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■春演(6)
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青葉は6時間目が終わってすぐ母に学校まで車で迎えに来てもらい、富山空港まで行った。
「気をつけてね」
「ありがとう」
「あ、これ千里ちゃんへのお土産。機内でもホテルででも一緒に食べるといいよ」
と言ってお菓子を言付かる。
「ありがとう」
と言って、青葉は17:40発の羽田行きANA320便に搭乗した。
一方千里Aは18:24に渋谷・品川経由で京急・羽田空港駅に到着した。出発ロビーで先に到着している千里Bと合流。航空券は千里Bが持っていて、既にチェックインの手続きをしてくれている。取り敢えずBが荷物を見ていてくれている間にAはトイレに行って、汗を掻いた服を着替え、ボディシートで身体を拭きメイクも落とした。
荷物の入れ替えをする。沖縄行きのための着替えや巫女服などはBが持って来てくれている(元々は朝バスケットの練習に行く千里Aが持って出た荷物である)。会社用の名刺や勤務用の手帳、オフィス用の化粧品類、またバスケの道具や午前中の練習で汗を掻いて着替えた服、会社からのダッシュで汗を掻いた服、などは、Bがアパートに持ち帰ることにする。パソコンとMIDIキーボードは持ち歩いていないと雨宮先生からお叱りを受けるので預け用の荷物に入れる。
「じゃ後はよろしく〜」
と言って別れた。それで千里Bは荷物を持って京急の駅の方に行く。アパートに戻り、着替えの洗濯などをする予定である。
千里Aが航空券を見せて荷物を預けた上で、しばらく出発ロビーで待っていたらジャスト19時に、★★レコードの氷川主任がやってくる。
「おはようございます、氷川さん」
「おはようございます、醍醐先生。これ松前からです」
と言って彼女はお菓子の紙袋と現金の入った分厚い封筒を差し出す。
「それとこちらはケイ先生から」
ともうひとつお菓子を渡す。
「お疲れ様です。じゃお預かりしますね」
と言って千里は受け取り、中の金額を確認した上で予め書いておいた預り証を氷川さんに渡し、セキュリティの方に向かった。
青葉が乗っている飛行機は18:50に羽田に着陸した。トランジットで20:00の那覇行きANA479便に乗り継ぐ。ANA同士なので余裕の乗り継ぎである。この那覇行きに羽田から千里が搭乗し、ふたりは並びの席で沖縄までの旅をした。
「これお母ちゃんからのお土産。ふたりで食べてって」
「ありがと。青葉、晩御飯は?」
「一応お母ちゃんがコンビニおにぎり用意してくれたの、羽田までの機内で食べたけど」
「じゃ空港の売店で買ったお弁当食べない? 私は会社終わってから羽田に飛んできたから、何も食べてなくてお腹空いてお腹空いて」
「今日は定時で退社したのね?」
「そうそう。さりげなく茶碗を洗いに行ったり、トイレに行ったり資料を調べたりして上司に声を掛けられないように気をつけておいて、17時半になったらタイムスタンプ押してそのまま飛び出した」
「なるほどー」
「だから二子玉川を17:33の急行に乗れたんだよ」
青葉はびっくりする。
「ちー姉の会社って駅のそばなの?」
「300mくらい距離はあるかな。階段を駆け下りてひたすら走る」
「制服とかは?」
「あるけど、事務の子以外はけっこう私服で勤務してる。今日はもう最初からジーンズ穿いてたし靴も10分前にウォーキングシューズに履き換えてたから」
「それにしてもよく3分で到達するね!」
「少々の荷物があっても300mは1分以内で走れるし。駅の改札はパスモで通れるからね」
「すごーい」
「青葉だって鞄抱えてセーラー服着ててもそのくらいは走れるでしょ?」
「うん、多分」
とは言いながらもちょっと不安がある。
