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■夏の日の想い出・第四章(2)

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「冬ってさ、高1の頃から、何だか無茶苦茶忙しくしてたよね」
 
と政子は訊いた。
 
「そうだね。高1の1学期だと水曜と土日にバイトしてたかな」
「ハンバーガーショップとスタジオだよね。でもそれだけじゃないよね?」
「あ、えっと・・・あちこちのバックダンサーとかコーラス隊とかにお呼びが掛かってたかな」
「それって、男の子のダンサー?それとも・・・」
「女の子のダンサーが多かったかな」
「つまり、女の子の服を着て踊っていたのね?」
「うん、まあ・・・」
「ふふふ。その当時の写真見たいなあ」
「そんなの無いよぉ。踊っている自分を撮れないし、バックダンサーまで撮影する人なんていないし」
「ほんとに無いのかなあ。縛り上げて確認しようかなあ」
「もう・・・・」
 
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私が多忙なのは、なんといっても「マリ&ケイ・ファミリー」「マリ&ケイ・カズンズ」への楽曲提供の仕事が非常に繁忙になっていたせいである。他にもローズ+リリーでFMの番組を持っていたし、この年の後半には、テレビのバラエティ番組にもふたりで出演した。
 
ローズクォーツの2012年のライブ活動は、むしろ私抜きであちこちに出かけていく伴奏での仕事の方がメインであった。これは歌の伴奏なのでボーカルの私は不要であり、マキ・タカ・サト・ヤスの4人での活動である。そしてその伴奏の仕事の中でも最も大きかったのが、スリファーズのバックバンドとしての活動であった。
 
スリファーズは2012年に4枚のシングルと2枚のアルバムをリリースしている。これの音源制作でローズクォーツは伴奏を務めたし、春と秋に行った全国ツアーや、サマーロックフェスティバルを含む夏フェス6ヶ所に出演したのでもバックバンドを務めている。
 
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ローズクォーツよりスリファーズの方がずっと大きなセールスを上げていることもあり、wikipediaには、ローズクォーツの説明として「ローズクォーツは日本のロックバンドで、スリファーズのバックバンドとして知られる」などと書かれるに至る始末であった。
 

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ローズクォーツがライブハウスから遠ざかったもうひとつの要因は警備上の問題があった。
 
2010年秋から2011年初め頃に掛けての「ドサ回り」はほとんどまともな宣伝をしないまま、いきなり現地に行って公演をしている。その時点ではローズクォーツというバンド名はほとんど知られていなかったこともあり、私が出演することは実際問題として事前には知られていなかった。
 
私が全国を駆け巡ることがある程度知られている状態で全国キャンペーンをしたのは結局2011年12月の『起承転決』のキャンペーンが最初である。この時はHNSレコードやショッピングモールなどを廻っているが、だいたいイベントスペースや付属の小ホールなどを使い、警備員も立たせて行っている。但しこの時は私がマイナスワン音源を使って歌ったので、まだコントロールがしやすかった。
 
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しかし2012年8月に行った全国キャンペーンではローズクォーツをバックに私が歌ったし、ステージには立たなかったものの、マリもステージ傍で控えていたので、幾つかの会場で観客が興奮し、ステージに近づいて警備員に押し戻されるケースもあり、一部の会場では演奏を一時中断して、私が「皆さん、着席して聴いてください」と注意を呼び掛ける事態もあった。
 
そこで2013年1月に行ったローズ+リリーとローズクォーツのジョイント・キャンペーンでは、もうその手のイベントスペースは避けてホールを使用し通常のコンサートと同様の形式で演奏をしたのである。
 

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2013年の後半、私とマリは大学の卒論を書いたりする卒業準備のため、音楽活動の一時休止を宣言した。そして、私たちが休んでいる間のローズクォーツの代替ボーカルとして《覆面の魔女》のふたりを指名した。そしてこのふたりをフィーチャーして、ローズクォーツは2年ぶりにライブハウスでの活動を再開したのであった。
 
「ケイをボーカルにしたローズクォーツではもう今後ライブハウスでの演奏は危険、というより不可能だと思う」
とタカは言った。
 
「アルコールが入っている観客の動きは、ライブハウスのスタッフだけではとても制御できないよ」
 
「いっそ、毎年色々なボーカルを客演させるのもいいんじゃない?」
などと政子も言った。
 
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私としてはちょっと寂しい気もしたのであるが、私も次第にそれもひとつの選択肢かも知れないというのを考え始めていた。
 

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2008年12月のロシアフェア以来、長くステージから遠ざかっていたマリは、2011年12月のマキの結婚式披露宴での歌唱、2012年3月の熊本および鬼怒川温泉での歌唱を経て、ついに2012年4月、★★レコード創立20周年記念シークレットライブでステージ(沖縄)に復帰した。
 
事前に誰が出演するのかは伏せておいて、幕が開いて初めて出演者が分かるというもので、全国のFM曲で観覧者を募集して開いた無料コンサートではあったし、会場も1000人クラスの小さなホールではあったが、それでもとにかくマリはステージに復帰した。
 
