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■夏の日の想い出・第四章(1)

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(C)Eriko Kawaguchi 2013-08-02

 
(今週配信する物語は昨年5月に配信した「第三章」に続くメインストーリーです) 
 
私と政子は高校2年の8月から12月に掛け、ローズ+リリーの名前で女子高生歌唱デュオとして活動した。ところが私が男の子であったことが週刊誌の報道で明らかになり、それをきっかけに私も政子も保護者が同意した契約書を交わしていなかったことが明るみに出て、私たちは活動停止を余儀なくされた。
 
大騒動の後で、私も政子も、芸能活動のことをきちんと親に言ってなかったことで無茶苦茶叱られたのであったが、政子の場合、やや叱られすぎたのに加えて、あの4ヶ月間の活動の間、自分は歌が下手なのに、お金を取って歌を聴かせるなどということをしてていいのだろうかという強い疑問と対峙していたことがあって、自信喪失してしまい、一時は本当に歌手を辞める気になっていた。
 
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しかし私たちはたくさんファンの人たちから励ましの手紙をもらった。政子はそれを読んで結構やる気を出して行ったし、私にしても、★★レコード担当の秋月さんや町添部長、○○プロの丸花社長、ローズ+リリーの影の仕掛け人ともいうべき雨宮先生、そして多くの友人たちは政子が自信を回復させられるように色々な手を打っていった。そうして政子は歌の練習を再開して『私1000年くらいしたら歌手に復帰しようかな』などと言い出した。また肺活量を付けるのに毎朝ジョギングもするようになった。また私と政子は大学受験に向けての勉強をしながら、毎晩電話をつないで一緒に発声練習をしたり歌を歌ったりしていた。
 
そして政子の歌は本当に上達した。
 
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ある時、政子は言っていた。
 
「ローズ+リリーでデビューした時、私たちは不完全な女性デュオだったんだよ。私は歌に問題があった。冬は体に問題があった。それでこの3年間に私はたくさん練習して歌をスキルアップさせた。冬は体を直して、本当の女の子になった。だから私たちは今完璧な女性デュオになれたんだよ」
 
私は大学に入ってまもなく去勢手術を受け、2011年4月に性転換手術を受けて、その年の秋に20歳になると同時に戸籍上の性別変更を申請した。
 
そうして私はローズ+リリーの復帰CD『涙のピアス』をリリースする直前に肉体的にも法的にも女性になっていたのであった。
 

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政子が「歌手に復帰するまでの時間」として当初言っていた『1000年』という数字はその後政子の心が回復するにつれ短くなっていった。
 
高校時代にローズ+リリーのマネージャー兼プロデューサーを務めた須藤さんは1年半にわたり私たちとの接触を禁止されていたが、その処分が明けた2010年6月に私たちと会い、今度は私たちと、ちゃんと保護者も同意した契約を結んだ。
 
ただその時点では、政子がまだ「10年くらいしたら歌手に復帰しようかな」
などと言っていた(須藤さんはその言葉で事実上政子は歌手に復帰するつもりは無いと思い込んだ)ことに加えて、政子のお父さんが政子の芸能活動に消極的であったことから、この時点では、
 
・テレビ放送、PVを含む映像作品には出演しない 
・人前では歌唱しない 
 
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などというとんでもない契約になっていた。つまりローズ+リリーの活動は、音源制作と、非公開スタジオでのラジオ出演に事実上限定されることになった。
 
そこで須藤さんは、政子が活動できないなら、私だけでも活動機会を広げようと言ってローズクォーツというプロジェクトを立ち上げた。ちょうどボーカルが辞めて歌う人がいなくて困っていたバンド、クォーツと私を組ませるというもので、2010年8月『萌える想い』という曲でCDデビューし、その後、年内いっぱい全国キャンペーン、というよりドサ回りという感じで全国各地でこのバンドのライブ活動を行った。
 
一方でローズ+リリーの方も音源制作ならして良いので9月にスタジオミュージシャンを集めてアルバムを制作したのだが、当初このアルバムは年末くらいにローズクォーツの初アルバムと同時に発売したいと言われていた。
 
