広告:放浪息子(11)-ビームコミックス-志村貴子
[携帯Top] [文字サイズ]

■女子高校生・3年の春(8)

[*前頁][0目次][#次頁]
1  2  3  4  5  6  7  8 
前頁次頁目次

↓ ↑ Bottom Top

自ら決勝打も打った瑞代ちゃんは試合の様子をたくさんカメラで撮影していた。
 
「あ、これもコンだ」
と彼女は言った。
「コンデジだね」
「例のコンと略すものね」
「頭にコンが付くものを忘れてた」
「そういうのも幾つかあるね」
 
「コンデジ、コンパクト・デジタルカメラ」
「コンマス、コンサートマスター」
「コンポタ、コーンポタージュ」
「コンビーフ、コーンド・ビーフ」
 
「コーンポタージュのコーンはとうもろこしだけど、コーンビーフのコーンドは塩漬けにしたという意味」
「やはり英語は難しい」
「いや、こういうの色々考えることで英語の感覚が分かるんだよ」
と瑞代ちゃんは言う。
「まあ単語も覚えるよね」
 
↓ ↑ Bottom Top


「コンパネも頭にコンが付くけどコントロールは既出だね」
 
「コンボイとかは」
「あれは略語では無いね」
「コンというのが共に with という意味であれはコンベヤなんかと同語源」
「音楽でcon tutti(みんなと一緒に) とかもあるね」
「コングロマリットとかも“一緒に”だね」
「コンバットのコンもそうだね」
「ごきぶりをみんな一緒に退治するんだな」
「そっちのコンバットかよ」
 
(戦闘のコンバットは“お互いに打ち合う”というのから来ている。棒で殴り合う感じ。ゴキブリのコンバットは“巣を丸ごと潰す”→“ごと(510)”→コンバットらしい)
 
「コンサバは?」
「あれはコンサーバティブ、保守的という意味」
「対義語はアバンギャルドかなあ」
「それは進みすぎ。プログレ、略さずに言えばプログレッシブだと思う」
「アグレッシブかと思った」
「そのあたりも類義語だね」
 
↓ ↑ Bottom Top

「コンドームは?」
などという質問に
「あれは人名」
と瑞代はさらっと答える。
「そうだったのか!」
 
(17世紀のイギリス王チャールズ2世の殿医の名前からという説が有名。チャールズ2世は子供が14人もおり、王位継承権争い抑制のため着けさせたという。だが本当にそういう医師が存在したのかについては議論がある。そもそもコンドーム自体は3000年前からある。但しシームレスのができたのは20世紀に入ってから。昔のは結構漏れていたと思われる。しかしこういう雑学的なものを即答できる知識量が凄い)
 

↓ ↑ Bottom Top

18日の陸上では千里は2000mに出て3位に入った。5位までがスポーツ特待生で
「やはり特待生は身体能力が高い」
と言われた。なお100m, 200m は特待生と陸上部員を除いて実施した。除かないとそのあたりで上位が独占されそうである。
 
午後からは3年女子全員で楽しくフォークダンスをした。男子は男子で楽しく?フォークダンスをしている(男子だけのダンスパーティー?)
 
騎馬戦とかの危険な?競技が禁止なので今年はフォークダンスになってしまった。2年生女子は天女の舞みたいなのをしていた。2年生男子はラジオ体操をしていた。1年生男女は玉入れをした。玉入れはさすがに危険は無さそうである。
 
来年からはまた考えると言っていた。“えっさっさ”とか“よさこいソーラン”などの案も出ているらしい。今年は調整が間に合わなかった。日体大名物の“集団行動”という案もあったが「あんな危険なの」という声が多かった。あれは日体大のようなガタイが頑丈で、運動神経も超絶良い人ばかりの所だから可能なのだろう。動画サイトでメイキングなどを見るといかに危険かがよく分かる。完成すると美しいが。綱引きなども怪我人が続出しそうである。
 
↓ ↑ Bottom Top


19-20日が体育祭の代休のあと、21日は職場見学ということで姫路市内の飲料工場を見学した。白衣にビニールの帽子なども着け、エアシャワーを通って工場内に入る。オートメーションでボトルに飲料が詰められたりするところをガラス越しに見学した。また検品や出荷の様子も見学した。
 
最後は製品の清涼飲料をもらった。
「20歳以上の生徒さんにはビールをさしあげます」
と案内の人は言っていたが、20歳以上の生徒は居なかったようである、
 
人数が多いので見学は半数ずつして残りは広報ビデオを見た。ビール太郎とサイダー姫が、ツカレータとイヤーネを倒すという安直なアニメが作られていた。
 
「半日で作ったようなアニメだ」
「きっと半日で作ったのだと思う」
 
↓ ↑ Bottom Top


5月中旬、留萌のクルージングに東京の高校の修学旅行で400人という申し込みがあった。ゴールデンウィークが終わった後なので、千里は春風観光さんにアクパーラを貸してもらえないかと打診した。オフシーズンであることからOKをもらい、初めて2隻体制でのクルージングを実施した。
「アムリタと似てるね」
「姉妹船だからね」
「アクパーラってどういう意味?」
「インド神話に出てくる巨大な亀なんだよ」
「へー」
 
