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■続・夏の日の想い出(9)
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1月2日から5日までの休暇では、私は母から「一度実家に来なさい」と言われて少し気が重かったが、実家を訪れた。むろん女の子の格好のままである。母や姉とはしばしば時間のある時に会っていたのだが、父と顔を合わせるのは高校卒業以来9ヶ月ぶりであった。
父は私を黙殺するような感じで、こちらと視線を合わせないようにしていた。ただ、父も怒ってはいない感じだなあとは思った。実家で4日間過ごした間に結局一度も父とはことばを交わさなかったのだが、姉が「お父ちゃん、ちゃんとローズクォーツのCD、2枚とも買ってるから。よく聴いてるみたいよ」などと言っていた。
家を出る時「お父ちゃん、またね」というと父は無言で手を差し出してきたので握手をしたが、握手をする最中、父は横を向いていた。私はちょっと心がゆるむ思いがした。
電車の駅まで姉が送ってきてくれた。
「ね、冬。性転換もしちゃうんでしょ?」
「うん。そのうち」
「どうせするなら早い内にやっちゃった方がいいと思うよ。今の冬にとって、あれは単なる障害物になってるんじゃない?」
「うーん。そうかもね」
「もう女になることも決めて、タマも取っちゃって後戻りは出来ないんだから、迷うことないじゃん。中途半端な状態は自分が苦労するだけだよ」
「政子にも似たこと言われた」
6日に事務所(一応場所として存在していても美智子自身がほとんど全国を飛び回っているので、実際には美智子の携帯こそがオフィスなのだが)に出て行くと、今年夏までのおおまかな予定というのが示された。
1月 関東および阪神圏内のライブハウスに出演。16ヶ所。
2月 ドサ回り(西日本)
3月 前半でレコーディング。後半ドサ回り(東日本)
4月 前半ドサ回り(東日本)仙台で打ち上げ。GW前にシングル発売。
GWは大都市4ヶ所でライブ。
5月 充電期間。タカさん三味線教室。各自創作。4ヶ所程度ライブハウス出演。
6月 初アルバム制作。ローズ+リリーのメモリアル発売、ケイの写真集発売。
7月 初アルバム発売。全国ツアー20ヶ所。民謡アルバムの制作。
8月 4番目のシングル制作。
1月のライブハウス出演に関しては年内にスケジュールが出ていたので、みんな既に手帳に記入していた。ドサ回りに関してはまだ細かいスケジュール調整をしている段階ということだった。基本的には前回のドサ回りで行けなかったところを重点的にやっていきたいと美智子は言った。
3月前半のレコーディングを念頭にして、私達は年初の挨拶を兼ねて上島先生のところを翌1月7日、訪問した。これまで上島先生の所にはいつも美智子と私だけが行っていたので、ローズクォーツの4人で行くのは初めてであった。むろん私は例の振袖、他の3人もスーツを着ている。
「きゃあ、素敵な友禅ね」と上島先生の奥さんが言った。以前アイドル歌手をしていた人である。
「ありがとうございます。でも奥様のもののほうが素敵です。京友禅ですよね?」
奥さんはどう見ても数百万はしそうな色留袖を着ている。
「ありがとう。でも加賀友禅もいいわね。あなた目鼻立ちがハッキリしてるからこういうのが似合うんだわ。私はそういう派手な柄が似合わなくて。私も着こなせたらいいんだけどねー」
最初いろいろ雑談をしていた。先生が気さくな方なので、みんな打ち解けてしまった。マキさんも携帯の番号を聞かれてメモを書いてお渡ししていた。
「こんなこと聞いていいのかなあ。ローズクォーツに曲を提供して頂けるのもローズ+リリーからの御縁だとは思うのですが、でも、どういう経緯で、ローズ+リリーは上島先生に曲を書いて頂けるようになったんですか?」
とマキさんが訊いた。
「ノリだよね」と上島先生。「ノリですね」と美智子も応じる。
「私がローズ+リリーの最初のCDをレコード会社の方でも扱ってもらえるように交渉するのに★★レコードに行ってた時に、たまたま廊下でバッタリと上島先生に会ってね。○○プロの浦中部長も一緒だったんだけど、その時、浦中さんが『今度女子高生2人組のユニットを売り出すんですよ、いい曲ないですかね』
なんて言ったら、上島先生が『あ、じゃ1曲書いてあげるよ』と言ってくださって。私は儀礼的な挨拶かと思っていたんだけど、本当に書いてくださったのよ」
