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玲央美たち女子日本代表のメンバーと、男子日本代表(ユニバ代表)は10月7日に中国に渡航し、天津で10月9-14日に東アジア競技大会を戦った。男子はフル代表が使えず(信じがたいことにこの国際大会より国内リーグの開幕が優先された)ユニバ代表で参加したのに4位と大健闘した。
一方の女子代表はせっかく中国に勝ったのに最終戦で台湾に負け、結局日本と中国と台湾が2勝1敗で並んでしまった。ここで相互得失点率の勝負になり、中国が得失点率1.092で1位、日本が0.962で2位、台湾が0.950で3位となった。
金メダルを取れる大チャンスだったが、台湾に不覚を取ったことで準優勝に終わった。
10月19-20日、近畿実業団バスケットボール選手権の準々決勝・準決勝・決勝が大阪市内の体育館で行われた。
千里はまた“細川の妻”を自称して唐揚げ、トンカツ、などを差し入れた。選手たちは頑張り、優勝は果たせなかったものの準優勝を達成。これでチームは来年(2014)秋の全日本実業団競技大会に出られることになった。
選手たちは物凄い歓びようであった。
10月19日(土)、スペインでもLFBのシーズンが始まった。千里は最初の試合、第3ピリオドに出してもらった。主力を休ませる間のつなぎという感じだったが、5分間の予定だったが結局10分間出してもらう。その間に、2スティール、3アシスト、そしてスリーを3本決めて9得点と、結構な活躍であった。ターンオーバーは0である。
1軍のチームメイトたちが千里を鋭い視線で見ているのがとても快感だった。
私もそろそろ復活しなきゃね!
なお、19日の試合は現地時刻で19:00-20:30くらいに行われたが、これは日本では20日の2:00-3:30くらいに相当し、夜中なので、大阪での貴司たちの応援と両立したのである。
10月20日の貴司たちの試合が終わったのが16:30頃で、千里は準優勝のお祝いにとケーキを事務の人に託して、自分自身は葛西に転送してもらった。
18時頃、お腹が空いたのでたまには外食でもしようかと地下鉄で渋谷に出てみた。それでどこに入ろうかな?と思って歩いていたら、秋葉夕子に遭遇する。
「久しぶり〜」
「久しぶり〜」
と声を掛け合ってハグする。
「最近何してんの?」
「うーん。リハビリかな」
「ああ。それで東アジア競技大会に出なかったんだ?」
「アジア選手権もだけどね」
「そちらにも出ないの?」
「召集されてないし」
「ふーん・・・」
と夕子は意味ありげに千里を見ている。
「そちらは?最近あまりクラブチームの動向をフォローしてなかったけど、江戸娘は来月の社会人選手権に出られる?」
「それが出場を逃しちゃったのよね〜。でも私自身は3月で江戸娘を辞めたんだけどね」
「え〜〜!?」
立ち話もなんだし、ということで、千里が「奢るよ」と言って、やや高めの(人があまり多くない)レストランに入り、話をした。
「結局、夕子ちゃんは今何してるの?」
「性転換でもしようかと思ったんだけどね」
「マジ?」
「それも面倒な気もして、しばらくボーっとしてたら、やはり身体動かさないと何か体調が悪いんだよね」
「ああ、そうだよね」
「それで今は江東区の体育館を毎週木曜の夕方だけ借りてひとりで練習してるんだよ」
「夕方、何時から何時まで?」
「18時から21時を借りてるけど、実際には19時くらいに行って20時くらいにあがる感じかな」
「1時間コースなんだ!」
「ひとりだとできることも少ないしね」
「確かにね」
と言ってから千里は考えていた。日本時間の18-21時は現在ヨーロッパは夏時刻なので11-14時に相当するが、10月27日以降は10-13時になる。夏時間の間は微妙だけど、冬時間になればスペインでの練習や試合とぶつからない。
「今月は無理だけど、来月からなら、その練習に付き合おうか?パス練習とか、1on1とかやらない?」
「いいね!」
それで11月7日(木)から、千里は夕子と一緒に江戸川区の体育館で毎週夕方(スペイン時刻ではお昼前後)に練習することにしたのである。
これが40 minutesの始まりであった。
