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■女たちの戦後処理(9)

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(C)Eriko Kawaguchi 2014-08-10/2020-04-08改
 
千里が「巫女の力」を取り戻すのに、九州の唐津から、紀伊半島・能登半島・牡鹿半島・渥美半島・琵琶湖と駆け巡ってから、出羽三山に登ったこと、その後、信次の菩提を弔って板東三十三箇所巡りをしたことを話すと、
 
「よく走り回ってるね!」
と言われる。
 
「でも、クロスロードのメンツって走行距離の長い人が多いよね?」
と若葉が言う。
 
若葉はRX-8乗りだが、若葉の運転する車にはあまり乗りたくない気分だと和実が一度言っていた。昨年も1度免停をくらっている。
 
「和実と淳さんは、いまだに色々なボランティアで関東と東北の間を頻繁に往復してるみたい」
「あの人たちも良く頑張るよね」
 
「冬子も忙しいのに走行量が凄い」
「運転していると曲を思いつくんだよ。もっとも今回は関越ループとか鳥栖リターンとかまでしてみたけど、全然思いつかない」
 
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「若葉はRX-8だったよね?子供乗せる時はどうするの?」
と質問が出る。
 
「さすがにRX-8はチャイルドシートが1個しか取り付けられない」
と若葉。
「あ?取り付けは可能なんだ?」
「若竹と政葉をお留守番にして、冬葉だけ連れて出る時はそうすることもある。でも3人乗せる時はセレナ使ってるよ。実は今日もそれで来た」
「へー。セレナ?」
「あのタイプの車の中では座席に比較的余裕があるんだよね」
「どう3個付けるの?」
「2列目に2つ。若竹と政葉。3列目に1つ。冬葉」
「ほほぉ」
「助手席は使わないのね?」
「助手席にチャイルドシート付けちゃいけないよ」
 

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「だけど、遠距離まで走ってると、都会と田舎で頭の中の走行ロジックを切り替えないといけないよね」
 
「そうそう。都会の車は黄色で停まるけど、田舎の車は赤信号になってから3台くらい通過する」
「うかつに赤で停まると追突されるからね」
「だから都会ルールと同様に赤でちゃんと停まる場合はポンピングブレーキが大事」
「田舎ルールで都会の信号を通過しようとすれば、切符を切られる」
 
「やはり都会は人が多いから、きちっとルール守らないと回らない。でも田舎は人が少ないから余裕があって、少々のことは許容されるんだよね」
「それで、許容されるのをいいことに、そういう赤信号突撃みたいなちょっと危ない人達もいる」
 
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「性別に関しても田舎は許容的だよね」
「そそ。オカマさんに関しても、都会は無関心、田舎は許容的」
「うん。その程度は個性のひとつと思われてる感じ」
 
「田舎と都会ではそもそも時間の感覚が違うよね」
「都会で暮らす人は秒単位で時計が合ってないと気が済まないけど、田舎では数分ずれてても気にしない」
「5時集合と言ったら、都会では4時50分くらいまでにほとんどの人が集まるけど、田舎だと5時半くらいになってから、ぽつりぽつりと人が来始める」
 
「あれ、5時すぎてるのに気付いてから家を出るんだよ」
「いや、5時すぎてるのに気付いてから、お風呂に入った後で出てくるんだ」
 
「私もこの子たち連れて何度か長野の親戚におじゃまして1週間とか滞在したけど、田舎って小さな子供を育てるにはいいなって感じ」
と若葉が言う。
 
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「受験になると都会の中学・高校に行かないと、田舎からは国立大学とかに進学するのはきついけどね」
 
「でも自然に囲まれて時間を過ごしていると心がリラックスするよね」
 

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「千里も出羽とかに行って、大自然の中に身を置いたから、霊感が戻ったんじゃないの?」
「それはあると思う」
 
「冬も出羽に行ってみる?」
と政子が言うが
 
「冬、あまり山歩きしたことないでしょ?」
と千里が訊く。
 
「高校に入った年に高尾山に登ったくらいかな」
「高尾山は山歩きに入らないと思う。少し身体を鍛えてからでないと出羽は厳しいよ。冬の山駆けは行方不明者が出ることもある」
と千里。
 
