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27日の夜はまだ生理が終わっていませんでしたが、水で洗い流した上で布を何枚も当てた上に褌(ふんどし*7)を締め、その上に立派な直衣(のうし)を着けて牛車に乗り、従者の兼充に付き添われて出かけます。
やがて右大臣家に着きますが、兼充と四の君の女房・近江とで予め打ち合わせており、近江の案内で涼道は萌子の部屋に導かれました。
「失礼します。中納言の涼道です」
と涼道ができるだけ低い声で名乗りをあげると、御簾(みす)の中の姫君は
「右大臣の娘、萌子です」
と可愛い声で答えました。
萌子は涼道を見て、あれ〜?この人とどこかで会わなかったっけ?と思ったものの思い出せませんでした(*10).
涼道は「挨拶代わりに」と言って龍笛で『海を渡る』という曲を吹きました。その美しい響きは邸中に聞こえ、萌子の母や、別の対(たい)に居た三の君なども、うっとりとするほどでした。萌子自身もこんな素敵な笛を吹く人なら、帝(みかど)でなくても結婚していいかもと思ったのでした。
(涼道は“忍んで”来ているという建前をほぼ忘れている)
演奏が終わると萌子は御簾の中から
「素敵でした」
と本当に感動したように言いました。
「喜んで頂けて幸いです。何ならまだ吹きましょうか?」
「ぜひぜひ」
それで涼道は萌子にせがまれるようにして、何曲も笛を吹くことになり、それは半時(1時間)ほどにも及びました。その後、笛に関する蘊蓄に始まり、葵祭りのこと、宮中のできごとで守秘義務に反しない程度のこと、など涼道はたくさんおしゃべりをし、萌子も御簾の中でそれに相槌を打ちながら、時々質問をしたりしながら聞いていました。
しかし夜更け過ぎになると、さすがに少し眠くなってきます。
「そろそろ寝ましょうか?」
と言われて萌子はドキッとします。
“男の人と寝ると赤ちゃんができるのですよ”と聞いていたので、ああ、私も赤ちゃん産むことになるのかなあ、などと思いながら、
「どうぞ、こちらへ」
と言います。それで涼道は
「失礼します」
と言って御簾をあげて帳台の中に入りました。
燈台(*9)の灯りで、お互いの顔がしっかり見えます。
涼道は初めて萌子の顔を見て『この子、年は自分より3つ上の19歳(数え年なので満でいえば17-18歳)と聞いていたが、まだ15歳くらいにしか見えん』と思いました(*10)。 こんな可愛い子を女の自分がもらっていいのかなあと少し後ろめたい気持ちになるも
「では一緒に寝ましょう」
と言って、まずは姫が着ている小袿(こうちき)と裳(も)を脱がせます。(姫は実は自分で衣服を着脱できない)、彼女を横にさせ、今脱がせた小袿を身体の上に掛けます。更にそばに畳んで置いてある衾(ふすま*11)も掛けてあげます。燈台の灯りを消しますので、真っ暗になります。涼道は自分も直衣(のうし)を脱いで姫の右隣に横向きに寝、脱いだ衣を自分の身体に掛けました(*11).
萌子は女房たちから聞いた“寝る”ということばに、何か妙なアクセントが掛かっていたので、寝る時に何かされるのかな?と思ってドキドキしています。涼道が自分の小袿と裳を脱がせた時も、ひょっとしてこのまま全部脱がせられたりして?と思ったのですが(充分分かっている)、脱がされたのは小袿だけだったので、やや拍子抜けした気分でした。
涼道は姫に優しく微笑み掛けると、
「萌子ちゃん、目を瞑って」
と言います。それで萌子が目を瞑ると、涼道は彼女の唇にそっと口付け(*12)をしました。
萌子は「きゃー」と思いながらも、そうか、結婚ってこんなことするのか、などと考えてドキドキしています。
「痛かったら言ってね」
と言って涼道は横に寝たまま右手を伸ばし、彼女の胸元の合わせから手を入れ、彼女の乳首を指で優しく撫でました。
「気持ちいいかも」
「可愛いおっぱいだね」
「私おっぱい小さいかなと思ってた」
うん。確かに小さい!やはりこの子、身体の発達がまだまだ未熟みたいと思います。少なくとも年下の自分の胸より小さいし。
「小さいのも好きだよ」
「そうですか?」
萌子は「好きだよ」と言われたなと思ってドキドキしています。それでしばらく乳首をいじられている内に身体が熱くなってくる感じです。そして精神的な昂揚を感じますが、これも萌子にとっては初体験のことでした。
『結婚って、気持ちいいことなんだぁ』
などと思っています。
「あそこにも触っていい?」
と涼道が訊くので、どこに触られるのかな?と思いつつも、
「はい」
と答えます。
すると涼道は胸元に入れていた手を外し、今度は袿の裾の方に手を入れてきました。え〜?まさか・・・と思っている内に、涼道の手は萌子のお股の所に来ます。涼道は指でその付近に触りながら何かを探しているようです。萌子はもうドキドキして心臓が破れないかと心配になるくらいです。やがて涼道の手は萌子のいちばん敏感な場所を探り当て、そこに当てた指先に少し圧力を掛け、ゆっくりと回転運動を掛け始めました。
『きゃー!気持ちいい!!』
と萌子は思います。涼道は萌子の様子を感じ取って、また優しくキスしてくれました。萌子は脳内が快楽物質でいっぱいになっていき、もう死にそう!と思います。
「痛くない?」
「はい。大丈夫です。もう少し強くてもいいかな」
「じゃ、少し強くするね」
それで涼道は少し指を当てる力を強めスピードも少しあげました。
『ああ。私はこの人に全てを献げていい』
と萌子は思いました。
結構な時間の後、萌子は何かに到達したような感覚を覚えました。すると涼道はそれをしっかり感じ取ったようで、またそっとキスをした上で、指の圧力を弱め、回転速度もとてもゆっくりしたものに変えました。それでしている内に萌子の昂揚も少しずつ落ち着いていきます。そして・・・
萌子は眠ってしまいました!