「だから18時半前に空港の駅までは到達したんだよ。もっともそれからチェックインして荷物預けてセキュリティ通ってとしていたら19:10くらいになったけどね。なにせ夕方の空港は混んでるから」
「だよねー。でも会社から空港まで1時間で行けるって凄い!」
しかし青葉は千里が会社から階段を駆け下り、300mの距離をほぼ全力疾走した後更に駅の階段を駆け上がったという話を凄いと思った。
「そういうのってやはりバスケで鍛えてるからできるのかな?」
「まあバスケは40分間ひたすら走り回るからね。青葉だって毎朝数km走っているんでしょ?」
「うん。でも最近某所で自分の体力不足を痛感した」
「ふーん。それってきっといつもマイペースで走っているからかもね。人間って刺激が無いと、つい安易な方向に流れてしまうんだよ。私もバスケの練習をひとりでやってたり、あるいは自分より下のレベルの人とだけやってたら、どうしても力が衰えていく。今回ユニバーシアード代表のメンツと一緒に久しぶりに練習してさ、やはり自分は弱いということを認識した。だから今鍛え直しているんだよ」
「私もそれでこないだから水泳部の朝練に参加させてもらってるんだ」
「へー!」
「だからジョギングは朝じゃなくて合唱軽音部の部活から帰ってきてから走ることにしたんだよ」
「青葉も頑張ってるね。私も負けずに頑張らなくちゃ」
「うん」
青葉は笑顔で返事した。
「でも木ノ下先生って結局今何してるんだっけ?」
と青葉は千里に訊く。
「世間では色々な噂が飛び交っているよね。紅型(びんがた)職人の弟子になってるとか、三線(さんしん)作りの弟子になってるとか、ユタの修行をしているとか、青いチューリップ作りに取り組んでいるとか」
青いチューリップは青いバラ・青いカーネーションなどと同様に、作ることが不可能なものとして知られ、それゆえにその製作に一生を掛けている職人さんたちが存在する。
「あの年齢でユタの修行は無いと思うけど」
「うん。あれは若い頃に、ある異常な精神状態を体験した人だけがなれる特殊なもののようだよね」
「ユタに限らず、霊能者には一度生死の境を彷徨ったことのある人ってわりと多いよ」
「どうもそんな感じだよね。でもまあ今回の件では、私も青葉も変な予断を持たずに直接本人を見てもらった方がいいのではというのが雨宮先生の話でね」
「でもなぜ雨宮先生の所に」
「木ノ下さん本人は別に誰かに相談しなくてもいいと言っているらしいけど、奥さんがもう耐えられない、このままなら離婚して本土に帰るとか言っているということで、木ノ下さんの弟の藤吉(ふじよし)さんから雨宮先生に相談があって、それで青葉に頼むという話になったみたい」
「藤吉先生と雨宮先生ってつながりがあるんだ?」
「まあ、その件については、表の世界にいる青葉や冬子は知らなくていいよ」
「うむむ」
「ところでこないだ政子さんから電話があってさ」
と青葉はその件を話しておく。
「神社の招き猫の狛犬がどうのと、なんか色々話して切ってしまうから、私も訳が分からなくて」
「政子は韻文の世界に生きてるから、あの子の話を理解できる人は少ないね」
「仕方ないから冬子さんに電話して訊いてみたんだけど」
「まあそれが正解」
「結局、千葉の玉依姫神社の鳥居の所に狛犬か何か設置したいということらしいんだよ」
「ふーん」
「祠のすぐ手前の所に招き猫のペアが居るから、鳥居の所にも何かのペアをと。でも狛犬じゃ面白くないから、何か変わったものが設置できないかと」
「冬子と政子の銅像とか?」
「え〜〜〜!?」
「冗談だけど」
「うん。そういうのはやめよう」
「政子は面白がるかも知れないけどね」
「頭痛い」
青葉も千里も疲れているので飛行機の中では大半寝ていたようである。
22:35。飛行機は那覇空港に到着する。その日は那覇市内のビジネスホテルに泊まった。
