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■夏の日の想い出・十二月(4)
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アクアの2019年のスケジュールは昨年と同様のパターンになった。
-2月ドラマ『少年探偵団II』
3-6月ドラマ『ほのぼの奉行所物語2』
7-8月映画『ヒカルの碁・棋聖降臨』
12-月ドラマ『少年探偵団III』
9-11月の3ヶ月間はドラマも映画も(レギュラー出演は)外してもらったのでこの期間は多少の余裕がある。それで
「いよいよ高校卒業前に性転換手術を受ける?」
と川崎ゆりこから訊かれたが
「性転換はしません」
とアクアは即答した。
「どうせ手術するのなら高校生の内にやっておいた方がいいよ。卒業した後は忙しくてとても手術なんか受けていられなくなるから」
「ボク、別に女の子になるつもりは無いですよ〜」
「隠さなくてもいいのに」
そんな会話をしていると、例によって葉月がドキドキした顔をしている。きっと性転換したいのだろう?などと、ゆりこは思っていた。
そういう訳でアクアは性転換手術を受けることもなく、昨年に続いてミニアルバムを作ることになった。ラインナップされたのはこのような曲である。
『Hei Tiare』(Havai'i99作詞作曲)
『Bandai』(醍醐春海)
『Sky Mountains』(大宮万葉)
『Beforte the Kettle boils』(マリ&ケイ)
『Motorbike built for two』(琴沢幸穂)
『Winter's tale』(森之和泉/水沢歌月)
今回は全てアルファベットのタイトルの曲となった。制作は多くの楽曲において先にPVの制作を行い、そのイメージを持ってもらって、音源製作を行った。そのため音源製作は10-11月に掛けての作業となった。
2019年6月27日の★★レコード株主総会における“クーデター”で村上社長らの旧MMレコード系の取締役が追放され、MM系により権限をほとんど剥奪され、首寸前の状態になっていた町添さんが一転して新社長に就任した。そして追放されたMM系幹部は、MM系の中心人物、元大阪支店営業部長の無藤鴻勝氏を中心に新しいレコード会社MSMを設立した。これに伴い、MMレコード系の社員が大量に退職。そちらに移籍して★★レコードは大混乱に陥った。機能不全に陥る支店や部署もあり、新経営陣はその建て直しに必死であった。
そんな中、私は新しいアルバム『十二月』のPVをこれまでのように★★レコードに委託して制作してもらう(予算はこちらが7割を出す)のではなく、独自のスタッフで制作しようと考えた。新しくJPOP部門の課長に就任した氷川さんに一応照会したのだが
「確かに今とても余力がない。そちらでできるならお願い」
と言われたので、私はそれをいいことに鱒渕・風花とともに、サマーガールズ出版の映像制作部門を臨時編成することにしたのである。
このプロジェクトの事務的な中心として、私はトラベリングベルズの黒木さんと海香さんにお願いした。黒木さんは私の友人のミュージシャンの中で、取り敢えず手が空いている人の中では最も信頼できる人物である。風花や七星さんとの交友もあるし、私と音楽的な価値観も近い。また海香さんは音響学の専門家で昨年春に工学博士の学位も取った。
そのふたりが実作業の中心として白羽の矢を立てたのは映像作家の美原友紀さんであった。
美原さんはアクアのデビュー・ビデオ作品を撮った人である。しかしその後は、あまり大きな仕事には当たらず、売れていないアイドルのPVを撮って細々と生きていたらしい。誰か結婚してくれる人が居たら主婦になっちゃおうかなとも思っていたらしいが、鱒渕さんが誰かいい撮影者がいないかあちこち照会している内に、事実上空いていることが分かり、勧誘したのである。彼女はローズ+リリーは好きだし、予算も潤沢そうだからやりたいと言った。アイドルのPVは概して低予算のものが多い。酷いのになると3日掛けて伊豆大島で撮影して報酬が3万しかもらえなかったこともあったらしい(ほぼ赤字)。
彼女を支える技術スタッフとして私たちが勧誘したのが元★★レコード技術部の則竹星児さんだった。
則竹さんはプログラミングに強いし、シンセサイザを含むデジタル音楽技術、更には映像技術にも詳しい。絵も上手いのでひとりで音楽付きFlash作品を作り上げたりもしていた。
彼はまた“天才プログラマー”である。1000行くらいまでのプログラムなら、調子のいい時なら、書き上げてから1発でコンパイルが通り、1つのバグも無くちゃんと動作するプログラムを作ってしまう。彼が書くコードは読みやすくかつコンパクトでしかも高速に動作する。
ただ天才にありがちなムラ気があり、やる時は人の10倍の速度で仕事をするが、仕事が進まない時は一週間くらい何もせずにボーっとしている時もあり、自分でもあまりサラリーマンには向かないと言っていた。
彼は寛容な上司に恵まれると、大きな仕事ができるタイプである。
