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■夏の日の想い出・生りし所(7)
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目次 8
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上島先生が再度川を見たいというので、神社に車は駐めたまま、川の所まで歩いて行く。
そこには大淀川の豊かな流れがある。それをみんなでしばらく見ていた時、上島先生は言った。
「龍虎の芸名はアクアにしよう」
「アクア!?」
「伊邪那岐命が黄泉国の汚れをこの川の水で禊いだように、龍虎の歌で人の心が浄化されるようにという意味だよ」
と上島先生。
「なんか凄い大それた名前のような気がします」
と龍虎本人は言う。
「それにこないだ龍虎のホロスコープを見てくれた占い師さんが龍虎は水星が根だと言っていたでしょ?」
「あ、そんなことを言われました」
「水星が龍虎の運気の鍵となる。水の星が運気を握っているから、やはりアクアでいいと思う」
「龍虎って出生時刻はいつだったっけ?」
と千里が訊く。
「14:21です」
千里は携帯を操作している。そしてしばらく見ていた。
「ああ。確かに水星がファイナルになっている」
と千里は言う。
千里はメモにこのような感じのダイアグラムを描いた。
V/獅子→太陽/獅子(F)
火星・冥王星・A/射手→木星/蟹→月/乙女→水星/乙女(F)
M/天秤→金星/蟹→月↑
E/山羊→土星/双子→水星↑
海王/水瓶→天王/水瓶(F)
千里の携帯の画面には
太=獅27 月=乙13 水=乙10 金=蟹21 火=射21 木=蟹7 土=双13 天=瓶22 海=瓶6 冥=射12 A=射21 M=秤9 V=獅4 E=山7 PF=山7 PS=射5
といった表示が出ていた。
「これって、太陽もそのファイナルになるわけ?」
「そうそう。太陽もFinal dispositorになる。でもそちらは実質太陽だけ。多くの天体が月や水星が絡む支配星系列に入っている。まあ龍虎の女性的な面が強いのも分かるよ。女性的な局面のほうがエネルギーが大きいんだな」
「もうひとつ天王星に至るのもあるね」
「うん。でも天王星・海王星のみが絡むものは世代的なものだから、他の星と特に関わっていなければあまり考える必要は無いよ」
「なるほど」
「じゃ、龍虎の芸名はアクアということで」
と雨宮先生が言った。
「この旅は結果的にはアクアの芸名を決める旅だったんだな」
と雨宮先生。
「そうだったんですか!」
と龍虎は驚いたように言った。
上島先生はすぐに紅川社長に電話し、龍虎の芸名をアクアにしたいと告げた。紅川さんは少し待ってくださいと言って、どうも誰か類似の芸名が無いかとか、画数の吉凶とかを調べていたようである。
「画数的には問題無いと思いますよ」
と千里が言う。
「カタカナの『アクア』は6画。幸福を与える吉。英大文字で『AQUA』なら8画で堅実な吉。先頭だけ大文字にして『Aqua』なら7画で道無き道を切り開いていく力強い吉」
「龍虎に似合いそうなのは、その幸福を与える吉って感じかも」
と上島先生は言う。
小戸神社の駐車場に戻ったのは18時半頃である。ちょうどここで日没となった。
「このあとホテルに行きますか?」
「まだ宮崎牛のステーキを食べてない」
と雨宮先生はおっしゃる。
「そうでした!」
「さて、どこが美味しいか分かる?」
「今眷属さんに教えてもらいました。そこに行きます」
と言って千里は自ら運転席に座って車を出した。
その移動中に紅川さんから電話がある。
「OKということだよ」
と上島先生は言った。
「ただ僕が命名したということを出すと、アクアの身元が分かってしまう可能性があるから、誰か別の人が命名したかのように装う演出をしようということで、それは紅川さんに任せると言った」
「分かりました」
やがて車を着けたのはJA宮崎直系のお店である。
「決して安くはないんですけど、宮崎の人たちはお祝い事とかある時にここに来るらしいですよ」