日本女子代表は10月14日に東アジア競技大会から帰国すると、休む間もなく18日から第7次合宿に入った。23日にはバンコクに向けて出発し、10月27日から11月3日に掛けてアジア選手権に出場することになっている。
この時点で日本女子代表として召集されているのは東アジア競技大会にも出た下記12名である。
PG 5.羽良口英子 9.武藤博美
SG 4.三木エレン 10.花園亜津子
SF 8.広川妙子 11.佐藤玲央美
PF 6.横山温美 12.高梁王子 14.石川美樹 15.月野英美
C 7.馬田恵子 13.黒江咲子
6月頃のロースターから、調子を落とした千石一美が落ちて、代わりに月野英美が入っている。
ところが・・・
今回の第7次合宿の最中にトラブルが多発した。
19日に武藤博美が足首を捻挫してしまい離脱。ポイントガードが1人しか居ないのは超絶まずいので、山形D銀行の鶴田佐苗が緊急召集された。更に21日に今度は黒江咲子が古傷を痛めてリタイア。その代わりに誰を召集するか?というので協議していた最中の10月22日朝になって横山温美が熱を出して寝込んだ。
医師はインフルエンザと診断した。
代表スタッフの間に震撼が走る。
インフルエンザということは・・・
チーム内に他にも感染者がいる可能性がある。
即座に選手とスタッフ全員の健康診断と、早期検出が可能な特殊なキットでのウィルス検査が行われた。その結果、羽良口英子と花園亜津子の体温が高めで顆粒白血球も増加しており感染の疑いがあることが分かり即隔離された。実際2人とも昼過ぎには早期検査キットが陽性を示し、夕方には体温が37度を超えて明らかにインフルエンザの初期症状とみられた。22日は練習自体が中止。全員マスクの着用と、閉鎖空間での相互接触禁止が命じられ、物々しい雰囲気になる。NTC内の消毒も実施される。ここ数日選手たちと接触していたNTCスタッフを全員自宅待機にして急遽他地区の強化施設から応援を呼んだ。
他の選手やコーチらも繰り返し検査されたが、他には疑いのあるケースは見当たらなかった。しかし取り敢えずこの3人は今回使えないと考えなければならない。
花園亜津子は「インフルエンザくらい根性で押さえ込むから行かせて下さい」と言ったが、飛行機で移動中に他の選手に移ったらまずいから、完治するまでNTCの病室からも外出禁止と言われた。羽良口にしても、物凄く悔しがっていたが、今の状態でタイに派遣する訳にはいかない。
それで、怪我をした黒江咲子を含めて4人も代替者を考えなければならなくなったのである。
横山温美が「ごめんなさい。私が移してしまったんですね」と言って落ち込んでいたが、エレンは「発症したのが半日差なら誰が最初に感染したかなんて分からない」と言って、責任を感じる必要はないと言ってあげた。亜津子も「馬鹿は風邪ひかないと言う通り、私、風邪の症状とか出るの遅いんですよね。だから私が最初かも知れないです」と言っていた。
土山強化部長、チームの高居代表、川口ヘッドコーチ、戸田アシスタントコーチが緊急会談をする。
代表選手の名簿は一応提出しているが、病気や怪我・死亡などの場合は、バンコク時間の今日20時=日本時間の22時までなら変更が可能である。医師の診断書が必要なのですぐ英文の診断書を書いてもらった。
「ポイントガードは、富美山史織か入野朋美だと思う」
「ふたりは今どこに?」
「富美山史織は静岡、入野朋美は川崎だと思います」
「だったらどちらも明日来れるかな?」
「確認してみます」
それで電話してみるのだが、ふたりとも連絡はついたものの、富美山史織のパスポートが年末で切れるということが判明する。それで富美山は残存期間不足でタイに入国できないことが分かり、入野朋美を召集することにした。入野は2008年に作ったパスポートが春に期限切れになるというので、昨年秋に更新していたのである。
「横山温美の代りは?」
「フォワードは候補者がたくさんいるんですよね。いったん落とした千石一美、吉野美夢のほかにユニバーシアード代表の渡辺純子、湧見絵津子、・・・・」
「その4人の中で連絡のつく人を」