それを見て微笑んで、涼道は姫が身体に掛けている服と衾を直してあげた上で自分も眠りに入りました。
ずっと部屋の外で待機していた女房の近江は、ふたりが“成った”のかどうかよく分からず、不安でしたが、姫は嫌がったりする声はなく。むしろ何度か快楽に満ちたような声も聞いたので、やはり涼道は(たぶん女性経験は多いだろうし)巧いので姫も気持ちよく受け入れたのだろう、などと思っていました。
実際には涼道は女性の身体の仕組みは自分の身体で充分研究済みなので、自分が気持ちよくなるようなことを姫にしてあげただけでした!
(ちなみに花子の方は男性の身体の仕組みについて、かなり無知で16歳なのにまだ自慰の経験が無いし、性交の仕方もよく分かっていない)
ふたりが御簾越しの会話を終えて一緒に御帳の中で休んだのが12時頃。そしてふたりが眠ったのが深夜1時頃です。
忍んできた男は、“家族にバレないように”という建前で、夜が明ける前に退出しなければなりません。夏の夜明はだいたい寅の三刻〜四刻(4:00-4:30)くらいです。その時刻に兼充が牛車で迎えに来ますので、近江が兼充を中に入れ、兼充が「若様」と声を掛けて、涼道は目を覚まします。3時間ほど寝たことになります。四の君も一緒に目覚めたものの、まだ眠そうな顔をしています。
「楽しかった。今夜もまた来るから」
「はい。お待ちしております」
と、言葉を交わして涼道は姫に再度キスをした上で退出しました。この時、薄い月明かりの中(*13)、涼道は下着の下に挟んでいた、月のものを押さえる布が外れていることに気付き、慌てて挟み直しました。この時、その布が接触して姫の袿が少し汚れていたことに涼道は気付きませんでした。
「若、姫君はどうでしたか?」
と兼充が帰り道に尋ねます。
「可愛い子だったよ。まだ十五歳でも通るくらいだった」
「ああ。四の君はかなり幼い雰囲気とは聞いていましたが。それなら若様とも釣り合いが取れますね」
「まあ年齢も性別も自己申告でいいよね」
などと涼道は言っています。
「年齢は自己申告でいいかも知れませんが、性別の自己申告は無茶ですよ。私が女だと主張したらどうします?若」
「許す。五衣唐衣裳(いつつぎぬ・からぎぬ・も*14)を着て私に仕えてよいぞ」
「それは勘弁してください。女房たちに陶器(かわらけ)でもぶつけられそうです」
(*7)6世紀のものと推定されている井辺八幡山古墳から褌(ふんどし)をした力士像が出土していることから、褌は少なくとも飛鳥時代以前から存在していたことが分かっている。
(*9)燈台(とうだい)は宮中や貴族の邸宅で使用された室内用の灯り。飛鳥時代に最初「結燈台(ゆいとうだい)」と言って、木の棒を3本クロスさせて立てて、その上に燈盞(とうさん:油皿)を乗せたものが現れたが、平安時代になると、足1本で支えるタイプも現れた。
燈台の標準的な高さは3尺2寸というので古代の尺(0.2963cm)で換算すると95cmくらいの高さになる。これより高いもので、部屋全体を照らすためのものを高燈台、それより低く、夜間に読み書き・お仕事などをする人のためのものを切燈台と言った。涼道は夜遅くまでお仕事をしていたので切燈台もたくさん使っていたであろう。
油を入れた燈盞(とうさん)には、布を細かく裂いて糸でくくった燈心(とうしん)を浸し、毛細管現象で油を吸い上げ点火して燃やす。すると燈心は燃えずに油だけが燃えてくれる。油は胡麻(ごま)・荏胡麻(えごま。シソ科の植物)・ハシバミなどの油、また椿油や、麻の実の油などが利用されていた。特に平安時代には搾油機が発明されて、効率的に植物油を採ることができるようになっていた。
むろんこのような油は極めて高価なものであり、江戸時代に菜種油が導入されるまでは、庶民は動物性の油(魚油・獣脂)で灯りを採っていたものと思われる。行灯(あんどん)の油を猫が舐めるなどというのはよくある風景だった。
その行灯(あんどん)は室町時代の発明、雪洞(ぼんぼり)は江戸時代に登場しており、かなり新しい時代のもの。いづれも周囲を紙で覆って、風で消えにくくしたものである。
