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■男の娘とりかえばや物語・各々の出発(8)

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行事は本番2日前の丑日の夜“帳台試(ちょうだいのこころみ)”から始まります。
 
常寧殿に場所が設けられ、天皇とごく少数の側近だけが見守る中、舞姫たちが舞を披露します。この場には関係者以外、一切立ち寄れませんし、警備の者もごく少数だけが戸外に侍します。
 
花子は火取(ひとり:香炉)を持つ童女・若雀(実は伊勢の妹)、茵(しとね)を持つ童女・翼君、几帳3本を持つ下仕(しもつかえ)の女性3名、理髪係の女房・小右近、と6人の伴を連れて入場します。そして茵を敷き几帳を立ててその中に座して待ちます。
 
4人の舞姫が揃ったところで、主上が近習6人を連れておいでになります。
 
やがて4人の舞姫が帝の御前(おんまえ)に出て、楽人が楽器を奏で、大哥が古歌を歌う中、4人は舞い始めました。4人の立ち位置は、花子が左前、三の君が右前、その後ろに殿上人の家の娘2名が並んで舞います。
 
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今年は公卿の家の娘の枠2名に左大臣家・右大臣家の娘が本当に出たので、それに合わせて殿上人の家の娘も代理ではなく、本当にその家の娘が出ており、豪華な顔ぶれの舞になりました。ふたりとも花子が松尾大社の秘祭で舞った時に一緒になったことのある子で、練習の時は少しおしゃべりしたりもしたのですが、むろん今日はお互いに言葉も交わしませんし、お互いの顔を見たりすることもありません。
 
神前の儀式の“公式練習”ですから、無表情で舞を奉納しました。
 
舞は20分ほど続き、小哥が歌う今様の歌が終わったところで4人は几帳の中に戻ります。それで主上が退出しますので、舞姫たちも几帳・茵を片付けて退出しました。
 

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翌日の寅日には御前試(おんまえのこころみ)といって、今度は清涼殿にて昨夜と同様の練習の披露が行われます。昨夜は天皇と近臣6名のみにお目に掛けたのですが、この日は清涼殿ですので、結構な人数が見守る中になります。
 
左大臣・右大臣のほか、涼道も来ています。
 
人数は多いものの2度目であることから、花子たちは昨夜よりは緊張せずに舞うことができました。他の3人も昨夜の方が緊張したと言っていました。
 
左大臣はこの日、居たたまれない気持ちではあったのですが、立場上出席しない訳にはいかず、息子(実は娘)の涼道にも励まされて?この場に来ています。そして娘(実は息子)の晴れ姿を見ることになりました。
 
『こいつますます女らしくなってきている気がするが、本当にちんちん付いてんだっけ?もしかして密かに取ってしまったとか?』
などと考えながらも、美しい舞を見て少し感動していました。
 
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この日の夕方には、綾綺殿(りょうきでん)で鎮魂祭(みたましづめのまつり)が行われます。
 
綾綺殿の東側には賢所(かしこどころ)を含む温明殿(うんめいでん)があり、賢所には八咫鏡が祭られています。天皇の三種の神器の内、剣と玉は天皇の傍に、鏡は賢所にと分離して置かれているのです。
 
この神事に花子は本来の尚侍として奉仕しました。
 
尚侍(ないしのかみ)・典侍(ないしのすけ)と少数の巫女、少数の楽人だけで、この神事は遂行されます(帝は出席しない)。
 
楽人により鎮魂歌が奏上され、尚侍の花子が祝詞を奏上します。特別な衣装を着けた猿女君の血筋を引く巫女が宇気槽(うきふね)とよばれる箱の上に乗り、典侍は用意された玉緒を手に持ちます。
 
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花子が「ひ」と声に出すと、猿女巫女は桙(ほこ)で槽の底を突き、典侍は玉の緒を1回結びます。花子が「ふ」と声を出すと、また猿女巫女は桙で槽の底を突き、典侍は玉の緒を1回結びます。これを「ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・ここの・たり」と10まで繰り返します。
 
御玉緒糸結びの儀および宇気槽の儀です。
 
猿女巫女の仕草は、天岩戸(あまのいわと)の前で天宇受売神(あめのうずめのかみ)が舞った時の仕草を真似したものと言われています。猿女の君の一族は天宇受売神の子孫とされています(むしろ猿女君の祖先神が天宇受売神)。
 
この後、魂振(たまふり)の儀を行います。典侍と掌侍が両側に幌を広げ、尚侍の花子は天皇の衣服を入れた箱の蓋を開け、神前に向けて「ひ」「ふ」
と声を出しながら箱を左右に10回振ります。
 
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これは帝が着る服に神聖な震動を与えることで、太陽の力がいちばん弱くなる冬至にあたって、天皇のパワーを奮い立たせる意味があります。
 
なお、宇気槽儀・魂振儀で回数が10回なのは“十種神宝(とくさのかんだから)”の数であるとも言われています。まさに「ふるへ、ゆらゆらとふるへ」をしている訳です。
 

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なおこの日は神事に先立って、潔斎に水垢離などしましたが、水垢離する時は特にお互いの身体をじろじろ見たりはしないので、胸側を典侍・掌侍に見えないようにして水を浴び、身体を拭いてしまったので、他の2人は花子の胸が無いのは気付かなかったようです。そもそも女ではないことを疑いでもしない限りそんなことには注意が行かないものです。
 
