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■男の娘とりかえばや物語・各々の出発(7)

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花子と涼道の合奏は、わりと早い時期に実現しました。当日は雪子の居所である梨壺に、梅壺女御、麗景殿女御、弘徽殿女御という、帝の3人の妻も招待します(*6). 各々の女御用の御帳も用意するので、お互いの顔を見ることはありませんが、それでもライバルの3人が同じ場所に揃うのは、雪子という女東宮あってのことです。各々のお付きの女房たちも凄い人数でした。
 
その中で涼道の龍笛と花子の箏の合奏で今様の曲を5曲演奏したのですが、
 
「ふたりとも上手い!」
「音がきれいに共鳴している」
「なんて素敵な合奏なのだろう」
とみんな褒め称えていました。
 
「でも中納言と尚侍って、ほんとにお顔が似ていますね」
と弘徽殿女御が言います。
 
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「いっそ中納言も女の服を着せて姉妹ということにしたいくらいですね」
と雪子が言うと、花子は可笑しそうに笑っていますが、涼道は困ったような顔をしています。
 
「ああ!中納言の女装は見てみたいと思ってた」
と梅壺女御まで言います。彼女は右大臣の二の君で、尚侍が宮中に入ったことに(そのうち帝の妻になるのではないかと)いちばん警戒している人なのですが、取り敢えずこの合奏には良い印象を持ったようです。
 
「これきっと中納言が女の服を着たら、ふたりは双子の姉妹みたいになるでしょうね」
と麗景殿女御も言いました。
 
「中納言、一度女の服を着てみるか?」
と主上までおっしゃいますが
 
「勘弁してください」
と涼道は恥ずかしそうに言いました。
 
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なお、この催しは後宮で行ったので出席している男性はごく少数です(*7).主上と涼道以外では、弘徽殿女御の弟の近衛少将・弘房、麗景殿女御の兄の左京大夫・良通くらいでした。右大臣・左大臣は遠慮しました(左大臣はむしろ居たたまれない気分だった)。宰相中将などは花子の顔をしっかり見る機会なので行きたかったのですが、生憎打合せがあり、行くことができませんでした。
 
しかしこの場に居なかった人たちも、音だけ聴いて「美しいな」思ったのでした。
 

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ある日、花子が雪子の梨壺の部屋に行くと
 
「花子ちゃんにおっぱいを作ってあげたよ」
と言います。
 
意味が分からず「え?」というと「これこれ」と言って雪子は楽しそうに帯のようなものを見せました。
 
それは4尺(120cm)ほどの長さ、4寸(12cm)ほどの幅の布ですが、その途中に2箇所、丸い丘のような膨らみがあるのです。布を扇形に切ったものを4枚縫い合わせて丸みを出したようです。頂上部分は丸い布になっていて、つまり5枚の布で半球状の丘を作っています。
 
「もしかして女御子(ひめみこ)様のお手製ですか?」
「そうそう。私が裁縫したよ」
と雪子は楽しそうに言っています。
 
「凄い」
 
花子は雪子が裁縫もうまいことを知っています。雪子はしばしば小物などを自分で縫って作っています。
 
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「この膨らみを触ってごらん」
とおっしゃるので触ってみると、適度の弾力があります。
 
「柔らかい」
「おっぱいみたいに柔らかいでしょ?ほら私の胸と触りくらべてごらんよ」
 
と言って雪子は花子の手を取って自分の胸に触らせます。
 
(日々の雪子によるセクハラ?のおかげで花子も雪子の胸に触るくらいは平気になっている)
 
「確かに感触が近いかも」
「これ、中に毛氈(もうせん:フェルト*8)を詰めてあるんだよ」
「それ貴重なものなのでは?」
「うん。でも私の大事な花子ちゃんに、おっぱいが無いなんてバレたら大変だからね(遊び道具が無くなるし)、洗い替えもまた作るから着けてごらんよ」
 
それでいったん服を脱いで、その“おっぱい”を装着し、再度服を着ます。
 
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「ほら触った感じが、ちゃんとおっぱいあるみたい」
「すごーい」
 
