[携帯Top] [文字サイズ]
■夏の日の想い出・アルバムの続き(12)
[*
前p 0
目次 8
時間索引 #
次p]
2020年コロナが発生するとタレントを遠距離に移動させるのに困難が生じることになる。この問題を解決するため、§§ミュージックはビジネスジェット機を長期レンタルするとともに何台か買うことにした。
ただ羽田が非常に混み合っており、他に首都圏に民間ジェット機の離着陸できる飛行場が無いという問題から、ムーランが中心になって、熊谷の郷愁村と小浜のミューズセンターの山の上に2000m級の滑走路を持つ飛行場が作られた。ムーランも同社の二大拠点である熊谷と小浜の人員往復に非常に苦労していたのである。
この飛行場の法的な位置づけは同じ埼玉県のホンダ・エアポートと同様、あくまで企業のプライベートな飛行場ということになっている。ムーランも旅客業務をするつもりは無い。しかしこの2つの飛行場がもたらした感染防止効果は建設に掛かった費用(約500億円/ケイとコスモスの出資額は合計100億円)を遙かに上回ると思う。万一アクアや常滑舞音がコロナに感染したらその被害は数千億円に及ぶ。
そして2021年コロナ下でアクアの写真集を撮影する魅力的な場所として鏡迷宮を作ろうということになり、Muse Town の更に上の土地を切り開きここをMuse Hillと称した。
さて、このミューズ・プレイスは初期の段階では関係者のみが使用するものだったので移動は全て自動車であった。地面の傾斜は下の方は3%程度だが飛行場近くは30%を越えていて非力な自動車では荷物を積むと登れない可能性がある。ただし上の方は傾斜を和らげるため、折れ曲がりの多い道、いわゆるつづら折りになっている。
ところが鏡迷宮が公開されて以来一般の観光客が来るようになる。そこで若葉は2021年7月、麓に大駐車場を作ると共にここに小型ゴンドラ(6人乗り)方式のロープーウェイを設置した。スキー場にあるようなもので、客は駐車場から、Muse Park, Muse Town, MUse Hill, Muse Airfield の好きなところにいくゴンドラに乗れば、そこまで連れて行ってくれる。
が1年運用してみて若葉は諦めた。
トラブルが多すぎるのである。
スキー場などなら使うのが若い人ばかりなのであまり問題無いのだが、ここは子供やお年寄りなども使う。すると乗り降りがうまくできない人たちがいる。更に行き先の乗り間違いが多発する。そして怪我人も出る。この1年半の間にスタッフの怪我が4件、乗客の怪我が2件発生して警察から注意を受けた。怪我は幸いにも軽傷ばかりで治療費・慰謝料は充分支払ったし、多忙な若葉が直接各々の怪我した人に御見舞いに行った。全員傷跡は残らなかったらしい。
それで他のにしようと決めた。
まず列車はこの勾配を登り切れない。バスが常識的だがどうしても密が発生する。そこで若葉が導入を決めたのは(交走式)ケーブルカー(*38) である。普通の列車なら5%が登れる限度といわれる(それ以上の傾斜には多段スイッチバックが必要)。しかしケーブルカーなら。例えば高尾山のケーブルカーは60%(角度に直すと30度)ほどの物凄い勾配を登っている。
フニクリ・フニクラである。
BGMにも立山煌が歌う『フニクリ・フニクラ』が流れている!
常滑舞音withスイスイが歌う『鬼のパンツ』も流れている!!
