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■夏の日の想い出・何てったってアイドル(1)

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(C)Eriko Kawaguchi 2015-09-26

 
アイドルには主としてソロまたは5〜6人程度以下のユニットで売るケースと多人数のまとめ売りをするケースがある。
 
およそ「アイドル」という言葉が(今の意味で)使われ始めたのは1970年代で、天地真理や「花の中*トリオ」と言われた森昌子・桜田淳子・山口百恵に続き、アグネス・チャン、浅田美代子、大場久美子などがテレビ番組や雑誌などのメディアを通して、大いに売れまくる。そして1980年にデビューした松田聖子を頂点として、それに続く「花の82年組」と呼ばれた小泉今日子・中森明菜・早見優・石川秀美・堀ちえみ・原田知世・松居直美などは各々の強い個性で若い人たちの心を魅了した。
 
一方で集団アイドルの元祖としてはやはり1970年に始まったNHKのステージ101に出演した「ヤング101」を抜きにしては語れない(後継番組レッツゴーヤングではサンデーズを名乗る)。一方でそれに先行して1964年から東京音楽学院の選抜メンバーからなる「スクールメイツ」の活動が始まっており、両者を兼任している人たちも多い。スクールメイツは1970年の大阪万博のオープニング・イベントに出演した時、女子メンバーがテニスルックでボンボンを持って踊るというのをやり、これが好評を博したことから、以後このスタイルが定着した。
 
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しかしサンデーズにしても、スクールメイツにしても、あくまで集団のパフォーマンスであり、そこをステップとしてソロデビューした人も多いものの、集団で出演している時に個々のメンバーにスポットライトが当たる機会は少なかった。
 
集団ではあるものの個々の個性も出させるという演出をしたものとして1977年に「欽ちゃんのドンとやってみよう!」に出演した「欽ドン劇団」は先駆的である。実質素人の集団ではあったものの、気仙沼ちゃんや小柳みゆき(後の小柳友貴美)・西山浩二らの演技はお茶の間の人気を呼んだ。
 
そして1985年に「夕焼けニャンニャン」が始まると、そこに出演したおニャン子クラブの面々は、中には元々タレントとしての訓練を受けている子もいたもののほぼ素人という子も混じっていて、それらの子が「会員番号」をもらって各々の個性を前面に出したパフォーマンスをすることで人気が出た。
 
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更に1998年に「ASAYAN」から生まれたユニット「モーニング娘。」は頻繁に行われるオーディションによるメンバー追加や楽曲制作過程で自分の出番が増えたり減ったりするのに個々が一喜一憂する様子をそのまま番組で公開することで親近感を呼び、人気が盛り上っていった。
 
そしておニャン子クラブを仕掛けた秋元康が20年の時を経て2005年に再度送り出したのが「会いに行けるアイドル」AKB48で「地下アイドル」「ローカル・アイドル」を多数生み出すきっかけとなる。
 

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「女の子になってくれと言われて、スカートとか穿かないといけないのかなあなんて考えてたのよ。それが『今から女の子になる手術するから』と言われて病院に連れて行かれて、具体的な手術内容とか何も説明されないまま手術室に運び込まれて。それで包帯が取れてから自分のお股を見た時は衝撃的だったよ。きゃー。全部無くなってるって」
 
彼女はむしろ懐かしむかのように、私たちに当時のことを語った。
 

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ところで私は2010年からずっとカローラフィールダーに乗っていたのをこの1月にエルグランドに乗り換えた(同時に政子がリーフを買った)のだが、この新車を私は全然運転する機会が無かった。ここのところ忙しすぎたのもあって、たいていは私たちの専任ドライバーの佐良しのぶさんが運転するか、たまたま同行した雨宮先生、和泉、鮎川ゆま、千里、和実などが運転している。和実が何度か「東北まで物資運ぶのに貸して」と言って持って行ったし、千里も「震災復興イベントで出ている間使わないなら貸して」と言って富山・岩手と走ってきたようである。
 
そういう訳でエルグランドのオドメーターは私がまだ1度も運転しない内に5月には1万kmを越えてしまっていた!
 
