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■夏の日の想い出・第四章(4)

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その件は幸いにも週刊誌などには感づかれずに済んだが、一部気付いたファン(政子や奈緒など)もいたようである。ただ気付いた人も、みんなあまり言わないようにしていたようである。
 
そしてこのイベントの本来のKARIONの出番では、私はキーボードを弾きつつコーラスやカウンターを入れて、『宇宙戦争』『愛の悪魔』『渚の恋人たち』
を演奏した。
 
なお、私はこのイベントではずっとダースベイダーをしていたので、誰にも顔を晒していない。
 
「ところでさぁ、考えてみたら、ヴァイオリンは冬子さんの方がうまいよね?」
と夢美は言った。
「キーボードは当然夢美ちゃんの方がうまい」
と私も言った。
「逆にしちゃいけなかったんだっけ?」
「でも私がこのユニットの正キーボード奏者だから」
などと私が言ったら、横から和泉が言う。
「じゃ、冬はこれから毎回KARIONのライブではキーボード弾いてよ」
「えっと・・・」
「覆面してもいいよ」
「うーん・・・」
 
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KARIONとスイート・ヴァニラズの関わりはそんな感じであったが、ローズ+リリーとスイート・ヴァニラズの関わりは2010年、私たちが大学1年の時の夏に始まる。
 
この年のサマーロックフェスティバルで、私は本番直前に倒れたスカイヤーズのBunBunの代役でスカイヤーズの歌を歌った。それを見ていたEliseと、フェスが終わった後、私は偶然横浜のプールで遭遇した。Eliseから声を掛けてきた。
 
「スカイヤーズの件、30分前に突然言われたんだって? よく歌えたね」
とEliseは笑顔で言った。
 
「たまたま知っている曲ばかりでしたので」
と私が答えると
「ね、うちの曲も歌える?」
とEliseは訊く。
 
私は
「歌えます」
と即答した。
 
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それでEliseは
「いいお返事するなあ。そういうお返事する子、私大好き」
と言って、明日の自分たちと一緒に歌わないかと言ってきた。
 
私が「明日って***ですか?」
と会場名を言うと、Eliseは本当に驚いたような顔で
「よく知ってるね」
と言い、私と政子に明日の朝、その会場に来てよと言った。
 
「私も?」と政子は驚いたが
「付き添いということで」と私はフォローしておいた。
 
それで結局、その後、ローズ+リリーはスイート・ヴァニラズの全国ツアーに帯同することになったのであった。
 
ステージでは一応私がひとりで歌ったのだが、最後の横浜公演ではEliseがマリの手を引っ張ってステージ中央に連れ出し、私とふたりで観客に挨拶した。
 
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マリにとっては、その場で歌いはしなかったものの、1年半ぶりに有料ライブの観客の前に立った瞬間であった。
 

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翌年には私たちとスイート・ヴァニラズとで「交換アルバム」という企画をした。マリ&ケイで書いた曲をスイート・ヴァニラズが演奏し、スイート・ヴァニラズで書いた曲を、私とマリのツインボーカルのローズクォーツで演奏して、各々CDを出すという企画である。
 
このアルバムは2012年1月1日に発売され、マリ&ケイが楽曲提供してスイート・ヴァニラズが演奏する『薔薇と百合の日々』が30万枚/DL, スイート・ヴァニラズが提供して、《ローズ+リリー+クォーツ》(というクレジットにした:命名は★★レコードの加藤課長である)が演奏する『甘味香子蘭』が60万枚/DL売れ、この収益は、どちらも東日本大震災の被災地に寄付された。
 
またローズ+リリーとスイート・ヴァニラズの交流には、花村唯香絡みのものもあった。
 
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そもそも私が唯香を知ったのは2010年11月27日、ドサ回りで小倉に来ていた私を、博多に居たEliseが「ケイ、飲みに付き合え」と言って呼び出したので、私が新幹線で小倉から博多へと移動して、彼女たちのライブ打ち上げに付き合った時であった。その時、スイート・ヴァニラズのライブにゲスト出演した唯香がいたのである。当時、私は唯香がまさか男の子だとは思いも寄らなかった。
 
結局唯香は翌年11月に性別をカムアウトするに至るが、それを受けて★★レコードは唯香の次のCDの楽曲を、スイート・ヴァニラズとマリ&ケイから1曲ずつ提供してもらえないかと打診してきた。
 
