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■男の娘とりかえばや物語・各々の出発(5)

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(C)Eriko Kawaguchi 2019-03-08
 
さて、男子として元服し“涼道”の名前をもらって、宮仕えして中納言・中将にまで出世してしまった橘君(実は橘姫)に対して、その身代わりに女子として裳着をすることになってしまい“花子”の名前をもらい、不本意ながら“姫”を演じている桜姫(実は桜君)は、毎日女房たちと箏や和琴を引いたり、人形遊び・貝覆いなどをして遊んだりするものの、橘姫が忙しくて話す時間も取れず、裳着の後3年ほど、悶々とした日々を送っていました。
 
橘姫のほうは男として暮らしてはいても生理が来るようになり、胸も膨らんで肉体的には女性として発達して行っているのに対して、桜君は鬚(ひげ)や男性的体毛が生えてくることもなく、喉仏も発達しなければ声変わりも来ず、実はまだ精通も来ていませんでした。
 
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男っぽい身体に変わっていかないのは、姫の代理をするのには好都合なのですが、16歳(満年齢で言うと14-15歳)にもなって声変わりが来ないことについてお付きの女房の伊勢や式部も不思議に思っていました。
 
「もしかして桜様は男性的な機能が弱いのかも」
「ああ。ボクも自分が男として不完全なのは認識しているつもり」
「それなら、もうしばらくは去勢しなくてもいいかも」
「あはは。やはり去勢する?」
「20歳になるまでにはしましょう」
「分かった」
 
まあこういう生活してたら、女の人と結婚することもないだろうし、タマタマくらい取っちゃってもいいかもね、などと最近は桜君も思うようになってきました。でもタマタマだけで済むのかな?ちんちんも取れって言われたりして?と思うと、少し不安になります。もっとも桜君のおちんちんはいつも膠で固定されていて、自分で触る機会もないので、実はほとんど付いてないも同然です。尿筒などでおしっこはできないので、おしっこする時は虎子という壺を使用しています。
 
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もっとも、おちんちんの無いはずの橘姫はふつうに尿筒を使っているようなので「どうすれば、ちんちんも無いのに尿筒が使えるんだ?」と疑問に思っていました。
 

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ところで、天皇の位を退いて、今は朱雀院にお住まいになっている、先の帝が花子(実は桜君)のことを心配していました。
 
兄の涼道(実は橘姫)には、自分の娘である女東宮(雪子)の後ろ盾になってもらい、よくしてもらっていて感謝しているので、なおさらその妹の花子のことが気になるのです。
 
16歳ならもう結婚適齢期のはずで、しかも美貌で舞にも箏にも長けた姫君というのに、婿取りをするような気配もなく、男からの手紙は全て女房たちがシャットアウトしていると言います。それなら入内して今上の妻(関白の娘なら皇后になれる可能性が高い)になるのか?と思うと、そういう訳でもないようで、実際今上から何度も誘いがあったのをお断りしていると聞きます。
 
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それでどうするつもりか?と直接父親(関白・重治)に訊いてみたこともあるのですが
 
「あの子はとても外には出せないので、いづれ尼にでもするつもりです」
 
などと言っています。朱雀院はそんな美貌の姫君なのにもったいないと考え、その年
 
「入内しないというのであれば、東宮(女一宮)の遊び相手になってもらえないだろうか」
 
と持ちかけました。
 

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左大臣はまた難題が出てきたと悩み、花子の母・春姫に相談したのですが、度胸の据わった秋姫(橘姫の母)に対して、春姫のほうは優柔不断です。
 
「そんなこと、どうしたらいいのでしょう。私も悩んでしまう」
などと言って、全然相談相手になりません。
 
しかし妹(涼道)が性別のことがバレないまま何とかなっていてしかも女性と結婚して夜の営みまでちゃんとやっているらしいと聞き、それなら、兄(花子)も何とかなるかも知れないと思い、彼女(彼?)を東宮の傍に仕えさせる話を受けることにしたのです。
 
「何かの間違いで、あの子、帝の妻になってしまうかも知れないし」
と考えてしまいますが、どうしたら男の身で妻になれるのかは、思考停止気味です。
 
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話を聞いて桜君はぶっ飛びました。
 
「無茶ですよ〜。バレるに決まってます。私、おっぱいも無いし」
「しかし胸があって、魔羅は無いはずの桔梗は男としてふつうにやっているし、右大臣の四の君と結婚して、ちゃんと夫をしているし」
 
