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「君、しっかりして」
という声で意識が戻った。それでもボーっとしていたら頬を叩かれた。痛いじゃない!と思って「彼女」は顔をしかめる。
「君、名前は?」
と訊かれたので、まだ朦朧とした意識の中で
「ももかわはるみち」
と言おうとしたが、口がうまく動かず
「ももかわはるみ」
くらいで切れてしまった。
「はるみさん?」
「取り敢えず意識あるみたいだね」
「ロープウェイの駅まで連れていくよ。俺の背中に乗って」
声を掛けた人物は27-28歳くらいかな?という感じの男性2人であった。
「自力では乗れないみたいだ。おい、秋月、この子をしっかり俺の背中に乗せてくれ」
「この子力が抜けてるから厳しい。大矢、もう少し腰を落とせ」
ふたりは何とかして「彼女」を背中に背負うと、ロープウェイの駅の方へ戻って行った。
11月5日の月曜日。
千里は目が覚めると「ああ。また身体が変わっている」というのを認識した。
『また女子高生になったんだよね?』
と《いんちゃん》に訊くと
『そうだよ。道大会が終わるまでね。この身体は地区予選の続き』
と教えてくれた。
『生理になっちゃった?』
直前の生理は10月28日に来ており、もう出血は収まっていたのに今朝は少し来ている。
『うん。これは生理から4日目の状態。今日はナプキン付けた方がいい。明日はパンティライナーでいいけど』
『なるほどねー』
身体が切り替わるのにはそろそろ慣れてきたけど、生理の処理はなかなか面倒だ。こないだは悲惨になったし今日は生理用ショーツ二重に穿いていこう。でもインターハイの後、私の身体ってめまぐるしく変わっているなと思う。
2007/05/21-08/03 (女子高生) 道予選・インターハイ
2007/08/04-08/14 (男子高校生)
2007/08/15-09/10 (女子大生2012) 千里の熱望と美鳳の思惑による緊急入れ替え
2007/09/11-09/16 (女子高生) ウィンターカップ地区予選
2007/09/17-11/04 (女子大生2009)
2007/11/05-11/11 (女子高生) ウィンターカップ道予選
2007/11/12-11/30 (女子大生2009)
この日、留実子が札幌の病院を退院して旭川に戻ってきた。
母・叔母と一緒にその日の放課後に学校に顔を出し、明日からはふつうに通学することを先生たちに話した。しかしまだギブスをして、松葉杖をついている。当面運動はできないようである。
「車椅子バスケットならできると思うんだけどね」
と本人。
「いや、まだ無理したらいかん」
と千里たちは言う。
「それと僕、バイト辞めたから」
「ほほぉ」
「実際問題として、怪我が治るまで仕事にならないし、怪我が治ったらバスケの練習に集中したいし」
「サーヤが本気になってる!」
「だけど入院生活なんて初めてだったから、色々不便だったよ」
「ああ、そうだろうね」
「まあ性転換手術を受けたあとの入院の予行練習くらいにはなったかな」
「性転換手術するの?」
「彼氏から子供2人くらい産んで、その子が高校卒業するまでは性転換しないでくれと言われた」
「じゃ子供を24歳・26歳くらいで産んで、その子が18歳になるまでならこちらは44歳か」
「じゃ44歳くらいで性転換する?」
と寿絵が訊く。
「それまで男になりたい気持ちが変わらなかったらね」
と留実子。
「凍傷の心配とかもないですよ」
と医師は明るい声で3人に告げた。
「良かった、良かった」
と秋月。
「発見が早かったのと、すぐに十分身体を暖めたのが良かったんでしょうね」
と医師。
ふたりが「彼女」をロープウェイの駅に連れ込むと、駅員さんが事務室に入れ濡れている服を脱がせた上で毛布を掛け、ストーブのそばで暖めてくれたのである。男3人で意識のはっきりしない女性の服を脱がせるのは気がとがめたものの、緊急避難である。
「ご迷惑おかけしました」
と桃川は力の無い口調で言った。