(*38) ケーブルカーの分類上の位置づけ。
基本的にケーブルを使用する交通機関を索道(さくどう)と言うが、これは主としてケーブルのみを使用する普通索道とキャリアが地面に敷かれたレールに乗っていて、鋼索(ケーブル)の巻き上げにより動かす、鋼索鉄道に分けられる。
前者にロープーウェイやリフトがある。一方日本語で言うケーブルカーとは後者の鋼索鉄道のことである。アメリカ英語では索道一般を cable carといい、ケーブルカーは funicularという。イギリス英語だとcable car はロープーウェイの意味。funicular はイタリアのFunicolareからきており(funisはラテン語でケーブル)、結局フニクリ・フニクラが出発点である。あれは物凄い思いつきだったのである。(交走方式を思いついたのが大きかったと思う)
ヴェスヴィオ火山のフニコローレはレールがモノレールであったが、日本では普通の鉄道と同様の二条式のものが多い。
ケーブルカーの利点は動力を積む必要が無いので車体が軽くなり、その分多くの乗客を乗せるのが可能なことである。一般に2両をセットにしてお互いをカウンターウェイトにして上り下りする(交走式)が、小規模な運用では車両一台で反対側には重りをつないでいるものもある(鞍馬山鋼索鉄道など)。
ケーブルカーの先頭にスタッフが乗っていることがあるがこれは運転士ではなく、車掌である!前方に障害物があった場合にターミナルに報せるのが役割である。
なお貨物専用のケーブルカーをインクライン(incline)という。イン・クラインであって、インク・ラインではない!傾斜(clinare)に向かうという意味である。
京都南禅寺の近くにあった蹴上インクラインは有名だったし、立山砂防工事専用軌道の樺平−水谷間は現在18連続!スイッチバックのトロッコ列車で結ばれているが戦前はインクラインだった。(関西電力黒部専用鉄道・上部軌道と並ぶ秘境鉄道だと思う)
なお急傾斜を上る鉄道としては車輪が歯車状になっている“アプト式”(スイスで発達した)や箱根登山鉄道で使用されている粘着式などもある。
ミューズプレイスのケーブルカー建設は今年初めから播磨工務店とムーラン建設の共同作業で進められた。4月に郷愁ライナーの荒川トンネルを作った精鋭部隊が参加すると工事の進捗速度はあがり、8月に完成したのである。むろん工事中は無事故である。
そこから3ヶ月間はテスト運行していたが、国土交通省と県からの認可も取れ、運行免許も交付された。これまで郷愁ライナーを無事故で運行している実績、そして怪我人が出ていた(でも大きな事故は無い←これ重要)ロープーウェイの“事故を減らすための改良”という名目で認可してもらえた。ロープーウェイの免許は返上する。
それで11月3日(祝)から正式運用開始した。ロープーウェイは2日で運用終了となった。(欲しいと言っているスキー場があるので安価に売却する)
交走式なので2両がペアである(お互いに登る時相手がカウンターウェイトの役目を果たす)。余裕を持って席を配置したので1両が75人乗りである(3×25). これをトラブル時や保守時の予備を兼ねて2セット作ったので一度に昇り150人・下り150人乗せることができる(ただし家族や友人以外は隣り合う席には乗せない)。
しかし今までの最大6人ずつ運んでいたロープーウェイに比べたら画期的に輸送能力が上昇した。(平日は1セットのみの運行)
このように2セットのケーブルカーが並設されている例としては近鉄生駒鋼索線の宝山寺線などがある。
ケーブルカーの終着駅はミューズ飛行場 Muse Airfield である。折角新しい交通機関も作ったしということで終着駅そば、滑走路やエプロンが見える位置に展望台カフェを作った(駅と空港ビルの間に渡り廊下を作った)。
最初は空港らしくビュフェ方式にしようと思ったのだが“いったん取ってから戻す”マナーの悪い人を排除するのが難しいので注文方式にした。基本的にはムーランの移動車レストランと同じ方式である。この場での調理は温めるのとコーヒー(ドリップ式)(*39) やお茶を入れる程度。
コロナのおり、あまりオープンを宣伝したくないのでCMなども打たなかったので式典に市や商工会・観光協会の人たちが来てくれたほかは、当初は空港スタッフが利用する程度だったが、
「結構飛行機が離着陸するから楽しめる」
という話であった。
でも11月中は関西のメディアが多数取材に訪れた!
