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■夏の日の想い出・セイシの行方(1)

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(C)Eriko Kawaguchi 2013-03-19
 
それは2029年の夏であった。
 
小学5年生のあやめと夏絵は、学校の性教育で精子だの卵子だのといった話を聞いて、うちの8人の子供たちのことで、それぞれどういう形で生まれたのか、誰の精子と誰の卵子から生まれたのか、というのに興味津々で、質問して来た。
 
最初、この家で暮らす4人の「親」がみんな忙しいので、たまたまやってきた真央と敏春夫妻に「自分たちを作った精子と卵子」のことを尋ねたのだが、真央の説明と敏春の説明が食い違い、ふたりとも「あれ?」「あれ?」という感じになって、結局「分からん! ママに訊いて」ということになってしまった。ここで「お母ちゃんに訊いて」と言わないところはさすがである。政子が理解しているとは思えない。(だいたい自分が産んだ子が誰と誰かというのさえ時々勘違いしていることがある。子供たちの誕生日も覚えないし!)
 
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それであらためてあやめと夏絵に訊かれて、私は8人の子供たちひとりひとりについて、どういう形で生まれてきたのかを丁寧に説明した。
 
「夏絵はお母さん(リンナ)とお母さんの前の旦那さん・大輔さんとの間の子供だよ。大輔さんがお母ちゃん(政子)と結婚する予定だったけど式を挙げる前に亡くなったから、お母ちゃんが育てることにして、夏絵はこの家に来た。だから、お母さんと新しい旦那さん・俊郎さんとの間の子供、敦子ちゃんは夏絵の妹なんだよね」
 
「その話、前にも聞いたけど何だか複雑でよく分からない。でも敦子が私の妹だというのは知ってる。でもあやめの妹にはならないの?」
「あやめとは関係無い・・・と思うけど」
私は一瞬考えてから答えた。
 
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「あやめとかえでは私とお母ちゃん(政子)の間の子供、博史はお母ちゃん(政子)とお父ちゃん(貴昭)の子供、ももはママ(私)とパパ(正望)の子供、紗緒里と安貴穂は、お父ちゃんと亡くなった前の奥さん・露子さんとの子供、大輝はお母ちゃんと以前の彼氏・亮平さんとの子供だよ」
 
ふたりは「ふーん」などと言いながら聞いていた。
 
しかし。
 
「ねえ、あやめ、分かった?」と夏絵。
「なんかややこしいよね」とあやめ。
 
「でも、ももは柚や桜たちの妹だって言ってたよね?」
「そうだよ。私が赤ちゃん産めないから、麻央おばちゃんに代わりに産んでもらったからね。麻央おばちゃんの娘の柚や桜の妹でもある。それを私とパパが養子にもらったから、今は私とパパの子供なんだよ」
 
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ふたりはかなり悩んでいる。そして見つめ合ってからこう言った。
 
「やっばり何だか話が難しいよぉ」
 
「柚や桜って、私たちの従姉妹なんだっけ?」
「えっとね。梨乃香・清代歌・南帆花が、ママのお姉ちゃんの萌依おばさんの娘だから、あやめ・かえでの従姉妹になる。麻央おばさんと和義(萌依の夫)おじさんが兄妹だから、柚・桜は、梨乃香・清代歌・南帆花の従姉妹だよ」
「従姉妹の従姉妹って、又従姉妹というんだっけ?」
 
「又従姉妹というのは、従姉妹の子供同士のことだね。従姉妹の従姉妹には特に呼び方は無いと思う」
 
「私とあやめは姉妹だよね?」と夏絵。
「そうだよ。夏絵はお母ちゃんの娘、あやめもお母ちゃんの娘だから姉妹」
「ああ、よかった」
 
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「でもこないだ敏春おじさんが、大輝は私とは結婚できるけど、あやめとは結婚できないって言ってたよ」と夏絵。
 
「うん。ちょっと法律の規定が面倒でね。そういうことになってる」
 
法律の規定が面倒と言いながら、むしろ面倒なのはうちの方だよな、という気もした。
 
「それって苗字の問題? あやめと大輝は唐本で、私は中田だし」
「苗字は関係無いよ。でもあやめと大輝は卵子がどちらもお母ちゃん(政子)の卵子で産まれてるから、同じ人の卵子で産まれた同士は結婚できないんだよ。夏絵はお母さん(リンナ)の卵子で産まれてるから大輝とは結婚しようと思えばできる」
 
「大輝がもし性転換して女の子になってもあやめとは結婚できない?」
「女の子同士はそもそも結婚できないね」
「あ、そうか」
 
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「あれ?でもママとお母ちゃんは女同士で結婚してるんだよね?」
「もしかしてママが元男の人だったから結婚できたの?」
「法律上は結婚できないよ。でもママとお母ちゃんはお互いの気持ちの上で結婚してるの。こういうの内縁関係と言うんだよ。法律上結婚してるのはママとパパ、お母ちゃんとお父ちゃんだけだよ」
 
