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■夏の日の想い出・セイシの行方(4)
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私はちょっと試してみることにした。
リビングのテレビモニターの上、本棚の上、FAXの横、お人形さんケースの上に、全く同じボールペンケースを4つ置いた。
その日の夕食時、ちょうどトイレで中座して戻って来た、かえでに声を掛ける。
「あ、かえで。紫色のボディーのボールペンの入ってるケース取ってくれない?」
「ん?これ?」
と言って、かえでは迷いもせずにFAXの横に置かれていたボールペンケースを取って私に渡してくれた。
「ありがとう」
私はその箱を開けて中にある紫色のボールペンを取り出し、コピーしたバンドスコアに修正内容を記入していった。そしてとても楽しい気分になった。
「かえではさ、自分が産まれる前の記憶とか無い?」
「うーん。。。。あれかなあ」とかえでは遠くを見るようにして言う。
「私、お友だちと一緒に歩いてたの。そしたら、何か後ろから怖い人たちが来るって言われて」
「ふーん」
「それで、お友だちの何人かが、ここであいつらを食い止めるから、お前たち先に行けって言われて」
「わっ」
「それで3〜4人のお友だちと一緒に走って。私がめげそうになると手を引いたり押したりして助けてくれて。それで明るい所に辿り着いて、ほら、かえでちゃん頑張ってと言われて、私そこに飛び込んだんだよね」
「ほほお」
「それで私産まれた気がするんだ」
「へー」
「昔は、精子って、ひとつひとつが全部競争で卵子を目指す、マラソン競技みたいな形で受精に至るって思われてたんだけど、今ではチームを組んで受精を目指すことが分かってるんだよね」
と奈緒は言った。
「数個の精子でチーム組んで、ガード役とか露払い役とかがいて、中心になっている精子を助けてくれる。そしてそのチームで卵子の所まで辿り着くと、中心となった精子が受精する」
「なるほど」
「そのかえでちゃんの話って、まさにそういうチームプレイを表している気がするね」
と奈緒は楽しそうに言った。
「だけどかえでちゃんは勘の良い子だよ。冬んちに行って子供たちと遊んでいる時に時々思うことある。あの子、めったに叱られることないでしょ?」
「ああ。叱られるのはだいたい大輝だね」
「大輝ちゃん、特に要領が悪いんだもん。かえでちゃんはうまく逃げちゃう。そろそろ叱られるなというのが、分かるんだよ、あの子。そのあたりの勘はお姉ちゃんの、あやめちゃん以上だと思うよ」
「なるほどねぇ」
「ところでさ」
「うん」
「私、実は冬の精液持ってるんだよね」
「へ?」
「中学や高校の頃に何度かちょっと危ない遊びしたじゃん」
「うん、まあ」
「射精させたりもしたでしょ。冬って勃起しないからセックスはできなかったけど、柔らかいまま射精はしてたもん」
「まさか・・・」
「精子の冷凍っての一度やってみたくてさ。理科の実験気分でドライアイス使って瞬間冷凍して。野菜のフリーズドライ作る実験とか何度かやってたからその要領で」
「私の精子は野菜並みか?」
「うまく冷凍はできたと思ったけど、自分ちの冷蔵庫では保管は無理だから、後は医学部に行ってる従姉に頼んで、大学の設備で保管してもらった」
「うむむむ」
「適当な保管の仕方だし20年も経ってるから、たぶんもう死んでるかなあと思ってこないだ一部削り取って解凍してみたんだけどね」
「うん」
「元気に精子が泳いでたよ」
「あはは」
「精子って丈夫なんだね。もし隠し子とか作りたくなったら、あげるね」
「いや既に子供8人もいるから要らない」
「そう?じゃ、私が自分で使っちゃおうかなあ。私もそろそろ妊娠できる年齢の上限近づいてるし」
「ちょっと待って」
2029年12月。私は事務所からの緊急の連絡を受けた。
「何ですって? 分かった。すぐ行く。病院はどこ?」
上の階で寝ていた政子を起こし一緒に出かけようとしていたら、1階の作業部屋に入って一緒にピアノの練習をしていた、あやめとかえでが顔を出す。
「どうしたの?」
「ママたちの会社の社長が車に跳ねられたの。すぐ行かなくちゃ」
「どのくらいの怪我?」
「分からないけど、今緊急手術している」
あやめとかえでは顔を見合わせた。
「ママ、社長さんは大丈夫だよ。無事回復するよ」とかえでが言った。
「そう? ありがとう」
私はかえでの頭を撫でてあげた。