彼は2008年に九州の国立大学を出てから★★レコード東京本社に入社。私とマリの覆面プロジェクト“ロリータ・スプラウト”の制作に深く関わってもらった。ローズ+リリー本体の制作でも、主としてツアーのサウンドやライティングのテクニカルな面で対応してもらっていた。2017年に★★レコードが村上社長の体制になり、経費のチェックが細かくなって、自由裁量での活動がしにくくなったのを嫌って退職。2年ほど横浜のSF音楽学院という所でシンセサイザの講師をしていた。しかし彼を可愛がってくれていた校長が退職したのを機に、この夏に彼も退職して、次の仕事を探していた。
それを私は実は千里から聞いて、このプロジェクトに参加しないかと誘ったのである。彼は「ケイちゃんたちの仕事なら楽しそうだ」と言い、トラベリングベルズの黒木さんとも旧知なので、参加してくれた。次の仕事先は今回のアルバム制作が終わってから、改めて探すと言っている。
2019年のローズ+リリーのアルバムは紆余曲折の末『十二月』(じゅうにつき)のタイトルで制作することになった。
ここで“十二月”というのはロシアの児童文学作家サムイル・マルシャーク(Самуил Яковлевич Маршак Samuil Yakovlevich Marshak, 1887-1964)の「Двенадцать месяцев」、英訳するとTwelve Monthsという作品から採ったタイトルである。Decemberのことではなく、月(Month)を司る12人の神様(1月の神、2月の神、・・・、12月の神)が出てくる物語で、日本では「森は生きている」の邦題で出版されている。
主人公のアーニャが吹雪の森の中で春の花である「マツユキ草」を探すシーンが、私は中学時代に書いた『雪女の慟哭』を連想させるなと、以前から思っていた。あの曲は非常に激しい曲なので、使う機会がなかなか無かったのだが、2017年に制作するはずだったアルバム『Four Seasons』の企画が潰れてしまい、それをリブートする際に『十二月』という名前を考えたのだが、その時、あの曲をここで使おうと私は思ったのであった。
『十二月』は元々2017年に『Four Seasons』のタイトルで制作するつもりだった作品である。しかしこのタイトルが2017年春の制作会議で否決!されてしまった。代わりに★★レコードの村上社長が指定したタイトルは『郷愁』であった。何の構想も無かったタイトルを指定され、しかも発売を11月上旬と指定された。
私はかなり努力し、8月にミュージシャン全員に“郷愁村”に泊まり込んでもらって制作するという異例の制作体制で臨み、何とか10月頭までにマスターを作り上げた。しかし、それを聴いた友人たちは声を揃えて、こんなものを発売してはいけないと言った。
「これは未完成というより、作品以前」
「料理の素材を鍋に放り込んだだけ。掻き混ぜも煮込みもされていない」
みんな発売を延期すべきだと言って、結局、アクアの新マネージャー・山村さんが交渉してくれて、発売時期は翌年春以降となった。私は夏の集中制作に参加しながらも「こんなのでいいんですか?」と完成度に疑問を提示していたミュージシャンたちに謝り、再度ゼロから制作しなおしたのである。作り直したアルバムは2018年3月に発売。一方『Four Seasons』の方はシングル(4曲入り)として2018年1月、アルバムに先行して発売した。
またこれを機会に「ケイたちには交渉力があって、レコード会社や大手プロダクションの意向に影響されずに、絶対的なローズ+リリーの味方になってくれるマネージャーが必要だ」と言われ、アクアの前マネージャーの鱒渕さんがその役割をしてくれることになったのである。
『郷愁』が発売され、一息ついたところで、私は『Four Seasons』のコンセプトを焼き直した『十二月(じゅうにつき)』の制作に取りかかることにした。村上社長も昨年は自分の指示がこちらを大混乱に落とし込んだことを反省して、この方針を追認してくれた。
ところが、ここで上島雷太先生の不祥事が発覚し、先生は無期限の謹慎をすることになった。それで業界に大激震が走る。上島先生は年間1000曲ほどを書き、その作品は日本のポピュラー音楽業界の根幹を支えていたのに、それが供給されないということになると、みんな発売できる楽曲が無いのである。
そこでUDP(上島代替プロジェクト)が発足して、多数の作曲家で上島先生の作曲量を何とかカバーしようということになった。私もこれに駆り出されて、とても自分たちのアルバムの制作どころではなくなってしまった。また私は物凄いペースで楽曲を書いたため、一時まともな作品が全く書けなくなってしまった。
和泉・風花・政子・千里が共同で私に「作曲禁止」を宣言し、私は月に1曲だけなら書いてもいいと言われたのを書きながら、リハビリをはかっていた。その間に私は一方では丸山アイ・若葉たちと一緒に“ミューズ”プロジェクトを立ち上げ、人工知能による作曲をしてこれで不足する楽曲の供給の助けとした。スーパーコンピュータ Muse-1, Muse-2 が作り出した楽曲は夢紗蒼依のクレジットで、主としてЮЮレコードで使用され、ЮЮレコードは積極的に新人を開拓するとともに楽曲不足から引退に追い込まれた歌手を受け入れた。これで復活した歌手が多数いた。
