奈は「わあ、凄い。疲れがどんどん取れていく!」と、感激している様子であった。手術直後にはその時に渡した依代を、付き添いの人に春奈のお腹の上(青葉が言う所の「子宮の上」)に置き、向こうからこちらに電話を掛けてもらってリモートヒーリングをしたのであった。
(1度でも直接ヒーリングしていないとリモートのヒーリングはできない。リモートヒーリング自体には依代は不要だが、あると、より強いヒーリングができる)
8時間の時差があるので、春奈の手術が終わった現地時間の16時が日本では朝の8時になった。こちらは全国大会の目前の時期だったが、うまい具合に午前中なので、お昼近くまで4時間連続ヒーリングしてあげた。そのことで春奈は激痛に苦しむ時間がかなり短縮されたのであった。
青葉はしばらく左手で春奈のヒーリングをしながら、右手はお母さんの手を握ったまま、あれこれ会話をしていた。そのうち、お母さんが「済みません。少し眠くなってきた」というので、希美さんが案内して奥の部屋に行った。
その姿を見送ってから青葉は春奈に訊いた。
「でも、春奈さん、手術の終わった後の自分のお股見てどう思いました?」
「感激。何かもう言葉で言い表せない嬉しさでした。青葉さんは?」
「私は下半身麻酔で手術の様子を見てたんですけどね。どんどん女の子の形になっていく経過見てて、嬉しくて大声で叫びたい衝動を抑えてました」
「下半身麻酔・・・・・性転換手術を下半身麻酔で受けたんですか?」
「ええ。様子を見たいからってわがまま言って」
「あり得なーい! 今日から『超人・青葉先生』って呼ばせてください」
8月の最後の日曜日には、青葉たちは県下一斉の模試を受けた。この模試で偏差値65は取ってくださいと進学予定の高校から言われていた青葉、自分の成績がやばそうだということにその月の頭になってやっと気づいた美由紀、そして今のところ進学希望の高校の合格圏内には入っているものの気が抜けない思いの日香理、それぞれ各自の意義を持って受験した。
「なんだか自分が思っていた以上に問題がすらすら解けてびっくりした」
と美由紀は終了後言っていた。
「美由紀、進研ゼミのテキストはどこまで進んだの?」
「毎日1月分あげてきたんだよね。何かあげる度に頭が真っ白になる感覚だったけど」
「ああ。あれは脳で集中して血液使ってるから、終わった後、身体がバランス回復するのに脳内の血圧が下がってホワイトアウトするのよ」
「そういうこと?? お盆の間はちょっと休んだけど、昨日2年生の3月号を仕上げた。だから、まだ3年生のテキストは全然やってなかったんだけど」
「勉強は基礎が大事だもん。1-2年の範囲をしっかりやってたら、かなり実力が上がったはず」と日香理。
「美由紀は今まであまり勉強してなかったから、伸び代があるんだよね。これからの勉強次第で、かなり成績が上がるよ」と青葉も言った。
9月上旬に桃香と千里が千葉に帰還した。大学は9月いっぱいまで休みなのだが、千里がもう体調がかなり回復したからバイトに復帰すると言い、戻ることにしたのである。バイトは基本的に夜間なので、夏休み中は昼間アパートではできるだけ寝ているようにし、毎日青葉のリモートヒーリングを3〜4時間受けていた。食事はあまり調理に時間のかからないメニューを中心に千里が作るようにした。(買物は桃香担当)
「桃香に任せてたら栄養のバランスが取れないもん」
と千里は言っていた。
千里が桃香のところに頻繁に泊まるようになったのは大学2年の秋頃からだが、それまでの桃香の食生活は、学食で食べる以外は、カップ麺・レトルトカレー・ホカ弁のオンパレードだったらしい。
9月に入ると、青葉も「食事当番」に復帰した。当面の間は朝ご飯を青葉が作り、晩御飯は主として和実が作るというシステムにしたので、朋子は「ああ、なんて楽なのかしら」と言っていた。(お昼は和実ひとりなので、適当食べていた)
「青葉がうちに来る前は3食自分で作ってたはずなんだけどね。青葉が全部御飯作ってくれるようになってから、怠けてたから、特に和実ちゃんが来てくれるまでは大変だったわ」
などと朋子は笑って言っていた。
この時期はだいたい朝4時から7時くらいまで和実のヒーリングをし、学校の授業が終わり部活をして帰宅し自宅で夕食を取った後、夜7時頃から10時頃まで春奈の静養先に行ってそちらのヒーリングをしていた。往復は希美さんのお母さんが車で送り迎えしてくれた。
「青葉さん、実は今日」
とある日春奈は切り出した。
「どうしました?」
「お母ちゃんが、私のこと初めて『うちの娘』って言ってくれたんです」
青葉は微笑んだ。
「良かったですね」
「『春奈』って名前で呼んでくれるようになったのも、4月以降なんですよね。高校に入る前に戸籍上の名前、変えちゃったから、結果的にはその名前で呼ばざるを得なくなったのもあったんでしょうけど」
「お母さんも戸惑いながら、春奈さんのこと少しずつ受け入れてくれてるんですよ」
「そうなんでしょうね。中学1年頃までは『うちの息子』とか『この馬鹿息子』
とか言われてたんだけど、その後さすがに『息子』とは呼ばれなくなって、男名前由来の愛称で呼ばれていた時期が長くて・・・」
と語る春奈は嬉しそうだ。
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