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「モエっち、リズムが少し不安定。小節の長さが5%くらいの範囲でぶれてる」
と千里は彼女の演奏の問題点を指摘する。
「あ、私、それでベース首になってギターに回ったんだよ」
「へー」
「でもよく分かるね。私、その長さがぶれてるっての自体が分からない」
「そのあたりの感覚は鍛えるといいと思うよ」
「じゃさ、チサっち、ちょっとベース弾いてみてよ」
と言って彼女はベースを取り出してくる。こんなに楽器持って来てるって、全くこの子は何しに自動車学校に入って来たんだ?
「私、線1本でしか弾けないよぉ」
と言って千里は本当に弦1本のみを使って、ルート音を四分音符で刻む。
「あ、弾きやすい。助かる助かる。ちょっとそれで練習に付き合ってよ」
ということで、彼女との同居中、千里は彼女の練習に付き合うことになってしまった。
「でもベース自体には慣れてる感じ」
「高校時代にバンドしてたんだよ。もっともベースはあまり弾いたことなくてピアノとかフルートとかが多かったんだけど」
「へー。ね、ね。チサっち、センスいいし、うちのバンドに入らない? うちのバンド、リズムギターが居ないからさ。キーボードでもいいけど」
「ごめーん。私、理学部で忙しいから無理〜。他の友だちからもバンドに誘われたんだけど、そちらも断ったんだよね」
「そっかー。残念」
千里は順調に講習をこなし、仮免試験も卒業試験も一発で合格して27日の金曜日に自動車学校を卒業した(宿舎は28日朝に退去したので27日の晩までモエっちの練習に付き合わされた)。月曜日に運転免許センターに行って学科試験を受ければ免許を取得できる。
28日の土曜日は鮎奈や梨乃たちの呼び掛けで東京の貸しスタジオに集まった。この時、集まったメンツは、
蓮菜(東大理3)、梨乃(△△△大英文)、鮎奈(C大医)、千里(C大理)、花野子(Y国立大経)、京子(東大理1)、麻里愛(T芸大音楽)という7人である。
「北海道に残った智代・恵香・留実子の3人がTag Hood Kittens というのを結成するらしいんだよ」
「Tag Hood って札幌って意味?」
「そうそう。だからこちらも East Capitol Kittens ってやらない?」
「East Capitolで東京か」
「私パス。忙しくて無理〜」
とまずは芸大の麻里愛が言う。
「私も同じく。勉強無茶苦茶忙しいみたい」
と理3(医学部)の蓮菜も言う。
「私も忙しいみたいだけど、取り敢えず1年生のうちはやってもいいよ」
とやはり医学部の鮎奈。
「じゃ残りの5人でリードギター梨乃。リズムギター鮎奈、ベース千里、ドラムス京子、ピアノ花野子って感じかな」
「ごめーん。こないだも言ったけど、私、学費を自分で稼がないといけないから無理だと思う」
と千里が言う。
「私も同じく。学部に進学してからはとても時間が取れないみたいだから教養部に居る間に頑張ってバイトして貯金する」
と京子が言う。
「うむむ」
「3人では厳しいな」
「北海道の3人どうやるの?」
「恵香がギター、智代がベースで、実弥(留実子)がドラムス」
「恵香、ギター弾けたんだっけ?」
「練習すると言ってた」
「実弥は男の子の格好で活動するの?」
「ガールズバンドということにしておいた方が何かといいから、バンドする時は女の子だって」
「確かにガールズバンドと言っただけで聴きに来てくれる人はいる」
「あの子、女の子の格好すればちゃんと女の子に見えるからね」
「そのあたりが男の子の格好しても女にしか見えない千里との違いだ」
と突然こちらに火の粉が飛んでくる。
「芳香とか徳子は参加しないの?」
「振られたと言ってた」
「じゃこちらは花野子がドラムスを練習するということで」
「私、あまりリズム感良くないんだよねぇ」
と花野子は言う。彼女は音感は良いのだがリズム感が弱い欠点がある。アカペラで歌うと音程はズレないのに、だいたいテンポが最初に比べて速くなってしまう癖がある。
「鮎奈ベース弾く?」
「それしか無いかなあ。私がリズムキープするから花野子、それに合わせてドラムス打ってよ」
「頑張ってみる」
「あるいは誰かドラムスやベース弾ける人をスカウトするかだよね」
取り敢えずその日は折角スタジオ借りたしということで、リードギター梨乃、リズムギター鮎奈、ベース千里、ドラムス京子、ピアノ麻里愛、グロッケンシュピール蓮菜という7ピースで、蓮菜が受験勉強中に書いた歌詞に千里が自動車学校の合宿をしている間に付けた新曲『trois ans』(トワザン:3年間という意味−高校の3年間を振り返ったもの)を練習し、スタジオの技術者さんにお願いして録音してもらった。
「やはり蓮菜は良い詩書くし、千里もきれいな曲付けるなあ。バンドに参加しなくても楽曲は書いてくれない?」
と鮎奈が言う。
「いいよ」
と蓮菜も千里も答える。
「レコード会社との契約は大丈夫なんだっけ?」
「自分たちのバンドのために書くことと、例の名前を使わなければOK」
「なるほどね」
「麻里愛も曲書いてくれない?」
「うーん。じゃ、私も時間があったらね」
ということで、East Capitol Kittens (ECK;後のゴールデンシックス)の楽曲はDRK (Dawn River Kittens) の時と同様、蓮菜・千里・麻里愛の3人で書いていくことになるのである。