蝋燭(ろうそく)は飛鳥時代に輸入されるようになったが、植物油より更に高価なもので、高級寺院の一部で特別な祭儀の時に使用されるに留まったようである。この輸入品の蝋燭(ろうそく)は蜜蜂(みつばち)の巣から作る蜜蝋燭だったとされ、あまり量産できる性質のものではなかった。平安時代になると松脂(まつやに)を材料に松脂蝋燭が国内で製造されはじめる。更に、漆(うるし)・山櫨(やまはぜ)などから木蝋(もくろう**1)を取り、これを原料にした蝋燭も製造された。
江戸時代になると、琉球王国から琉球櫨(りゅうきゅうはぜ)が持ち込まれ、これが優秀な木蝋を大量に出すので、漆や山櫨から採る木蝋を駆逐してしまう。そしてハゼノキと言えば、琉球櫨を指すまでになった。
(**1)木蝋はパルミチン酸グリセリドという物質で、化学的には蝋(=ワックス・エステル)の定義には当てはまらないらしい。
(*10)松尾大社の秘祭で萌子と一緒になったのは、花子(桜君)の方なので、涼道(橘姫)は萌子の顔をこれまで知らなかった。ぼんやり者の萌子は、その時“桜姫”の顔を見ていたことをきれいに忘れている。
(*11)昔は掛け布団というものは存在せず、昼間着ていた服を身体の上に掛けて休んでいた。なお、寝る時でも男性は烏帽子を取らない!ので涼道の髪が女性のように長いのはバレない。
実際には平安時代(**1)には寝具にする専用の衣服が登場し、それを衾(ふすま)と呼んだ。初期の頃は大きめの単衣(ひとえ)をそのまま使用したが、2枚使用して、間に真綿(まわた:絹の綿)などを挟んだ、暖かいものも登場する。衾はやがて袖が省略されて真四角なものとなり、これが室町時代になると掛け布団に進化したとされるが、室町時代の掛け布団にも、袖が付いていて元は単衣だったことを示すものもあったという。
なお真綿は高級品であるが、昔は木綿は真綿以上の超高級品だった。
なお物語の時期(平安初期)は新郎新婦が自分で衾を掛けていたのだが、後に平安時代後期になると、初夜に衾を掛けるのは、新婦の母(母が亡い時は女性親族。近い女性親族が居ない場合、最悪父や兄**2)が行うことになり《衾覆儀》と呼ばれ、これをむしろ《露顕》とも呼ぶようになった。
(**1)日本書紀の天孫降臨の所で一書(第四)に
「高皇産靈尊、以眞床覆衾、裹天津彦國光彦火瓊瓊杵尊、則引開天磐戸、排分天八重雲、以奉降之」
(高皇産霊尊、真床覆衾をもって、天津彦國光彦火瓊瓊杵尊に着せ、すなわち天磐戸を引き開け、天八重雲を押し分けて、もって之を降ろし奉る)
とあり、衾という概念は既に日本書紀が編纂された時代(720)にも既に存在したことが窺える。
(**2)どこかの出来の悪い萌小説のように、父や兄は性転換する必要も女装する必要も無い。
(*12)キスは土佐日記(934頃)にも「口吸い」として記述されており、日本でも古くからおこなわれていたことが推察出来る。
(*13)夏の朔2日前なら、太陽が昇るのが5時頃なので、月は3時頃昇る。夜明は昔は「日出の2刻半(=36分)前」と定義されていたので、28日朝の場合4時半頃。つまり月が昇ってから退出して間に合う。29日朝も月は4時頃昇るので月が出てから退出して間に合う。1日朝(朔)になると月は太陽と一緒に昇り新月なので月出が人間の目では観測出来ない。どっちみち露顕する日である。
下記は2019年8月1日朔の場合の京都地方の日出・夜明・月出時刻である。
7/30 旧6/28 日出5:03 夜明4:27 月出2:40
7/31 旧6/29 日出5:04 夜明4:28 月出3:40
8/01 旧7/01 日出5:05 夜明4:29 月出4:48
↑の表で夜明けは「太陽の伏角7度21分40秒」という現代の定義ではなく、「日出の2刻半前」という昔の定義を適用している。ここでいう刻は時を4分割したものではなく、1日を100分割したものである。1日は24×60=1440分なので2刻半=14.4分×2.5=36分になる。
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男の娘とりかえばや物語・各々の出発(3)