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千里は29日いっぱいを美鳳さんと過ごして、山駆けしたり滝行したり祝詞を唱えたりした。そういうことをすることで、今まで忘れていた様々な記憶を思い出すことができた。
「私に**があるのは瞬嶽さんの仕業ですか?」
と美鳳に訊いてみた。千里はそのこともきれいさっぱり忘れていた。
「ああ、それは白山大神の悪戯」
悪戯なのか!?
「それから、瞬嶽さんから**権現の秘法とか**明王の秘法とか、直伝を受けてるんですけど、あれどうしましょ?」
「千里自身が山に籠もって千日回峰を5回くらいやれば使えるようになる」
「それって30年くらいかかりません?」
「かかる」
「パス」
「堂入りとか楽しいよ」
「死にますよ」
「千里なら大丈夫と思うけどなぁ。まあ死んだ時は死んだ時だし」
「嫌です」
「あるいは誰かそれを受けられる人に授けちゃうかだね」
「私って要するに記録媒体なんですよね?」
「千里は便利な体質なんだよ。ああいう秘法は、言葉や絵で伝えられるもんじゃないけど、あんたみたいな霊媒体質の子には生データを焼き付けられるからね」
「誰かそういう資格のある人います?」
「いないね。但し使える人でなくても、千里同様の体質の人には伝えられる」
「そちらを期待しよう」
「千里は既にその才能がある人を1人知ってるけどね。但しその子困ったことに男なんだよね。女でないと記録媒体として利用できないんだよなあ」
「性転換でもしてもらおうかな」
「ふふふ」
「もしかして私も女になったから記録媒体になれたんですか?」
「そうだけど」
「なんか上手に仕込まれてるなあ」
「私みたいなのも、千里みたいなのも、上の方々の手駒なんだよ」
「確かに。私って神様や霊能者の便利屋さんみたいなものかな」
「そうそう。だから千里の復活をいちばん待ち望んでいたのは菊枝さん。あの人本来は青葉だけが使える千里の蓄電池をしばしば無断使用してたから」
「なるほどねぇ!」
翌30日の朝、千里は美鳳と一緒に羽黒山の駐車場まで戻ると、よくよく御礼を言って別れた。
それで、車を始動しようとするのだが、エンジンが掛からない。
「ん?」
『あ、その車、バッテリーもガソリンも空っぽだよ』
と《きーちゃん》が言う。
「えーー!?」
『だけど、湯殿山からビジターセンターまでの道ではちゃんと動いたんだよ。不思議なこともあるもんだと思った』
『そういえば、私、東京出てからここまで1度も給油しなかった』
『まあ、そこで普通の人間は変だと気付く』
『だって、給油ランプ点かなかったし。私、電気とか機械とかさっぱり分からないんだよねー。でも、なぜ動いてたの?」
『取り敢えず油とバッテリー買って来た方がいいかも』
『買っても私、バッテリーの交換とか自信ないよぉ。だいたいどこに買いに行くのさ?』
『鶴岡まで行けば、ホームセンターか何か無い?』
『鶴岡まではどうやって行く?』
『うーん。バスで行くとか』
『それしか無いかなあ。でも車の燃料タンク持ってバスに乗せてくれないよ』
そんなことを《きーちゃん》や《こうちゃん》たちとやりとりしていた時、千里の車のそばに、ランドクルーザーが停まる。千里はそのランクルに見覚えがあった。思わず口に手を当てて、その車から降りてくる人物を見る。
「あっ」
「えっと、ごぶさたー」
「うん。ご無沙汰」
それは千里の長年の思い人、貴司であった。
「ターちゃん、どうしたの?」
と言って赤ん坊を抱っこした女性が降りてくる。千里は微笑んだ。
「こんにちは、私、中学時代の細川さんの後輩で、川島と申します」
と千里は貴司の奥さん・美映に挨拶した。
「え?」
と言ったまま、美映は千里を睨む。まあ、女の勘で分かるよね?ただの後輩ではないことが。
「細川君、実はバッテリーあげちゃって。しかもガス欠なの。もし良かったらエンジン起動の電気、分けてくれない?ブースターケーブルは持ってる」
と千里は言う。
「ああ、いいよ。でも今、ガス欠って言った?」
「うん、それも問題で」
「だったら油も少し分けてあげようかって、しまった、そちらガソリンだっけ?」