と千里。
「ほほお。じゃ、ここは雷ちゃんのおごりで」
と雨宮先生。
「OKOK」
と上島先生は笑って言っている。
お店に入ると、結構人が多い。入口のところで待っている人たちもいる。しかし千里はお店の人に
「少し早かったかな。霧島の名前で19時に予約していたのですが」
と言う。
「はい。伺っております。もうお席は用意しておりますので、こちらへどうぞ」
と言って案内された。
「凄い」
「沙耶さんのサービスみたいですよ。代金は適当に払っておいてねということですが」
席に着いてから、お店の人が
「最上級シャトーブリアンのコース、お肉は200gに増量で、5名様でよろしかったですか?」
と訊く。
「はい、それで」
と上島先生は答えたものの、お店の人が席を離れた後で、テーブルに立っているメニューを見て「あははは」と笑っている。
「まあ雷ちゃんには端金(はしたがね)だよね?」
「まあ龍虎のデビュー前祝いということで」
「芸名がアクアに決まった記念に」
「でも宮崎は口蹄疫が大変でしたね」
と千里が言う。
「うん。あれは宮崎牛が消滅するかも知れないという危機だったんだよ」
と雨宮先生。
宮崎では2010年の春から夏にかけて口蹄疫が大流行した。当時殺処分された牛や豚は合計で30万頭近い(水牛・山羊・羊なども含む)。一時的に宮崎の畜産は壊滅状態になった。
中でも感染を避けるために別地区に避難させていたエース級・種牛6頭の中で最高の超エース《忠富士》の感染が確認されたのは畜産関係者にショックを与えた。
忠富士の子供は育ちが物凄く速く、美味しい肉をつけていた。関係者は泣く泣く忠富士を殺処分にするが、問題は残りの5頭であった。
本来はひとつの飼育場で1頭でも感染牛が見つかれば、感染拡大を避けるため、その飼育場の牛は全て殺処分しなければならないことになっている。しかし、忠富士が感染していたからといって他の5頭も処分してしまうと、宮崎牛はいったん消滅してしまう。復興には物凄い年月が掛かる。
そして実はこの種牛問題は宮崎牛のみならず、全国のブランド牛にも影響を与えかねなかった。それはこの宮崎の種牛の精液は、松阪牛も含めて全国の多くのブランド牛を生み出すのに使われていたのである。ブランド牛に精液を提供しているのは宮崎牛だけではないとはいえ、この5頭を処分すると、日本全国の肉牛生産自体にも影響を与える恐れがあった。
宮崎県は、ルールを曲げて、この5頭を殺処分しない方針を決めた。
この方針に政府は激怒。これは国家的危機であるとして他県への感染拡大を防止するためきちんと法律を守るよう主張する民主党の山田正彦農林副大臣(途中で農林大臣に昇格)と、この種牛を育てるのにどれだけの手間と年数が掛かっているのか、種牛を殺せば宮崎牛も消滅するし日本全体の畜産にも影響が出るとする東国原英夫知事との間で壮絶なバトルが起きる。しかし東国原は断固として、この5頭の処分を拒否する姿勢を貫いた。
それと平行して県は祈るような気持ちで経過観察を続けた。
残りの5頭は何週間経っても陰性のままであった。
宮崎県がこれに期待していたのは忠富士と他5頭が実は一緒ではなく少し離れた部屋で飼われていたためである。これは忠富士という牛は精液は大量に生産するものの物凄く気性の荒い牛で、他の牛の近くに置けなかったためである。人間で言えば暴力絶倫男だ。このことが結果的に他の5頭を救った。
この5頭以外の種牛は県が管理していた49頭、民間で管理していた6頭がいづれも殺処分されている(この民間6頭についても宮崎県は処分を拒否していたものの、最終的には処分に同意し、飼主を説得した)。
しかし5頭のエース級種牛だけは宮崎県が最後まで守り抜いた。
忠富士の殺処分から3ヶ月が経って、東国原知事は口蹄疫の終息宣言を出した。しかし、その後、このわずかに残った5頭のエース種牛、福之国・勝平正・秀菊安・美穂国・安重守から、宮崎牛は復活し、全国のブランド牛も守られたのである。
そして2年後の2012年には長崎で行われた品評会で宮崎牛が内閣総理大臣賞を受賞するまでに至る。