ちなみに初代のサラスヴァティは女神の名前で日本の弁天様に相当する。2020年に就航することになる3代目のワクワクはインドの伝説に出てくる島の名前である。そこの住民は女だけで、人は木の実から生まれる。waqwaq の語源は waqwoq 倭国(日本)ではないかという説もある。女王の国という話が女だけの国ということになったのかも?
 
↓ ↑ Bottom Top


この修学旅行クルーズでは、アムリタのほうは2月の修学旅行でも担当したガールズバンド“ノンノ”が演奏してくれた。アクバーラの方は敦賀−新湊の航路でエレクトーンを弾いてくれている青木さんという男の娘さんが演奏してくれた。「遠い所まですみません」と言ったのだが「北海道初めてです」とかえって喜んでいた。最近のヒット曲を中心に演奏してくれた。彼女もクルーも旭川と層雲峡に1日観光させてから敦賀に帰した。
 
しかし今回もゲームルームの売上が凄かった。ここでアムリタのゲームルームの売上は桜観光、アクパーラのゲームルームの売上は春風観光のものである。春風観光としては大きな臨時収入になったようである。
 

↓ ↑ Bottom Top

5月下旬、証券会社からきーちゃんに連絡があった。例の障子から剥がした株券の件だが、それは驚くべき話だった。この株券を発行した会社はその後合併したり、社名変更したりしているものの、現在のスーパー“プリンス”につながっているというのである。しかもあの枚数は現在のプリンスの発行済み株式の10%にも及ぶ大きなものだった。金銭的価値としては900万円程度と言われた(それでもあの家を買った値段の半額相当である)。しかし金銭的価値より株式の10%というのが大きい。大量保有報告書の提出が必要ということだったので、証券会社にフォームを作ってもらい提出した。
 
それで千里はプリンスの大株主になったのである。この株券は元はプリンスの創業の地の町長さんが持っていたものではないかということだった。きっとその町長さんの別宅か何かだったのたろう(きーちゃんが改めて調査したところ多分その人の愛人宅だった所)。
 
↓ ↑ Bottom Top


大量所有報告書が出て仰天したのはプリンスの社長である。思わず
「この村山千里って誰?」
と叫んだ。証券会社と話をした総務部長が株の出て来た経緯を語る。
「王実運輸とは、そりゃまた古い名前が出て来たもんだな」
と呆れる。
 
「なんか吹田市の人らしいですけど、家を買ったらそこの障子に障子紙代わりに大量の古い株券が貼られていたらしいです。それを丁寧に剥がして証券会社に持ち込んでみたらしいです。昭和5年に発行された株券というので無価値だろうと思ったら会社が存続していたのでびっくりしたらしいです」
「障子紙代わりか。貼った人も無価値と思ったんだろうな」
「80年くらい前のものですからね」
 
「しかしうちは王実運輸という名前だったんですね」
と常務が尋ねる。
 
↓ ↑ Bottom Top


「うん。最初は農産物を運搬する仕事をしていたんだよ。そのうち運んだ農産物を町で売るようになって。王実青果というお店を作った。ところが看板屋さんにさ、王実青果という名前を言ったら聞き間違えられて王子青果という看板を書かれてしまった。うちの祖父さんは物事気にしない人だったからそれでもいいやと言って、王子青果の名前で店を運営した。この店は戦後の食糧難時代に大きく業績を伸ばした。特に闇米で相当儲けたらしいね。最初は基本的に野菜や果物だけ扱ってたけど、店に来たお客さんが『ここ何々は無いの?』と訊くと、親父は『すみません。今度仕入れておきます』と言って、それで取り扱い品目がどんどん増えて行って、結局何でも売る店になった。昭和40年代にスーパーマーケットという言葉が生まれるとスーパー王子と自称するようになって1980年代にプリンスと名前を変えた」
「ああ。スーパー王子は私も覚えてる」
と常務は言った。
「会社名も王実運輸から王子青果→王子産業→プリンスと3回変わってる」
 
↓ ↑ Bottom Top

しかしこの時は誰もこの大量保有報告書を出した人物がまさかプリンセスのオーナーとは思いも寄らなかったのである。だって吹田市だし!
 
 
↓ ↑ Bottom Top

前頁次頁目次

[*前頁][0目次][#次頁]
1  2  3  4  5  6  7  8 
女子高校生・3年の春(8)

広告:ここはグリーン・ウッド ~青春男子寮日誌~ DVD BOX 2 【完全生産限定】