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更にはある日、川崎ゆりこちゃんまで来て言う。
 
「ケイ先生、エスティマ買ったんですか?」
「いや、エルグランドなんだけどね。それと《先生》はやめてよ」
「ごめんなさーい! うちの先輩がケイ先生のエスティマに乗せてもらったよ、なんて言ってたものですから」
 
ゆりこは特定の固有名詞を出してないが、そんなこと言った先輩というのは秋風コスモスのことだろう。
 
「今週末、私がキャプテンやってるソフトボールチームの試合が長野であるんですけど、メンバーと道具を運ぶのに貸してもらえません?」
「まあいいよ。今週末は空いているよ。ってあれ?ゆりこちゃん運転するんだっけ?」
 
「免許は18歳の時に取ってたんですけどね、事務所から一般道での運転は禁止されていたのが、この1月に、やっとお許し出たんですよー」
と川崎ゆりこは言う。
 
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彼女は私たちより1つ下の1992年生まれで現在22歳である。
 
「へー。車も買ったの?」
「買いました。ダルセニアンのポンガDXです。可愛いんですよー」
「どこのメーカーだっけ?」
「どこでしたっけ?確かイタリアだったかスウェーデンだったか」
 
何だかアバウトな話だ。そういえばこの子方向音痴だったのではと思い至る。
 
「でもそんなに運転していなかったら、運転忘れてなかった?」
「私も自信なかったんで、教習所に行ってペーパードライバー講習を3日間受けてきたんです」
「3日もやればだいぶ思い出したでしょ?」
 
「ええ。最初は車線変更で方向指示器出すとか左折する時巻き込み確認するなんてのも忘れてました」
「ああ。それはベテランドライバーでも怪しい人がいる」
 
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「でも3月までに2000km乗りましたよ」
「凄いね。それだけ走ったら随分自信付いたでしょ。どこかにぶつけたりはしなかった?」
「大丈夫です。ヘッドライトを2回壊して、ライトの消し忘れでバッテリーを3回あげただけです」
 
私は頭を抱えた。政子が笑っている。
 
「あと、初日に運転してて、テレビ局までたどり着けなかったので、カーナビ付けてもらいました!」
「ああ、それがいいと思う」
 

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私がなかなか新車を運転できずにいる間、政子は初めて買ったリーフで随分運転の練習を兼ねて日々ドライブしているようであった。
 
がある日のこと。
 
「いやあ、焦った焦った」
と政子は玄関のドアを開けて入ってくるなり言った。
 
「何したの?」
と私が訊くと、政子の車に同乗していたドライバーの佐良さんが
 
「ブレーキの下に空き缶がハマっちゃったんですよ」
と説明した。
 
「マーサ、運転席にそんなもの転がしちゃ行けないよ」
と私は注意する。
 
「いや、運転しながらエメラルド・マウンテン・ブレンド飲んでいたんだけどね。脇道から強引に割り込んで来た車がいてさ。とっさにハンドル切ったんだけど、その時に缶コーヒーまで持ってる余裕が無いから手を離して。おかげでこのスカートも台無し。お気に入りだったのに」
 
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「その缶がブレーキに挟まっちゃったのか」
「そうなのよ」
 
「済みません。私がその缶コーヒー受け取れば良かったのですが」
と佐良さんは謝るが
 
「いや、瞬間的にそこまではできないですよ。マリがちゃんとハンドル操作できただけでも進歩」
と私は言う。
 
「マリさんが『ブレーキが利かない!』とおっしゃるので、まずはパーキングブレーキを踏んでもらったのですが、60km/hで走っていたんで、さすがにそれだけでは停まらないんですよ。踏んだので少し減速したんですが。それでマリさんにはハンドルをしっかり持っていてもらって私がシフトをBに入れて更に減速させて。そのあと、助手席から手を伸ばして缶を取ろうとしたのですが、遠くてなかなか手が届かなくて。でもその内パーキングブレーキと回生ブレーキが効いてきたみたいで何とか停まり掛けたので、最後はPボタンを押してもらって完全停止しました」
 