「ううん。ディーゼル」
「それはちょうどいい。僕のランクルもディーゼルだよ。ちょっと待って」
貴司は美映と千里に車から少し離れているように言うと、ランクルの給油口と千里のアテンザの給油口が近くになるように駐め直す。それで荷室から油の吸い上げ用ポンプを持って来て、吸油口を自分のランクル側に、ネジを回すようにして差し込み、反対側の先を千里のアテンザ側に入れる。そしてポンプを押して油を移動させた。
「そんな道具があるんだ!」
「手製」
「すごーい! 細川君って昔から、そういうの得意だったね」
と千里は本気で感心して言うが、美映の視線は冷たい。
「油の携行缶に給油するために作ったんだよ。ガソリンスタンドで携行缶に自分で給油するのは違法だろ?でもスタッフにやってもらったら、スタッフ対応の料金になるから高いじゃん。だからセルフでは車に給油して、あとで自分で携行缶にこれで移すんだよ。マリンジェットなんかやる人もだいたいこの方式」
「ねじ込むようにして差し込んだね?」
「そう。普通に差し込むだけでは途中で停まる。差し込み方の要領があるんだよ」
「へー」
貴司はこのくらい入れれば多分鶴岡か寒河江くらいまでは持つよ、という所まで油を移してくれた。その後、ブースターケーブルをつなぎやすい位置に車を移してからボンネットを開ける。まずプラス同士をつないだ後、ランクルのマイナスとアテンザのエンジン金属部分を繋ぐ。
「あ、それプラスとマイナスのどちらをエンジンブロックに繋ぐのか覚えてなかった」
と千里。
「危ないなあ。それ間違うと最悪爆発するよ」
「こわーい!」
ランクルのエンジンを掛けて回転数を少し上げる。それでアテンザのセルを回す。
「わっ、始動した!」
「良かったね。これ、完全に上がってたみたいね」
「うん」
「だったら、ここで30分くらいアイドリングしてから出発するといいよ。いきなり車を出したら、また落ちるから」
「そうする!」
「そのままホームセンターにでも走って行って、新しいバッテリー買って交換するといい」
「私、バッテリー交換できない」
「じゃ、オートバックスかイエローハットにでも駆け込もう」
「そうした方が良さそう」
「カーナビは付いてる?」
「うん、付いてる。それで辿り着けると思う」
「じゃ、もし何か困ったら電話してよ。僕たちも今日は鶴岡泊まりだから」
「うん。できるだけ自分で何とかするけど、どうにもならなかったらお願い」
「了解了解」
「でも細川君、ほんとにありがとう」
「お互い様だよ」
それで千里は奥さんの方を見て言う。
「美映さんも、足止めさせてしまって申し訳ありませんでした。緩菜ちゃんもごめんねー」
と言って、赤ん坊の頭を撫でたら、緩菜はきゃっきゃっとご機嫌である。
「この子、凄い人見知りするのに・・・・」
と美映。
「それに、あなた、私の名前もこの子の名前も知ってるんだ?」
「はい」
と言って千里が微笑むが、貴司は
「おいおい、川島。僕の家の家庭争議を引き起こさないでよね」
と言う。
「うん、大丈夫だよ。私も既婚者だし」
と千里も言って微笑んだ。
千里が既婚者と言ったので、美映は何だか凄くホッとした様子であった。貴司ははその千里の結婚相手が亡くなったことも、むろん知っているがこの場ではそのことは口にしない。言ってしまうと、美映が暴走しかねない。
「じゃ、また」
「うん、また」
と言って別れたが、美映はたぶん「アデュー」と言いたい気分だろうと千里は思った。
5月の連休明け、千里が作曲した5曲分のMIDI及び自分で仮歌を入れた音源を持って★★レコードに出て行くと、それを聴いた氷川係長も、加藤次長も
「これ、どれもヒットしそう」
と言った。
「各々の曲を誰に歌わせるかは、そちらにお任せします」
「うん。ちょっと営業政策を考えて判断する。また更に頼んでいい?」
「いいですよ。今なら1週間に2曲のペースで行けます」
「行けるのはいいけど、後で『もう書けなくなった』なんて言わないでよね」
「大丈夫ですよ。その時は七星さんが頑張ってくれますよ」
と千里が言うと、近くでアイドル歌手・松元蘭(後のFlower Gardensリーダー)と打ち合わせをしていた七星さんが咳き込んでいた。