「あれどうやってるんですかね?本人に訊いても笑って答えないし」
と桜君は疑問を提示しますが
「俺も分からん」
と父も言います。
 
「ひょっとしてあの子、ちんちんがあるとか?」
「うーん。。。あっても不思議ではない気がする。お前はちんちんまだあるんだっけ?」
「ありますよぉ」
「いっそ取ってしまうか?」
 
「それはまだ勘弁して下さい。分かりました。何とか頑張って女を演じます」
 
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ということで、桜君はうやむやの内に、東宮の話し相手というお仕事を引き受けてしまったのです。
 

その年の11月10日、“桜姫”は尚侍(ないしのかみ*1)という職を与えられ、女房40人・女童8人を連れて宮中にあがりました。むろんお気に入りの伊勢と式部も一緒です。しかしただの話し相手として上がるには仰々しすぎる人数で、多くの人は、尚侍という名目で宮中にあげ、いづれ帝の女御にするのであろうと考えたようです。
 
(こういう侍女たちの費用はむろん左大臣の私費であり、多人数の侍女を付けるのは財力を誇示するデモンストレーションの意味もある)
 
もっとも、もう少し身分の低い家の娘なら、そういう手法を使うこともあるのですが、関白の娘なら最初から女御ということでいいはずなので、そのあたりは多くの人が首をひねりました(*2).
 
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(*1)「尚侍」は「ないしのかみ」と読んで内侍司の長官のことである。
 
内侍司のトップが尚侍(ないしのかみ)、次官が典侍(ないしのすけ)、第3官が掌侍(ないしのじょう)となる。基本的に所属部署の“前”に尚・典・掌という序列名を付けることになっている。後宮十二司の各々のトップは次のようになる。
 
内侍司→尚侍(ないしのかみ) 三種の神器のひとつである鏡を管理し、式礼を行うとともに、天皇の秘書役を務める。
蔵司→尚蔵(くらのかみ)   天皇の衣服や宝物の管理
書司→尚書(ふみのかみ)   文書や文具また楽器の管理
薬司→尚薬(くすりのかみ)  医薬品の管理
兵司→尚兵(つわもののかみ) 兵器の管理
闡司→尚闡(みかどのつかさのかみ) 門や金庫の鍵の管理
殿司→尚殿(とのもりのかみ) 燃料と輿(こし)の管理
掃司→尚掃(かにもりのかみ) 掃除
水司→尚水(もいとりのかみ) 水と氷の管理。粥作り
膳司→尚膳(かしわでのかみ) 食膳の用意
酒司→尚酒(さけのかみ)   醸造
縫司→尚縫(ぬいどののかみ) 衣服の裁縫。女官の出欠管理
 
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なお、宦官を使用した唐と異なり、日本ではこれらの役職は全て女性が任じられた。
 
(三種の神器の)鏡が置かれた賢所のある温明殿(うんめいでん)は内侍所とも呼ばれた。律令制では天皇のお言葉は内侍司が男性の書記官に口頭で伝えて記録された。平安時代になるとこれらの十二司は衰退し、やがて内侍司にほとんどが吸収されてしまった。
 

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(*2)有力者の娘でもそういう手法を採ることが無い訳ではない。
 
藤原道長の娘で有名な彰子(しょうし)の妹・威子(いし)は初め尚侍として宮中にあがり、更に御匣殿(みくしげどの)を経て、やっと女御になっている。
 
とりかへばや物語は彼女より後の時代に書かれた物語である。
 
なお、天皇の妻の名称は次のように変遷してきている。
 
●律令に定められたもの
 
皇后1名、妃2名、夫人3名、嬪4名。
 
●妃と夫人が消滅し、嬪は別名の“女御”の名前で呼ばれるようになる。女御の定数は無視され、大量の女御がいるケースも出るようになった。
 
●嵯峨天皇(809-823)の時代に、本来は天皇の着換えを手伝う女官だった更衣が下級女御の名称として使用されるようになった。
 
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この皇后(=中宮)・女御・更衣というのが、天皇の妻の基本的なランキングである時代がわりと長く続いた。「女御更衣あまた侍ひ給ひける中に」(源氏物語)
 
