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■夏の日の想い出・生りし所(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2016-10-15
「汝が身は如何にか成れる?」
「吾が身は成り成りて成り合わざる所、一所あり」
「我が身は成り成りて成り余れる所、一所あり」
そこまで読んだ時、先生は彼に言った。
「君の場合は、その成り余っている所を取った方がいいかもね。余っているって、つまり余計なんでしょ?」
彼は顔を真っ赤にした。
今から2年前の2014年夏、ローズ+リリーは2番目のオリジナル・アルバム『雪月花』の制作を進めていた。
その傍ら、私は8月から9月に掛けて、KARIONのツアーで全国を飛び回ったが、9月7日の横浜公演で全ての日程を終えた。今回のツアーには千里を含むゴールデンシックスのメンバーが幕間ゲストとして帯同してくれた。
7日の最終公演が終わった後、私たちは打ち上げをしてから各自帰宅したのだが、この打ち上げに、ゴールデンシックスのメンバーは花野子・梨乃を除いて全員欠席した。この時期、ゴールデンシックスのメンバーは修士の2年あるいは医学部の6年に在籍している人が多く、修士論文や医師国家試験の準備のためあまり時間が無いらしかった。
もっとも居ないのをいいことに、政子は花野子から千里の高校生時代の写真などを見せてもらい
「おお、女子高生の制服姿の千里、かぁいい!!」
などと言って、随分喜んでいたようである。
翌日8日からはKARIONの新しいアルバムの制作に入る予定だったのだが、さすがにツアーが終わった直後ではKARIONの4人だけでなく、トラベリングベルズのメンバーもみんなバテている。それで
「今日明日くらいは休もうよ」
という話になり、制作は10日からということになった。
それで8日は私も自宅マンション(私はこの7月に戸山の賃貸マンションから恵比寿の分譲マンションに引っ越した)で特に何も仕事はせず、政子と、ふたりでビデオを見たりおしゃべりしたりしながら、のんびりとした1日を過ごした。
夕方4時頃になって、唐突に政子が
「たまにはフルートの練習しようかなぁ」
などと言って、まだ混沌としていた荷物の中からフルートを取りだし吹こうとしたのだが、
「あれ?」
などと言っている。
「どうしたの?」
「このフルート、何だか持ちにくい」
「ん?」
それで見てみるとこのフルートは《インラインキィ》になっている。
政子が最近愛用していたフルートはヤマハのYFL-777という《オフセットキィ》モデルである。オフセットというのは左手薬指で押さえるGキィが他のキィの並びと少しずれていて、操作しやすいようになっているものである。ところがここにあるのは、全てのキィが一直線に並んでいる《インラインキィ》モデルなのである。
「これヤマハじゃなくてサンキョウのフルートじゃん」
と私はフルートに刻まれているブランド名を見て言った。
「あらぁ。誰か他の人のフルート間違えて持って来ちゃったのかな」
私は風花に電話してみた。
「ねね、昨日のKARIONのライブで、誰かサンキョウのフルート吹いてた人、いなかった?政子が間違えて持って来ちゃったみたいで」
「サンキョウなら千里さんが使ってたよ」
「わっ。あの子のはヤマハじゃなかったっけ?自分のは安物だからとか言ってた気がしたけど」
「そうそう。初日は準備が無くて普段作曲用に持ち歩いているヤマハの白銅フルートYFL-221を使っていたんだけど、2日目からは、こちらが本来の演奏用といってサンキョウの総銀フルートArtist-Eを使っていたんだよ」
「そうだったのか!」
「七星さんも初日はP.ハンミッヒのグラナディラ製フルートを使ってたけど、彼女もパワーが足りないと言って2日目以降はA.R.ハンミッヒの総銀フルートに変えてたから、千里さんもおそらくパワーの問題もあって、総銀フルートを取って来たんじゃないかなあ」
「なるほど」
「私はムラマツの総銀製フルートDSを使っていたし、サンキョウは千里さんだけだと思う」
「じゃ結局3人とも総銀フルートになったのか」
「そうそう。他にフルート持ってた人としては、神崎さんが持ってたけど、パールだったし、七星さんのバックアップ用のフルートはムラマツだったし」
「だったら間違い無いね。ありがとう!」
私は風花にお礼を言ってから、千里に電話してみた。
「おはよう。どうしたの?」
「実は昨日の横浜の公演のあとで、政子が間違って千里のフルートを持ってきちゃったみたいで」
「え?ほんと。ちょっと待って」
と言って、千里は自分の荷物を調べているようである。
「あ、ここには見慣れないYamaha YFL-777がある」
「それが政子のフルートだと思う」
「重さがあまり変わらないから気づかなかった。政子、今総銀フルートで練習してるんだ?」
「白銅より重い方が音も良く出る気がするとか言ってた」
「吹きこなせばね」
「言えてる、言えてる」
「でも千里こそ、これないと困るでしょ?今どこにいるの?持って行くよ」
「今日は高岡に寄って、今東京方面に向かっている最中なんだよ。あと1時間ちょっとで着くと思うんだけど」
「あ、だったらうちのマンションに寄らない?」
「OKOK。お邪魔するね」
それで政子には私のフルート(Pearl Cantabile F-CD925/RE offset)を貸してそれで防音室内で練習させておき、政子が練習している間に、私は『雪月花』の楽曲の譜面調整作業をしていた。
それで17時をすぎた頃、いきなり玄関が開くので私はびっくりする。
「千里?」
と言ってそちらを見ると、入って来たのは雨宮先生である。
「おっはー」
などと言って、雨宮先生は何だか明るい。
