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その日、千里たちは理科の授業で電気の直列・並列の話を習っていた。この学校では5-6年生の算数・理科・国語・社会は各々それに得意な先生が教えており、理科は2組担任の伊藤先生の担当だった(我妻先生は国語と社会)。
「回路のつなぎ方には直列というものと並列というものがあります。例えばこれが電池を直列につないだものです」
と先生は実際の模型を示した。
「電池を直列につないだ場合は、そのパワーが足し算になります。1.5V(ボルト)の乾電池を2個直列につなぐと 1.5+1.5=3.0 で、3V(ボルト) の起電力が得られます。だから電池を2個・3個入れた懐中電灯は1個入れるものより2倍・3倍明るいですね」
「電池のつなぎ方にはもうひとつ並列つなぎというのがあります」
と言って先生はこれも模型を示す。
「この場合は、電池の起電力は上下に分かれた部分で各々1.5Vなので全体でも1.5Vの電源として働きます」
「だったら並列につなぐのは無駄ですか?」
と質問がある。
「並列につなぐと、起電力は電池1個の時と変わりませんが、倍、長持ちするんですよ」
「ああ」
「だから電池を長持ちさせて、あまり頻繁には交換したくないような所に並列つなぎは使いますね」
と先生は言う。
「断線にも強いですよね?」
と玖美子が確認する。
「そうです、そうです。並列回路は、どちらかが断線しても他方でつながっているので、それで動き続けるんです。ですから停まったら困るような所にも実は並列つなぎは使うんですよ」
「もし人間が電池で動いているなら、電池は並列にしておかないと恐いですね」
「全くですね。でないとどこか断線したらそのまま死んじゃうからね」
と先生は答えた。
「村山は電気で動いているという説があります」
「ああ、村山が電化製品に触ると壊れるよな」
「村山、並列回路にしといた方がいいぞ」
などと男子が茶化していたが、千里は手を振っておいた。
「村山、何か質問ある」
と伊藤先生が訊く。千里が手を振ったのが、質問か何かのために手を挙げたように見えたのだろう。
千里はさっきから疑問に思っていたことを訊いた。
「乾電池って1.5V(ボルト)なんですか?」
「いい質問だ。特殊な用途の電池には他の電圧のもあるが、普通に使用されているのは1.5Vに統一されてる。単一、単二、単三、単四、全部1.5V。ただしボタン電池はバラバラ」
「ああ」
その時、千里はなぜそういう質問をしたのか分からない。
「先生のお話を聞いていて、ふと思ったんですが、その直列と並列の中間の場合はどうなるのでしょう?」
「中間というと?」
「言葉でうまく説明できないのですが」
「黒板にちょっと書いてみて」
「はい」
と言って千里は前に出て行き黒板に絵を描いた。
「こういうふうにですね。並列にして、片方は直列にするんですよ」
先生がこの絵を見てうなったが、教室内も騒然とする。みんな分からないのである。
「みんなに訊いてみようか」
と先生は言う。
「沢田(玖美子)はどう思う」
先生がいきなり成績トップの玖美子に訊いたのはこの問題が凄く難しい問題であることを示している。
「並列した内の強い方の回路が効いて3Vになる気がします」
と玖美子は答えた。
「田代は、どう思う?」
「ひょっとしたら弱い方に引きずられて1.5Vになっちゃうかも。新しい電池と古い電池をうっかり混ぜて使うと、全体も弱くなるんですよ」
「意見が分かれたな。琴尾(蓮菜)はどう思う?」
「凄く不確かなんですが、もしかしたら平均で (3+1.5)÷2=2.25 で2.25Vになるかも」
先生は楽しそうである。
「ホントに色々意見が出るな。これ答え知ってる人いる?」
と先生が教室に尋ねると、鞠古君が手をあげた。
教室が騒然とする。
「おお。鞠古の意見は?」
「2Vです」
「凄い。正解」
「え〜〜〜!?」
という声が教室全体に響く。誰も思いもよらなかった数字である。どこをどうしたら2などという数字が出るのか?