「やっぱり難しいなあ」
 
「だったら、私とあやめもナイエン関係では結婚できる?」
「まあ、好きだったら結婚してもいいんじゃない? おとなになってからまたふたりで話し合ってごらん。でも男の子と結婚しなよ」
「男の子って何か付き合いにくいよね〜」
「ほんとほんと。たいしたことできないくせに偉そうにするし」
 
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たまたまその週末、富山で暮らす青葉が「表の仕事」で上京してきたので、そんなことを娘たちに訊かれたから説明したけど、分からん!と言われたということを話した。
 
「複雑でも冬子さんとこはちゃんと科学的に生まれてるからなあ。うちのしおんはどうやってこの世に存在するようになったかを科学的に説明できないもん」
 
「和実がブール代数の古典論理では説明できないけど、ハイティング代数の直観論理では説明できると言ってたじゃん」
「あの説明、私分からなかった!」
 
「でも現実に存在してるから、いいじゃん。リアリティなんて沢山のポシビリティのひとつに過ぎないんだから。私たちは自分たちの思いで多数のパラレルワールドの中のひとつを選択している。科学なんて理屈付けのフレームのひとつに過ぎない」
 
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青葉は頷いたが不安そうな顔で言う。
 
「でも時々、しおんがいるというのは夢で、明日起きてみたら居なくて、誰もしおんなんて子供のことは知らないと言われたりしないだろうかって、不安になることがある」
 
「そういうこと悩まない方がいいよ。そんなことが万一起きたら、その時悩めばいいんだから。それより来年の入学準備で悩みなよ。結構大変だよ」
「だよねー。和実にも同じようなこと言われた」
 

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「だけど私もよく把握してないんだけど、あの8人ってそれぞれどうやって生まれたんだっけ?」
と青葉にまで訊かれてしまったので、あやめから始めて、ももまで8人それぞれ、うちにやってきた経緯を説明した。
 
するとメモを取りながら聞いていた青葉が不思議そうな顔をした。
 
「冬子さんの説明、だいたいは分かったんだけど、あやめちゃんの出生だけは納得いかない」
「へ?」
 
「あやめちゃんが生まれる前から、不思議な力を行使していたと冬子さん言ってたよね」
「うん」
「その始まりって、高校2年の時からでしょ?」
「うーん。。。。。『A Young Maiden』という大ヒット曲を書いたのが高2の6月なんだよね。そのタイトルの最初の音を取ると「ア・ヤ・メ」になっていることに気付いた時は衝撃を受けたね。だいたい赤ちゃん産む映画見て書いた曲だし」
 
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「なるほど。ということはですね。その時点ではもう、あやめちゃんは存在してたんですよ。まだ生まれてはなくても」
「は?」
 
「だから、大学1年の時に冬子さんが最後の射精をした時の精子を保存していて、その冷凍精子を使って政子さんがあやめちゃん妊娠したというのはあり得ない。存在する前の時間にまで影響を及ぼすことはできないから。あやめちゃんを作った精子も卵子も、冬子さんたちが高2の6月の時点で存在していたんだ。まだ結合してなくても」
 
「うむむ」
「卵子は女の子が生まれた時から卵巣の中にあって成熟を待っている。だから卵子は確実にあったはずだけど、精子は日々生産されるもの。だからあやめちゃんを作った精子は少なくとも高2の6月より以前に生産されたものでなければおかしい」
 
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私は大きくため息を付いた。
 

「青葉って本当に嘘をつけない相手だなあ」
と私は苦笑して、自分と若葉の2人だけが知っている秘密を話した。
 
「実はね。あやめを作った精子は高校1年の秋に採取して冷凍したものなんだよ」
「へー」
「当時、私は女性ホルモンを微量飲んで男性化を停めておくというのをもうやめて、もっとたくさん飲んで、ちゃんと女の子の身体にしてしまおうと思うようになって、それでそういうことをする前に精子を保存しておこうと思ったんだ。それに若葉が協力してくれたんだよね。夫婦かそれに準じる関係になければ冷凍の依頼ができないということだったから」
 
「若葉さんって。。。。なんか冬子さんの色々な裏を知ってますね」
「うん。私は冬の裏工作係って本人も言ってる」
 
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「で、私は結局高校2年の頃から女性ホルモンを飲む量を増やしたし、夏からはローズ+リリーを始めたから、ほぼ常時タックしておくようになって、睾丸の機能はいったん完全停止してしまったんだ。精液の中に精子が含まれないようになった」
「ああ」
 