(*39) きちんと訓練を受けてから実戦投入されるエヴォンやクレールのメイドと違ってムーランのスタッフは今日採用して明日から勤務などというのが多いので「素人にエスプレッソ入れるのは無理」と言ってムーランのコーヒーは基本的にドリップ式である。しかしエスプレッソを出すカフェが多いので、「こういう昔ながらのコーヒーもいいよね」という声もある。
若葉は“エスプレッソ・マスター”みたいな制度を作ることも考えている。
空港スタッフの特にパイロットさんたちは「空港のどこかに居てすぐ連絡が付けば良い」という、ゆる〜い職務規程なので、このカフェに居る確率が増えた。(空き部屋で寝ている人が結構居た:操縦中でなければ!寝るのは大いに推奨ということになっている!!自分の布団を持ち込んでいる人もいる)
「この会社は快適すぎてここに5年居たらもう他の航空会社に移れないかも」
などという声もある。
郷愁飛行場はドローンなども含めると1日に30-40件の離着陸があるが、こちらはその半分の17-18件程度である。それでも昼間は30分に1度くらい何かの飛行機やヘリ・ドローンが飛んで行ってどこかから飛行機・ヘリが来るかなあという感じ。どうかした田舎の空港よりはかなり多い。
ムーランの輸送機がいつも飛んでいるし、若狭湾の遊覧ヘリは平日でも1〜2回(フルムーン夫婦っぽい人が多い)、休日には7〜8回飛んでいる。公共機関のプロペラ機やヘリがまた結構多い。
ケーブルカーの停車駅は下記である。
駐車場−アリーナ−藍小浜−鏡−飛行場
駐車場から鏡までより、鏡から飛行場までがずっと長い距離がある。そしてケーブルカーというのは原理的にペアになっている車両の片方だけを停めることはできない。停める時は両方停まる。だから片方の車両がアリーナ・藍小浜・鏡に停車している時、片方の車両は飛行場から鏡までの何も無い森の中で停まる。ここにも一応ダミーの駅が作られているが、ドアは開かない。外からこれらの駅にも進入できない。駅を作ったのは乗客に安心感を与えるためと何かの場合の保守目的である。
なお降車する場合は降車ボタンを押してもらうことになっている。誰も降車ボタンを押さず、乗客も居ない場合、ケーブルカーは通過する。
交走式は“つるべ”式とも呼ばれるが、現代ではこのことばの方を説明する必要がある!
昔の井戸には水を汲み上げるために、ロープの両端にバケツ(古くは桶)をつないで滑車(かっしゃ)に掛けておき、片方のバケツを上げると代わりにもう片方のバケツが降りていく方式のものが取り付けられていた。
水の入ったバケツを持ち上げるのに、下から上へ引く力ではなく、定滑車の働きにより、上から下へ引く力で行けるのがミソであり、おかげで女子供でも体重を掛けて引けば何とか水を汲み上げることができた。これを“つるべ(釣瓶)”といったのである。多くはバケツを2個にすることで2つのバケツで交互に水を汲めるようにしていた。なかなかうまい発明である。
なお“つるべ”では降りて行くのが空のバケツなのでケーブルカーのように降りて行くバケツの重力で片方のバケツを持ち上げることはできない。
つるべ井戸は一部は平成時代にも残っていた(多くが動力ポンプ式に交換された。昭和期には手押しポンプもあったが量の加減が難しく概して水をあふれさせていた)。
オープン後取材に来たいくつかのメディアから言われた。
「ケーブルカー乗ってると立山煌君と常滑舞音ちゃんの歌が流れてますね」
「あれは多忙なお二人に頼み込んで各々1日で作ってもらったんですよ」
1日は許諾を取る時間、譜面を整備する時間や最終ミクシングする時間を入れている。それ以外に(千里に)訳詞を作ってもらった時間もある。現場での制作時間は立山煌が30分、常滑舞音は一発録りである。若葉に頼まれたからコスモスも受けた。他の所なら断っていた仕事である。伴奏はどちらも金平糖。招き猫バンドは休ませておいた。(金平糖はこの手の仕事に“便利に”使われる)
「音源化する予定は無いんですか」
「舞音ちゃんの音源化してない録音はどんどん増えてってるからなあ」
しかしメディアからも言われたことで、ゆりこが動いた。(コスモスはあまりいい顔をしなかった)。
立山煌が歌う『フニクリ・フニクラ』、常滑舞音withスイスイが歌う『鬼のパンツ』をセットにしたCDが制作されることになった。これは12月に発売されることになる。
そしてケーブルカーにも彼らの似顔絵が入れられることになった!
(原画制作:夕波もえこ)
[*
前p 0
目次 8
時間索引 #
次p]
夏の日の想い出・アルバムの続き(12)