「行方不明者ってどうなるの?」
「それは自己責任。修行に付いてこれなかった人は一度死んで生まれ変わってから再度修行しろということになってる」
「いいのか!?」
 
「いや、本来の山伏はそういうもの。昔は倒れてたら崖から突き落としたりしていたって言うよ」
と若葉も言う。
 
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「なんで〜?」
「すぐ生まれ変われるように」
「ひぇー」
 
「まあ、うちの集団は優しいから、救出部隊が回収しているけどね」
「よかったぁ」
 
今年の冬からそういうことにすることになったんだけどね、と千里は心の中で付け加えた。
 
「山じゃなかったら海は?」
「海というと、太平洋を泳いで横断とか?」
「その方がすぐ死ねるよ!」
 
「まあ、時間が静かに流れているような島でのんびり過ごすのもいいかも」
 
「静かに時間が流れている所というと占守島(しゅむしゅとう)とか」
「どこ、それ!?」
「千島列島の北東端」
「寒そう」
「もっと暖かい所で」
「じゃ、南鳥島」
「えっと、取り敢えずスーパーとかある所がいいな。電気が使えて」
「町添さんが、電話連絡できない所は困ると言うと思う」
 
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「じゃ、宮古島は?」
「ああ」
「行ったことある?」
「ある。いい所だと思った」
 
「じゃ、冬、そこに行ってみようよ」
と政子は言った。
 

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康子は最初坂東三十三箇所だけを巡るつもりだったようだが、三十三箇所を巡り終えると「欲が出て来ちゃった」と言った。
 
「西国三十三箇所やって、その後秩父三十四箇所やって、善光寺まで行っちゃおうかしら」
 
「すみません。私、お仕事しなくちゃ」
「ごめーん」
 
「じゃ、連続では体力使うし、信次さんの一周忌までに結願したいし、こうしませんか?」
と言って提案したのが《分担で回る》という方法である。
 
千里が由美を連れて信次のムラーノを使い西国三十三箇所を回ってくるので、その間に康子は公共交通機関を使って秩父三十四箇所を回ろうというのである。そのため、ふたりで最初に般若心経を頑張って67枚書いた。
 
また最終的には「お母さんひとりでは不安!」と言って、太一が休暇を取って行程に付き合ってくれた。
 
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秩父三十四箇所は近い所に集中しているので、歩いて一週間、車なら3日で回りきることができる。しかし康子と太一は車ベースで少しのんびりめの行程で5日で札所を回りきったようである。
 
一方の千里は由美を連れ、車中泊で10日間で回りきるスケジュールを組んだ。
「赤ちゃん連れで車中泊大丈夫?」
と康子が心配したが
「疲れたらそこで寝るから、宿を取っているのより楽ですよー」
と千里は答えて、元気に出かけて行った。
 
実際には車にはインバーターを取り付け、パソコンの電源も取れる大容量バッテリーも何個か持参する(普通に1000円くらいで売ってるモバイルバッテリーではスマホは充電できてもパソコンまでは充電できない。値段はパソコン自体のバッテリーと似た値段がするが、どのパソコンにも使えるのが良いところ)。創作用の重装備のパソコンと電子キーボードにノートパソコンも持って行き、西国三十三箇所をやりながら曲を書くつもりである。千里は4月下旬からゴールデンウィークに掛けて5曲書き、その後5月中に更に5曲書いていたが、6月は6曲頼まれている。
 
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東京を6月17日の夕方出発して、夜間に東名・伊勢湾岸道・伊勢道・紀勢道と走り、那智大社の近く、1番・青岸渡寺まで行く。仮眠しながら18時間の行程で、到着したのは18日の14時である。千里はここまで来る途中に既に途中のPAで1曲書きあげていた。
 