「あはは。その日はたまたま予定が1つキャンセルになってね。時間が空いたもんだから、そういえば女子高生ユニットの曲を頼まれたなと思って、もらったCDのジャケットのケイちゃんとマリちゃんの写真見てたら、なんか恋物語のイメージが浮かんで、ピアノにむかってぽろぽろと弾いてたらいいモチーフが浮かんだんで、即興に近い形で書き上げたんだ」
「それがダウンロードとCD・着うたフルなど合わせて20万枚のヒットとなった『その時』というわけ」
「ヒットする曲というのはけっこう短時間で仕上げたもののほうが多いなという気もしてる。『甘い蜜』も1−2時間で書き上げたしね」
「当時ほんとにびっくりしました。駆け出しの私達に上島先生が書いてくださったなんて」
先生はローズクォーツの演奏はプロ演奏家としてのレベルが高くて良いなどと褒めていた。ただ先生は曲によって生ドラムスを打つ場合とリズムプログラミングでやっている場合があることを少し気にしていた。
「ちゃんと全部生ドラムス打った方がいいんじゃないかなあ」
元々クォーツは様々なジャンルの曲を演奏していたので、ロック系の曲を演奏する場合はサトさんがドラムスを叩いていたのだが、ポップス系の曲ではしばしば、サトさんがシンセサイザでオーケストラサウンドを出して、リズムはシンセサイザ内臓のリズムシーケンスに任せていたのであった。
「確かにポップス系でもちゃんとドラムス打った方がいいかもね」
とマキさんは上島先生の所を出てから言った。
「私も賛成」と美智子。
「今度からはそこは多重録音使おうか」
「ライブではどうします?」
「ドラムスが設置できる場所ではドラムス使おうよ」
「でもヴァイオリンやフルートの音は捨てがたい」
「その場合はサポートメンバーを入れようかね・・・・」
などと美智子が迷っていたら、当のサトさんが
「ケイちゃん、歌いながらキーボード弾けない?」
と言い出した。
「おお、そういえばケイちゃんはキーボードが弾けたはず」
「エレクトーンのグレード6級持ってるんでしょ。ほぼプロ級じゃん」
などといわれて、その日、他に前の事務所、レコード会社など、いつもお世話になっている編曲の下川先生など、数ヶ所の挨拶まわりをしたあとで夕方スタジオに行き、早速「テスト」された。
サトさんがドラムスを叩き、私がキーボードを弾きながら歌って、ポップス系の曲をいくつか演奏した。
「うまいじゃん」
「充分行けるね」
ということで、ポップス系の曲では、私は弾き語りをすることになった。
この新しいスタイルは早速1月のライブハウスツアーで披露された。このライブツアーでは私は冒頭、振袖で箏の前に座り、「さくら」の冒頭「さくら・さくら弥生の空は」のところだけを爪弾き、そのあとは隣のキーボードの前に立つと、それを弾きながら歌って、オリジナル・アレンジの「さくら」を演奏した。
冒頭に箏を入れるのは初日の2日前に突然思いついたもので、急遽和楽器屋さんに行って箏を買ってきて、とにかく「さくら」の冒頭4小節だけ弾けるように練習したものであった。箏自体のことも実はこの時点ではよく分かっておらず和楽器屋さんで「山田流をする人が多いですよ」といわれて「じゃ山田流の箏を」
などと言って買った状態であった。
しかし観客の反応は上々で、16ビートのノリのよいリズムに、観客席から大きな手拍子が聞こえてきた。「さくら」のアレンジは私とマキさんが一緒に1時間ほどで練り上げたもので、実は私とマキさんの初めての共同作品でもあった。
「この曲、次のシングルに入れようね」と美智子もニコニコしながら言っていた。
箏を買った時、「さくら」を弾きたいと言ったら「じゃ、平調子ですね」と言われて、お店の人がサービスで調弦してくれたので、私達はその場で各弦のピッチを電子チューナーで確認して記録しておき、各ライブ会場では事前にそのピッチに調弦した。私が弾くキーボードもそのピッチに調整しておいた。このためこの「さくら」は和音階で演奏したロック、という少し不思議なサウンドになったのであった。
この演奏を宇都宮のライブハウスで聴いてくれた上島先生(観客席にいたが騒ぎにならないよう会場では声を掛けないでと言われていた)は、ライブの翌日、直接私の携帯に電話をしてきて
「あの『さくら』は面白い。僕も刺激されたんで、ちょっと和風の曲を書いてみた。僕は和音階が分からないので、これをちょっと和音階に直してみてくれない?」
と言われた。
先生はパソコンで楽譜を書いておられるので、楽譜のPDFとMIDIの演奏データが同時にできてしまう。それを私はメールで受け取るとすぐに箏の音階の平調子に直してパソコン上でピッチを修正し、最近自宅に設置した防音室の中でパソコンに接続したキーボードで箏の音で再生しながら歌って録音。即、そのMP3をデータ交換用のスペースにアップして、上島先生にURLとパスワードをメールした。上島先生は「いい!こんな感じで次はやってみよう」ということであった。