医師が部屋から出て行った後で大矢が桃川に尋ねる。
「でもさ、君、なんであんなにルートから外れた所に居たの? 普通の人じゃ気づかなかったと思う。僕はバードウォッチングとかしてたんで視力いいから気づいたけどね」
「すみません。実は自殺するつもりでした」
と桃川。
「ああ、やはりね」
「実は、片道の切符しか持っていない女性客がさっき降りて夫婦池の方に行ったまま戻ってこないので気になるって駅員さんに言われてさ、それで探してたんだよ」
「ほんとにお手数おかけしました。でも病院代どうしよう。私、死ぬつもりだったから、お金ほとんど使い切ってしまっていた」
「袖振り合うも多生の縁で、貸しておくよ」
「済みません」
「君、おうちは?」
「旭川市内に住んでいたんですけど、アパート解約して出てきました」
「仕事とかは?」
「実は勤めていた工場が9月いっぱいで閉鎖になったんです」
「実家は?」
「奥尻島だったんですが、10年ほど前の北海道南西沖地震で両親も姉も死んで私ひとりになっちゃって」
「わあ、それは大変だったね」
「じゃ、もしかして行く所がない?」
「ええ。実は」
秋月と大矢は顔を見合わせる。
「僕たち、北海道に来るたびに寄らせてもらっている牧場に行って何日か滞在するつもりだったんだけど、もし良かったら君も来ない?」
と大矢が言った。秋月も頷いている。
ふたりはこの子を放置していたら絶対また死ぬと判断した。
「牧場ですか・・・。それもいいなあ」
「じゃ、一緒においでよ」
「はい」
桃川は初めて笑顔になって返事をした。
「名前は桃川はるみさんだったっけ?」
彼女はへ?と内心思ったが、ああ、それでもいいかなと思った。
「はい。春に美しいと書いて春美です。本人は全然美しくなくて済みません」
と彼女は答えた。
11月5日の週、千里たちはウィンターカップの道予選に向けて、同じく道予選に出場するL女子高と毎日練習試合をやったが、どうにもこちらの分が悪かった。あくまで「練習」が主体なのだが、点数の上では、月曜から木曜までこちらが4連敗である。
「N高さん、どうした? パワーが足りないよ」
と溝口さんから言われる。
「うん。どうにも手駒が足りない。もう薫に性転換手術受けさせてこちらに出したい気分だ」
と暢子は言った。
すると登山さんが少し考えたようにして言った。
「薫ちゃん、もしかして性転換手術とか豊胸手術とか受けたってことはない?」
「え?」
「こないだ薫ちゃんが病院に入って行く所見たんだけどさ、そこの病院、美容外科で、看板には掲げてないけど噂では性転換とかの手術もしてるらしいのよね」
千里は思わず暢子と顔を見合わせた。
「いや、性転換したらさすがにしばらく入院していると思う」
「今日も普通に練習してたもんね」
「そうだ。例の放火事件の被害総額がまとまったみたいね」
と藤崎さんが言う。
木曜日は明日金曜から道大会なので練習試合を19:30で切り上げて一緒に対戦予定の学校の戦力分析をしていた(L女子高とN高校は同じ地区の代表なので決勝戦まで当たらないため情報交換しても不利にならない)のだが、話はあらぬ方角に行く。
「あ、聞いた聞いた。意外に少なくてびっくりした」
事件が落ち着いた所で放火された所の所有者などが集まり、被害者連絡会を結成した。L女子高やN高校も入っている。それで弁護士さんを入れて被害額をまとめていたのだが・・・
「古い物置みたいなのはだいたいゼロ査定。学校関係はたいていスプリンクラーが作動しているから、みんな、ぼや程度で消し止められていてたいしたことない」
「全焼したのはJ高校の用具室とかE女子高校門の守衛室くらいだけど、J高校のはそもそも近い内に取り壊そうと言っていたものだったし、E女子高のは技術の先生が練習代りに建てたもので材料費は5万円だったらしい。中にあったのも電話と筆記具に椅子・毛布くらい」
「そもそも警察・検察の取り調べでも、犯人の子は、燃えても構わなさそうな所を選んで仕掛けていたと言ってたらしい」
