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その日、太田公春が何気なく窓の外を眺めていたら、銀色のアウディが庭に入ってきて駐まった。誰か客だろうか?ここにはめったに来客は無い。見ていると銀色のスーツを著た40代の女性が運転席から降りて後部座席のドアを開ける。そしてそこから銀色のセーラー服を着た村山千里が降りてきた。
(アウディのマークOOOOはfour silver rings と呼ばれる。ここは4つの自動車会社が合併して生まれたのでそれを表している(当初は4つの会社の連合AUTO UNIONだった))
太田は玄関に行くと、ドアを開けた。
「村山さん、いらっしゃい」
「こんにちはー」
それで応接室に通して、お茶とお菓子を出した。入ってきたのは村山さんだけである。車を運転してきた女性は入って来ない。お母さんとかではなく、お抱え運転手か何かなのだろうと思う。
「ちょっと太田さんにお願いがあって」
「はい」
「昨年金のフルートを作っていただきましたけど、あれと同じ仕様でプラチナのフルートを作っていただけません?代金は事前にお支払いしますので」
「いいですよ」
「またあのキツネちゃんのマーク入れてもらえます」
「ええ、入れましょう」
「では」
と言って千里は銀色のトートバッグから、日本銀行の封がしてある百万円の札束を取り出すと15個並べた(紙幣は銀色ではなかった!)。
「このくらいで足りるでしょうか」
「多すぎるよ!」
と言って、太田は札束を4つ千里に戻した。
「これで大丈夫ですか?」
「うん。プラチナの方が金より安いから」
(実際は2008年はプラチナの方が金より高かったが、それにしても1500万は多すぎると思って少し返した。金のフルートは1200万円もらっている)
「へー。でも足りなかったらいつでも遠慮無く言ってくださいね」
「うん。そうさせてもらう」
太田は言った。
「でもよくこんな高額現金を無造作にバッグに入れてるね」
「普通女子高校生が多額の現金持ってるとは思いませんし」
「それは確かにそうだ!」
「急ぎませんから他の仕事とかあったらそちらを優先してくださいね」
「分かった」
「それと最近あまりフルートの試奏の依頼が無いですけど、機会があったらぜひまたお願いします。楽しいので」
「うん。また頼むよ」
実は千里がお金持ちのようなので恐れ多くて頼みにくかったのである。でも本人がそう言うのなら又頼もうと思った。村山さんは楽器の性能をよく引き出してくれる。こういう吹き手は得がたい。
なお試奏をしていたのは赤と黄(夜梨子)が半々くらいである。
「それでは」
というので千里(セリア)はまた銀色のアウディに乗って帰って行った。
太田は、そういえば村山さんが車でここに来たのは初めてだなと思った。いつもはバスか何かで来ているようだった。きっと高額現金を持ってきたから車にしたのだろう。でも去年は振り込みだったのに。
5月15日、九州地方および山口県と東日本で弁当店「ほっかほっか亭」をフランチャイズとして運営していたプレナスが、「ほっともっと」ブランド立ち上げ。これに伴い「ほっかほっか亭」全国3450店舗のうち、プレナスおよび同社のフランチャイズの一部が運営する2078店がブランド変更。
この問題に関しては恐らく多様な見解があると思う。筆者が聞いたのはこうである。
ほっかほっか亭の創業者はチェーンを立ち上げたものの、すぐ経営を投げ出してしまった。それで本来はフランチャイジーのひとつにすぎなかったプレナスとハークスレイが主導権を取り、お弁当の内容や企画もこの2社が立案するようになった。それで全国のほっかほっか亭がプレナス系とハークスレイ系に分かれ、両者は同じ看板は出していても弁当の中身も価格も全く異なるようになった。プレナス系がやや優勢で本部の株式もプレナスが多数を所有した。
ところがここで唐突にごく少数の株をまだ所持していた創業者が敢えて第2勢力のハークスレイの味方をした。それで創業者とハークスレイで株式の過半数を占めたので、ほっかほっか亭の過半数の店舗を傘下に納めていたプレナスのほうが、ほっかほっか亭チェーンから追い出される結果になった。
なおプレナスはほっかほっか亭以外に“やよい軒”なども運用している。元々は長崎県の小さな事務機屋さんだった。
しかし新しいブランド名はなんで誰も「略したらホモ弁になります。他の名前にしましょう」と社長を停めなかったんですかね。
酷い名前になりそうだったのを思い直した例:
(1)CPUメーカーのインテルは最初創業者の名前からムーア&ノイスにするつもりが“モアノイズ”に聞こえるというので改名した。
(2)コーヒーのスターハックスは『白鯨』に出てくる船の名前からピークォドにするつもりが“ムショで小便”なんて名前のカフェに誰が来る?と言って、その船の航海士の名前からスターバックスにした。
清香は昨年のクリスマス以来、夜中に“銀色千里”のひとりシルビアと楽しく(主として)英語のお勉強をしていたのだが、ある日唐突に尋ねた。
「マチルダつて楽器の名前か何かだっけ?」
「ん?」
「だって歌にあるじゃん。 ウォルチング・マチルダ、ウォルチング・マチルダ。われら自由の放浪者。マチルダ肩に掛け、友よ歌わん。ウォルチング・マチルダの調べを」
「肩に掛けって、ギターみたいな楽器をストラップで肩に掛けて演奏して回っている吟遊詩人みたいなの想像しちゃった」