病院に行くとサト・タカと近藤さん・七星さん夫妻が来ていた。
「どうですか?」
「覚悟してくれとお医者さんから言われた」とタカ。
「でもうちのかえでが助かると言ったから大丈夫だよ」と政子。
「かえでちゃんか。。。。あの子、不思議な子だもんね」と七星さん。
「あの子が言うなら助かるかもね」
私たちはほとんど無言のまま手術の終わるのを待った。そのまま集中治療室に運び込まれる。多数の所属アーティストから連絡が入るのを副社長(*1)の花枝が
「病院に大量に集まっても他の患者さんに迷惑だし、待機しておきたいという人は事務所の方で待機して」
と伝えていた。
(*1.この時期、私と政子はUTPの経営からは離れており、社友・相談役の肩書きを持っていた。但し株式は各々17%を持っていて、ふたりが協力すれば総会での否決権を持つという立場にあった)
加害者の少年とその父親が土下座していたが、細かいことは後で話しましょうということにした。こういう場ではお互いにあまり話さない方が良い。変なことを言うと後でもめる元になるだけである。
私はロビーで富山の青葉に電話した。向こうはびっくりしていたが、祈祷すると言ってくれた。その青葉にかえでが「無事回復する」と言ったんだけどと言うと「かえでちゃんが言ったんなら間違いない」などとも言われた。
私は何か考えてしまうと、心が動揺するので、何も考えず、心を無にして控室で待機していた。時々ICUに様子を見に行くが、美智子はずっと眠っていた。頭を打っていて、そのため血腫が出来かかっていたのを開頭手術で血抜きしている。血腫がまた出来てしまうと、脳を圧迫して障害が出たり生命の維持に関わる事態もあり得る。
政子が何か書いていたので見ようとしたら「見たらダメ」というので離れる。政子は短冊のような紙に《青い清流》で何かを書いて、それを小さく折りたたんで、自分のブラの左側のカップの中に収めた。おまじないだろうか?
美智子は朝になっても意識を回復しなかった。私たちはいったん引き上げて休憩することにし、病院には管理部長の悠子が出てきて代わりに待機することになった。しかし、悠子が病院に来た時、その顔色が物凄く悪いのに驚く。
「悠子、大丈夫? 何だか悠子に付き添いを付けないといけない感じ」
「あ。大丈夫だよ。ただ昨夜は寝てないから」
「寝なきゃダメだよ! やはり誰かに一緒に居てもらおう。旦那さんは?」
「会社に行った」
「じゃ事務所から誰か出してもらおう」
と言って、私は徹夜待機していた副社長の花枝と交代で事務所に待機している制作部長・専務の夢花に連絡する。すると取締役営業部長の窓香に病院に行ってもらうということになったので、窓香が到着するまで私が悠子と一緒にいることにした(政子はタクシーで家に帰した)。夢花は最初若い子を誰か行かせようかと思ったものの、悠子に少し強いことが言える人でないとやばいと判断して窓香にしたようであった。
(UTPの社員番号が 1.美智子 2.花枝 3.悠子 4.夢花 5.窓香 である。この5人は若い社員たちからしばしば「Big5」とか「雲の上の五人」と呼ばれていて、UTPグループを大きく成長させた中核とみなされている)
「でもどうしたの? 朝から交替してもらうから寝ててって花枝から言われたんでしょ? それなのに徹夜しちゃうなんて、悠子らしくない」
「ケイさん、口が硬いよね?」
「ん?」
「あのね。私と社長だけの秘密だったんだけどね」
「うん」
「社長は私の実のお母ちゃんなの」
「え?」
「お母ちゃんがソロ歌手としてデビューしたものの全然売れなくて生活にも困っていたような時期に、若いロック歌手との間に出来たのが私だったの。でも貧乏で育てきれないから、子供の居なかった親戚の家に養女に出されて」
「そうだったんだ! 美智子ったら、私と一緒で自分も子供残せなかったとか言ってたのに。隠し子してたなんて。でもなんで内緒にしてたの? 堂々と母娘と名乗ってもいいのに」
「UTPを同族会社にしたくないからだよ。社内ではBig5の中で私だけが取締役になってないのは、社長から嫌われてるからではとか花枝と相性が悪いからでは、なんて噂もあるみたいけど、自分の子供を役員にすれば後継者と思われて、いちばん頑張ってる花枝に悪いから敢えて役員にしてないんだよね。そういうのもあって、苗字が違うのをいいことに、そもそも母娘であること自体を公表してない」
「そうだったのか。。。。ロック歌手と言ったけど、悠子のお父さんって有名な人?」