★★レコードとしては唯香は性別カムアウトによってアイドル歌謡は歌わせられなくなってしまったので、その後の路線として、ロック系がいいのか、ポップス系がいいのか見極めたいと考え、スイート・ヴァニラズからロック系の曲、マリ&ケイからポップス系の曲を提供してもらって様子を見たのである。
 
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結果的には両者の個別ダウンロードや有線・カラオケでのリクエスト数は拮抗していた。それでその後結局、唯香は両者から1曲ずつ提供されたCDをリリースしていく路線が定着してしまうのである。また唯香の音源制作にも、Eliseたちと私たちの両者が立ち会い、実質的にスイート・ヴァニラズとマリ&ケイの共同プロデュースのプロジェクトという様相になった。
 
その花村唯香は2013年1月に性転換手術を受けたので、7月いっぱいまで休み、8月から新曲の音源制作に入った。今回もスイート・ヴァニラズとマリ&ケイから楽曲を提供したのだが、私たちもLondaも予定が空かなかったため、8月13-16日のお盆の最中に音源制作して9月18日(水)に発売された。
 
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発売日は、私たちはどっちみち休養中だしそもそもイギリス旅行中だったが、新曲の発表記者会見には Londa が同席してあげた。唯香は席上、この半年間の休養が性転換手術のためであることを認めたので、翌日の新聞の見出しを賑わしていたらしい。その話題性もあって、曲は初動で8万枚売れて、彼女にとって2枚目かつ前作に続くゴールドディスクとなりそうな雰囲気であった。
 

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スイート・ヴァニラズは、XANFUS, AYA, スリーピーマイスとも、それぞれ個人的なレベルでの交流を持っていたし、AYAにも楽曲を提供したことがあった。それで 2013年の1月に「08年組」でCDを制作する企画が持ち上がった時、そのプロデューサー役を引き受けてくれたのであった。
 
結局私たちは、そのCDが物凄く売れたことから、ジョイントライブまで開くことになった。ライブでは、08年組のメンバーが並び、Londaがピアノを弾きEliseがメンバーと握手をするような演出もあった。
 
全員が多忙な中、無理矢理スケジュールを調整して実施したジョイントライブだったが、結構楽しかったね、またその内やりたいね、などと言っていたら、その僅か2ヶ月後に、また「08年組」で演奏する機会が訪れた。
 
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8月10日のサマー・ロック・フェスティバルと翌日の震災復興支援ライブでスイート・ヴァニラズが出場予定であったが、これがEliseの妊娠発覚のため出場できなくなった。それで急遽、08年組で編成した《スイート・ヴァニラズ・ジュニア》で代替演奏したのである。
 
リードギター音羽、リズムギター小風、ベース美空、キーボード和泉、ドラムスが私で、フルート光帆、ヴァイオリンがマリ、オタマトーンゆみ、という編成で、スイート・ヴァニラズのヒット曲を演奏した。
 

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結局、スイート・ヴァニラズは、Eliseの産休明けまで、Eliseの妹のAnnaが、Eliseの代理のリードギターを弾くことになった。その件で私はEliseに呼び出され、AnnaがEliseの代理をしている間、Annaが所属しているバンドの他のメンバーに仕事を与えて欲しいと言われて、ちょうどローズクォーツが抜けた後の渡部賢一グランド・オーケストラのリズムセクションに彼女たちが入るようにした。
 
またEliseは、妊娠以来、詩が書けなくなってしまったということで、スイート・ヴァニラズで来年春に発売するアルバムのための曲を6曲、マリ&ケイで提供してもらえないかと頼んできた。
 
しかし私はその6曲の作曲を青葉に「下請け」に出した!
 
『聖少女』と同様に、マリ&ケイ+リーフの名前でクレジットすることにした。
 
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青葉は私がスイート・ヴァニラズ向けに選んだ6篇の政子の詩に、とても可愛い曲を付けてくれて、EliseもLondaも
 
「おぉ、可愛い! 5歳くらい若返ったつもりで演奏しよう」
などと言っていた。
 

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ところで、私と政子は2008年12月の大騒動以来、2011年夏までローズ+リリーの活動を休止していたのだが、私と政子の音楽活動自体は、実はあまり停まっていない。
 
特筆すべきもののひとつはソングライト活動で、私たちは2009年秋から鈴蘭杏梨の名前で kazu-mana などに楽曲の提供を開始し、2010年秋からはマリ&ケイの名前で、スリファーズ、SPS、ELFILIES にも楽曲を提供しはじめたし、他にも多数のアイドル歌手などにも曲を書いた。実際問題として、私たちの収入の大半はこういうソングライト活動によって得られている。
 