「ついでに言うと、そういうつなぎ方をすると電池が爆発することもあり、とても危険です」
と鞠古君は言った。
「そうそう、そうなんだよ。だからこれは絶対に実験してみてはいけない」
と先生は鞠古君の言葉を追認した。
「でもよく知ってたな」
「高校生の姉貴に習いました。こういう時は1.5と3.0の調和平均を取るんだって。平均速度を求める問題と同じだって」
「調和平均か!」
と叫んだのが、田代・玖美子・蓮菜の3人である。他の子は“調和平均”という言葉を知らない。
鞠古は平均速度という例を出したが、速度の平均を求める場合も、やはり調和平均が出てくる。数学的には電圧の平均を求めるのと同じ問題である。
120kmの行程を行きは 60km/h, 帰りは 40km/h で走った場合、平均速度は40と60の調和平均 48km/h になる。
「うん。これは高校の理科なんだよ。キルヒホッフの第2法則というのを使う」
と伊藤先生は言う。
こういう法則の名前がさっと出てくるのはさすが理科が得意の伊藤先生である。文系得意の我妻先生はきっと知らない。
「こういうアンバランスな回路を作った場合、上側と下側で電圧の差があるので、実はこの並列部分に循環する電流が流れてしまう。上の方が強いから下側は、電池の起電力と逆向きの電流が流れる。それでこれが蓄電池ならこの電池は充電されるだけだからいいんだけど、普通の乾電池の場合は過熱したり、最悪爆発する」
「そしてこの内部回路で消費されてしまうから、この回路全体の起電力は単なる直列の場合より減ってしまうのだよ」
と先生は概略を説明した。
「この内部回路について起電力を計算してみると、各々の電池の起電力をEとして−E+E+E=Eになる。一方この回路の電圧降下はひとつの電池の電圧降下をRとして3R。だからE=3Rとなる。この回路全体の起電力は、2E-2Rになるから R=E/3 から、2E-2R = 4/3 E になる。E=1.5 を代入して、回路全体の起電力は1.5×4÷3 = 6÷3 = 2V となる(*17)」
と伊藤先生は黒板に数式の羅列を書いた。
「分かりませーん」
という声が多数。
「うん。今は分からなくてもいい。高校に行った時にこの話をチラッと思い出してね」
と伊藤先生は笑顔で言った。
そしてこの話を聞いた瞬間、小春は千里を来年の春に死なせないとんでもない方法を思いついたのであった。
(*17)一般に並列回路の上にm個、下にn個の起電力 E の乾電池をつないだ場合の全体の起電力は、 ( 2mn/(m+n) )E になる。これは mE と nE の調和平均である。ただしこのつなぎ方は爆発の恐れがあり、とても危険である。
2002年11月27日、中国で新型コロナウィルスによる感染症 SARS (Severe Acute Respiratory Syndrome) のアウトブレイクが報告されたが、この時点ではごく一部の人以外、これが重大な問題であることに全く気付かなかった。
青葉の父もこれが自分が経営する会社(旅行代理店)の倒産につながる事態であるとは思いもよらなかった。そもそもこのニュース自体に気付いていなかった!!
12月1日(日).
千里がその日、恵香・美那・穂花と3人でバスに乗りジャスコに来て、買物もせずに(そもそもお金が無い)ぶらぶら見て歩いていたら、突然向こうから晋治が来るので仰天する。
「お母さんに電話したら、ここに来てると聞いたから」
「え、えーっと私、こんな格好・・・」
女の子同士で遊びに来ていたので、千里は全く適当なトレーナーに安物のブルージーンズ、そして裙が少しほつれているダウンコートを着ていた。
「服装は気にしなくていいよ」
と晋治は言うが、こちらは気にする! 会いに来るなら事前に言ってよぉ!!
恵香たち3人は
「じゃね」
と言って向こうに行った。
取り敢えずジャスコ内のフードコートでピザと紅茶を取って、ピザはシェアして食べる。
「いや、千里結局中学はどこ行くのかなと思ってさ。それを確認しておきたかったんだよ」
「私はこのまま公立のS中学に進学することになると思うけど」
「うちの学校に入らない?」
と晋治は言った。
「T中学なんて、私の頭では絶対無理。それにうちは貧乏だからとても私立なんて行くお金無いよ」
「千里の力があれば、野球部の特待生になれると思う」
ドキッとした。夏休みにデートした時、晋治の先輩?から性転換してうちに入らないか?なんと言われたっけ。
「それ男子として入るということ?」
「そこが難しい所なんだけど」
「野球部って丸刈りなんじゃないの?」
実際晋治は5分刈りにしている。私は丸刈りなんて絶対嫌だ。たとえ男になったとしても絶対そんな頭にはしたくない。
「丸刈りというのは選手が自主的にしているだけでルールじゃない。だからある程度の長髪は、特に実力のある選手では容認されると思う」
「でも私が男になっゃったら、晋治との関係も終わりだね」
と千里は言った。
いやT中に行かなくても、地元のS中でも、男子で自分の今の髪の長さは許されないのではという気がしていた。
「その問題はいったん棚上げしないか?」
と晋治は提案した。
「僕は千里との関りをずっと続けていきたい」
「でも私は中学になったら、どっちみち今のような性別曖昧な状態は続けられなくなると思う。きっと晋治が愛せない姿になってしまう。そして私はそういう姿を晋治に曝したくない。晋治のこと好きだから」
好きと言われて晋治はドキドキしている。
「僕は気にしないよ」
「私は気にする!」
と言ってから千里は少し前から考えていたことを言った。
「私たちの関係、3月いっぱいで終わりにしない?」
「終わり?」
「私は晋治の記憶の中では永遠に可愛い女の子のままで居たい。だから男みたいになっていく私の姿を見せたくない」
晋治はしばらく考えていた。
そして言った。
「少し考えさせてくれないか」
「うん」
「でも今日は遊ぼうよ」
「うん!」