それでこれ以降、花子はこの“偽おっぱい”で胸を偽装するようになったのです。
 
「ちなみにマジでおっぱいが大きくなるという秘薬もあるんだけど」
「なんか怖いから遠慮します」
 

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花子はここ数年、不本意に女の格好をさせられて、女として自分は生きていかなければならないのだろうかと思って悶々としており、また涼道が忙しいことから話し相手も得られず、鬱屈した気分になることが多かったのですが、宮中にあがってからは、雪子がとっても楽しい人なので(朱雀院が心配した訳がよく分かった)、毎日が楽しくて、随分と気分が変わりました。
 
女を演じることが苦痛でなくなり、女東宮の遊び相手として、また時には秘書として、のびのびとした生活を送っています。また女東宮の後見人である涼道と会う機会もできて、3年前の涼道出仕前に戻ったような気分でした。
 
そういう訳で、涼道が出仕する前後に比べると、花子は随分明るい顔をしていることが多くなったのです。一方の涼道の方は四の君を欺して、かりそめの夫婦生活をしているのが、いつバレて破綻するかとヒヤヒヤでもあり、また女の自分がこのような男としての生活をずっとしていてよいのかという疑問もいつも頭の中にあり、次第に悩みが深く、そして顔色もすぐれないことが多くなっていきました。周囲の人はそれを忙しすぎるので過労だろうと思っていたようです。
 
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(*6)“梅壺女御”は原作では“後の月”の宮中行事で帝の所に向かう所を中納言が見とれるシーン1ヶ所にしか出て来ず、古来その正体が謎である。主な説は
 
(1)右大臣の二の君
(2)右大臣の一の君(朱雀院の女御)
 
というもので、特に(1)説を採る人は多い。川端康成などがそうである。それは梅壺女御は帝の寵愛を最も深く受けていたと思われること、そして尚侍が中宮になった後に、自分はもう愛されなくなってしまったからと言って右大臣の二の君が里帰り(離婚!)してしまうシーンがあるからである。
 
それでこの作品でもその説を採用することにした。氷室冴子は右大臣の二の君は弘徽殿女御ではないかとしている。
 
なお麗景殿女御は、むしろその妹が後に重要人物になってくる。
 
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(*7)平安時代の後宮というのは、江戸時代の大奥などとは違い、別に男子禁制ではない。皇族や公卿などは比較的自由に出入りし、また後宮に仕えている女性の近い親族なども目的を明確にすれば立ち入ることができた。
 
平安時代の後宮は性善説で運用されていたのである。
 
それでもやはり男性が無闇にうろうろしてよい場所ではないし、またそこに住む女性たちは部屋の鍵をしっかり掛けて、変な男が勝手に入ってこないようにしていた。
 
時の権力者になると結構勝手に歩き回ることもできたようで、藤原道長は(娘の彰子の所に来たついでに?)、紫式部の私室に勝手に侵入し、書きかけの『源氏物語』の原稿を持ち出してしまい、紫式部が(持ち去られた部分を思い出しながら再度執筆するのに)苦労することになる。
 
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(昔はコピー機というものが無い)
 

(*8)フェルトは羊の上毛(ケンプ)などに水分を含ませた上で圧縮し、繊維同士が絡み合うようにして(縮絨と言う)シート状にした“不織布”である。日本語では毛氈(もうせん)と言う。モンゴルでは古くから制作されており、正倉院には奈良時代の物と思われる毛氈が納められている。
 
日本では羊は何度か輸入されたことがあるものの国内飼育が定着したのは大正年間以降である。日本は明治時代、毛織物の輸出国だったのだが、その材料の羊毛はほとんど輸入に頼っていた。従って雪子の時代の毛氈は(多分モンゴル産の)中国からの渡来品で、宝物(ほうもつ)に近いものであったと考えられる。皇太子でもなければそんなものを趣味?の工作品に使うことはできなかったであろう。
 
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平安時代の国産の毛製品としては、兎褐(とかち)というものもあった。これはウサギの毛を混紡して作られた織物であり、北陸地方の特産品だったらしい。毛氈に比べれば安いが、それでも高級品だったと思われる。
 
