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■春心(11)
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中学や高校のクラスメイトで、この公演を見た人が数人いて、青葉がピンクゴールドのサックスを吹きながら出てきたのを見て仰天したらしい。
「青葉出演料は幾らもらったの?」
と後から美由紀に訊かれた。
「出演料は無し。私アマチュアだからギャラは受け取れない。受け取ると今度のコーラス部と軽音部の大会への出場権を失う」
「えー?じゃただ働き?」
「お金は印税で受け取っているから充分だよ。ファンの人への挨拶代わりだったしね」
8月9日(金)の夕方。この週は鮎川さんのサックスレッスンは無いのだが、青葉はサックスを持って高岡駅に出かける。そして越後湯沢行きの《はくたか》ではなく大阪方面行きの《サンダーバード》に乗り込んだ。
大阪で菊枝・瞬高さんと合流し、菊枝の車で高野山の★★院まで行った。10人ほどの回峰参加者が集まっている。結局醒環さんも青葉や菊枝同様、一週間コースに参加することにしたらしい。1ヶ月頑張るのは瞬嶺・瞬海・瞬常の3人だけだが、その間、瞬醒と醒環も回峰はしないものの庵に寝泊まりして、食事の世話と大乗経の読誦をする(転読ではなくマジに読む)。
山道をみんなで固まって歩いて行き、庵の方へ行くポイントに到達する。
「おお、道ができてる」
「今半分まで出来た。9月までに完成させる」
「凄い」
「いや10月以降は作業不能」
「だろうね」
「工事の人たちはみんな命綱付けてもらってる。お陰でまだ行方不明者は出ていない」
「出家したくなった人は?」
「工事が終わったら修行させてくれと言っている人が3人」
「やはり」
「この神々しい場に居たら、人生を考え直したくなるでしょうね」
道には手摺りが付いているが、そこにレールが付いていて、鎖が付いている。
「その鎖を各自自分の服に結びつけてください。この場では、一瞬の気の緩みで行方不明者の仲間になります。その防止のためです」
瞬醒さんはそう言うと、自ら自分の服の腰紐に鎖の端の留め金を取り付けた。事前の打ち合わせで、菊枝と青葉が先頭に行き、いちばん端の鎖に自分たちのベルトを取り付ける。そしてふたりを先頭に一行は出発した。最後尾には瞬嶺さんが付いた。
やがて道の終端に到達する。
「ここからは本当に油断ができないルートを通ります。ロープを使います」
と瞬醒さんが言って、長いロープをわたし、そのロープを各自のベルトなどに通してもらった。
「迷子防止のロープですが、もし足を踏み外したりして転落した場合は自主的に自分のベルトとかを切ってください。自分以外を事故に巻き込まないようにすること」
という瞬醒さんの言葉に全員厳しい顔で頷く。それは山に入る者の暗黙のルールだ。
慎重に。初心者に考慮して普段より少しゆっくりしたペースで先頭の青葉と菊枝は歩いた。そして結局★★院を出発してから4時間ほど経ったところで、庵に辿り着いた。
「お疲れ様」
「生きてここに辿り着けましたね」
「本当に生きているかは分からないよね」
「えー!?」
「死んでいても恐らく気付かない」
「うむむ」
「ここは生や死を越えた場所ですよ」
最初に師匠の名前と生年月日没年月日を書いた自然石に黙祷した後、般若心経を全員で唱えてから、食事係の瞬醒さん以外が回峰に出発する。今日はここに辿り着いたのがもうお昼過ぎ(たぶん:誰も時計など持ってない)だったので短縮ルートで歩いた。
ひたすら道?らしき所を歩いて行くが、あちこちに石を積んだような場所があり、それぞれの場所でそこ固有の真言を唱える。
「あのぉ、瞬嶺さんの真言と瞬高さんの真言とが違うんですが、どちらを真似すれば?」
