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■続・夏の日の想い出(7)
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そんな会話をしてから美智子はお風呂に入っていった。30分くらいで出てきたが、また下着姿である。私はその間仮眠していたが、美智子の出てくる音で目を覚ますと、相馬盆唄の件を切り出した。
「でね、このふたつの相馬盆唄を聞き比べて欲しいの」と私は言った。最初大会で3年連続優勝した人の歌。
次にスナックで聴いた地元のふつうの人の歌。
「唄の技量では比べるべくもないんだけど」
「地元の人の唄がいいね」
「でしょ?名人さんの唄は巧いけど真剣に聴かなきゃという気になる。地元の人の唄は、唄として下手で音程も外れてるけど、凄く気持ちいい。ほんとに踊り出したくなる。私は踊りかた分からないけど」
「その唄い方をベースにして練習してみようよ。でも音程は外さないでね」
「はい」
私と美智子は車で深夜営業しているカラオケ屋さんを訪れると(美智子は少し酔っているのて運転は私がした)、1時間半ほど「相馬盆唄」を唄い込んだ。
「うん。けっこういい感じになってきたかな」
という美智子の『仮合格』をもらって、ホテルに戻り、朝までぐっすり寝た。私が唄っている間に美智子は他のメンバーに渡す、相馬盆唄の譜面を書いていた。
翌日。私が少し遅くまで寝ていたら、朝早くから出かけていた美智子が「ねえねえ、冬、これ着てみて」といって、浴衣を渡した。
「地元の商店街で買ってきた」
「もしかして今日のステージ衣装?」
「もう浴衣の季節じゃないけど、ステージ上では構わないよね」
「うん」
早速着てみる。
「うーん。色っぽくなるね。さすが19歳」
「みっちゃんまでそういうのはやめて」
と私は少し照れて言った。
その日の相馬市内のライブでは私が浴衣姿でステージに現れただけで「おぉー」
とか「ひゅー」などといった歓声が上がった。あはは、こういうのは女性であるというだけでもらえるハンディだなとも思う。女って何かとお得だ。まずは「川の流れのように」で演奏を始め、ローズクォーツの持ち歌をいくつか演奏したあとリクエスト大会をして、最後に「相馬盆唄」を演奏すると、会場は割れるような拍手になった。唄の途中で一緒に歌い出す人、また立ち上がって踊り出す人もあった。
「ねえ、みっちゃん。思ったんだけど、せっかく全国回るんだから、それぞれの地元で民謡を聴いて録音もさせてもらってまわろうよ。できるだけ、地元のふつうの人が唄っているものを」
「うんうん。そうしよう。だいたい私が前日に打ち合わせで現地入りするからその時、できるだけ採取しておくよ」
「それを私が1晩で覚えればいいのね」
「うん。録音できたらそれをネット上の共有ディスクにアップするから、それをダウンロードして聴いて覚えてくれる?」
「了解」
「で、地元で何か適当な衣装を調達しておくから」
「あはは」
「でもこれ、冬の耳がいいからできる技だわ。民謡は元々が純正律ベースな上にポルタメントとシンコペーションだらけだから、西洋音楽的・平均律的な世界で生きている歌手さんは耳コピーできないね。なんか小さい頃とか民謡唄ってたの?」
「自分では唄ってないんだけど、小さい頃亡くなったおばあちゃんが民謡の名人だったとお母ちゃんから聞いてた」
「ああ、その遺伝子を受け継いでるんだろうね」
「遺伝子か・・・私はその遺伝子を残せなくなっちゃった」
「でも冬の歌を聞いた人の中で歌手を目指す子がたくさん出てくるよ。それが冬の子供だよ」
「そうか。じゃ私がたくさん歌えば、それだけたくさん子供ができるのね」
「うん。だから冬は歌で頑張ろう」
「うん」
こうしてこの長期ドサ回りツアーは民謡採取の旅ともなったのであった。私は仙台では斉太郎節、岩手では南部牛追唄、青森では南部あいや節・津軽じょんがら節、北海道では江差追分にソーラン節、など各地の民謡を歌いまくった。各地で浴衣や法被などの類も買い込み、衣装のコレクションもどんどん増えてきた。そして美智子は各地のイベントで私が唄った民謡をその日のうちにyoutubeで公開した。「ローズクォーツsings民謡(2)相馬盆唄」のようなタイトルが付けられていた。
「でもこういうのばかり公開してると民謡ユニットだと誤解されません?」
「そうだね。ポップスで食っていけなくなったら民謡でやろうか」
などと美智子は冗談っぽく言っていた。
「でもレコード会社がこの企画に興味持ってくれてね」
「えー!?」
「町添部長が相馬盆唄を聞いて『味のある歌い方してるね』と言っていた。こういう歌い方ができる人はレアだというのよね。技巧的に上手な歌い方をする民謡歌手はたくさんいるらしいのだけど。門外漢だからできるんですよと私は答えておいたけど、ではその門外漢が歌った民謡、というコンセプトで、ぜひアルバム出してくれ、と」
