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■男の娘とりかえばや物語・各々の出発(4)

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(*14)五衣唐衣裳姿(いつつぎぬからぎぬも)は現代では十二単(じゅうにひとえ)と俗称されているが平安時代に「十二単」という言葉は存在しなかった。この言葉は『源平盛衰記』の中で、建礼門院が壇ノ浦で入水した時の服装の記述を正式名称かと誤解した人から広まったと言われている。
 
五衣唐衣裳姿はこのように着る。
 
(1)下着を着けた上に
(2)長袴を穿く。
(3)単衣(ひとえ)を着る。
(4)袿(うちき)を数枚重ね着する。
(5)打衣(うちぎ)、表着(うわぎ)を着る。
(6)裳(も)を着け、唐衣(からぎぬ)を着る。
 
袿は夏は1〜2枚、冬は4〜5枚着て寒暖の調節をする。一時期この重ね着の枚数を宮中の女性たちで競い合うことがあったため「最大5枚にする」というお達しが出て、そのため「五衣」の名前が定着した。五枚重ね着した状態ではだいたい20kgくらいになり、米袋2個を背負って歩いているようなものである。つまり、この装束を着けるには結構な体力が必要であった!
 
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これはあくまで「礼装」であり、普段は袿を重ね着した上に、打衣・表着はつけずに唐衣代わりの小袿(こうちき)を着た“小袿姿”をしていた。小袿の下に表着だけ着ける場合もあった。裳は着けたり着けなかったりする。この夜、四の君は、小袿姿で、表着も着けないものの、裳は着けていたようである。
 

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近江は涼道が退出した後、姫の様子を見るとスヤスヤと眠っているので、しばらくこのままでもいいかなと思いました。そしてふと見ると袿に少し血が付いています。ああ、処女の出血ねと思い、やはりちゃんとふたりは“成った”んだなと思いました。
 
やがて朝食(あさげ)の時間になるので姫を起こしますが、姫は少しボーっとした雰囲気で朝御飯を食べていました(もっとも萌子は普段からボーっとしていることが多い)。
 
「姫様、昨夜は如何でしたか?」
「結婚って、気持ちいいことなのね」
 
姫は無知なので、あんな気持ちいいことしたら、赤ちゃんくらいできるかも、などと思っています。自分が実際には性交をしていないことに気付いていません。
 
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「気持ち良かったですか。それは良かった。痛くないですか?」
「痛くないようにしてくれたよ」
「それはやはり若様が巧いんでしょうね」
 
近江がそのように言うと、四の君は突然不安そうな顔をして言いました。
 
「やはり若様はたくさんの女の人と経験してるのかなあ」
「あれほど女官たちに人気の人ですから。でも姫様が間違いなく若様の正妻なのですから、気にすることないですよ」
 
「そっかー。他の女の人ともあんなことするのか」
と萌子は嫉妬しているかのようでした。
 

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朝食が終わった頃に、涼道から後朝(きぬぎぬ)の歌も届きます。それを読んで姫がぽーっと顔を赤らめているので、どうも本気で恋をしているようだ、と近江も思いました。すぐにお返事の歌を書き、使いの者に持たせました。それでまた今夜、涼道が忍んでくる手筈となります。
 
28日も夜更けに涼道はやってきました。そしてふたりは夜中までおしゃべりをして過ごしてから、一緒に帳(とばり)の中で休み、また萌子は快楽の絶頂を経験することになります。29日朝、涼道は4時頃、退出しますが近江が粥を用意してくれたので、その粥を食べてから退出することにしました。
 
29日もまた後朝の歌を交換し、いよいよこの日の夜は3日目に突入します。涼道がその日の夜更けに姫のもとを訪れ、いつものように3時間ほど笛を吹いたりおしゃべりをした後、さて帳の中で一緒に寝ましょう、と言っていた所に近江が
 
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「中将様、これをお召し上がり下さい」
と言って、銀の脚付きの皿に載せた餅を差し出します。皿の上には小さな餅が6個載っています。三日夜の餅(みかよのもち)です(*15).
 
