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■春声(3)

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「うちの親父も魔除けにって、子供の頃ずっと女の子の服着せられていたらしい」
「わあ」
「そのお陰じゃないかな。42まで生きられたのは。親父の兄さんたちはみんな30歳前後で死んでいる。うちの親父が生まれた時に病院で偶然遭遇した拝み屋さんに『この子は悪い宿命を背負っている。女の子の服を着せて育てなさい』と言われたらしいんだよ」
 
青葉はN君の家系を調べさせて欲しいと言い、美由紀とともにN君の家にお邪魔した。N君のお母さんは、彼が女の子をふたりも連れて来たのに驚いたようであったが、この家で男が若死にする原因を調べて、何か回避の方法があるなら回避を試みたいのだと青葉が説明すると、ぜひ調べて欲しいと言い、いろいろ協力してくれた。
 
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まず過去帳を見せてくれた。その結果、彼の家系を6代前の天保年間まで辿ることができたが、見事に男性名の位牌は全て享年が30歳未満のものばかりであった。女性名の位牌はみなけっこう長生きだ。本当に男性だけに掛かる呪いのようである。
 
「その本家の**さんの家は商売か何かでもなさっていたのでしょうか?」
「私もよく分からないのですが、廻船問屋のようなものだったとも聞いています。私も結婚する時に夫から、自分は長生きできないからと随分渋られたのですが、私はそれでもいいと言って強引に結婚したんですよね。42歳の誕生日を一緒に迎えられた時は、もう呪いは終わってこの人はずっと生きていてくれないかな・・・と内心思ったのですが。急性白血病で。病院に掛かってから3ヶ月で逝ってしまいました」
とお母さんは涙を流しながら語った。
 
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青葉は郷土史などを調べる必要性を感じた。お母さんから、本家筋の**家が代々住んでいた場所を教えてもらい、また住所を確認するため、取れる範囲の除籍簿を取ってもらえないかと頼んだ。また檀家になっているお寺さんなどにも聞いて作れる範囲の家系図を作って欲しいというのも頼んだ。お母さんは了承した。
 
「美由紀、図書館に付き合って」と青葉はN君の家を出てから言う。
「うん」
「手分けして、**という名前の人が郷土史の中に出てこないか調べよう」
「分かった」
 
青葉は慎重に調査を進めた。この呪いの発端に触れるようなことがもし分かった場合、その瞬間に、青葉自身がダイレクトにその呪い本体と対峙を余儀なくされる可能性もある。下手すると自分も美由紀も危ない。しかしもう関わってしまった以上、撤退しても何らかの影響は受ける。
 
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調査にはけっこう時間が掛かった。途中に岩手行きも入ったので、青葉は現地での仕事を終えた後で、慶子の家に作っている祭壇の前で、美由紀の彼氏の問題についても少し探りを入れてみた。すると後ろの人からストップが掛かってしまった。今ならまだ逃げられるよ、と言われる。でも友だちを放置して逃げることはできない、と言うと、後ろのお姉さんは『そう言うと思ったよ』と言い、『師匠の所に行きなさい』と言った。青葉はすくっと立ち上がった。
 
長時間祭壇の前で瞑想していた青葉が突然立ち上がったので慶子もびっくりしたようであったが、甘いヨウカンとお茶を出してくれた。
 
「このヨウカン、美味しい」
「佐賀県の小城(おぎ)羊羹です。先日、博多の佐知子さんが来た時、おみやげに頂きました」
「小城か・・・・・・あれ?小城の近くに孔子の何かありましたね」
「孔子廟ですね。正式には『聖廟』と言います。小城の隣町の多久(たく)ですよ」
 
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「孔子・・・・・論語に何かあったな」
 
青葉は「端末借りるね」と言って資料館のデータベースにアクセスし、論語のデータを開く。幾つか思いつく検索語で探している内に、この言葉に到達した。
 
『過則勿憚改。過而不改、是謂過矣』
(過ちてすなわち改むるにはばかることなかれ。過ちて改めざるは、これ過ちと言う)
 
「慶子さん、『改』って字の字源を知ってます?」
「いいえ」
「これね、蛇を打つ様を表してるんですよ」
「蛇を打つんですか?」
「蛇は邪なるものの象徴。鬼を打ってるんですね」
「鬼ですか?大豆でもぶつけます?」
「大豆か・・・・いいな」
 