「わあ・・・でも『味』というんですね、ああいう雰囲気」
「うまい表現だね。それでライブの録音分はyoutubeに上げていいと追認してもらったんだけど、あとで各々の現地の民謡教室とか民謡酒場とかと組んで、そこの生徒さんたちや常連さんたちに演奏してもらって冬子ちゃんが唄う、なんてのをやるといいかもね。もちろんローズクォーツ全員参加で」
「へー」
「来年くらいにそれやろう。それまでに各地のコネを作っておくわ」
「することいっぱいありそう」
「タカさんに三味線も覚えてもらおうかな・・・・」
秋田市内で3ヶ所やり、翌日は新庄という日は2日連続で新幹線で東京と秋田を往復したが、さすがにへばって、ステージが終わったあと、楽屋の隅の洋服掛けの陰で少しうたたねをしていた。そこにマキさんが入ってきた。
「ケイちゃんいる?」
私が返事しようとした時、マキさんに続けて美智子が楽屋に入ってきた。
「あれ?冬子ちゃんは?」
「いないですね。トイレかな」とマキさん。
「じゃ見かけたら伝えておいて。10時から地元のイベンターさんと打ち上げって」
「はい。あ、須藤さん」
「何?」
「こんな所で何ですけど、1度聞いておきたいと思ってたことがあって」
「ん?」
「ケイちゃん、充分な素材でしょう。以前デュオで売れてて週刊誌などにも書かれたし話題性もある。ソロ歌手として売ったほうが売れる気がするんですよね。なぜ、僕らと組ませることにしたんですか?」
「ん?彼女と一緒にやるの嫌?」
「とんでもない。楽しくてしょうがないですよ。男ばかりの所に女の子が1人いると、なんか雰囲気ががらりと変わるんですよね。砂漠にオアシスがあったみたいな感じで。でも、もったいない気がして」
「ソロ歌手で売ったほうが確かに今は売れると思う」
「今?」
「あの子は元々凄く器用な歌手なのよね。前にも言ったかな。元々のデビューのきっかけは、他の歌手がトンズラしてしまって突然穴が空きそうになったステージの穴埋めに急造したユニットだったというの」
「ええ、聞きました。ケイちゃんも笑ってその件は話してましたよ」
「どんな歌でも即こなしちゃう。それは凄い才能なんだけど、危うい面もある」
「耐久性ですか」
「うん。それもある。あと、一見こなしているように見えるけど、それは95%の出来でしかない。彼女には99.9%の歌を歌って欲しいのさ」
「ああ。民謡のアルバムを今じゃなくて来年出すというのもそれですね」
「うん。一晩で各地の民謡を録音聴いただけで歌えるようになるって凄いじゃん。でもそれはふつうに『聴ける』というレベルの歌でしかない。『聴きたくなる』
ほどの歌にするには、やはりかなりの練習が必要」
「1年くらい修行させるつもりですね」
「うん。人気先行・話題先行で彗星のように消えてしまう歌手じゃなくて、実力派のアーティストとして売るには、ソロよりユニットのほうがいいと思うのよね。この年代の子をソロで売るとどうしてもアイドルもどきとして見られてしまうから、それはもったいない。歌唱力で売れる歌手だもん。ローズクォーツを本格的に売り出すのは来年の春以降だと思ってる。今年の冬くらいまでは、ケイちゃんにもマキちゃんたちにもいろんな経験をさせるとともに歌唱力・演奏力の底上げをしたいのよね。だから今洋楽も歌わせてるし民謡や演歌も歌わせてるけど、クラシックとかラテンとかも歌わせてみたいんだよね。あと観客とじかに接する感覚は知っておいて欲しいの」
「ああ」
「クォーツのみんなはライブハウスとかでたくさん演奏していて、目の前の観客の反応を感じながら演奏するのに慣れてるでしょ。でもローズ+リリーは急速に売れちゃったから、そういう直にお客さんに接しての演奏って10回くらいしか経験してないんだ。しかもその最初のほうはとにかく歌うことで精一杯でお客さんの反応まで考える余裕がない状態だった」
「カメラやマイクに向かって歌っているだけじゃダメということですね」
「うん。やはりお客さんの反応をちゃんと把握できてこそ、自分の歌のよしあしが分かるのよね。ちょっと手抜けばお客さんは即見放すもん。だからドサ回り。12月・1月は年末年始のイベントとかあるから休んでレコーディングとか大きなキャパの会場でのライブやりたいけど、2月・3月にまたドサ回りやろう」
「了解です。しかし凄い先行投資になりますね」
「まあ、お金を出してくれるところがあるからできることだけどね」
「ああ、前の事務所ですか」
「それは企業秘密。でも向こうからも1〜2年売れてそれで消えていく歌手ではなくて、20年は売れる歌手にしてくれと言われてるの。それには、ちょうど器用さという点で冬子ちゃんと共通点があって、実力も確かなクォーツは最適のお見合い相手と思ったのよ」
「なるほど。でしたら僕たちも頑張ります」
「うん、よろしくね。一緒に20年やろうね」
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