一方歌手としての活動も実はあまり長期間は停止していない。高校時代の秋、鈴蘭杏梨の活動とだいたい同じくらいの時期から、私たちはロリータ・スプラウトというプロジェクトを始めた。発端は政子が「歌いたい!CD出したい!」と言ったことで、それで「じゃ、お父さん説得してローズ+リリーのCD出そう」と私は言ったのだが、政子はまだローズ+リリーとしては歌えないと言ったのである。
 
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それで政子が「自分たちが歌っているとは気付かれないように歌いたい」などと言うので、声を変形させるソフトを使用して、洋楽カバーを歌ったアルバムを制作することになったのである。
 
このシリーズは基本的に配信・レンタル限定で発売されている。2009年10月にArabesque/Lillix, 2010年4月にVanilla Ninja/t.A.T.u., 2010年10月にMadonna/Stevie Wonder, 2011年5月Carpenters, 2011年11月Berbra Streisand, 2012年5月The Beatles, 2012年12月Queen, 2013年5月Nolans/ABBA, と、だいたい毎年2枚のアルバムを発表しており、毎回10万DL以上のセールスを上げていて、ファンサイトも多数できている。
 
メンバーの名前も公開されていないため、初期に出来たファンサイトの主催者数名がチャットで話し合って、勝手に、アン・エミー・バーニー・リンダという名前を付けてしまった!(歌声の分析で4声で歌っていることは確定)その後できたファンサイトもこの名前を踏襲している。
 
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★★レコードにライブはしないんですか? とか、メンバーのプロフィールを教えて下さい、といった問い合わせは結構あるものの、プロフィールは本人たちの希望により非公開。ライブの予定はありません、という回答をしている。また勝手に付けられた名前について本人達は割と気に入っている、とも回答したので、この名前は準公式のものとみなされている。
 
しかしこの秘密主義は色々憶測も呼んでいる。中には突飛なのもある。 
 
・メンバーのうち2人(アンとエミー)の英語の発音が必ずしもうまくないのでアメリカ人やイギリス人でないことは確か。
 
・リードボーカルの子(仮称アン)の歌唱力が4人の中でいちばん低いのはとっても不思議。なぜいちばんうまいリンダがリードボーカルを取らないのだろうか?ただアンはこの3年間にかなり歌が上達したことは認める。
 
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・多分GReeeeNなどと同様に公的な職業に就いているから顔出しできないのでは? 学校の先生か、お役所勤めか、あるいは弁護士や医師か。
 
・もしかしたら、表に出られない人たちなのかも。刑務所の長期服役囚とか。(アヤ・エイジアか!?)
 
・いや、実は不法入国者のユニットだったりして。
 
・実は男だったりして(う、鋭い!)
 
・実はロリータ・スプラウトは存在していない。ボカロイドなのかも。所属芸能事務所が無いっぽいのがその証拠。
 
ロリータ・スプラウト宛てのファンレターは★★レコードで受け取っており稀にだが、お返事がもらえる場合もある。その場合、文章はパソコンのプリンタで印刷されていて、最後に4つのサインがある。
 
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なお、5月のアルバム発売時に次のアルバムは2014年の1月か2月に発売されることを公表している。
 

さて、私と政子は2013年7月から2014年3月まで、卒論作成を含む卒業準備のため音楽活動を休養することにしていたのだが、その間のローズクォーツの代理ボーカルとして、《覆面の魔女》の2人を起用した。
 
本当はシレーナ・ソニカ(音の魔女)といって、槇原愛のバックでベースとドラムスを演奏しているふたりなのだが、ちょうど槇原愛が大学受験のため休養に入るので、覆面をかぶって、こちらに出てもらうことにしたのである。
 
しかしふたりのお陰でローズクォーツは約2年ぶりにライブハウスでの活動を再開することができた。最初はタカなども代理ボーカルというので客の反応はどうだろうかと不安だったものの、充分な歌唱力を持つ2人ということで、客の反応は上々だったようであった。名前と無関係に純粋に《音楽》を楽しんでくれる雰囲気がライブハウスにはあった。
 
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そこで11月4日、私とタカは、UTPの花枝、★★レコードの氷川さんと加藤課長、町添部長まで交えて《覆面の魔女》が(槇原愛の休養明けで)使えなくなる4月以降のローズクォーツの活動について話しあった。
 
 
 
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夏の日の想い出・第四章(4)

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