「あ、こないだ久慈の友人が来て大豆羊羹も置いていきましたよ。食べます?」
「食べます」
 
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早速慶子が出して来た。頂きながら、ふと思いついたように青葉は高岡の自宅に電話する。
 
「あ、お母ちゃん。私さ、今年のゴールデンウィークは奈良に行ってくるから」
「奈良?お友だちとかいたっけ?」
「ちょっと師匠の所に行く」
「ああ! 高野山の山奥に住んでるんだったわね」
「うん」
「気をつけて行ってらっしゃい」
「うん」
 
「あそこに行くんですか?数年ぶりですよね」
「小6の時以来だから、3年ぶりになります」
 

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岩手から帰った週に、美由紀と一緒にN君の家に行き、お母さんに調べてもらった内容を教えてもらった。家系図をコピーさせてもらう。お母さんは、老人ホームに入っている**家の最後の生き残りの大叔母さんの所にも連れて行ってくれた。大叔母さんから青葉はいろいろ聞き、相手の形が少しずつ見えて来つつあるのを感じた。
 
でも。
 
ここから先にはまだ踏み込めない。
 

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4月27日の夕方。青葉はサンダーバードに乗り大阪に出た。南海線に乗って奈良県に入る。目的地の最寄り駅で降りて、その日は近くのビジネスホテルに泊まった。(1年前の青葉なら公園のトイレで野宿だが、母の躾が身に染みて、こういう時、ちゃんとホテルに泊まるようになった)
 
翌朝、青葉は登山靴に履き替え、ペットボトル数本に水を入れて持ち、途中の食糧(+ヒダル神対策)でおにぎりも何個か持ち、山道を登っていった。
 
ここに来るのは3度目だ。最初は小学3年生の時だった。
 
その年の7月。富士山信仰の元祖ともいうべき長谷川角行という人の没後360年を記念する集会が、西日本在住のある老齢の拝み屋さんの主催で富士で行われた。
 
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彼女が知り合いの知り合いのまた知り合いなどに呼びかけて、全国から80人ほどの拝み屋さんや霊能者が集まったのだが、青葉は慶子の父に連れられてその集会に出席した。
 
そこで青葉は以前別の集会でも会ったことのあった菊枝と再会。菊枝の紹介で直美とも知り合い、3人でお互いに「あなた凄い」などと話していた時、瞬嶽がその3人のそばを通りかかった。
 
そして、足を留めてこちらを見て「なんだ君たちは!」と叫んだのであった。
 
集会の後、瞬嶽は当時高校生だった菊枝と、小学生の青葉に「君たち、ちょっと一週間ほど付き合わないかい?」と言って高野山に連れて行き、回峰行に付き合わせた。2人とも師匠からはかなり遅れはしたものの毎日最後まで走りきった。そして師匠は「君たちは2人とも凄い才能を持っている」と言い、その後、2人に「トレーニングメニュー」を定期的に送ってくるようになったのである。
 
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青葉は最初の頃、そのメニューがきついので、時々サボっていたが、サボると「○月○日にサボった分、これ追加」などと次回のメニューに書かれていたので、その後はしっかりサボらずに修行をするようになった。要するにこちらが実際にやっている内容が師匠には筒抜けになっているようであった。そういう訳で菊枝と青葉はいわば、瞬嶽の通信教育の弟子である。菊枝は、その後だいたい毎年1度は高野山に行き、師匠と会っていたようであるが、青葉は家庭の事情もあり次に行ったのは3年後の小学6年生の時であった。あれからまた3年経っている。
 

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青葉は最初の2時間ほどはふつうの山道を歩いていたが、途中から道無き道に入って行った。この道無き道への「入る場所」が分かるのは、瞬嶽の弟子だけである。そしてその先を歩いて師匠の庵まで辿り着けるのは、相応の能力を持っている者だけである。道が無くて目印もないから一般人は迷うし、山歩きに長けている登山家でも、瞬嶽が張り巡らせている結界に阻まれて、その庵に行くことはできない。
 