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ところが実際にはローズクォーツのアルバム制作の方が全然進まず、どんどんリリース時期はズレていき、更にそこに東日本大震災まで起きて、結局このアルバムのリリースは制作してから1年近くたった2011年7月までずれ込んでしまった。
 
その間、私や町添さんは待ちくたびれているローズ+リリーのファンのために色々裏工作をして、『恋座流星群』『Spell On You』という《書類上リリースはされたのに一般販売されなかった》ふたつのシングルを実際にファンが手に入れられるようにした。これらは少なくとも公式には販売されていなかったCDであるが、かなりのファンが入手できたし、大手ランキングでも(主として有線とカラオケのポイントで)10位以内に入っていた。
 
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この1年掛けて発売されたアルバムは、当時、須藤さんが主宰する私たちのマネージングを担当する会社 UTP(宇都宮プロジェクト)の方針としてローズクォーツを営業の中心に据えたいということとローズ+リリーのライブ活動再開のメドが立たないということから『Rose + Lily Memorial Album』
(ローズ+リリー追悼版)などという、ぶっそうな名前が付いていたし、また実際このアルバムを制作した時点では、私と政子のメジャーレーベルでの活動はこれを最後にして、この後はふたりでのんびりとインディーズでアルバムを制作していくのもいいかなと、2010年秋の時点では私も思っていた。
 
しかし世間はそんな流れを許してくれなかったのである。
 
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町添さんは、私たちがインディーズででもなどと言ったのに対して、ローズ+リリーが音源制作するなら、必ず★★レコードから発売すると明言したし、必要な環境や伴奏するミュージシャンの手配、宣伝など何でも任せてくれと言った。
 
ファンも当初ローズクォーツの名前でリリースされた実質的にローズ+リリーのシングルである2011年夏の『夏の日の想い出』は久しぶりのローズ+リリーの音源であったこともあり、ミリオン買ってくれたものの、その次にローズ+リリーとローズクォーツのシングルが相次いで発売されると、ローズ+リリーのCD『涙のピアス』は100万枚越えたのに対してローズクォーツのCD『起承転決』は15万枚の売上に留まり、明確に自分たちはローズ+リリーの音楽を求めているのだという意志を表した。
 
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実際この時期、須藤さんにもタカたちにも見せてないが、マリちゃん・ケイちゃんはクォーツから離れて、ふたりだけで活動してくださいというファンからのお手紙が直接私のマンション宛て(よく住所を調べたものだ)、あるいは△△社や★★レコードなど「UTP以外の所」に結構来ていたのである。
 
要するに「ローズクォーツ」が主体で、マリとケイはそのボーカルにすぎないというものではなく、マリとケイを主体とする「ローズ+リリー」を聴きたいのだという趣旨だった。ローズクォーツのアルバム制作の遅れがローズ+リリーのアルバム発売遅れにつながったことを、ラジオでマキが言ってしまったこともあり、その影響もあったようである。
 
そして、クォーツに代る「純粋な」バックバンドとして、AYAがライブの時だけフィーチャーしているポーラスターを推しますとか△△社所属のインディーズバンド Crewsaw を推しますなどという手紙もかなりあった。
 
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「しかしファンレターにもいろんなのがあるよね」
「結婚して〜、なんてのはもう慣れたけどね」
「マリちゃんの下着の色は何だろうと考えると夜も眠られなくなりますなんてのもあったな」
「まあ。眠られないならずっと起きていればいいと思うよ」
「その手のにも動じなくなったね」
 
「ケイちゃん、どうして性転換しちゃったの?おちんちんの付いてるケイちゃんが好きだったのに、なんてのもあったよ」
「そんなこと言われてもなあ。でも、そういうおちんちんの付いてる女の子が好きって人がけっこう居るみたいね」
「そのあたりは私にはよく分からんなあ」
と政子。
 
「でも性転換すると別れちゃうカップルとか多いからね」
「私は冬自体が好きだから、おちんちんが付いてるか付いてないかは些細なことと思ってたけどね」
「そう思ってくれる人の方が少ないんだよ」
「じゃ私に感謝して、今夜はたっぷりサービス」
「いいよ」
 