「百道良輔って言うんだけど」
「・・・・百道大輔の兄ちゃん!?」
「うん。認知はしてもらってたけど、お陰で死んだ時は速効で相続拒否の手続きしたよ。なんか莫大な借金あったみたいね」
「あの事件の後、百道のお母さんは破産する羽目になったしね。あれ?ちょっと待って。。。じゃ、悠子って、うちの夏絵の従姉なんだ!?」
と私は頭の中で情報を整理しながら言ってみた。
「えへへ。そうなるかな。親子ほど年は違うけど。マリさんが百道大輔と付き合い始めた時はびっくりしたよ。でも私、百道の家とは完全に縁が切れてて交流無いし。お母ちゃんはよく会いに来てくれてたんだけど、お父ちゃんは私、写真でしか見たことないの」
「そうだったのか。うちに来て夏絵と会ってあげてよ。自分の従姉だって聞いたら夏絵、すごく喜ぶよ」
「いいのかなあ・・・あれ?かえでちゃんは違うの?」
「かえでの父親も百道大輔と思ってる人多いよね。でもかえでの父親は私なんだよ。これ誰にも言わないでね」
「うっそー!」
「それとひとつ」
「はい」
「少し寝なさい。控室に布団があるから。お医者さんに睡眠薬出してもらう?」
「でも・・・」
「これUTPの大株主、そして義理の叔母からの命令」
「あはは」
私は医師に「他の見舞い・付き添いには話さないで欲しいが、この子は患者の娘で、眠れないでいるので睡眠薬を出して欲しい」と言った。医師はそういう個人情報は自分たちは話さないから大丈夫と言った上で、薬を出してくれたので、悠子は素直に薬を飲んで寝た。その後、窓香が到着したので交替して私は帰宅した。
美智子は一週間眠り続けた末、意識を回復した。青葉が北陸から駆けつけてきてくれてICUで「何か」していた感じだったので、それも効いたのではないかと思う。青葉は「私は何もしてないよ。祈祷しただけ」とは言っていたが。
幸いにも後遺症なども出ず、半年後には退院することができたし、その後は前より元気になってアーティスト発掘で全国飛び回るようになったが、入院中はUTPは「Big5」の残りの4人と私、および七星さんとで運営していた。美智子は病床から悠子を常務取締役に任命し、花枝を社長、夢花を副社長、窓香を専務にして自分は会長に就任するということを指示し、臨時株主総会で承認された。
美智子が意識を回復した夜、政子がブラの中から折りたたんだ紙を取りだした。
「何か願を掛けてたの?」
「うん」
と言って見せてくれた紙には『一週間御飯は毎食1杯しか食べないので美智子を回復させてください』と書かれていた。政子らしい!
「お腹空いたでしょ?」
「空いた! でも我慢したよ」
あやめと夏絵が、心配そうにこちらを見ていた。このふたりはいわば8人の子供たちのリーダーである。紗緒里の方がこのふたりより1つ年上だが、依存心の強い性格なので、男勝りな性格のあやめ・夏絵にむしろ頼っている。
「社長さん、無事だった?」と夏絵。
「うん。意識回復したから、もう大丈夫だよ」
「やっぱり。かえでが大丈夫と言ってたから、大丈夫とは思ったんだけど」
「あの子、勘が発達してるからね」
「物が見当たらない時とかも、かえでに聞くと、すぐ見つけてくれるんだよ」
「へー」
「そうだ。あやめ」と政子は声を掛けた。
「うん」
「あんた、最近随分詩を書いてるよね」
「うん。曲もね」
「これ、あげる」
と言って《青い清流》を渡すので、私はびっくりした。
「これ、大事なボールペンじゃないの?」
とあやめが心配して言う。
「社長が入院した時にね、願掛けをしたんだけど、その願掛けの文章をこのボールペンで書いたら、ボールペンが『自分の所有権を願掛けの代償にしろ』
と言ったのよね。だから、このボールペンはお母ちゃんの手を離れて、誰かの所にやらなければいけない。それで誰に渡すべきか考えてたんだけど、あやめがこのボールペンを持つのにふさわしいという気がしたから」
と政子は言った。
「うん。いいんじゃない? あやめって、ママやお母ちゃんより曲作りの才能あるっぽいし。きっと、この子もより優秀なソングライターの所に行きたいんじゃないのかな。高岡さんの手を離れて、私たちの所に来た時みたいにね」
と私も笑顔で言った。
あやめは緊張した顔で聞いていたが
「分かった。じゃもらいます」
と言って、《青い清流》を受け取った。この後、あやめはこのボールペンを使って、たくさんの名曲を紡ぎ出すことになる。
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