なお、このシークレットライブは全部で7回開かれている。他の6組の出演者は、6月福岡がXANFUS, 8月大阪がアイドルグループのFireFly20, 10月名古屋がKARION, 12月金沢がDream Waves, 2月横浜が新人歌手の杉田純子(★★レコードと雑誌社が共同主催したオーディション優勝者)、そして最後の2013年4月札幌はスカイヤーズであった。
 
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沖縄でのシークレットのライブの後、マリは、8月のサマーロックフェスティバルで突然空いてしまった枠の代替で歌った。出演予定のmurasakiが首都高で事故に巻き込まれ、身動きできなくなってしまったためだった。
 
更に10月には札幌で前日に発表、即チケットを発売するという突発ライブで歌い、12月には、本当に4年ぶりに普通の形でチケットを販売した大分ライブで歌った。
 
そして政子は来年は6回くらいライブをしたいと楽しそうに語った。
 

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高3から大2まで長い期間ライブ活動を休養していた政子がステージに復帰することになった理由としては、色々な要素はあったが、やはり震災後の東北ゲリラライブが直接的なきっかけとなった。
 
私と政子は震災から2ヶ月経ち、私の性転換手術の痛みも少しは落ち着き始めた2011年5月11日を皮切りに「何かしなければならない」という思いに動かされて、度々楽器を持って東北のどこかの町を訪れ、路上ライブを行うようになった。このゲリラライブは2013年3月11日まで合計20回に及んだ。
 
2011年7月にゲリラライブをした時、サインを書いた女性に政子は「きっと東北はすぐに復活しますよ」と言った。それに対して彼女は「ローズ+リリーはいつ復活しますか?」と尋ねた。すると政子は少し考えてから、今月か来月には復活すると言った。そして帰り道の新幹線の中で私に、CDを作ろう。数ヶ月以内にはステージにも復帰したいと言った。
 
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「だって私たちも何かしなくちゃ。もうお休みはおしまい」
とも政子は言っていた。
 
そこで私は町添さんと一緒にCD制作の準備を始めたのだが、実際にはこのCDはローズクォーツの『夏の日の想い出』の制作に置き換えられることになった。
 
ただ『夏の日の想い出』はローズクォーツのCDとしてリリースされたものの、実際には全ての楽曲を私とマリが歌っているので、実質ローズ+リリーのCDと言った方が良かったし、クレジットも当初は《ローズクォーツ with ローズ+リリー》だったのが最終的には《ローズ+リリー ft. ローズクォーツ》と改められている。
 
そしてその後、私たちはあらためてきちんとローズ+リリーの名義で年内に『涙のピアス』『可愛くなろう』をリリース。年明けてから『天使に逢えたら』
を出して、春にはマリのステージ復帰へとつながっていくのである。
 
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2012年の札幌や大分でのライブを前に、政子は一時帰国してくれた両親も同席して須藤さんと話し合いを持ち、契約事項の見直しを行って、人前では歌わないという条項を撤廃した。「学業に支障の出ない範囲で」歌って良いということにしたのだが、お父さんが折れてくれた背景には、やはり『神様お願い』が300万枚という物凄いセールスをあげ、それを事前の契約に従い、粗利の全額を震災の被災地に寄付したことがあったと思う。
 
それで契約上も自由にライブ活動できるようになったローズ+リリーは、年明けて2013年からは、2月に名古屋、3月に福島(地元優先突発無料ライブ)、5月に仙台で単発のライブをした後、7-8月に台湾公演を含む6ヶ所のホールツアー、そして8-9月に福岡・横浜・大阪という3ヶ所でのアリーナツアーを行った。チケットは全て瞬殺であった。これらの観客動員数は合計6万人で、チケット売上だけでも総額約4億円であった。(グッズの売上げはもっとある)
 
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ところで政子のお父さんは政子が高2の時からずっとタイに居た。それでこれまでローズ+リリーという歌唱ユニット、マリ&ケイというソングライトペアの活動をあまり間近に感じていなかった。
 
それが2013年の春に5年ぶりに帰国して、当初は東京都内で本社付けで勤務していたものの、6月から仙台支店長として赴任し、現場で営業の前線に立った。すると政子のお父さんは、そのことを意識せざるを得なくなったのである。
 
外回りで出て行く先、出て行く先で客から訊かれる。
「もしかして、ローズ+リリーのマリちゃんのお父様ですか?」
 
打ち合わせの席に若い人がいると、名刺を見た瞬間訊かれることもあった。
 
すぐに訊かれなかった場合でも、営業前後の雑談(基本的に営業の話というのは95%くらいが雑談で、ビジネスの核心は5%程度である。しばしば3時間ほど延々と雑談して最後の5分で契約に至ったりする)の中で家族のことを訊かれて、お嬢さんは学生さんですか、などと訊かれて
 