羊の毛は太い上毛(ケンプ)と柔らかい下毛(ウール)に分かれる。野生種の羊には実はウールがあまり無く、ほとんどの毛がケンプである。このケンプがフェルトの材料として使われた。
 
後にウールの需要が高まるにつれ、ケンプが少なくウールの多い羊が品種改良により作られ、14世紀頃にスペインで“メリノ種”が誕生した。当時スペインはこの羊の国外輸出を禁止していたが、18世紀に戦乱に乗じて国外に流出。世界的に飼育されるようになった。
 
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ところで宰相中将ですが、花子が尚侍となった今もまだ彼女のことを諦めていません。帝のお手がついたりする前に自分のものにしてしまえばいいと思っています。
 
幸いにも左大臣宅にいた頃よりは近寄りやすいですし、お仕事で顔を見る機会もあります。それでその美貌が予想以上だったので、更に恋心を燃やしています。
 
「しかしマジで尚侍は中納言にそっくりだ」
と彼もふたりがあまりにも似ているので驚きました。
 
「これなら中納言をうっかり女と思って抱きたくなってしまう訳も分かる」
などと勝手に納得しています。
 
それで尚侍の居所である宣燿殿の付近をうろうろしていたりするのですが(彼は帝の従弟なので後宮をうろうろしていても咎められない−どこかの女官に懸想をしているのだろうと思われている)、実際には尚侍は東宮の助手として多忙なようで、なかなか話す機会を作ることはできませんでした。
 
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何度か思い切って私室まで訪ねて行ったこともあるのですが、伊勢などの女房にうまく追い返されてしまっていました。
 

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その年の11月中旬、新嘗祭(にいなめさい)の行事がありました。
 
現代でいえば勤労感謝の日ですが、旧暦の11月は今の12月くらいに当たり、これは実は(以下の祭の内容を見れば分かるように)冬至祭の性格もあったのです。なお、天皇が代替わりした時に新しい天皇が最初にする新嘗祭を特に「大嘗祭(だいじょうさい)」と言い、特に大がかりに行われてきました。
 
新嘗祭は11月の2度目の卯の日(言い換えれば13-24日の間の卯の日)に行われるのですが、関連行事はその2日前から行われます。そして新嘗祭で重要な役割を果たすのが「五節舞(ごせちのまい)」です。
 
4人の舞姫(大嘗祭の時だけ5人)が大歌所の“大哥”が歌う古歌、“小哥”が歌う今様(流行歌)に合わせて舞を舞います。
 
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舞姫は公卿の娘が2名、受領・殿上人の娘が2名選ばれます(女御や稀に皇太子が舞う場合もある。史上唯一の女性皇太子・阿倍内親王は743年の新嘗祭で舞っている)。これは大変な名誉で、選ばれた娘は何ヶ月も前から練習に励みました。現代の五節舞では、補欠1名を加えた状態で練習して、何かあった時のために備えているそうなので、昔もそうであったかも知れません。
 
古くは舞を舞った女性の中の1人を天皇が指名して妻にしたとも言われますが、平安時代には既にそのような制度は無くなっていました。また後の時代になると、良家の娘で毎年舞姫を4人確保するのが困難になり、指名された公卿や殿上人の家の配下の下級貴族の娘が代行することも一般化していったようです。しかし代理の娘に舞わせる場合も、各々の家ではふんだんに予算を使って豪華な演出をしていたようです。
 
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『日出処天子』では厩戸皇子が女装して舞姫に加わり崇峻天皇の御前で舞っていますが、たぶん皇子が女装して舞うなどという制度は無かったのではないかと・・・(作中でも皇子が加わることはあるが男舞だと記述されています)
 
そして今回、実は右大臣家からは4人の娘の中で唯一未婚の三の君(充子)、左大臣家からは尚侍(花子)が舞姫として出たのです。
 
尚侍は現在東宮の助手としてとても多忙なのですかが、この五節舞は、出てもらうかもと言われて過去に練習したことがあったので、問題無く舞うことができました。実はその時、四の君(萌子)も一緒に練習したのですが、彼女は結婚してしまったので、舞姫になることはできません。それで舞の上手さでは四の君に一歩劣るものの、三の君の出番となりました。
 
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男の娘とりかえばや物語・各々の出発(7)

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