一方で私は引退して宮古島に移り住むことになった紅川会長から§§ミュージックの株式を全て引き継ぎ、§§ミュージックのオーナーとなった。紅川さんからは会長になってくれと言われたが、私はそれは遠慮してとりあえず副会長の肩書きになることにし、紅川さんは名前だけ会長の地位に留まった。
私が作曲家として復活できなかった場合、私はひょっとしたら、その後、ミューズの専務兼§§ミュージックの会長か何かとして、この業界で生きていくことになっていたかも知れない。
しかし私は作曲が禁止されていた期間に少しずつ精神力を回復させ、最後は2019年6月に政子・あやめと一緒に宮古島に行って来たことで、作曲家として復活した。そして8月頃にはまた精力的に楽曲が書ける状態まで戻った。むしろ以前よりパワーがみなぎっている気もした。
但し私は今まで書いていたような“埋め曲”は自分で書くのをやめた。それは全部、夢紗蒼依や松本花子に任せて、私は年間20-30曲くらいのゆるやかなペースで、ローズ+リリー、KARION、アクア、貝瀬日南(秋穂夢久名義)、三つ葉(紅石恵子名義)向けの楽曲だけを書くことにしたのであった。
そういう訳で『十二月』の制作は2019年の夏、8月くらいから開始できそうな気がした。その時期にはKARIONの『天体観測』の制作も一段落するだろうと考えた。この時期私が考えていた制作スケジュールはこんな感じである。
8月上旬『トロピカル・ホリデー』
8月下旬『泳ぐ人魚たち』『砂の城』
9月上旬『ヴィオロンの涙』『雨の金曜日』
9月下旬『メイクイーン』
10月上旬『うぐいす』『草原の夢』
10月下旬『紅葉の道』『時の鏡』
11月上旬『雪女の慟哭』『雪が白鳥に変わる』
それで11月前半までに楽曲の制作が一段落するなら、12月に全国ツアーをしてもいいかなと考え、11月下旬から12月にかけて会場を押さえてもらっていたのである。最後まで決まらなかった東北の会場も、復興支援イベントを宮城県ですることにしたので、ツアーの方は福島ですることにした。
私とマリは鱒渕さんから叱られた!!
実はだいたいのスケジュールを引いていた所で、時代劇の主題歌を頼まれ、それは7月に制作して引き渡したのだが、それを納品に行った時に演出家さんがいて
「いい曲ですね〜」
などといった話をしていた時、唐突にマリがこの時代劇自体に出演しないかと誘われたのである。演出家さんが乗せかたが上手く、マリは千代姫役での出演をOKした。それで9月から撮影を開始し、原則として月に2回、第1・3火曜だが、9月だけは毎週火曜日にお願いしますということだった。
「そういうの勝手に入れられたら困ります!」
と鱒渕さんは言ったのである。
「アルバムの制作とまともにぶつかるじゃないですか」
「それはそうなんだけど、マリだけなら大丈夫かなと思ったんだけど」
と私は言い訳をする。
「たとえ出番がなくても、これはマリさんとケイさんのユニットの制作なんです。その主役が他の仕事で席を外しているというのは、本気度を疑われます。他の演奏者たちは泊まり込みで頑張ってくれるのに」
「ごめん」
それで鱒渕さんは演出家さんの所に会いに行き、違約金を払ってもいいから、マリの出演は外してくれと交渉した。しかし演出家さんも「マリちゃんはこの役のイメージにピッタリで、他の人ではありえない」と頑張った。
それで結局、マリの出番を減らしてもらうことになったのである。9月中は毎週一回(火曜日)の制作に参加することにしたが、10月以降は月に1回だけにしてもらったのである。それでそれ以外の仕事は入れずにアルバム制作に集中する。
一方で、8月には終わるかなと思っていたKARIONのアルバム『天体観測』の制作は結局9月中旬までずれ込んでしまった。そういう訳で、『十二月』の実質的な制作着手が遅れることになってしまい、結果的にエンドもずれ込むことになった。
これが苗場ロックフェスティバルくらいの時期に私と風花が引き直したスケジュールである。
7月『トロピカル・ホリデー』
8月『泳ぐ人魚たち』
9月『砂の城』
10月上旬『メイクイーン』『うぐいす』
10月下旬『草原の夢』
11月上旬『ヴィオロンの涙』『雨の金曜日』
11月下旬『紅葉の道』
12月上旬『雪女の慟哭』『時の鏡』
12月下旬『雪が白鳥に変わる』
結局本格的な着手は2ヶ月遅れて10月になってしまう。それで学生さんたちの夏休みからは完全に外れてしまった。これは制作方法自体の変更が必要になった。
そうなると、制作は年内にやっと終わる感じとなり、予定していたツアーとぶつかってしまい、どうしよう?と思っていた時に、ゴールデンシックスが「勝負」を掛けてきて、彼女たちのツアーと日程が交換になってしまった。
それで私は本音としては助かったのである。
恐らくはあの事件は、誰か(千里?ゆま?和泉?あるいは丸山アイ?)がこちらの事情を察して仕掛けてくれたのではないかという気がする。
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