と醒環さんが質問する。
「私や瞬葉のもまたそれぞれ違ってたね」
と菊枝が楽しそうに言う。
「それぞれみんな師匠から教えられたものだと思うが」
「師匠は音だけで教えてるから、それぞれ違った覚え方したのかも」
「一度突き合わせて統一見解を作るかねぇ」
などと瞬常さんが言ったが、瞬嶺さんは
「必要無い。瞬葉が唱えたのを覚えればいい。最後に教えられてるから、恐らくいちばんオリジナルに近い」
と言った。
「うんうん。こういうのは最大公約数を取るより、最新のを使った方がいい」
と瞬高さんも言う。
「それにそもそも真言は習うものではない。自分で見つけるもの。仏の境地に到達すれば自ずからそこで唱えるべき真言は分かる」
と瞬嶺さんは言った。
みんなが納得するように頷く。
「まあ、私も修行不足でその境地に遠いけどね」
と瞬嶺さんは付け加えるが、瞬嶺さんに修行不足と言われたら、みんなひよっこ同然だ。
ともかくもそれで醒環さんは青葉が唱える真言を真似することにした。
慣れない人もいるので、本当にゆっくりしたペースで回峰し、夜の(多分)9時頃に庵に帰着した。
「さあ、寝よう寝よう」
「御飯は?」
「御飯は朝1回だけ」
「ぎゃっ」
「寝ればお腹は空かない」
「男女混じってるけど、ゴロ寝でいいんだっけ?」
「こんなところでセックスしたくなる奴はおるまい?」
「だいたいみんな立つの?」
「私はそんなもの20年くらい前に卒業したな」
などと瞬嶺は言っている。瞬嶺は今年96歳だ。体力はまだ50代と言っているが男性機能はさすがに消失しているのだろう。
「なんだ、だらしない。僕はちゃんと毎朝立つよ」
などと瞬醒は言う。瞬醒は今年75歳だ。
「今年くらいが最後じゃないの? 残り僅かな男である時間を楽しみなよ」
などと瞬海に言われている。
「私を襲おうとしたら、明日の朝は谷底で冷たくなってるからね」
と菊枝が言う。
「ああ、瞬花は怖そうだ」
「瞬花は冗談じゃなくて本当にやりそうだ」
「瞬葉を襲おうとしたら、明日の朝は分子分解されてるだろうね」
と菊枝は更に付け加える。
「ああ、確かに瞬葉ちゃんも怖そうだ」
「あれ?瞬葉ちゃんって、身体は男の子だよね?」
「去年手術して女の子の身体になったんだよ」
「何を今更」
「知らなかった」
「情報が遅い」
取り敢えず菊枝と青葉が庵の奥の方で寝て、隣に瞬嶺が寝てくれた。
8月16日。一週間限定で回峰に参加したメンバーが食事係で残る醒環さん以外下山する。青葉は菊枝の車で大阪に出た。大阪で一泊した後、17日朝、新幹線で東京に移動する。今日は鮎川さんとの夏休み最後のレッスンである。
しかし鮎川さんは青葉を見るなり言った。
「青葉ちゃん、何があったの!?」
「何がって何が?」
「だって青葉ちゃん、光り輝いている。まるで聖者みたい」
「ああ。それに近いかも。高野山で一週間、回峰行をしてきましたから」
「かいほう?」
「山野を歩いては真言を唱える繰り返しです。1日に山道を40kmくらい歩きます」
「ひゃー!」
それでその日サックスを吹いていたら更に言われる。
「演奏が神懸かってる」
「あはは。今日明日くらいだけかも」
翌日夕方。今回最後のレッスンを受けた後、鮎川さんに言われる。
「ほんとに青葉ちゃんは物覚えが速い。もう私が教えることは無いくらいだよ」
「そんなこと、おっしゃらずにまた教えてください」
「じゃ、年に1〜2回くらいでも」
「そうですね。じゃ次は11月くらいに」
「OKOK」
スタジオを出ようとしたら、七星さんが来たので、練習で吹いていたスタンダードナンバーの『Stranger in Paradise』(原曲ボロディン『ダッタン人の踊り』)を吹いてみせた。
七星さんはじっと青葉の演奏を見ていた。
そして演奏が終わると大きく頷いて言った。
