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■夏の日の想い出・十二月(3)
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翌朝起きると猛吹雪だった。
「これではスキーは無理かな」
と窓の外を見て凛子が言った。
この近くにスキー場があり、スキーの道具は貸してくれるという話だったのでスキーをしてから帰ろうと言っていたのである。
「そもそも出発を少し待ったほうがいいかも」
実際、大守さんが持っている“洋ぽん”を使ってパソコンをネットに接続して確認すると、磐越道が通行止めになっているらしい。それが解除されるまでは帰りようがないし、だいたい8km先のインターまで行くのも危険な感じである。全く視界がきかない。
旅館の人もこれでは今夜のお客さんも、来れないか来ても遅くなりますし、雪が止むまでそのまま宿に居て下さいと言い、お昼ごはんまで出してもらった。
「うちの死んだじいさんは、こういう吹雪を『雪女が泣いてる』なんて言ってましたよ。じいさんの小さい頃はまだこんな立派な温泉宿とかなくて、知る人ぞ知る湯治場だったらしいですけどね」
と老齢の主人が言っていた。
話を聞いていたら、そのおじいさんを含む7人で、この地を商業的な温泉として開発したのだということだった。どうもそれが昭和初期のことらしい。ということは、おじいさんの小さい頃というのは、まだ明治時代だろう。その頃は、この地は冬季には外部と遮断されてしまっていたのではなかろうかなどと私は思った。
下越地方に暴風雪警報が出ているとかで、磐越道の通行止めも解除されない。私は蔵田さんに付き合って、田代より子ちゃんに渡す曲の作曲作業をした。ゆまが見学したいというので臨席したが、私と蔵田さんが、口頭で階名を言いながら楽曲の調整をしていくので
「ふたりともすごーい」
と言っていた。ゆまはXG Works (*2) が使えるということだったので、楽譜の入力係を務めてくれた。
「XG Worksが使えるって、ゆまさんはシンセサイザかエレクトーン弾くの?あるいは作曲とか?」
「キーボードは弾くけど、どちらかというと作曲のほう。まだまだ曲の作り自体が未熟なんだけどね〜」
(*2) XG Worksはヤマハが開発したDTMソフト、というよりMIDI入力ソフトに近く、Cubaseが普及する以前、一定の利用者層があった。ヤマハのシンセサイザやエレクトーンとの親和性も高く、自分の演奏の記録に使ったり、またその記録を別のエレクトーンで再生させながら自分でも弾いて1人で2台のエレクトーンを合奏する人などもあった(1人合奏自体はXG Worksが無くてもエレクトーン自体のシーケンサー機能で可能)。
結局1月3日の晩もその宿に泊まることになった。私は薄暗くなってきた窓の外の吹雪をじっと見つめていた。
その時、唐突に頭の中にメロディーが浮かんだ。
急いでABC譜で書き留める。
それはまるで吹雪きの風雪がそのまま自分の心の中に流入してきて生まれたような曲だった。
私はその曲に『雪女の慟哭』というタイトルを付けた。
これが中学1年の冬のことであった。
2017年8月。
則竹星児は自分のアパートに戻ると、郵便受けから1枚の封筒を取り出し、部屋に入って開けてみた。
「お祈りしますか!」
と言って手紙を投げ出す。
「ああ、やはり辞めたのは早まったかなあ」
などと思いながら、寝転がってスマホでゲームをしていたが
「お腹空いた」
と声をあげて、近くのファミレスに出かける。それでやはりゲームをしながら料理が来るのを待っていたら
「則竹さん?」
と30代くらい?の女性に声を掛けられた。
「えっと、どなたでしたっけ?」
と則竹はマジで分からずに尋ねた。
「ああ。この格好では分からないかな。私、八重海城(やえ・かいき)です。今は改名して八重美城(やえ・みき)と言うんですが」
「八重さん、女性になったんですか!?」
「うん。この5月に性転換手術を受けて」
「うっそー!?それに若くなってる」
「私、男の格好すると50代に見えるけど、女の格好すると30代に見てくれる人もあるみたい」
「30代に見えます!」
結局、彼(彼女?)のテーブルに移動する。
「なんかフリーダムっぽい格好している」
「実は会社辞めたんですよ」
「あら、独立して自分の会社作るとか?」
「そんな資金あればいいんですけどね〜。今は退職金を食いつぶしている所です」
八重は少し考えていた。
「もし空いているなら、うちの学校に来ません? 実はシンセサイザの講座を持てる人を探していたのよ」
「八重さん、まだSF音楽学院におられるんですか?」
「実は性転換するのに、辞めたのよね」
「やはり性別変更するとなると首にされました?」
「ううん。自主的に辞めた。まあ手術の後は2〜3ヶ月療養したいのもあったし」
「ああ」
「それで私の後任に斎藤さんが校長をしていたのよ」
「シンセサイザの権威じゃないですか!」
「ところが彼が先月、交通事故で急死して」
「えぇ!?」
「東名で7台が絡む事故で、死者8名・重軽傷14名」
「あの事故ですか!」
「斎藤さんも奥さんも即死だった。息子さんは重傷だったけど、何とか命を取り留めた」
「わぁ・・・」
「それで校長できる人が居なくなって、オーナーから、性別のことは気にしないから復帰してくれないかと言われたのよ。それで2年くらいの限定ということにして、復帰することにした」
「なんで2年限定なんです?」