・更に御息所(みやすどころ)・御匣殿(みくしげどの)なども更衣に次ぐ地位として認定された。源氏物語には六条御息所(秋好の母)が出てくる。
 
・本来は内侍司(ないしのつかさ)の長官の意味だった尚侍(ないしのかみ)が更衣に準じるものとして扱われるようになり、本当の内侍司のトップは典侍(ないしのすけ)が務めることになった。
 
・更にその典侍(ないしのすけ)まで、身分の低い家出身の女性を妻にする場合の肩書きとすることが行われるようになった。大正天皇の生母は柳原愛子典侍である。
 
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さて、東宮雪子は梨壺(昭陽舎)に住んでおられるのですが、尚侍の私室はに置くことになりました(梨壺の西に麗景殿があり、その北に宣耀殿がある)。
 

 
(帝の居場所は最初は承香殿の南側にある紫宸殿(南殿ともいう)だったが、後にその西側(藤壺の南側)にある清涼殿に移り、やがて後宮の中心にある常寧殿となった。紫宸殿の庭に“左近桜・右近橘”がある)
 
(清涼殿におられる帝の所に、いちばん遠い桐壺に住む更衣が向かう場合、途中多数の殿舎を通過する。これが源氏物語の初期の状態である)
 
●後宮七殿五舎
 
弘徽殿(こきでん)
承香殿(じょうきょうでん)
麗景殿(れいけいでん)
登香殿(とうかでん)
貞観殿(じょうがんでん)
宣燿殿(せんようでん)
常寧殿(じょうねいでん)
 
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飛香舎(ひぎょうしゃ)藤壺
凝華舎(ぎょうかしゃ)梅壺
昭陽舎(しょうようしゃ)梨壺
淑景舎(しげいしゃ)桐壺
襲芳舎(しほうしゃ)雷鳴壺
 

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宮中にあがった翌日、花子は梨壺に居られる東宮の所に挨拶に行きます。唐衣と裳で正装し、両手を突き頭も床につけた状態で
 
「関白藤原家の重治が女(むすめ)、花子にございます。この度、尚侍(ないしのかみ)の職に任じられました。東宮殿下におかせられましては、ご機嫌麗しゅう存じあげます」
などと緊張して花子が言うと
 
「ああ、もっとくだけて、くだけて。そんな堅苦しい言葉使われたら肩こっちゃう」
と雪子東宮は笑顔で言っています。服も袿の重ね着だけで、その上に小袿も裳も着けていない、ラフな格好です。
 
「そなたの兄上には日々お世話になっているが、実にそっくりな兄妹だね」
「はい。私たちの母たちも取り違えるほど、似ているんですよね」
「取り違えるって、男と女を取り違えることはあるまい」
「あ、そうですよね!」
 
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「もっともそなたの兄上はあまりにも美しいので、女房衣装を着せたくなるほどだが」
「ああ、小さい頃、私の服を着せて遊んでました」
「まじ!?」
 
「女の服なんて嫌だぁ、って嫌がるんですよ」
「あはは。そりゃ嫌がるだろう」
「代わりに私が兄上の服を着ちゃったりして」
「おお、私も小さい頃、結構男の服を着せられてたぞ。お前が男だったらよかったのにと、随分院(朱雀院・雪子の父)から言われたものよ」
「ああ。男と女を取り替えるのだけは、難しいでしょうね」
「うん。なかなか難しいと思う」
 
と言って、雪子と花子は初日から脱線気味の会話をしていました。
 

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花子が箏、和琴などを弾き、また今様(当時の歌謡曲!)も良くするというので早速お聞かせしますと
 
「美しい。兄上の笛や琵琶と合わせたいな」
と東宮はおっしゃいます。
 
「兄がまだ出仕していない頃は、よくふたりで各々の対(たい)にいるまま音だけで合わせていました」
「それは素敵だ。今度一緒に演奏してみてくれ」
「はい」
 
東宮というのは、かなり多忙なお仕事です。帝の名代で色々な人と会って話をしなければなりませんし、帝より行啓(*3)の機会も多いです。梨壺は基本的にはお住まいであり、昼間は清涼殿に設けられた“上の御局(うえのみつぼね*4)”で執務なさっていることが多いようでした。
 

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