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安倍晋三は2006年9月26日に総裁の任期切れで退任した小泉純一郎の後を受けて首相に就任し、2007年9月に唐突に辞任した(職務放棄と批判された)。
2007年1月21日、宮崎県知事にそのまんま東(東国原英夫)が初当選した。
2007年は2月3日(土)が節分である。立花K神社ではお正月に巫女さんをしてくれたバイトさんたちに空いた時間を使って、豆まきの小袋の用意をしてもらった。
煎り大豆、五色豆、一口チョコ、ピーナッツ、おっとっと、甘納豆、などの“豆本体”を小袋に詰め、適宜現金との“引換券”の類いを混ぜていく。現金の引換券は、1円、5円、10円、50円、100円、500円、とある。関東でこういうのをやると10円とか5円は引き換えに来ない気がするが、関西人の気質か、例年ちゃんと1円もほぼ全部引き換えに来るらしい。
引換券には現金では無く、商品券の類いとの引換券もある。ポートピアランド、USJや海遊館、ナガシマスパーランドなどのチケットとの交換券もある。これらは大当たりである。でも例年ポートピアランドを当てた人はがっかりしたような顔をしている。うん。どうせならUSJを当てたかったよね。
なお硬貨を直接入れず引換券にするのは、硬貨が人にぶつかると危険だからである。商品券などもグチャグチャにならないよう、引換券からの交換にしている。
(もうひとつバイトさんの不正行為防止もある。商品券を直接入れる方式の場合、USJのチケットとかを見て、ついそれを自分のバッグに入れたい気持ちになる出来心を予防する)
昨年は、節分には、Y1が留萌P神社、Bが留萌Q神社、Gが立花K神社に出たのだが、今年はBは旭川Q神社、Rが留萌P神社、Y2が立花K神社に参加した。和弥は常弥が「こちらは何とかなるよ」と言ってくれたので姫路のほうに参加した。それで昨年は越智さんが音頭取りをしたのだが、今年は和弥が豆まきの音頭を取った。
千里Y2は昨年のGと同様、境内に幾つか設置された台の上から撒いた。これって、高所恐怖症の人には辛いなと思った。
立花K神社で今年豆まきをしたのは、和弥・まゆり・越智総次・越智光貴、巫女4人(山崎弓佳(高3)、鷹見和枝(高2), 千里(高1)、丘野志織(中2))、立花北町・立花元町と橘丘新町の町内会長さん、セブンイレブン・プリンセス・東北屋の店長、小学校の校長先生、市会議員さん、と今年は16人であった。全員性別によらず裃(かみしも)姿である。越智光貴は越智さんの次女(自称)だが、「巫女衣装着てもいいですか」というので、まゆりが許可した。それで彼女は巫女衣装の上に裃を着けて豆まきに参加した。まゆりは彼女に女子トイレの使用も許可した。ただし着替えは巫女控室では無く、宮司住宅の方で着替えさせていた。
「女の子のような声を出す練習もしてるんですが、なかなかうまく出なくて」
「出やすいようにしてあげようか」
「そんなことできます?」
「喉仏が無くなるけどいい?」
「むしろ無くしたいです」
それで千里が彼女の喉に手を当て少し“操作”すると、喉仏が消失し、女声もかなり出やすくなったようであった。
「これ凄くいいです」
と嬉しそうに言っていた。千里はきーちゃんの住所を書いた紙も渡して
「女の子の身体になりたくなったらここに行くといいよ」
と言っておいた。多分数ヶ月以内には女の子になってしまうだろう。彼女は“お嫁さんに行ける身体になる”ことは両親からお許しをもらっていると言っていた。
集まった客は1万人近い感じだった。境内が密集地帯と化していた。撒いた“豆”も昨年より多い約5万個である(昨年は3万個)。
今年引換券の引き換えをしてくれたのは冷水の女性従業員さんたちで、事務員を示す松葉色の袴を着けている。平田郷史の社長辞任を受けて、まゆりが“女性”従業員に限って出入りを解禁した。男の娘もOK:1人いるが普通の女性と見分けが付かない:彼女は普段も女性の制服で勤務しているし、女子トイレを使う。とてもパス度が高い。温泉で男湯に入ろうとしたら追い出されたので仕方無く女湯に入ったこともあると言っていた。今回は念のためまゆりに照会したが、まゆりは本人と会い快諾した。彼女は森田レミさんといって、エレクトーンの(女性)デモンストレーターをしていたこともあるらしく、うちの結婚式場の常任エレクトーン奏者にならないかとまゆりが勧誘していた。
2007年3月9日、伊丹市は「大阪国際空港と共生する」と宣言。1973年の空港撤去宣言を事実上撤回した。
2007年3月13日、伊丹空港発高知空港行きの全日空(ANA)1603便 DHC-8の前輪が着陸時に下りず、高知空港に胴体着陸した。乗員乗客60名にケガはなかった。
3月23日、春の甲子園が開幕した。兵庫県から出場したのは西宮市の報徳学園と市川町の市川高校(私立)である。
市川高校はネプチューンの名倉潤の出身校でもあり、野球の他に水泳も強い。市川町は“東の千里”が貴司に婚約破棄された後“市川ラボ”を作り2012-2016年頃、貴司と甘い生活を送った地でもある。貴司は安倍子と結婚していた時代、実際には安倍子とは全く同居せず、ここで千里と事実上の同棲生活を送っていたし(*1)(*2)、貴司はここから通勤(*3)もしていた。地下鉄で30分で直結された豊中市に自宅があるのにそこには帰らず市川から5倍の電車代を掛けて1時間半の通勤をするという不思議な生活!
