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■夏の日の想い出・長い道(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2013-11-08
2009年3月29日(日)。私は11時頃、お昼御飯の下ごしらえだけすると、ネットでゲームをしていた母に
「これ、材料を全部入れてそのまま中華鍋で軽く炒めたら食べられるから。お肉も一度下茹でしてるから、生煮えの心配は無いから」
と言った。
「あ、お前お昼から出かけると言ってたね」
「うん。○○プロの20周年イベントなんだよね。ちょっと顔を出してくる」
「あんた、今○○プロとどういう関係なんだっけ?」
「ボク、○○ミュージックスクールの特別特待生のままみたい」
「ああ。去年の4月にそこ入ったんだよね?」
「3月だけどね。歌のレッスンでソルフェージュを中心にレッスン受けてた」
「また通うの?」
「うん。今度は歌のレッスンもだけど、ギターも習おうかなと思ってる」
「へー。頑張るね。でも受験勉強をおろそかにしないようにね」
「うん。受験勉強優先だよ」
そんなことを言っている内に、奈緒がうちにやってくる。
「冬〜、制服持って来たよ」
「ありがとう!助かる」
「あら、奈緒ちゃん、いらっしゃい。制服?」
と母が訊くので
「一応創立記念パーティーだから『パーティにふさわしくない服装はご遠慮ください』ということなんで、制服で行こうかと思って。でも学生服では行きたくないから、奈緒に女子制服を借りるんだよ」
と私が言うと
「そう聞いたんで、貸すのはいいよ、と言って持って来たんです」
と奈緒も顔色ひとつ変えずに話を合わせてくれる。
実際は私の制服を昨日帰宅する時に奈緒の所に置きっぱなしにしておいたので持って来てくれただけである。
それで母と奈緒と私の3人でしばしおしゃべりした後、女子制服を着た私と奈緒と一緒に家を出た。母が奈緒にお菓子の箱を1つお土産に持たせてくれた。
家を出てから歩きながら奈緒に言われる。
「でもさあ、女子制服の件はそろそろカムアウトしちゃいなよ。そして新学期からは学校に女子制服で通学して来なよ」
「そうだなあ・・・」
その日のパーティーでは貝瀬日南ちゃんたちと会い、私がこれまで学校では男子制服を着ていて、放課後になると女の子の服に着替えてアイドルやってたという話をすると、それマジだったんだ!と驚かれた、というより呆れられた感じだった。
「いっそ学校にも女子制服で行けばいいのに」
「その勇気がなくて」
「ミニスカ穿いて女子高生アイドルしてて、女子制服で学校に行く勇気が無いというのは理解できん」
「だいたいその顔で学生服着てても、男装女子高生にしか見えんと思う」
パーティーが終わる頃、丸花社長から声を掛けられた。
「あ、ケイちゃん。この後、何か用事ある?」
「いえ。特に入ってませんが」
「だったら、ちょっと伴奏の仕事1件頼んでいい?」
「はい。でも何の楽器ですか? 今日は何も持って来てないので」
「ああ、楽器は用意してあるから大丈夫。送って行くよ」
というので、丸花社長自身の運転するフェアレディZの助手席に乗せてもらう。車好きの丸花さんは、どこに行くのにも自分で運転するし、車もフェアレディZの他、NSXも持っている。ただ荷物があったり、人を乗せる時は、いかにも大プロダクションの社長らしくカムリを使う。
「この車、初めて乗りました」
「格好いいでしょ?」
「この車に乗った男性に声を掛けられたら、フラフラと乗ってしまいそう」
「あはは、気をつけてね」
「どこか遠くですか?」
「いや、すぐ近く」
実際、車は巧みに裏通りを通り抜けて行く。こんな道を走れるというのはこの付近をいかによく走っているかということだろう。そして5分ほどで目的地に到着する。
「あれ?ここは」
「うん。東京メールホール」
「ライブの伴奏でしたか!」
丸花さんの車はメールホールの裏側から進入して、楽屋口に直接乗り付けた。そこに立っている警備の人に
「5分で戻るから」
と声を掛け、私を連れて中に入って行く。
楽屋に入ってびっくりする。
「あれ? 冬!」
「来てくれたの?」
と声を掛けたのは和泉と小風だ。
「え?え?」
と私は戸惑ったように丸花さんと、やはり驚いている風の畠山さんを見る。
「畠山君、言ってたヴァイオリン奏者、連れてきたよ」