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「ええ、大学生で。なんか歌手の真似事してるみたいなんですけど」
などと言うと
「え? もしかして、お嬢さんって中田政子さん?」
 
などと言われて、お父さんがびっくりするというパターンもあった。
 
「ローズ+リリーのマリさんが『歌手の真似事』は無いですよ。トップスターじゃないですか」
「他の歌手にもたくさん楽曲を提供している大先生だし」
「多分、★★レコードの売上の半分を稼ぎ出してますよね」
 
などとも言われた。
 
実際、政子のお父さんとしてはローズ+リリーなんて、大量にいるアイドル歌手のひとつにすぎないくらいの認識だったので、まさかその片割れの父親のことまで知られているとは思いも寄らなかったのであった。(実名までは報道されていないが、父親の勤務先はけっこう週刊誌が書いていたし、仙台に赴任したことも知られていた)
 
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それで、ローズ+リリーのサインをもらえませんか? などという話もしばしば持ち込まれたし、ライブのチケットを取れませんかなどという相談も持ち込まれた。
 
この件について、私と政子は、花枝と相談した。
 
「通常はサインはサービスだから無料でするのだけど、この場合、お父さんの営業の目的になるから、有料にせざるを得ないね」
「じゃ色紙代込みで1枚1000円ということで」
 
ということで料金を会社の営業費用から出してもらうことにした。それでも、毎週結構な枚数のサインを頼まれて書いていた。
 
なおチケットは関係者枠で取れる範囲で都度対応したが、お父さんは
「お前らのライブのチケットって6000円もするの!?」
などと驚いていた。
 
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そのあたりは政子はさっぱり分かってないので私が代理でお返事した。
 
「消費税入れて6300円ですね。アリーナツアーは大会場なのでお祭りのようなものということで6000円にしたのですが、ホールツアーは会場が小さくて音質が良く、しっかり鑑賞してもらえる分、8000円、消費税込み8400円にさせてもらっています」
 
「ひぇー!? そんな高いチケット買う人が何百人もいるんですか?」
「今回、ホールツアー18000席、アリーナツアー33000席、全て発売開始後1分以内に売り切れています」
「ぎゃー!!」
 
しかし、このようなことがあって、政子のお父さんも、ひょっとしてうちの娘って大物歌手なのかも、という認識を次第に持つようになってきたのである。
 
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そこでお父さんは10月の初旬、東京本社での営業会議に出るのに上京した機会にうちのマンションに寄って言った。
 
「政子、少し考えたんだけど、お前の歌手活動については、今後はお前と冬子さんとの良識に任せることにする」
 
「ありがとう。私も大学卒業したら少し頑張ろうかなと思ってる。今まで限定的な活動でファンの人たちを待たせてばっかりだったから」
 
ちなみに、政子のお父さんは、単独でうちのマンションに来訪できる数少ない男性のひとりである(単独で来て良いのは、うちの父、政子の父、姉の夫の小山内和義さんの3人だけ。なお性別は法的なものではなく実態上のものなので、あきらさんや淳さんもひとりで来訪可能)。
 
「まあでも卒論を12月頭にちゃんと提出して、滞りなく卒業できての話だぞ」
「うん、頑張ってるよ」
 
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「政子さんの論文はもうだいたい9割方完成しています。校正しながら論考の不足しているかもといった付近を加筆したりしている段階です」
「それは良かった。冬子さんの方はどうですか?」
「冬はまだ3割だよね?」
「うん。これから頑張る」
 

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私たちは歌手活動や楽曲制作活動をしながら、多数の歌手・ユニットと交流している。
 
私たちが楽曲をコンスタントに提供しているのは、ローズ+リリー、ローズクォーツ以外に、スリファーズ、SPS, ELFILIES, そしてスターキッズ、といった《マリ&ケイ・ファミリー》と呼ばれるユニットが主で、この他にパラコンズにもコンスタントに楽曲を提供しているが、パラコンズは制作には関わっていないので、むしろ《マリ&ケイ・カズンズ》に分類されている。
 
他にカズンズに分類されているのは、富士宮ノエル・坂井真紅・小野寺イルザ・山村星歌・鈴鹿美里といったアイドル歌手たちや、元アイドルの歌手花村唯香などである。
 
花村唯香は雨宮先生がカラオケ屋さんで見いだしてデビューさせた歌手であるが(例のカラオケ対決で、雨宮先生に3連勝したらしい)、最初水上先生に楽曲を提供してもらってアイドルをしていたものの、あまりセールスは振るわなかった。ところが、2011年11月に放送局などに「花村唯香は男である」という謎の密告文書が大量に届き、念のため本人に尋ねた所、あっさり戸籍上は男性であることを認めた。
 
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それで大騒動になったというのでは、まさに私と全く同じコースを辿ったのだが、それでさすがにアイドルとして売り出せなくなったので、私たちと、スイート・ヴァニラズとで1曲ずつ楽曲を提供して売り出すと、その路線が当たり、今ではすっかり人気歌手として活躍している。
 

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