(*1) 京平ができる前は人工授精の精液採取のため、千里が貴司のペニスを握って射精させてあげていた。貴司は呪のため自慰もできない。
(*2) 貴司は毎日市川に帰宅すると市川ドラゴンズ(=八龍:九重たち)とバスケの練習をし、そのあと千里の手料理(主として作っていたのはBs(≒千里3))を食べ、千里と一緒に寝ていた:但しセックス“は”しない:10cm空けて寝る。
豊中市の自宅マンションでは安倍子は寝室で寝るが、この部屋には貴司は入らない。貴司がこのマンションに泊まる時も書斎で寝る。
京平はリビングのベビーベッドに寝ているが、そこに行きお乳をあげたり御飯を作っていたのは千里Y(≒千里2)である。このマンションの調理器具はほぼ千里好みのものだし、調味料も主として千葉で買った千里好みのものが揃えてあった。醤油とかも千葉のメーカーのものである。だから実は京平は関東風の濃い味付けで育っている。(緩菜は美映の料理で育っているので、関西風の薄味)
なお2013年にはスペインにも千里がいたが、これは筆者もよく分からないが、たぶんY1(ゆき)≒千里2Aではないかと思う。東の千里は2017年4月の“落雷”で3分裂したのだが、実際には2012年頃からBs,Y1,Bwは結構バラバラに行動していた気配がある。3人が明確に別々の行動を取り始めたのは2017年4月からだが、本当に分裂したのは貴司に婚約破棄を告げられた2012年7月だったかも。
Bw:貴司が全てだったのに私どうすればいいの?
Y1:貴司のことなんて忘れて新しい人生を切り開こう(これが正しい気がする)
Bs:貴司は私の物よ。婚約破棄なんて許さない。
Y1は新しい自分を見付けるためスペインに留学した。
この後、気の弱いBwは桃香とのビアンにはまっていく。一方貴司を諦めないBsは、保志絵や理歌たちからも応援され貴司の“真の妻”としての自信を深めていき、2013年1月、淑子から代わりの指輪をもらう。本来の婚約指輪も千里は保志絵に返していたが保志絵は貴司には渡さず保志絵がずっと持っていた。そして2016年11月に貴司の従兄の結婚式(福津市)の際、再度結婚指輪とともに千里に渡される。4年経っても指輪はちゃんと千里の指にはまった。その時期、貴司と千里は京平の親子鑑定書も作っている:京平が遺伝子的に貴司と千里の子供であることを証明するもの。
スペインに1年間行っていたY1はそれで自分を取り戻し、2014年は貴司の子供作りに協力、2015年6月京平を出産した。この出産にはケイや青葉が協力してくれている。
この京平を妊娠・出産した子宮は2000年秋に千里のiPS細胞から生成したものなのでこの当時の子宮年齢は14歳ジャストくらいである。千里にとって京平の妊娠出産は、ほとんど“中学生の妊娠・出産”であった。
(*3) 甘地駅では毎朝千里が貴司を見送る姿が住民たちに目撃されており「仲睦まじいご夫婦ね」と思われていた。千里もこの時代は結構幸せだった。この時期千里は毎晩千葉から市川町(市川市ではない)まで行っていた。BやYにはこういう長距離のジャンプ能力が無かったので、きーちゃんに転送してもらっていた。