なお East Capitol Kittens のリーダーは7人でジャンケンした結果、花野子が務めることになった(千里や蓮菜もバンドはしないと言っているのにジャンケンには参加させられた)。7人で回せるメーリングリストを作って連絡するということで、その日は解散した。
他の子たちと別れた後、千里は東京駅に行って新幹線に乗り込む。バンド演奏で少し汗掻いちゃったかなと思い、トイレで下着を交換した上で、高校卒業のお祝いにと叔母からもらったエリザベス・アーデンのサンフラワーを身体に少し吹き掛けておいた。
夕方新大阪に到着。改札口の所で貴司が待っていた。
手を振って近寄っていく。
「お疲れ様。それと大学合格おめでとう」
「ありがとう。そちらも準優勝、おめでとう。入れ替え戦惜しかったね」
「うん。手応えはあったんだけどね」
「惜しかったよね。10点差だもん。ちょっとした流れでひっくり返っていた」
貴司は大阪の実業団2部リーグのチームに所属している。実業団に入る選手は上位のチームだとほとんどが大学のバスケ部出身者だが、下位の方になると高卒の選手も混じっている。ただし下位の方は、実業団というよりは社員のレクリエーションに近いチームも多い。
貴司がここに入ったのは、貴司の中学の時の先輩・水流さんのお兄さんがこのチームに所属していて、インターハイで活躍した貴司の実績を元に推薦してくれたこと、そしてここのチームは3年前に社長が交代して以来スポーツ活動に力を入れていて、野球部と陸上部も創設した他、それまでレクリエーション並みだったバスケ部にも予算を投入して、練習環境だけは上位チーム並みになっていたからであった。
それまでは週に1回勤務時間後に近くの中学校の体育館を借りて練習し、試合もオフシーズンは2ヶ月に1度程度だったのを、廃部になった企業チームが使用していた専用体育館を借り受け、公式練習(午後3時で勤務終了後10時まで練習)・自主練習(定時退社後10時まで)を合わせて毎日練習をするようになり、コーチにも関東の有名大学の監督経験者を招いて体制を整備した。また実力があるのに所属していたチーム消滅などで活動の機会を失っていた選手を積極的に登用。また大阪の実業団は公式のリーグ戦は10月から1月に掛けての冬季に行われるだけだが、試合機会を求めて近隣の実業団チームや学生チームなどと積極的に練習試合を行っている。またその様子をリアルタイムでtwitterで報告し、試合の動画もyoutubeにあげていて、お陰で選手個人のファンがかなり形成されている雰囲気である。
それでこのチームは3部リーグで万年最下位争いをしていたのが一転して実力のあるチームに変身し、最初の年に3部リーグで優勝して2部リーグに昇格、昨シーズンは2部リーグで準優勝。1部リーグ下位チームとの入れ替え戦をおこなったものの、惜しくも及ばなかったのであった。
取り敢えず近くのカフェに入り、コーヒーを飲みながら一息ついた。
「でもありがとう。わざわざ男装してきてくれて」
千里は新幹線の中でウィッグを外し、アイブロウで眉毛を太めに描いて、下もズボンに替えている。トップもゆとりのあるワークシャツを着てバストを隠している。
「貴司の彼女に誤解を与えるのは本意じゃないから。私としては貴司とは友情でつながっているつもりだけど、私が女の子の格好で会っているのを彼女の友だちとかに見られたら、きっと浮気してるって誤解されるだろうからね」
「うん。悪いけど、僕も千里に今は恋愛感情は持っていないつもりだから」
「私、大学で恋人作っちゃうかも知れないけど、いいよね?」
と千里は念のため貴司に訊く。
「もちろん。その方が僕も安心して千里と付き合えるかも」
「バレンタイン送っちゃったけど、揉めたりはしなかった?」
「大丈夫だよ。ファンからの贈り物も何個かもらったから
「なるほどー。有名スポーツ選手の便利な所だね」
「もっとも他のファンからのバレンタインはチームのみんなでシェアしたけど千里からもらったのだけは自分で全部食べた」
「ふーん」
わざわざそんなことを言った貴司の思惑を探るように千里は少し微笑んだ。
「ホワイトデーは伝票を即処分したから、こちらには証拠は残らないし」
「ふふーん」
貴司は現在所属しているチームの最年少選手として、企業の広告塔にもなっており、バスケ部のホームページの表紙にも写真が出ているし、会社の製品のCM(但し関西ローカル)にも出演している。どうかした選手なら、そういう扱いをされると先輩たちから嫉妬されたりするものだが、貴司は人当たりが柔らかく敵を作らないタイプだし、いじられやすい性格なので、むしろ先輩たちから半ばアイドル・半ばおもちゃのように扱われて、逆にチームの潤滑油の役割も果たしているようである。
もっともそのお陰で色々変なこともやらされているようだ。
「フリースロー外した罰と言われて、褌一丁で会社の玄関にバケツ持って2時間立たされたのは参った」
「ああ、私は絶対に貴司のチームには入りたくないな」
「そうかと思えば女装で御堂筋を歩かされたりもしたし」
「それ写真無いの〜?」
「少なくとも僕は持ってない。パンプスってあんなに歩きにくいとは思わなかった」
「つま先だけで歩く感じになるから、トレーニングにもなるよ」
「へー」
「でもよく貴司の足に合うパンプスがあったね」
「女装用品のショップで買ってきたらしい」
「ほほぉ」