「うちの武道場とか、N高校さんの南体育館がやられたのは結構ボロっちくて、もう使ってないものと誤解したらしいね」
「南体育館は取り敢えず応急補修をしたけど、これを機会に建て直すことになったんだよ。建ててからもう30年経ってたから。今新しい体育館の基礎工事と並行して仮設体育館の建設中」
「今の南体育館は窓に隙間があって、2階の通路には冬は雪が積もるからなあ。室内なのに」
「あ、それはうちの武道場も同じ。剣道部の子が朝練は雪の中と言っていた。室内なのに」
「こちらは宇田先生がくしゃみしただけで、そばの窓ガラスが粉砕したことあった」
「こちらも竹刀の素振りしただけで、窓が割れたことあったらしい」
「大物は結局C学園だけど、話を聞いて呆れた」
「うん、私も呆れた」
「発注は全部ヒノキで作ることになっていたのに、目立たない所は杉とか輸入材の合板を使って、表に出るような所もヒノキじゃなくてヒバだったという話」
「コンクリートもかなり水増ししてたらしい。1年も経てばヒビが入るパターン」
「いや多分冬の間にひびが入って春には修復が必要になってた」
「鉄骨も設計よりずっと少なくしか入れていなかったと」
「ガラスも設計書より薄いものを使っていたと」
「下請けさんたちの話から全部バレちゃったね」
「結局A工務店の管財人さんは、その件を追及されて都合悪くなって請求権放棄」
「結果的には下請けさんたちがかぶった分だけの補償。すると1億円にしかならない。最初A工務店はここまで40億円掛かっていたと言っていたのに」
「それでもC学園が払った焼け跡の片付け費用・学園開校キャンセルに伴う出費の中で弁護士さんが認めた費用を入れると全部で1億8千万。簡単に払える金額じゃないね」
「40億円よりはずっとマシ」
「なんか事情がよく分からないけど、犯人の子、お父さんが2人いるらしいね」
「あれ、どうなってんの?」
「男同士で子供作ったとか?」
「まさか!」
「どうやって作るのよ?」
「卵管と同じPH(ペーハー)状態の環境の中で、特殊な方法で精子と精子を結合させると、うまい具合に性染色体がXXかXYなら3000分の1くらいの確率で受精卵になることがあるらしいよ。YYだとダメ。カザフだかウズベクだかの生理学者がそういう実験に成功したとどこかのブログに書いてあったのを友だちが見たと言ってたよ」
「マジで?」
なんだかかなり怪しい話だ。
「だけど、受精卵ができてもどこで妊娠するの?」
「そりゃ睾丸妊娠だよ」
「あれは18禁漫画の世界」
「どこから産むかも問題だ」
「それは睾丸切開で」
と話は暴走して、うぶな子たちが当惑している。ミッションスクールの女生徒の会話とは思えない会話だ。
「片方は元お母さんで性転換してお父さんになったとか」
「あ、その方があり得るな」
松葉杖をついたままここに出て来ている留実子が興味津々な顔をしていた。
「取り敢えずその2人のお父さんの退職金に所有していた株や国債の売却に、住んでいた家・土地を売却して合計5000万円作ったらしい」
「親も大変だなあ」
「本当は親には賠償責任無いんだけどね」
「あとC学園も、そういう工務店を選任した責任があるといって一時金として5000万円出したらしい」
「その合計1億円を工事の下請けさんたちに配分したみたいね」
「これで何とか年越せるって、凄い喜んでいたらしい」
「おかげで1年遅れでもいいですから、旭川校ぜひ作って下さいってムードになっちゃったみたい」
「まあ、『義を買った』という感じかな」
「薛国市義ね」
「残るのは学校関係や公園を管理していた道や市の補償だけ」
「そういう所は今すぐでなくても最終的に補填してもらえたらいいもんね」
「それでも残り8000万円か」
「いやC学園が出した5000万円も最終的には犯人に請求すべきものだから結局1億3000万円だよ」
「その内1億円くらいがC学園の請求権」
「1億3000万円なら年間400万円の給料をもらってそれを全部補償に当てても33年間」
「でも女で400万円くれる仕事はなかなか無いよ」
「前科一犯だとますますそういう仕事はない」