「その歌はオーストラリアで、日本なら『さくらさくら』みたいに国民に愛されている国民歌なんだけどね」
「へー」
「荷物を肩から掛けて旅して回っている男の物語なんだよ(*6)」
「へ?」
「その肩に掛けてる荷物に“マチルダ”って名前を付けちゃったのね。それでマチルダちゃんとワルツを踊るというのは実は荷物を肩に掛けて旅をするという意味なんだよ」
「そんな話だったのか」
「持ち物に名前付ける人っているじゃん。携帯にジョンって命名したり、電子辞書に茂って命名したり」
「ああ、居る居る」
「荷物の名前がマチルダなのね」
「思ってたのと全然違う世界だ」
「清香ちゃんも竹刀に名前付けちゃう?」
「よし。明(あきら)と武(たけし)にしよう」
などと言っていたが翌日
「わー、明君が折れたぁ!」
と叫んでいた。
「ちんちんが折れたのなら潔く全部取って女の子になろう」
「明君が明子ちゃんになっちゃう」
(*6) 原詩を挙げておくが、あまりお上品な歌ではない。ダウンタウン的なあくの強い世界観?シルビアは『さくらさくら』と言っていたがそれより例えば『サザエさん』とか『山寺のおしょうさん』とかに近い。この歌はオーストラリア住民のイギリス政府への反発を背景にしていることを理解してないと単に無茶を言ってる歌に聞こえる。
Oh, there once was a swagman camped in the billabong,
Under the shade of a coolibah tree,
And he sang as he looked at the old billy boiling,
Who'll come a-waltzing Matilda with me?
Chorus
Who'll come a-waltzing Matilda my darling,
Who'll come a-waltzing Matilda with me?
Waltzing Matilda and leading a waterbag,
Who'll come a-waltzing Matilda with me?
Down came the jumbuck to drink at the water-hole,
Up jumped the swagman and grabbed him with glee,
And he sang as he put him away in his tucker-bag,
You'll come a-waltzing Matilda with me.
Up came the Squatter a-ridding his thoroughbred,
Up came Policemen - one, two and three,
Whose is that jumbuck you've got in the tucker-bag,
You'll come a-waltzing Matilda with me.
Up jumped the swagman, leapt into the billabong,
"You'll never catch me alive," said he,
And his ghost may be heard as you pass by the billabong,
"Who'll come a-Waltzing Matilda, with me".
最後はホラーになってしまった。(基本的にはブラックユーモアである)
5月17-18日(土日)、H大姫路では体育祭がおこなわれた。この学校では以前は5月の体育祭、9月の文化祭が毎年おこなわれていたのだが、10年ほど前に事故が起きたことで体育祭は休止になっていた。しかし生徒会の一部から、ぜひ復活させたいという声があり、今年は暫定的に復活することになった。
17日は球技大会が行われ、18日は陸上競技やダンスが行われる。騎馬戦・棒倒し・綱引きなど怪我人の出るおそれがある演技はしないということが学校側と生徒会の話し合いで決められ、今年は陸上競技(トラック競技)とダンスが主として行われることになった(詳細後述)。
17日の球技は、クラス対抗でソフトボール・バスケット・卓球が行われる。部活に入っている人はその競技・親戚競技には出ないことにする。だからソフトには、ソフト部・野球部の人は出ない。卓球には、卓球部・テニス部の人は出ない。
クラス対抗でスポーツをする場合スポーツ特待生の9組は強すぎるので数人ずつ1−8組に分散して参加することになった。1,5組が赤、2,6組が白、3,7組が青、4,8組が黄と4色に別れて色別の対抗戦とする。
千里はいつも授業を受けている関係で1組に入れられソフトに出てと言われた。
「私小学校の時ソフト部だったけどいいの?」
「頼もしい」
それでソフトに出てピッチャーをしてと言われる。それで千里は5年ぶりくらいにマウンドに立った。千里がウィンドミルで速球を投げ込むと誰も打てない。
「すげー」
「100km/h越えてる」
「ソフト部に欲しい」
という声もあった。
それで三振の山を築いていく。決勝戦は向こうもソフトの経験者で息詰まる投手戦となった。試合は4ボールで出たランナーを盗塁とバントで進めて犠牲フライで1点取りこちらが勝って優勝した。千里はヒットこそ打てなかったものの、久しぶりのソフトはなかなか楽しかった。