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「良かった良かった。でも佐良さん、お怪我は?」
 
その体勢で停止したら彼女は結構な衝撃を受けたはずである。
 
「大丈夫です。サロンパス貼っておけば治ります」
「じゃ貼りましょう」
 
と言って私は救急箱を開けて湿布薬を出すと佐良さんに渡した。
「すみませーん」
と言って彼女は女同士の気安さで服を脱ぎ肩の後ろあたりに湿布薬を貼っていた。
 
「停止するまではほんの3秒くらいだったと思うんですが、結構焦りましたね」
 
「私ひとりだったらどうにもできなかったと思う。しのぶちゃんが付いててくれて良かった」
と政子。
 
「うん。佐良さんのお陰ですね」
と私。
 
「やはり運転中はスティール缶のコーヒーじゃなくてアルミ缶かペットボトルのコーヒーの方がいいのかなあ」
「いや、ペットボトルでも挟まったらやばいよ」
 
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「今度からは助手席の人のことは気にせず左側に放り投げて下さいとは言ったのですが」
「うん。その方がいいですね」
「そうだ。とっさに放り投げる練習したいから、今度冬つきあってよ」
「いいけど」
「エメラルドよりヨーロピアン・プレミアムの方が良かったかなあ」
「いや。それは関係ないけど、練習は空の缶か未開封の缶でやってよ」
 
「でも下り坂ではなかったのが幸いでした。今度から棒を持って乗車しますね」
と佐良さんが言う。
「助手席ドアポケットに1本竹の定規か孫の手でも入れておきましょうかね」
と私。
 
「私が眠りそうになったらそれで叩いて」
などと政子は言っていた。
 

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昨年12月に作曲家の本坂伸輔さんが亡くなったが、その葬儀の様子がテレビの情報番組で報道された時、本坂さんの2人の娘(小3・小1)が可愛い喪服を着て献花する様子が視聴者の涙を誘った( もっとも番組は不酸卑惨の「狼藉」の様子を主として放映していたのだが)。
 
その娘のうち長女の愛菜ちゃんが4月に小学4年生になるのと同時に新しく立ち上げられたアイドル集団「ホワイト▽キャッツ」に加入するというのが報道されると、情報の確認を兼ねて記者が本坂家に多数押し寄せた。
 
玄関前でインタビューに応じた母親の歌手・里山美祢子は
「はい、確かに入れて頂くことになりました」
とその情報を認めた上で、
「あくまで多数の中の1人ですから、特別扱いなどはせずに見守って頂けると幸いです」
と笑顔で答えていた。
 
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「里山さんのお母さん、松居夜詩子さんがプロデュースしている金平糖クラブじゃなくて良かったんですか?」
という質問が出る。
 
金平糖クラブは現在乱立している「集団アイドル」の一角である。
 
「母が愛菜や萌菜をタレントにするつもりがあっても、うちには来るなと言ってました」
と美祢子は笑いながら言う。
 
「それはどうしてですか?」
「だってプロデューサーの孫が入っていたら、スタッフさんがやりにくいじゃないですか」
「確かに変な気を遣ってしまいますよね」
 
「まだ小学生ですし、本人が自分もそのうち歌手とかになりたいと思ったらすればいいし、まあ楽しい課外活動だったなくらいに思ったら、高校大学と出てふつうの会社勤めとかすればいいと思いますよ」
 
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と語る彼女の顔は、ごくふつうの母親の顔であった。
 

「結局、ふたりの親権ってどうなったんだっけ?」
とテレビの画面を見ながら政子は言った。
 
本坂伸輔さんと里山美祢子さんは入籍しておらず、内縁の夫婦という関係であった。それで私たちは本坂さんの遺産分与や親権、またそもそも彼女があの家に住み続けられるのかという問題で心配したのである。
 
「親権は里山美祢子さんが取得した。彼女は本名は片原峰子なんで、娘たちも片原愛菜・片原萌菜になっているんだよ」
と私は説明した。
 
「じゃ、美祢子さんが養女にしたの?」
 
「元々養女だったんだ」
「え?」
「要するに本坂伸輔さんと里山美祢子さんはどうしても入籍できないから、子供たちがどちらの遺産ももらえるようにするため、いったん美祢子さんが養子にした上で、更に本坂さんが養子にしていたんだ。そうすると、養子には最初の養親・次の養親、双方の相続権ができるんだよ」
 
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「へー!」
「だから本坂さんの自宅・土地、預金や株式などの金融資産、膨大な音楽著作権はふたりの子供が相続した。まあ数億円の借金もだけどね」
 
「奥さんは?」
「美祢子さんは内縁の妻だから相続権は無い」
「お父さんとお母さんは?」
「子供が相続人となった場合は、直系尊属や兄弟には相続権は無い」
「いいの〜?」
 
「美祢子さんは内縁関係を維持する以上、遺産はもらえないものと割り切っていたと言っている」
 
「性別を変更しなくても結婚できたらいいのにね」
「全くだよね」
 
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