「ね、ね、今度スターキッズのアルバム作るのに、一緒にサックス吹かない?」
「えー!?」
やがて2学期が始まる。大会が近いので、部活の練習も力が入る。コーラス部の方が先なので、この時期は軽音の練習1時間にコーラスの練習2時間していた。コーラスの大会が終わると軽音の練習一色になる予定である。
「かなり出来てきたね」
「最初は半ば素人の寄せ集めだったからね」
「でもみんな音感が良い」
「そうそう。ちゃんとハーモニーになってる」
それで9月15日が来て、大会の行われる富山市まで出て行く。参加するメンツは、元々のコーラス部11人・軽音部7人・青葉が誘った助っ人3人・美滝が誘った助っ人4人の合計25人+ピアノを弾く紡希、ピアノの譜めくり係の美由紀、そして指揮をする今鏡先生である。
参加人数に下限は無いものの25人未満だと実質的に採点対象にしてもらえず参考参加になってしまう。25人いると「通常参加」だが、この学校のコーラス部は部員不足でここ数年ずっと参考参加だった。それが今年数年ぶりに通常参加できると部長は喜んでいた。
8:03の富山行きに乗るので7:40高岡駅集合になっていた。青葉は母に車で送ってもらい7:20くらいに高岡駅に着いた。日香理と空帆が来ていたので、少しおしゃべりなどしていたら理数科の吉田君が駅舎内に入って来た。
日香理も空帆も知っている相手なので、おしゃべりの輪に引き込む。
「吉田君、どこ行くの?」
「今日****の発売日なんだけど、かなり品薄っぽいんだよ。高岡じゃ買えない気がするから、津幡に行ってみる。少しは競争率が低そうだから」
「じゃ8:04の金沢行きに乗る?」
「いや7:41に乗る」
「8:04に乗りなよ。それまで私たちとおしゃべりしてようよ」
「なんで〜? 俺少しでも早く着きたいから。今日親父に車で送ってもらおうと思ったら急ぎの仕事とかで出て行っちゃし。それでJRに乗りに来たんだけどさ」
「せっかく女の子と話せるんだから、少ししゃべっていきなよ」
と空帆が強引に引き留めるので、吉田君も、まいっかという感じになる。
「買えなかったら責任取れよ〜」
などと吉田君は言っているが
「ゲームするより女の子と話せる方がずっといいって」
と空帆。
「女の子って、そんなに貴重なものか?」
「女の子との恋に命掛ける男の子だっているのに」
「俺は恋愛は20歳すぎてからでいいや」
やがて世梨奈が来たが、楽器のケースを持っている。
「世梨奈、なぜフルートを持って来た?」
「え?だって大会だから」
「軽音の大会は来週」
「今日はコーラス部の大会」
「あれ? そうだっけ?」
「逆に勘違いしていたらやばかったね」
「その場合はボイスフルートで」
「できるの?」
「ボイスパーカッションなら聞いたことがあるが」
少しずつ合唱大会に参加するメンツが集まってくる。今鏡先生やコーラス部部長の茶山さんも来て、人数を数えている。
「**ちゃんが来てない」
「**ちゃんも来てない」
美滝が誘った4人の助っ人の内、2人が来てないのである。4人は青葉が誘った3人と同様、普段の練習は任意参加で時間の取れた日だけ参加していて、後は本番には参加するということだったのだが。
集合時刻の7:40を過ぎても来ないので美滝が電話を掛けていたが
「えー!?分かりました。お大事に」
と言って電話を切る。
「何?病気?」
「**ちゃんも**ちゃんも風邪だって」
「なぜ2人も揃って」
「昨日ふたりで一緒に太閤山ランドに遊びに行ってたらしい」
「一緒に遊んでいたから、一緒に風邪引いたのか」
「どうする?」
「仕方無いわね。23人で歌いましょう」
と今鏡先生は言うが、青葉は何か手が無いかと考える。25人未満になると採点対象外だ。
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