「頂く」
と言って涼道は餅を1個取って丸呑みし、1個取っては、と3個餅を噛まずに食べました。
「姫も召し上がれ」
と言って、涼道は皿を四の君の方に寄せます。それで姫も3つ餅を丸呑みしました。
 
「それではごゆっくり」
と言って近江は空になった皿を持って下がりました。
 

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そしてふたりはその晩も御帳(みちょう)の中で快楽の絶頂を体験していました。もっとも絶頂に達しているのは萌子だけで、涼道はしてあげているだけなのですが、萌子が気持ち良さそうにしていると涼道も充分心地よくなる気がして、敢えて自分のもいじって自分で逝く必要はないと思っていました。
 
8月1日の朝。
 
この日は兼充は迎えに来ません。既に夜も明け、日も昇った頃、近江が御帳のそばまで来て
 
「若様、姫様、ご準備を」
と声を掛けます。それで涼道は起きて、姫に小袿を着せ裳もつけて髪の乱れも直してあげました。四の君は、若様って、女性の服の構造をよく知っているみたい。やはりたくさん女の人と遊んでいるのかなあ、などと思っています。(萌子は自分で服が着られない)
 
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その上で涼道は自分の服も整え、衾は畳んでそばに置きました。
 
やがて近江の案内で萌子の母・深山と右大臣がやってきます。露顕(ところあらわし)をします。
 
涼道は帳の中から出て亀居(*16)をして両手を突き深くお辞儀をして言いました。
 
「関白藤原家の重治が長男、中納言・中将の涼道にございます。伯父上様、ご機嫌麗しゅう御座います」
 
「おお、そなたが萌子の思い人であったか。今後宜しゅうに」
と右大臣は笑顔で言いました。
 

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その日、涼道はずっと右大臣宅に滞在し、右大臣宅では宴の準備が進められました(*17)。管弦に長けた者が呼ばれ、料理が作られ、お酒も用意されます。萌子は近江たちの手で特別な唐衣を使用した超豪華な服(「重い〜!」と悲鳴をあげている)が着せられますし、涼道の方も左大臣宅から少納言の君や少輔命婦などが来て、涼道に特製の高価な袍(ほう)を使った豪華な束帯を着せました。
 
涼道は“建前上”男なので、男の家人たちに着換えを手伝わせればいいはずですが、“特殊事情”があるので、着替えは女の女房たちにしか務まりません。その件については、男の家人である兼充や俊秋たちは、初期の頃は首をひねっていたものの、最近では慣れてしまって何も疑問に思っていません。
 
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当代の2大実力者である左大臣と右大臣の息子と娘の婚儀とあって、多数の招待客も集まり、お祝いを述べます。宴は右大臣が乾杯の音頭を取って盛大に行われました。涼道自身も客人たちに笛を披露し、
 
「若君の笛は素晴らしい」
とお世辞抜きで褒められていました。
 

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(*15)三日夜の餅は3日目の夜が明けた後に食べるというのが後には定着したようであるが、落窪物語で落窪姫の所に通ってきた右近少将は、あこぎから3日目の夜に餅を提供されている。
 

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(*16)亀居とは、左右の足を曲げて後ろにやり、その間に尻を落とす座り方。要するに女の子座り!である。
 
昔はこの亀居が尊者の前での最も礼儀正しい座り方であった。いわゆる正座は江戸時代に大名たちが将軍の前に出た時に取る姿勢として定められたことからその後、普及した。正座という言葉が生まれたのも江戸時代である。
 

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(*17)落窪物語の四の君の婚礼の描写を見ると、露顕儀は、婿が3日目にやってくるのを新婦宅で待ち構えていて、夕方やってきた所を捕まえてそのまま宴に出席させている。恐らくはその宴の中で三日夜の餅も食べさせる方式か?(この婚礼には三日夜の餅のことは触れられていない)
 
しかしそれでは流れが悪くなるので、この物語では、落窪姫の婚礼の流れに準じて、三日目夜の床に入る前に三日目夜餅を食べさせるだけにした。そして露顕儀は翌朝、そして夕方に披露宴という形で構成した(落窪姫はネグレクトされているので露顕儀も祝宴もしてもらっていない。あこぎが一人で頑張って姫の服にしても粥や半挿(はんぞう)・盥(たらい)にしても、三日夜餅にしても最低限の食事に果物などまで用意した)。なお『とりかへばや物語』の原作では作者がこの手のものの描写に興味が無かったのか、婚礼の手順についてはほとんど触れられていない。
 
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さて、婚儀が終わったので、涼道は基本的に右大臣宅が自分の住所ということになります。それで四の君が住む桐の対(たい)に自分の荷物なども運び入れ、そこから毎日内裏に出勤して帰ってくるようになるので、この時期は花子と会う機会がほとんど無くなり花子はますます寂しい思いをすることになります。
 
(右大臣宅は一の君の母が住む菊の対、二の君の母が住む梅の対、三の君とその母が住む藤の対、四の君とその母が住む桐の対から構成されている)
 
ただ毎月4日くらい「ちょっと用事があるので」と言って、乳母の実家に行っているようなので、右大臣は何だろう?と疑問に思っていました。最初は他にも妻がいるのかな?とも思ったものの、どうもそうでもないようです。
 
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実際には、もちろん生理です!
 