と畠山さんに言い、
「じゃ、よろしく」
と私に笑顔で言って、帰って行った。
「今日、KARIONのライブなの?」
「うん。急に決まったんだよ。ファンクラブ招待イベント。でも冬ちゃんが捕まらなかったんで、諦めてたんだ」
と畠山さん。
私はここしばらく蔵田さんの作曲作業に付き合っていたので、ずっと携帯の電源を切っていた。それで連絡が取れなかったのだろう。
後で話を聞いてみると、畠山さんが丸花さんと会っていた時、今日来てくれることになっていたヴァイオリン奏者が指を怪我して弾けなくなったという連絡があり、その話を聞いた丸花さんが「ヴァイオリン奏者なら良い子知ってるよ」
というので、お願いしたらしい。畠山さんも私を見てびっくりだったようである。
「来てくれるとは嬉しい」
とホントに笑顔で小風が言う。
「ちょっと待って。私が出たら騒ぎに」
「こないだのツアーみたいにヴェネツィアンマスクする?」
「あれ、持って来てないんだよねー」
「ひとりだけ付けてたら変」
「顔にペイントするとか」
「それも不自然」
「あ、隠れて弾けばいいんだよ」
と小風が言い出した。
「へ?」
舞台には様々な幕がある。最前面にある、分厚くてヒダの入っている幕は緞帳(どんちょう)と言う。基本的に巻き上げ方式のものが多い。その直後にあり、演劇などで暗転をする時に使用するのが暗転幕、真ん中付近にあり、ライブでは歌唱者やフロントパーソンとそれ以外の演奏者・伴奏者などとを区切ることのできる、左右に引き割る方式の幕が中幕、最奥にある白い幕で、様々な色などを投影して雰囲気作りをするのがホリゾント幕である(ホリゾントの照明効果を使用しない場合は、その直前にある黒い幕を引いておく。これを大黒幕またはバック幕という)。
それで小風に言われたのは、このいちばん後ろのホリゾント幕の裏に立って、ヴァイオリンを弾いたり歌を歌ったりして、ということだった。
私がそこで弾くと聞いて、SHINさんなどは笑っていたが、11月のツアーにも帯同したコーラス隊の子から
「蘭子さん、どうしてそんな所で弾くんですか?」
と質問が入る。
私は「こかぜちゃんに訊いて」と投げる。すると小風は
「蘭子は純情な女の子を騙して心に傷を負わせたから、罰」
などという。
「それ、マの付く人のことですか?」
「ノーノーノー。それは禁句」
「はーい!」
「でもマの付く人、元気ですか?」
「一時落ち込んでいたけど、だいぶ元気になってきたよ。最近ずっと一緒に発声練習してるんだけどね」
「へー。復活が楽しみですね」
そういう訳で、その日のファンクラブ限定ライブでは、私はずっとホリゾント幕の後ろに居た。
最初、緞帳を降ろしたまま『優視線』を演奏したので、この曲だけは私は表でピアノを弾いた。曲のコーダ部分で今回のライブで頼んでいるサポートのピアニストにタッチして、私は幕の後ろに移動する。そして、そこで和泉たちが「こんにちは! KARIONです!」と言うのを聞いた。
その後ひたすらヴァイオリンを弾くが、いくつかある「本格的四声の曲」だけは、ヴァイオリンを置いて、歌唱の方に参加した。『鏡の国』『Diamond Dust』
などの曲である。これらの曲は一応3声アレンジも作ってはいるが、それで歌うと楽曲の魅力が半減してしまう。
前半と後半の間には「抽選会」を行い、今日の入場者番号で下2桁が当選した番号の人に、ライブが終わってからサインをすることになった。当選番号は20個で、100分の20、つまり5分の1の確率で当選する。今日の入場者は1600人なので、320人に当たる計算である。さすがに1600人にサインするのは辛すぎる。それでも320人にサインするには1時間くらい掛かる計算だ。
「サイン書くの3人だけでは辛い。蘭子も手伝ってよ」
と言われたものの
「ごめーん。代わりに焼肉おごるから」
と言っておいた。
「よし、ライブが終わった後、蘭子のおごりで焼肉ね」
と美空が楽しそうに言った。はははは。
後半もずっと幕の後ろでヴァイオリンを弾いていた。今日のヴァイオリンはカール・ヘフナーの#305。普及価格帯の楽器だが、ローズ色の美しい塗装だ。持っているだけで気分が上昇する感じもある。PAを通すので、ピックアップを付けて弾いている。
ライブは後半最後の曲『恋のクッキーハート』を演奏した後、幕が下りる。アンコールは『風の色』と『Crystal Tunes』と聞いていたので、私はこれで出番は終わりかな?と思っていたら、和泉たちが『風の色』を歌っている間に畠山さんが来て