青葉は冬子に呼ばれて沖縄に来ると、豪華なホテルのふかふかベッドに寝ることになるのだが、もともと貧乏性の青葉には実はそういうホテルは落ち着かない。今回千里と泊まったような安ホテル(2人で8500円である)の方が実は安心して眠られる感覚があった。
青葉が夜中ふと目を覚ますと、千里は起きて部屋のテーブルを使ってパソコンとMIDIキーボードでどうも楽曲のとりまとめ作業をしているようだ。ヘッドホンもつけて聴いては調整し聴いては調整している。リズムを取るのに足をトントントントンと床に打っている。
青葉は千里を邪魔しないように目をつぶった。そして思った。
すごーい。ちー姉ってこんな時間を使って作曲までやっているのか。だから、ソフトハウスに勤めつつバスケもやりながら作曲家もできるのかと、改めて千里に尊敬の念を持った。やはり自分ってまだまだ全てにおいてアマであり、また「あまちゃん」だったんだろうなというのを認識した。それであそこの箱に「じぇじぇじぇ」などと書いてあったのかなとも青葉は思ったが、それは多分考えすぎである。
しかし実際今回の沖縄での仕事は色々な意味で青葉にとって大きな転換点となったのであった。
翌朝、ホテルで朝食のバイキングを食べたが、千里から言われる。
「青葉にしては食事の量が多い」
「うん。私、やはり体重が無さ過ぎるというのも認識したんだよ。体力が無いひとつの原因は体重が少なすぎるのもあるかと思って。だからもっと食べようと思って」
「そうだね。女性は概して持久力があると言われるんだけど、それはやはり皮下脂肪を蓄えているから。赤ちゃんを育てるためには、万一食料が充分に取れなかった時に使えるよう常に備蓄エネルギーが求められる。私も中学の頃までは痩せすぎと言われていたけど、バスケを本格的にやるようになってから、随分お肉を付けて体重も増えたんだよね」
と千里は言う。
「ちー姉って今体重は?」
「身長168cm, 体重65kg」
「やはり結構あるね」
「でも実は脂肪が少なすぎるんだよ。私の身体ってほとんど筋肉だから。青葉はそれ体重47-48kgくらいしかないでしょ?」
「うん」
「青葉の身長なら57-58kg欲しいし、60kgあってもいいと思う。私みたいに筋肉優先であるなら」
「こないだから何人かからそれ言われて、頑張って食べている所」
「私も高校入った頃って体重は50kgくらいしか無かったんだよ。正直可愛い女の子でありたいと思って食事を控えて体重を抑えていたのもある。青葉も実はそれ無い?」
「うん。まあ」
「でもスポーツ選手としてはそれではダメだと思ったから可愛い女の子という路線は諦めて、頑張って身体を鍛えて、2年生でインターハイに行った頃が57kg, 3年生の秋にアジア選手権に行った頃が60kgかな。その1年間で増えた3kgはほぼ筋肉だと思う」
「わあ・・・」
「だって3年生の春から秋に掛けてはひたすら代表合宿やってたから、いやでも鍛えられるよ。あの時は勉強する時間も無かったから」
「凄そう」
「でも大学1年の時、結構サボってたからね。少し贅肉が付いて65kgくらいになってたのを1年生の年末頃から再度鍛えなおして、桃香と同棲し始めた頃はいったん身体が引き締まって62kgくらいまで落ちていた。そのあと2012年に日本代表候補をやっていた時は64kgくらいまで増えて。その後またバスケを休んでた1年の間に贅肉がついて67kgくらいになったけど、2013年秋から鍛え直して引き締まって今はまた65kgくらい」
「サボってる間には体重が増えるけど、鍛えている時は経る時と増える時があるんだね?」
「そうそう。トレーニングしていると贅肉は落ちるけど筋肉は付くんだよ」
「そっかー」
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