「先生、ここの鍵を持っておられましたっけ?」
「こないだタカ子ちゃんから借りて返すの忘れてた」
「うーん・・・タカは誰から借りたのだろう?」
取り敢えず鍵を返されるのを受け取る。先生はなんでも渋谷のスタジオで昨日の朝からぶっ通しで音源制作をしていて、疲れたのでここで少し仮眠させてくれという話である。
「じゃ、客用寝室を使って下さい。廊下をまっすぐ行った突き当たりですので」
「うん。でもその前にお酒無い?」
「先生、寝た方がいいのでは?」
「飲んでからでないと安眠できないのよ」
「完璧にアル中ですね」
と言いつつも、私は棚からカティサークを出してくる。
「私は仕事中なので、セルフサービスでよろしく」
「了解〜」
そして雨宮先生が来て10分もしない内に今度は携帯に着信がある。千里がマンションの入口まで来ているらしい。それで私はエントランスを開けた。やがて玄関がノックされるので、ドアを開けて中に入れる。
「ごめんねー、私も全然気づかなくて」
と言って入って来たが、雨宮先生を見て驚いて挨拶を交わしている。
「千里、あんたここ1〜2年、私を避けてない?」
と雨宮先生が言う。
「そんなことないと思いますけど。そもそも先生の居場所が私には分かりません。捕まえようとしても所在が分からないし、かと思うと思わぬ所にいらっしゃるし」
と千里は言う。
後から考えてみると千里は2013年の初め頃から2014年の夏頃まで、クロスロードの他の面々とも接触が減っていた。東京近辺のメンバーで集まってお茶でもという話の時にも、桃香は出てきていても千里は「ゼミの準備で忙しくて」とか「バイトのシフトが外せなくて」などと言って、あまり出てきていなかった。おそらくあの時期は音楽関係者との接触も減っていたのではないかという気がする。
千里の復活はゴールデンシックスのメジャーデビューとほぼシンクロしている。
「あんた不倫の方はどうなってるのさ?」
「普通に不倫してますよ。雨宮先生みたいに同時に3人も愛人作ったりはしませんから」
千里が細川さんという彼女の元婚約者と現在不倫状態にあるという話は私もつい先月本人から聞いたばかりである。雨宮先生の女性関係は今更だ。
「私に愛人が3人いると言うの?」
「****さんに、****さんに、****さんに」
「ちょっと待て〜〜!」
と言って先生は焦っている。ビッグネームが出てきてさすがの私も驚く。
「ケイ、今の聞かなかったことにして」
「ええ。今もう忘れました」
「よしよし」
私は千里にはローズヒップティーを入れてあげた。
「なんか扱いが違う」
などとセルフサービスでカティサークのロックを飲んでいる雨宮先生が言う。
「飲んべえは適当に」
と私は言っておいた。
「全く私の弟子は、誰ひとりとして私を大事にしない」
などと文句を言っている。
「そういう人は先生の弟子になってないですよ」
と千里は笑いながら言っている。
「そういえばあんたたち聞いてる?」
「はい?」
「高岡の息子がオーディションに合格した」
と雨宮先生は言った。
「高岡って、ワンティスの高岡猛獅さんですか?」
と私は驚いて尋ねる。
千里も驚いたような顔をしている。
「もちろん」
「息子さんがいたんですか?夕香さんの子供ですか?」
高岡猛獅は2003年12月、婚約者の夕香と一緒に愛車で中央道を走っている最中に事故を起こし、ふたりとも即死している。ふたりの間に子供がいたなどという話は私は全く聞いていなかった。
「むろん高岡と夕香の子供に決まってる。これ、誰にも言わないで」
「大丈夫ですよ」
と私は防音室内でフルートの練習に夢中になっている政子にチラッと視線をやりながら答えた。政子はこの手の話を聞いてもすぐ忘れるが唐突に思い出して変な人に言ってしまう危険もある。しかし私や千里は大丈夫だ。
「今何歳なんですか?」
「中学1年生」
私は頭の中で出生年を暗算する。2014-13=2001年ということはその子はワンティスがデビューした年に生まれた計算になる。
「このことを知っているのは、ワンティスでも今のところ、私と上島と三宅と支香の4人だけだよ。他には加藤課長や紅川さん」
私は唐突に紅川社長の名前が出てきたことで当惑する。
「紅川さんって、これ§§プロが関わっているんですか?」
「そうそう。彼は§§プロからデビューする」
「§§プロって女の子専門かと思ってました」
「これまで§§プロはフレッシュガールコンテストというのを毎年やっていたんだけど、ここ数年不作じゃん」
「確かに」
春風アルトや川崎ゆりこのようなビッグアイドルを生み出したフレッシュガールコンテストであるが、2010年の桜野みちる以降は、海浜ひまわり(昨年引退)、千葉りいな(今年引退)、神田ひとみ(来年2月引退予定)、と短期間で引退になってしまう子が相次いでいる。今年デビューした明智ヒバリもコンサートの最中に錯乱したような様子を見せた後、パッタリと動向が聞こえてこなくなっている。夏休みが終わっても、在籍していた高校にも出てきておらず死亡説まで流れていたので、私は個人的に心配して紅川社長に「彼女病気か何かですか?」と数日前に尋ねたのだが「済まん。ケイちゃんにも今は言えない」と社長は言っていた。
「それで新機軸を切り開こうというわけでもう少し音楽的な素養のある子を選ぶべく、ロックギャルコンテストというのを開いた。これは歌唱力重視。もちろん最低限度の可愛いさも必要だけどね」
「へー」
「その優勝者が高岡の息子だったのさ」
と言って雨宮先生は笑っている。
「むろん主催者側は高岡の息子とは知らなかった。優勝した後で契約の話をしようとして保護者に会いに行って分かって仰天」
「ちょっと待ってください。ロックギャルって女の子を選ぶコンテストじゃないんですか?」
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