2013年、宮崎県は従来の種牛センターから充分遠い場所に第2種牛センターを建設。ここに福之国と秀菊安の2頭を分離して、万一の場合の安全度を高めることになった。2014年現在宮崎県の種牛は16頭にまで増えており、その中には忠富士の子供も2頭含まれている(2016年現在34頭。忠富士の子供が3頭)。
料理が来るまで、雨宮先生はそういう話を私たちにした。
「でもそれ宮崎県内だけで封じ込めたのが凄いと私は思う。しかもこれだけの大流行を4ヶ月くらいで終息させているし」
と私は言った。
「うん。大流行にしてしまったのは初期の対応ミスだけど、その後の封じ込めは、日本の衛生技術と市民の衛生意識の勝利だと思うよ。そして運も良かったと思う。へたすれば日本全国の牛や豚が絶滅していた」
と雨宮先生は言う。
「でもこれ大変なんだ。感染している牛を診た獣医師は、その獣医師を媒介にした感染を避けるため、一定日数他の牛と接触してはいけないんだよ。だから大量の獣医師が必要になった。全国の獣医師が宮崎に応援に行った」
「実際お隣の韓国では当時全国に感染が拡大してしまったよね」
と上島先生。
「そうそう。悲惨なことになった。向こうは殺処分が350万頭に及んだ」
「うわぁ」
当時の口蹄疫の流行は韓国に端を発して、日本・中国・北朝鮮へと感染が拡大している。北朝鮮の被害は情報統制により規模不明だが韓国同様に悲惨なことになった模様である。
「日本では当時、隣接県が道路を封鎖していたね」
「うん。バリケード作って通れなくしたり、主要道路では通過する全ての車を停めて徹底的に消毒」
「それできちんと拡散を防止できたのが日本の凄い所だと思うよ」
「ひとりひとりの市民の意識が高いね」
「消毒を嫌がって抜け道を抜けたりとかされるとどうにもならなくなるからな」
「だけど過去に口蹄疫で痛い目に遭ったオーストラリアとかは空港とかでも消毒を徹底しているらしいよ」
「そのあたりが、日本はまだ甘かったんだろうね。先行して韓国で口蹄疫が発生していたから、十分な警戒をする必要があったんだよ」
「なんかそういう話を聞くと、このお肉は凄く貴重なものって気がします」
と言いつつ龍虎は美味しそうにお肉を食べている。
「まあシャトーブリアンってのは1頭の牛から600gくらいしか取れない最高に美味しい部位だからね」
と雨宮先生は顔をほころばせて言う。
「きゃー!じゃこの5人分で1頭と3分の2ですか!」
と龍虎。
「そうそう。それを金に物を言わせて頂かせてもらっている」
と雨宮先生。
「すごーい」
と龍虎は無邪気な表情で言っている。
千里ももう潔斎が終わっているので、美味しそうにステーキを食べている。
「まあでも、お金持っている人がこうやってお金を落としていくことで、また宮崎の畜産も振興するわけだから、お金のある人はどんどん高いお肉を買うのが良い」
とも雨宮先生は言う。
「牛さん、貴重なお肉をありがとうございます。美味しく頂いています」
などと言って龍虎はステーキを食べている。
私はその様子を見ていて、やはりこの子は大物になるぞと思った。
一通りコースが終わり、デザートを食べていたらお店の人が入ってきて
「本日はレディスデイで、これは女性のお客様だけに特別サービスです」
と言って、私の前、千里の前、そして龍虎の前にだけアイスクリームを置いていった。
「うーん・・・」
と言って上島先生が悩んでいる。
「なぜモーリーの前には置かれなかったんだろう?」
「私男だし」
「どうしてボクの前にも置かれたのでしょうか?」
と龍虎が言っているが
「女の子にしか見えないし」
と雨宮先生は言っていた。
その後トイレに行って来たのだが、龍虎と一緒になった。スカート穿いているし女子トイレを使うんだよ、などと雨宮先生に言われていたのだが、見ていると何のためらいもなく女子トイレのドアを開けて中に入る。個室が2つあって、その前に女性が2人並んでいたが、龍虎は何の照れもなく、その列の後ろについた。
うーん・・・・。
この子、女子トイレにも慣れてるじゃん!
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