那智に来たら、いつもは飛瀧社・那智大滝・熊野那智大社というコースなのだが、今回は「お寺モード」にしているので、那智大滝だけ由美と一緒に見てから青岸渡寺で納経をした。
 
仮眠した後、夜間に2番・紀三井寺に移動するのだが、西国三十三箇所は1000kmのルートの内の実に200kmがこの青岸渡寺と紀三井寺の間の距離なのである。昔の人でも2-3日歩くのに掛かったのではないかと思う。
 
那智から紀三井寺のある和歌山市に行くには、阪和自動車道を走る海沿いルートと山中の道を突っ切るR311のルートがある。千里はこれまで海沿いルートは高速も下道も何度も走っているので、今回はR311を通って和歌山市まで行った。走行距離としては172kmである。
 
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そしてこの途中、明け方にまた1曲書いた。
 

その日は、3番・粉河寺、4番・施福寺、5番・葛井寺と回っていく。施福寺は麓から900段ほどの急な階段を登らなければならない。恐らく出羽に行ってくる前の千里だったら登るのに半日かかっていたのではないかと思うが、意識の覚醒で、厳しい山駆けをした肉体の記憶も戻って来たので、由美を抱っこしたまま、ほとんど休まずにぐいぐい登って行く。20分も掛けずに本堂に到達することができた。
 
20日(木)は6番・壺阪寺からである。この日は11番・上醍醐寺まで行った。この上醍醐寺がまたまた山登りである。これは本格的な山登りであり、軽登山の装備が必要である!
 
千里は登山靴を履き、荷物を最小限(雨具・飲料水・自分の非常食・由美の非常食=ミルク)にして、登って行った。この登り口の所に女人堂があり、かつては女性はそこまでということになっていたのだが、女人禁制であったことに納得する厳しい道であった。しかしこれも千里はかなりのハイペースで登ってしまった。
 
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しかし自分って男子禁制の所にはいつも普通に入ってたけど、女人禁制の所って、小さい頃から「ここはダメだよ」と言って追い出されてたよなあ、と千里は子供の頃のことを思い出していた。
 

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21日(金)は大津市で3つ回った後、京都市内になる。千里は今熊野観音寺まで車で行った後、清水寺近くの駐車場に駐めて、そこから清水寺・六波羅蜜寺・六角堂・革堂は歩いて回った。
 
由美はドライブも好きだが、お散歩も好きだ。京都市内の人混みも楽しそうにしていた。自分の水分補給以上に由美の水分補給には気をつけて適宜ミルクを飲ませるようにしていた。
 
革堂から駐車場まではのんびりと京都の町並みを歩いたが、祇園界隈で3曲目を書き上げた。
 
千里は高速のPA/SAや道の駅などで車中泊している。この日も京都南ICから名神に乗って、桂川PAで車中泊した。
 
22日(土)は名神から大山崎JCTで京都縦貫道方面に行き、大原野の20番・善峯寺から始める。亀岡市の21番・穴太寺まで北上してから、茨木市の22番・総持寺まで南下する。ここで4曲目の着想が得られたので、メロディーを書いていたところで、パソコンのバッテリーが切れてしまった。ちょうどお昼を回った頃であった。
 
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基本的には走行しながら充電しているのだが、それだけでは充分には充電しきれない面もある。ノートパソコンの方はまだ何とかなっても、フル装備パソコンや電子キーボードを駆動するための大容量バッテリーは簡単にはフル充電できない。あいにく23番は箕面市なので、その間を走ってもたいして充電されない。
 
行程は半ばである。仕事はしなければならない。★★レコードの大阪支店で充電させてもらう手もあるがレコード会社の人のようなビジネス系の人と会うと作曲するのに必要な《受信モード》が解除されてしまう。千里は少し躊躇いながらも貴司に電話した。
 
「こないだも出羽で電気と軽油借りたのに申し訳ないんだけど、今度はバッテリーに充電させて欲しいんだけど。電気代は払うから」
 
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「また車のバッテリーあげたの?」
「ううん。パソコンのバッテリーなのよ」
 
貴司が今日は家にいるからおいでと言う。
 
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