「北海道に移住しようかと思っていたから」
「移住して甜菜(てんさい)でも作りますか?」
「よく分かるね〜!」
「いや、以前そんな話をしておられた気がして」
「そうかな。まあそれで急遽校長に復帰したのよ。もう生徒たちから、質問攻めにあうのは慣れた。でも面白がられているだけで、嫌われてはいないみたいだから」
「最近は性別変更に対する理解は進んだと思いますよ」
「夜の生活まで質問されるし」
則竹は、あれ?という顔をした。
「確か奥さんおられましたよね?」
「性転換手術を受ける前に離婚したのよ」
「ああ」
「でもまた結婚しちゃった」
「今度は男性と?」
「いや、その離婚した元妻と再婚しちゃって」
「それはおめでとうございます!元の鞘に収まったんですか!」
「うん。まあ、鞘に収めるべきものは無くなっちゃったけどね」
「あはは」
と笑いながら、則竹は自分のあのあたりに医療用メスを当てられたような気分だった。
しかしそれならレスビアン婚になるのかな?と則竹は思った。女性同士だから事実婚なのだろうか?あるいは八重さんがまだ戸籍上の性別変更前で戸籍上は男女の婚姻をしたのだろうか?などと疑問を感じたが、そこまで訊くのはプライバシー侵害かな、などと思う。
「それでどうだろう?斎藤さんの後任のシンセサイザの講師を探していたのよ」
と八重美城は言う。
「私で分かる範囲なら教えてみましょうか?」
「うん。お願い!」
それで則竹星児は八重美城と握手したのである。しかし則竹は彼女の手を握ってドキッとした。
「手が女の人の手みたいだ」
「そうね。女性ホルモンの影響かも」
「へー!」
「あなたも女性ホルモン飲んでみる?」
「いえ、私は性転換するつもりはないので」
「あなた女装が似合いそうなのに」
「そういうのハマったら怖いから、唆すの、やめてください」
そういう訳で、★★レコードを退職した則竹星児は2017年8月、横浜のSF音楽学院の講師に就任したのであった。
2019年5月、アクア・葉月・姫路スピカは、アクアの写真集撮影のためタヒチに行ったのだが、その写真集撮影の間を縫って、現地でタヒチの音楽を勉強中という日本人バンド Havai'i 99 と引き合わせられた。男性3人・女性3人のバンドかと思ったのだが、メンバーは男性の3人だけで、女性3人はサポートミュージシャンということであった。実際には各々の奥さんらしい!
「ああ、奥さんと一緒に勉強に来たんですね」
「実はトラブル防止のため、現地の女性とのセックス絶対禁止を言われたので、代わりに恋人連れていっていいよと言われて」
「なるほどー」
「そんな南の島に1週間の旅行ならいいけど、3ヶ月もって嫌だぁ!コンビニのある所にしてくれ!と思ったんですけど、来てみたらほんとに楽園みたいで、日本に帰りたくない気分ですよ」
と笛を吹いている女性が言った。
アクアはその女性が笛の端を当てる場所が気になった。
「口の上に当ててます?」
「これは鼻笛なんだよ。鼻から出す息を唄口に当てて吹く」
「すごーい!」
「アクアちゃんも練習してみる?」
「あのぉ。日本に帰ってからでいいですか?」
「今日は忙しいよね。私たちも来月頭には帰国するから、その時お土産に1本買って、持って行くよ」
「わぁ!ありがとうございます」
彼らが書いた曲というのを1曲その場で譜面を見せられてアクアが歌った。
『Hei Tiare』という南国情緒あふれる、そして可愛い曲である。
Hei(ヘイ)というのはクック語ではEi(エイ)、ハワイ語ではLei(レイ)と呼ばれる花の首飾りである。ティアレはポリネシアでは一般的な白い花で、つまりティアレの花で作った首飾り(レイ)のことである。
もちろん全部撮影したし、スティルが2枚写真集にも収録されたが、初見歌唱とは思えない上手さで、葉月もスピカも
「さすがアクアさん!」
と感心していた。
この曲は Havai'i 99 が帰国後にあらためて日本のスタジオで録音することになったが、この日は彼らの演奏に合わせて、アクア・葉月・スピカの3人が彼らの前で踊るシーンも撮影した(3人ともティアレのヘイを掛けてもらった)。この撮影はポジションを変更して3通り撮影して、後で全員アクアに変換!することもできるようにしておいた。
(実際にはアクアを中心に左に葉月・右にスピカが踊るものが公開された)
なお Havai'i というのはポリネシア民族の自称らしい。
元々は sawaiki という単語だったらしいが、ポリネシア各地の“方言”により微妙に音韻が変化している。
マオリでは s が h に置換されて Hawaiki
クックでは s→' w→v と置換されて 'Avaiki
ハワイでは s→h k→' と置換されて Hawai'i
サモアでは w→v k→' と置換されて Savai'i
タヒチでは s→h w→v k→' と置換されて Havai'i
むろん「ハワイ」の語源である。
ここで「'」という音は《声門閉鎖音》glottal stopと言い、喉を一瞬閉じて息の流れを止めるような音である。ポリネシア語ではひじょうによく見られる子音である。日本語では標準語には無いが、方言にはこれを含む地域がある。たとえば薩摩方言では「柿」が「ka'」のように発音される。琉球方言にはわりとこの音がある。また、本来は声門閉鎖音の無い地域に住んでいる人でも個人の個性で、子音を伴わない母音の前などにこの音を挿入する癖のある人がいる。
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