それで連絡してみると渡辺純子と湧見絵津子には連絡が付いた。あと2人は連絡が付かない。渡辺と湧見のパスポート残存期間は大丈夫である。彼女らは2010年のU18で日本代表に招集され、その時パスポートを作っていたので2015年まで有効なのである。
「ふたりとも札幌の自宅にいるそうです」
「どっちにする?」
「悩むな」
「ユニバーシアードでのふたりの成績は?」
「得点は渡辺120点、湧見121点」
「ほぼ同じか!」
戸田アシスタントコーチが提案した。
「その2人とも召集しましょうよ」
「うん?」
「そして月野英美を本来のセンターに回します」
「なるほど!」
「その手があったか!」
「それに渡辺と湧見ってライバル意識が凄いから、一緒に使った方が頑張るんですよ」
「それ高梁も刺激するよね?」
「当然です。高梁のパワーも1割増しになります」
「よし、その案採用」
月野は本来センターなのだが、センターの層が厚いため、パワーフォワードで登録していたのである。
それで渡辺と湧見に、明日朝1番の飛行機(7:45-9:25)で成田空港まで来るように言った。
「羽田じゃないからね。成田だからね」
「分かりました。ふたりで連絡取り合って必ずその便に乗ります」
「万一間違って羽田に来たら、間に合わないから置いていくから。その時は泳いでタイまで来てもらうからね」
とふたりと親しい高居さんが脅す(?)。
「高性能のアクアラングを貸してください」
「レンタル料は自己負担ね」
そして最後にシューティング・ガードの人選(花園亜津子の代わり)を議論する。
「先日1度召集した永岡水穂しかいないのでは?」
「でも伊香秋子とか神野晴鹿も捨てがたいんですよ。彼女らも国際試合を充分経験していますよ」
その3人の誰にするか、意見は分かれた。念のため3人の成績を確認したが、甲乙付けがたいのである。
紛糾している内に時間が過ぎていく。もう20時を過ぎている。タイムリミットは2時間を切った。
「村山千里にしましょうよ」
と土山強化部長が言った。
「彼女がどこにいるかご存知ですか?」
と川口ヘッドコーチが尋ねる。
「スペインに派遣してるんですよ」
「スペイン!?」
「前任者の時代に派遣されたようで、私もなぜ派遣されたのかとか、詳しい経緯を聞いてないのですが、彼女の現在の所属はスペインLFBのレオパルダ・デ・グラナダです」
「そんな所にいたのか!」
「先日見た時、彼女の技術は凄いと思った。ただ表情とか見ると精神的にかなり不安定なように見えた」
「精神的に不安定ということは、実力以上に活躍してくれる可能性もあるということです。花園亜津子のスリーがなければ、このアジア選手権を勝ち抜いて来年のワールドカップに出場するのは厳しいと思っていました。村山なら花園と同レベルのプレイが期待できます。この際、彼女が何とか精神的に持ち堪えてくれることに賭けませんか?」
と土山は言う。
「今代表チームには彼女の親友の佐藤玲央美がいます。そして今日の会議で湧見絵津子も召集することになりました。彼女は村山と同じ高校の後輩です。2人が傍にいれば頑張ってくれる可能性は高いと思う」
と、千里をU18からU21まで4年間見ていた高居が言った。
「でもスペインから召集できるの?」
「村山は向こうではコア選手という訳ではないですから、出してくれると思います」
「どのくらいの時間でバンコクに来れる?」
「1日以内には移動できると思います。だから多分24日にはバンコクに来れますよ」
「だったら何とかなるかな」
「強化部長、村山の所属チームに連絡を取ってもらえませんか?」
「分かりました。すぐやります」
この方針が固まったのが、もう日本時間で21時(スペイン時刻14時)頃であった。土山がレオパルダの球団事務所に電話すると11月3日まで村山を日本代表に出すのは構わないという返事であった。
球団はちょうど練習に出てきた千里を呼んで、君が日本代表に緊急召集されたと伝えると千里は驚く。千里と土山が直接電話で話す。
「花園がインフルエンザなんですか?だったらやります。彼女の代役150%務めますから。本人にそう言っておいてください」
と千里は力強く語った。
「うん。その意気で頑張ってね」
と土山も明るく言った。
こうして千里のアジア選手権参加が急遽決まったのである。