途中経過は随時、マキさんと美智子にも連絡していたのだが、これでやってみようと言われたと美智子に言うと
「春の歌だからね・・・・3月に発売しないといけないね」
と言われて、またまた急遽ドサまわりの日程のを変更することにし、次のシングルのレコーディングは2月上旬にすることになったのであった。(今回はまだ完全に確定している予定は少なかったので、調整はそう難しくなかった)
なお上島先生の新作「雅(みやび)な気持ち」は、再度私とマキさんの共同で4人編成用にアレンジし直し演奏してMP3をまた先生に渡した。「いいよ、いいよ」
と先生はとても喜んでいた。この曲ではシンセで箏や龍笛の音を出し、サトさんが打つシンドラでも鼓や和太鼓の音を入れてマキさんのベース・タカさんのギターと合わせて演奏した。
「いやね。常時ランキング上位を狙わないといけない歌手の曲ではこういう冒険はできないんだけど、ローズクォーツは津田さんや浦中さんからも『売れなくてもいいから思いっきり僕自身が楽しめる曲を作ってくれ』と頼まれてるんで、こういうの自分自身にとっても心のオアシスになるなあ」
などと上島先生は言っていた。
ここで浦中さんの名前が出てきた事に私は内心驚いた。ローズクォーツの活動資金(毎月たぶん100万程度支援してもらっているはず)に関しては、おそらく津田社長の事務所から出ているのだろうと想像していたのだが、これで浦中部長の○○プロからも出ていることを知った。あるいは両者折半なのだろうか?
私の再デビューが決まってから、津田社長の事務所とレコード会社には挨拶に行ったのに○○プロには挨拶に行かなかったので、向こうがあのスキャンダルで怒っているのだろうか?とも思っていたのだが、おそらく今の段階ではまだ表に出たくないのであろう。
そうして1月の関東関西でのライブハウス出演が終わったあと、私達は3枚目のシングルの制作に入った。
今回のタイトル曲は上島先生の「雅な気持ち」と、私とマキさんでアレンジした日本古謡「さくら」。これにラテンの名曲「花祭り」(スペイン語歌詞)、12月のライブツアーで好評だった「抱きしめたい」(英語歌詞)、私が振袖を着た時の感動で即興で書いた曲「花鳥風月」、政子が高三の春に書いた詩に私が曲を付けたもので、ローズ+リリーのメモリアル・アルバムにも収録予定の「私にもいつか」、そしてラストに「博多祝い歌」を入れた。今回「雅な気持ち」は特殊で、「さくら」「抱きしめたい」はライブで既にアレンジが固まっていたので、下川先生には「花祭り」「花鳥風月」「私にもいつか」
の3曲のアレンジをお願いした。
しかしもう「シングル」と称しつつ6〜7曲入れてしまうのは、ローズクォーツのひとつのスタイルとして定着しつつある感じであった。なお販売価格は、いわゆる「マキシシングル」の価格ではなく、だいたい普通のシングルの価格並みに抑えてあった。
2月上旬にスケジュール組み込み済みで移動ができなかった、2月4-6日の長崎離島ツアーの部分以外、2月の前半は私達は都内のスタジオで録音の作業を行った。今回は初めてサポートミュージシャンを入れ、「花祭り」でラテンの楽器を演奏してもらったり、「雅な気持ち」と「花鳥風月」には箏や龍笛を入れてもらったりした。「さくら」の冒頭の箏についても、ライブでは私が演奏しているのだが、録音ではプロの方にお願いした。
ただ、こういう録音のやり方については、美智子も微妙な気持ちを持っているようであった。「たとえ打ち込みを使ってもいいから、ローズクォーツの4人だけでやったほうがいいのかなあ」などと迷うような言葉を漏らしていた。
レコーディングを終えてから、2月の後半はドサ回りに出かけ、2月から3月の上旬に掛けて西日本の各地、ほんとに田舎町を中心に回った。またそこで知らない民謡にぶつかると速攻で採取してステージに採り入れたのであった。
西日本のツアーは3月6日午後の鹿児島県志布志市で終了し、私達はその日の夕方の「さんふらわあ」で大阪に戻って、翌朝名神・東名を走って東京に帰還した(運転は東京から新幹線で大阪まで迎えに来てくれた松島さん)。9日まで休みとした後、10日は事務所に集まって、翌日からの東日本ツアーの打ち合わせをした。11日から13日に掛けての週末は仙台の近辺を回る予定になっていた。
そして3月11日が来た。
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