「次の『Crystal Tunes』では蘭子ちゃんがピアノを弾いて」
と言う。
「え?」
「中幕を降ろすから、誰が弾いてるかは分からない」
「はい」
『風の色』は、TAKAO(Gt), HARU(B), DAI(Dr), SHIN(Sax), MINO(Tp) の5人だけで演奏したのだが、それを演奏した後、いったん緞帳を下げる。そして中幕も下げて、その後ろにサポートのグロッケン奏者さんと私が入った。
グランドピアノの前に座るとまた気持ちが引き締まる。
緞帳が上がってセカンドアンコールとなるが、中幕は降ろしたままである。そして、その状態で、最後の曲『Crystal Tunes』を演奏したのである。
結局この日のライブでは私は最初の曲と最後の曲でグランドピアノを弾いたことになる。
曲が終わり、大きな歓声と拍手がある。私は立ち上がり、見えない客席の方に向かって大きくお辞儀をした。
ライブが終わりサイン会も終わった後、ホントに焼肉屋さんに行った。
「ほんとにおごりでいいの?」
「いいよ」
「でも美空が多分凄く食べるけどいいかなあ」
と小風が少し心配してくれるが
「平気。マリで慣れてるから」
と私は言う。
「マリちゃんも食欲凄いらしいね」
「ラーメン10杯食べたの見たことある」
「きゃー、負けた! 私まだ8杯しか食べたことない」
と美空。
「なんか恐ろしい話だ」と和泉。
「私たちアイドルだよね?」と小風。
「体重増やさなきゃ問題無いよ」と美空。
「だけど、隠れて演奏するという手は使えるなあ。ゴールデンウィークのツアーも、蘭子ずっと幕の後ろで弾かない」
「パス。ゴールデンウィークは、多分色々溜まっている仕事を片付けないといけないと思う」
「溜まっている仕事というと、まずはKARIONだよね」
「そうそう」
「うーん。。。」
私は高校に入った時、志望大学は名古屋大学の経済学部(偏差値67)と書いておいたのだが、2年生に進級する時、わざと関東の某国立大学経済学部(偏差値58)に変更した。これは名大のような難関大学を志望校に書いておくと、男子クラス(9-10組)に放り込まれることが確実と思い、わざとランクを落としたのである。
しかし3年に進級する時は、学年主任の先生から呼ばれて「君は3年では男女共学クラスに入れるから、正直に志望校を書きなさい」と言われたので、私は△△△大学文学部(偏差値67)と申告した。
「君、担任には建前上は**大学だけど、実は東京外大(偏差値70)を狙っていると言ってたみたいだけど今の君の成績なら充分狙えるよ」
と学年主任。
私は正直な理由を語る。
「やはり大学に入ったら歌手活動を再開したいと思っているのですが、大学生だと多分高校生ほど学業のこと考慮してもらえないと思うので、学力的に余裕のある所にしておきたいのと、やはりパートナーの中田さんが△△△大学を狙っているので、同じ所にすることで、彼女の励みにしたいという気持ちがあります」
「なるほどね。中田君も、1年前は正直△△△大学を目指すと言われて『嘘!?』
と僕も思ったんだけどね、彼女ほんとによく頑張ったね。学年最下位から既に全体で80位くらいまで上がってきている。このまま頑張れば合格の可能性は充分あると思う」
「はい、それで彼女を応援したいのと、やはり同じ所に行った方が連帯感も持てるので」
学年主任は頷いていたが、急に小さな声になって
「ね、君たちって恋愛関係は無いんだよね?」
と訊く。
「私、女の子には恋愛的関心無いですよ〜!」
と私が笑って言うと、
「あ、やはりそうだよね」
と学年主任は納得したような顔をした。
「あ、でも君と中田さんは別のクラスにするからね」
「はい。それでいいです」
「ところで、君、制服はそのままでいいの? 女子制服を着なくていい?」
と学年主任は訊いた。
「あ。女子制服は実は所有はしていますし、放課後とかに着たりしてますけど、授業は学生服でいいです」
「ふーん。まあ、僕はそのあたりの心理学的な問題には詳しくないんだけど、君の気持ちが楽になる方向でやっていくといいと思う。一応、君の制服についてはどちらを着ていても咎めないということで、教職員の間ではコンセンサスを取っているから」
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