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私たちはそんなことを言いながらキスしてベッドルームに入った。
 

そういう訳で、ローズ+リリーとクォーツの「分離推進」をするファンの声や、以前から★★レコード内にくすぶっていたローズ+リリーのUTPからの独立論などを背景に町添さんは2011年12月5日、須藤さんと私を自宅に呼び、今後はUTPはローズ+リリーを優先させる形で営業して欲しいという意向を伝えた。
 

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ところでその会談に少し先立つ2011年11月19日、私と政子は須藤さんに、今後ローズ+リリーのことは、私と政子に全面的に委ねて欲しいという申し入れをしていた。
 
このような申し入れをしたのには幾つかの理由があった。
 
ひとつにはローズクォーツとローズ+リリーが「区別が付かなくなっている」
という問題があった。
 
『夏の日の想い出』以降、ローズクォーツにマリが参加して、私とふたりでボーカルを担当するパターンが定着してしまった。ところでローズ+リリーの伴奏というのもローズクォーツが担当する。
 
すると、ケイとマリがボーカルを取っているローズクォーツと、ローズクォーツが伴奏を務めているローズ+リリーというのは、結果的に全く同じ人間が演奏していることになり、その違いは何なのか?というのをたくさんの人から訊かれたものの、私にも分からなかった。
 
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そこで、ローズクォーツはUTP社長である須藤さんがプロデュースし、ローズ+リリーはUTP専務である私がプロデュースするということで、切り分け、両者の路線が混乱しないようにしようと提案したのであった。
 
そしてもうひとつの問題として、やはり私と政子は、2010年秋に制作したアルバムの発売に1年近く掛かってしまったこと、その途中で制作した『恋座流星群』
『Spell On You』をきちんとした形で発売してもらえなかったことに対して、不満を持っていたこともあった。
 
須藤さんとしては、マリが活動に消極的→代わりにローズクォーツを立ち上げてケイだけでも売ろう→でもローズクォーツのアルバムがなかなか制作できない→ローズクォーツを売るためには今はローズ+リリーのアルバムは売れないと考えていた訳だが、私たちとしては、ライブ活動への復帰にはまだ少し時間が掛かるけどアルバムは積極的に制作していきたいという意識があり、この思惑のずれが、当時は、私たちと須藤さんとの間に一触即発の事態を引き起こしかねないほどの危険を蓄積していた。
 
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しかし須藤さんがローズクォーツとローズ+リリーの管轄分けを了承してくれたことで、私たちと須藤さんの衝突は回避されたし、私たちはローズクォーツとは無関係にマイペースで音源制作をすることができるようになったし、★★レコード側としてもローズ+リリーのライブを開催する交渉をするのに、UTPを通さず、直接マリに働き掛けて口説き落とす道が開かれたのである。
 
更に翌月の町添部長からの申し入れのお陰で、私自身がローズクォーツよりローズ+リリーを優先して動くことができるようになった。正直ローズクォーツの過密スケジュールが私にはかなり負担になっていたので、これは本当に助かった。しかしそれは結果的にはローズクォーツのライブハウスなどへの出演を事実上不可能にすることにもなったし、2012年以降のローズクォーツの音源制作の頻度も落とすことになった。
 
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初期の頃、よく花枝から電話が掛かってきていた。
「ケイちゃん、ローズクォーツの3-4月のスケジュールを組みたいんだけど3-4月でケイちゃんがふさがっている日を教えて」
「・・・3月・4月は現在全ての日が塞がっています。次空いているのは7月3日ですね」
「7月!? じゃ5月6月も空いてない?」
「全く空いてません」
「じゃ7月3日にライブスケジュール入れてもいい?」
「3日は火曜日でクォーツがお休みの日ですが大丈夫ですか?」
「あぅ・・・」
 
という訳で、その内花枝はもう私を入れてライブをするということは諦めてしまったようであった。
 
「あ、8月11日にサマーロックフェスティバルがあるから、これにお呼びが掛かる可能性があるんだけど、それ都合つくかな?」
「8月11日は1年ほど前から私・政子ともども町添さんの予約が入っています」
「1年前から〜!?」
 
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