花子は身体付きが全く男らしくない(正確には性別未分化)なので、身体の線を見ても性別に疑惑は感じません。
 

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そして卯の日、新嘗祭当日。
 
この日の午後にはまず昨日と同じ内裏の綾綺殿で花子たち内侍司の女官たちによる祭儀が行われます(当然その前に潔斎の水垢離をする!)。その後、花子たちは中和院(中院ともいう。後述*9)に移動して、そこの神嘉殿でもまた同様の祭儀を行います。
 
実は新嘗祭の神事は内裏(だいり)ではなく、中和院の神嘉殿で行われます。そのため天皇や重臣たちも、花子たちが祭儀を行った後、皆、中和院に移動してくるのですが、その出発前に五節舞に参加している女童たちが清涼殿と帝の前に出る「童女御覧(わらわごらん)」という行事があります(これには舞姫たちは参加しない)。
 
その後、移動になります。
 
この日はみんな小忌衣(おみごろも:別名・摺衣すりごろも)という服を着ています。それでも重臣はかなり立派な摺衣を着ています。中納言(涼道)と宰相中将が並ぶような感じになりましたが、ふたりともひときわセンスのよい衣を着ているので周囲の注目の的でした。
 
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これを見て宮中の女性たちが騒ぎ、歓声まであげたりするのですが、柔らかい雰囲気ではあるものの女性から声を掛けられても無言で歩いて行く中納言はある意味冷たい男のようにも見えます。一方宰相中将はいちいち見知った女性と言葉を交わしながら歩いて行くのでなかなか先に進みません。ふたりはとても対照的でありました。
 
しかし宰相中将はそのマメさで評価されますし、中納言の方はそのストイックさで評価されるので、それでよいのでしょう。
 
しかしそんな中にじっと自分を見ている視線があることに、涼道は気付きませんでした。
 

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新嘗祭の神事は、夕方・酉の刻と、深夜・子の刻に2度繰り返されます。これは帝と東宮が主体となる神事で、重臣たちは部屋の外に並んで待機しているだけです。
 
もう少しでその夕方の神事が始まるという時、中納言の随身(*10)が1人遅れてやってきました。
 
「殿様申し訳ありません。遅くなりまして」
「よいよい。何かあったのか?」
「いえ、遅れてしまったのは個人的な理由で面目ないのですが、急いでこちらに参ろうとしておりましたら、麗景殿の細殿の一の口の所で女性に呼び止められまして、殿様への手紙を預かってしまいまして」
と言って
「預かってはまずかったでしょうか?」
などと言っている。
 
普通の男性なら女性からの手紙は全てOKだろうが、この殿は女性をあまり近づけていないようなので、受け取ったのはいけなかったろうかと少し後悔しているようです。
 
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「いや、受け取るのは別に構わないよ」
と涼道は優しくその随身に言うとそのいかにも風雅な感じの手紙を開けてみました。するととても美しい字で歌が書かれています。
 
《逢ふことは、なべて難きの摺衣、かりそめに見るぞ静心なき》
 
かなり熱いラブレターです。
 
麗景殿は妹(実は兄)の花子が住んでいる宣耀殿と、東宮がお住まいの昭陽舎(梨壺)の間にあります。それで東宮の後ろ盾にもなっている涼道としては、よく通る場所なので、それで自分のことを見ていたのだろうか?と思いますが、実際問題として誰なのか分かりません。
 
「お返事はどうしましょうか?」
「今は新嘗祭の前だから後で考えてみるよ」
「分かりました」
 

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(*9)中和院と書いて「ちゅうかいん」と読む。略して中院(ちゅういん)。内裏の西隣にある殿舎群である。内裏と中和院を合わせて囲む垣の南側にあるのが建礼門である。
 
中院の西は「宴(えん)の松原」と言って空き地が広がっていた。ここは内裏を“式年遷宮”するための代替地としてリザーブされていたとされるが実際に平安京内裏の遷宮は1度も実施されなかった(予算の問題か?)。
 
そして、内裏・中院および、朝堂院・豊楽院・太政官などを含む多数の役人が勤める領域を大内裏(だいだいり)といって、その南側にある門が朱雀門である。
 
大内裏は今で言えば霞ヶ関の官庁群のようなものである。平安京(これは現代でいえば東京都千代田区くらいに相当する)の中央北部に位置しており、平安京の南端である羅城門との間が道幅82m・長さ3.7kmを誇る朱雀大路(すざくおおじ)である。

 
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つまり、平安京の中に大内裏があり、大内裏の中に内裏や中院があり、内裏の中に清涼殿・紫宸殿・温明殿や後宮七殿五舎などがあるという入れ子構造になっていたのである。
 

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(*10)随身(ずいしん)というのは、高級官僚に朝廷から付けている護衛。現代でいえばSPである。つまり涼道の家人(雇い人**1)ではないのだが、実際にはガードしている官僚との個人的な結びつきは強く、代々その家の人の随身になる場合や重要なブレーンに近い存在になる場合もあって、給料をその家からではなく朝廷からもらっているということを除けば、家人あるいは家来に近い存在であった。
 
(**1)「家人(けにん)」は個人的にその人に雇われて仕えている人のこと。「家来(けらい)」といえば、代々その家に仕えている家の人のこと。つまり家人の中でも、労働契約が家と家の関係になっているものを言う。もっとも両者はしばしば混同して使用されるし、家人として仕えていた者の近親者がまたその人あるいはその子供に仕えることもよくあることである。
 
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