その4日間は内裏でのお仕事も休んでいるようなので「病気ですか?」と尋ねると「一種の持病ですね」とだけ、涼道は答えつつ、
 
『女であるという病気が治ることはないしなあ』
などと思っていました。
 

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9月中旬(現代の暦なら10月中旬)“後の月”の宴が宮中では行われました。
 
月を愛でる行事といえば、8月の満月(中秋の名月)が有名ですが、翌月の9月13日「後の月」もまた名月として昔から愛でられてきました。ただこの年は9月15日に宮中で行事が行われました。
 
中納言(涼道)はふと梅壺女御が多数の侍女を連れて帝の許に向かっている所を目撃しました。
 
自分がもし女として生きていたら、自分もあんな感じで多数の侍女にかしづかれて、華やかな暮らしをしていたのかも知れないなあと思うと、少し心が乱れます。でも自分は男として生きる道を選んだのだから仕方ないと考えました。
 
せめて姉君(桜君のこと。本人は別に女の子になりたい訳ではないのだが、勝手に姉ということにされている)は、ふつうに女の幸せを享受できたらいいのだけど、などとも考えて、梅壺女御の行った方角を見ていました。
 
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(きっと桜君はくしゃみをしている)
 

それで涼道が少し考え事をしていたら、そこに宰相中将(仲昌王)が通りかかりました。
 
彼は萌子と花子(桜姫)の双方にせっせと恋文を書いていたものの、萌子は涼道のものになってしまい失恋したので、残る関白の姫君(花子)ひとりに恋心を抱いています。しかし彼は廊下にたたずんでいる中納言の姿を見て、思わずドキッとしてしまいました。
 
うっかり口説いてしまいたい気分になって、待て、こいつは男だぞ、と思い直します。
 
『男の俺でさえ、こいつにはうっかりときめきを感じてしまう。こいつから声を掛けられた姫君はそのままふらふらとしてしまうだろうなあ』
 
などと思いました。そして彼が声を掛けると、中納言も微笑んで振り返りましたが、宰相中将は、その笑顔を見てまたドキリとしてしまい、男でもいいから抱きたいと思ってしまいました。
 
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ああ・・・俺はもしかしたら両刀使いなのかもと初めて意識します(これが翌年以降の“悲劇”につながっていく)。
 
涼道が言います。
 
「あなたの(四の君への)思いは知っていたので、気の多いあなたではあっても(自分が結婚してしまって)申し訳無い気持ちはあるのですが、世の中ほんとに思うままにはならないもので、ただこうして(梅壺女御を)眺めているだけで、どうしたものかなと思っていたのですよ」
 
宰相中将も失恋したのはもう忘れようと思っていたし、四の君を得られなかったのも、こいつが奪い取ったという訳ではなく、大人たちの権謀術数による思惑の結果なので仕方ないと思っているのですが、その可愛い四の君を得られて、更に帝の覚えもよくて、全て順調な筈の中納言が、いったい何を悩んでいるのだろうと、宰相中将は不思議に思いました。
 
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あるいは今彼が後ろ盾になってあげている、女東宮を自分の妻にしたいとでも思い悩んでいるのだろうか。10歳以上年上だけど、元東宮との間に女の子でもできれば、間違いなく次の帝の皇后にできて、摂政関白は間違い無しだろうし、そのこと自体、こいつの立場なら、望めば叶えられないこともなかろうに、などと考えます。
 
「まああまりひとりで悩みすぎない方がいいよ。僕が聞いてもいいことなら、相談にも乗るし、少々の悪いことでも一緒にやっちゃうよ」
と宰相中将。
 
「悪いことするのもいいね!」
と破顔して言った上で
「もう少し悩んでみるよ。何かの時には相談するよ」
 
と涼道は彼の“男の友情”に感謝して答えました。
 
2人は、しばし“男同士”の会話をして、かなり盛り上がりました。
 
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「俺**に、こないだから恋文送ってて、もう少しで落ちそうなんだよ」
「ああ、あの子は可愛いね」
「見たことあるの!?」
「偶然見てしまったことあるんだよ。関係は無いよ」
「ほんと?楽しみだなあ」
 
宰相中将は“女を喜ばせる”テクニックなども披露するので「今度誰かで試してみよう」などと涼道も応じて、ふたりは猥談でも盛り上がりました!
 
(橘君は猥談は平気である。むしろ得意である。一方桜姫は猥談は苦手である!)
 
 
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