「でも、政子が私の男性機能を回復させようと色々してくれて。それでローズ+リリーの活動休止中の高3の夏に精子がいったん復活した」
「しぶといですね。私も睾丸の完全停止には苦労したけど」
「でも当時の精子は活動性が凄く悪くて、これはもし女の子とセックスしても妊娠させることはないかも知れないなと思ってた」
「なるほど」
 
「でも政子はそんな私の精子をまさに搾り取って冷凍保存してたんだよね」
「わあ」
「で、政子はその時の精液であやめを妊娠したつもりでいるんだよ」
「そこに何かあるんですね」
 
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「その冷凍保存していた病院が数年後に倒産してね」
「はい」
「保管されていた冷凍精液は別の病院に移管されることになった。政子はその話をどうもニュースで知ったみたいで、病院に自分が冷凍依頼しておいた精液を確実に移管しておいて欲しいと連絡した」
「ええ」
 
「ところがさ。病院は照会されたから調べてみたものの、該当する精液が無い」
「へ?」
「それでこちらに電話があったんだけど、その時ちょうど政子が外出してて、私が電話を受けちゃって。向こうは女性が出たから、政子本人と思い込んでその件を私に言っちゃった」
「ほほお」
 
「その時の病院側の説明では、向こうも記憶が曖昧なのだけど、確かに冷凍保存を依頼はされたが、顕微鏡で調べてみたら、活動性のある精子がほとんど無いので、これでは妊娠不能ということで、冷凍しても仕方ないと伝えたのだと思うということで」
「ああ」
 
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「それで私、政子が不憫に思えてさ。『私27歳になったら子供産むんだ』とか良く言ってたから。私の子供を産むつもりだったんだね。それで若葉に相談して高1の時に冷凍した精液を活用することにしたんだ」
 
「その精液を本来移転されるべき病院に持ち込んだんですね」
「そうそう。ところがさ」
 
と私は笑って説明する。
 
「私も何だか暗澹たる思いの中で、その冷凍精液の1本を保管していた病院から政子が移転依頼した病院に転送してもらった後で、連絡があったんだ」
「はい」
 
「こちらに中田冬彦さんの精子と唐本冬彦さんの精子というのがあるのだが、登録されている住所が同じなのだけど、もしかして同一人物ですか、と」
「は?」
 
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「つまりだね。政子が冷凍保存を依頼した時、政子は『中田冬彦』の名前で保存を依頼していたんだ。そしてその精液は倒産した病院にあった他の精液と一緒に、その病院に転送された。ところが問い合わせた時、政子はうっかり『唐本冬彦』の名前で照会したんで、そういう名前の精液は無いってことになっちゃったんだね」
「なんとまあ」
 
「で、『中田冬彦』の精液の方は、妻の名前は中田政子、『唐本冬彦』の精液の方は、妻の名前は山吹若葉になってた。で、妻の名前が違うものの夫の下の名前と住所が同じだから、同一人物でパートナーが変わったのではないか。もしそうなら古い方を破棄する義務があるということで連絡してきた」
「うーん」
 
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「で、私はその病院に行って、『中田冬彦』の精液は精子の活動性が悪い可能性があるので、どうしてもどちらか破棄しなければならないというのなら新しい方を捨てて古い方の『唐本冬彦』の精子の方を残して欲しいと言った」
「なるほど」
 
「それで病院では冷凍している両方の精液の一部を削り取って解凍して確認してくれた」
「わあ」
 
「結果、確かに私が言ったように『中田冬彦』の精液には活動性のある精子が含まれていなかった。でもこれは顕微鏡受精なら行けるはずと先生は言った」
「確かに」
「これは想像なんだけど、政子はこれでは妊娠不能だから冷凍しても意味無いと言われたものの、顕微鏡受精なら行けるから冷凍してと頑張ったんだと思う」
「ああ。で、結局どうしたんですか?」
 
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「もう私が去勢して性転換もして、精子を生産できない身体であることを説明して、それでも中田政子とは事実上の夫婦関係を維持していることを説明した上で、将来子供を作りたいから、元気な方の精液を基本的に残したいけど、人工授精は失敗することもあるから、保険として可能なら活動性の悪い精子の方も一応保存しておいて欲しいとお願いした」
 
「それが認められたんですか」
「うん。物凄く特殊なケースなので、この問題に気付かなかったことにすると先生は言ってくれた」
「よかったですね。じゃ、両方残されたんですか」
 
「うん。でも出庫する場合は、『唐本冬彦』の精液を先に出して、それを使いきったら『中田冬彦』の精液を使うということにしてもらった。『唐本冬彦』
の精液は半分に分割できる容器に入っていたから、2回トライできた。だからその1回目で生まれたのがあやめ、2回目で生まれたのがかえでだよ」
「じゃ『中田冬彦』の精液は?」
「まだ残ってる。毎年保管料を払ってる。でも政子がこれを使うことはないだろうね。これだけ既に子供がいるから」
 
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