青葉は途中休憩しておにぎりを食べたり水を飲んだりしながら、道無き道を3時間ほど歩き続けて、お昼前にようやく庵に辿り着いた。
 
「待ってたぞ」と師匠から声を掛けられる。
「ありがとうございます。私が来ることはお見通しと思っていましたので、敢えて事前連絡はしませんでした」
「うん」
 
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ここは電話線も来ていないし携帯も圏外ではあるが、瞬嶽の所には一応郵便での連絡が可能である。郵便の宛先は瞬嶽が所属しているお寺の気付けにする。すると、そのお寺にいる、瞬嶽の弟子のひとり瞬醒がここまで届けてくれるのである。瞬嶽がどこかに郵便を出したい時も、瞬醒さんに念を送ると、彼がここまでそれを取りに来てポストに投函してくれるというシステムになっている。瞬醒さんはもう70歳過ぎだが元気で豪快な人である。それでも自分は師匠が死ぬまで生きていられるか自信が無いなどと言っていた。万一瞬醒が瞬嶽より先に死んだ場合、瞬嶽は世間との交流を完全に絶ってしまうかも知れない。
 
「疲れたか?」
「はい。少し」
「まあ、水でも飲め」
と言って、質素な陶器の器に入れた水を渡してくれる。
「ありがとうございます」
と言って、青葉は水を飲んだ。
 
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「その器はお前にやる」
「はい!ありがとうございます。でもこの器は御愛用の品では?」
「衣鉢を伝えるというが、衣は山園に渡して鉢はお前に渡すつもりでいた」
 
「謹んで拝受します」
「うん」
 
「取りあえず回峰行に付き合え」
「はい」
「その靴のままでいいぞ」
「助かります。修行不足なので」
 
青葉が一休みしたのを見て、瞬嶽が庵を出て歩き出す。瞬嶽は草履だが、青葉はここまで来るのに履いていた登山靴である。ふだん富山でも山道を走る時に使っている靴だ。
 
瞬嶽の歩くスピードは速い。しかし青葉も普段山道の縦走をしているので負けずに付いて行く。20分ほど歩いた所にお堂がある。そこで何やら真言のようなものを唱える。青葉はそのことばが分からないので、そばで静かに聞いていた。
 
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「今僕が言ったの、言える?」
「いいえ」
「分からなくてもいいから言ってごらん」
 
青葉は記憶をたどって、できるだけ似たような感じで唱えてみた。
 
「うん。7割くらいはコピーしてる。毎日ここではこれを唱えるから覚えなさい」
「はい」
 
その後、瞬嶽は20〜30分ごとにお堂や自然石を祭ったものなどの所で立ち止まると何やらそれぞれの場所固有の真言っぽいものを唱えて、全部青葉に復唱させた。回峰行は日没まで続き、ふたりは庵に帰還した。
 
「全く遅れずに付いて来れたな」と瞬嶽。
「今日はゆっくり歩いて頂いたので」と青葉。
「3年前はこれよりもっとゆっくり歩いたけど、お前は付いて来れなかった」
「まだまだ未熟でしたから。今でも未熟ですが」
 
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「未熟であっても人は立たなければならない時がある」
「はい」
 
「ところで、師匠、晩御飯はどうしましょうか? 今の時間なら木の実とかでもまだ取って来れますが、何か適当に取って来ましょうか?」
 
「木の実?いらん。こちらに来い」
「はい」
青葉は師匠に付き従い、庵の近くの崖の所に来た。
 
「どうだ。空気が美味しいしだろ?」
「そうですね。ここは緩やかな風が心地いいですし」
「思いっきり、この空気に含まれている気を吸収しろ。けっこう腹が膨れるぞ」
 
「・・・・師匠、これが師匠の毎日の御飯ですか?」
「うん」
「師匠、ほんとに霞を食べて生きてたんですね!」
「霞じゃ無い。大気に含まれている気だよ。お前、気を使って自分が持っているエネルギーを病人とかに注入できるだろ? 同じ要領で自然の大気に含まれている気からエネルギーをもらえる」
 
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「確かに。やってみます・・・・・・あ、ほんとだ。ここの気は美味しい」
「な、美味しいだろ? 朝晩で風向きが変わるから、朝と晩は違うメニューだ。雨が降った後などは最上級の御馳走になるぞ」
「ああ・・・こういう御飯、癖になったらどうしよう」
「彼氏にはまあ普通の御飯を食べさせてやれ」
「そうします!」
 
「お前、もう完全な女になるのか?」
「7月に手術を受ける予定です」
「お前、今は身体が男なのに体内の循環を女にして、気も女の流儀で操ってるから、本来の力の8割しか出てない。火の器で水を操っているようなものだ。お前の魂と身体が一致した時、本来のお前に戻れる」
「そんなこと、菊枝からも言われました」
「自分の能力が上がった時、それに振り回されないようにしろ。多分手術が終わったら半月もしない内に新しい状態になるぞ」
「気合い入れていきます」
 
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