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■女子高校生・春の光(6)

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姫祭りが終わったあとの5月6日、和弥とまゆりは神戸のティファニーに行き、結婚指輪のオーダーをした。エンゲージリングと同じプラチナのストレートリングで K to M, M to Kという文字だけが内側に入っている。代金は取り敢えずまゆりのカードで払い、あとで和弥が半額を現金でまゆりに渡した。
 

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連休中は参拝客も多く御祈祷の依頼も多かった。だいたい祝詞は和弥があげ、笛は弓佳と千里(Y2)が交替で、太鼓はまゆりが叩いた。
 
結婚式も3件あったので、いづれも和弥が祭主を務め、三三九度は恵美とまゆり(巫女衣装!宮司さんなのに)、巫女舞は高校生巫女3人(鷹見和枝(高3), 千里(高2)、鈴木浩美(高1))で舞った。披露宴の司会は越智光貴、エレクトーンは冷水の森田レミが担当した。森田さんはこの結婚式場の常任エレクトーン奏者に就任した。光貴は元々話術は上手かったのだが、男みたいな声しか出ないのでこういうのをあまりしていなかった。千里のお陰で女声が楽に出るようになったので、今回やってくれた。彼女はアナウンススクールにも女性として入ったらしい。
 
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三三九度と親族堅めのお酒は母里酒造の純米酒“日本号”、披露宴のお料理は母里食堂である。ウェディングケーキの製作は仏蘭西亭である。千里のコネがフルに使われている。
 

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4月28日(土).
 
旭川の“東の千里”は唐突に雨宮先生に呼び出されて京都に行った。そして近々デビュー予定の大西典香のデビューアルバムに入れる曲を2曲書いた。このアルバムの収録曲は次のような分担で書いている。
 
雨宮三森3 新島鈴世2 鮎川ゆま2、宝珠七星1 東の千里2
 
女性だけで書きたいということで毛利五郎は入っていない。(雨宮は男だと思うが)
 
このメンツがオリジナルの“鴨乃清見”である。鴨乃清見は最初は作家集団の名前だったが、1人離脱し、また1人離脱して最後は千里だけになった。特に大西の引退後、鴨乃清見の歌を歌うようになつた山森水絵に楽曲を提供していたのは、全て千里である。
 
 
しかし実は、ゆまは頼まれた分を西の千里に下請けに出したので、結局このアルバムには東西の千里が合わせて4曲提供している。
 
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この時、東の千里は伏見でも1曲書いたのだが、この時、一の峰で可愛い狐の男の子と遭遇。『My little fox boy』という曲を書くと共にその子に“京平”という名前をつけてあげ、その子のお母さんになってあげる約束をした。
 
(先日就学旅行の時に京平と会ったと書いたのは誤りです。ごめんなさい。会ったのはこの時でした)
 
大西典香のデビューアルバム《京都》は5月15日(火)に発売された。火曜日の発売というのは異例だが、この日、大西典香が葵祭をレポートする番組が放送されたので、それに合わせたのである。
 
(火曜日に発売するためには月曜日夕方までに全国のCDショップに荷物が届く必要がある。レコード会社では社員に荷物を持たせてお店に届ける異例の対応を取った。雨宮プロデュースの有望新人歌手ということでの特別な対応である)
 
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東の千里は28日夕方に京都に入り、28日に1曲、29日に1曲書いて30日に旭川に戻ったのだが、西の千里は28日夜に突然ゆまから頼まれたので、29日に京都の白風町の家に行き、自転車で上賀茂神社や嵯峨野などを訪れ、曲を書いた。スクーターではなく自転車を使ったのは、こんな都会の道をスクーターで走る自信が無かったからである。
 
作曲をしている間の食事やおやつは花絵さんが用意してくれた。
 
「ねね。凄い立派なピアノあるね。空いてる時は弾いてもいい?」
「いいですよー」
「でもここ天井が高いよね」
「ピアノの音をまともに響かせるのには空気の体積が必要なんですよ」
「なるほどー」
 
RはCubaseの使い方を知らないので今回は手書きの譜面をゆま本人に手渡した。
 
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「何で私がここに居るって分かったの?」
「私、人の居場所見付けるの得意なんです」
「だったら今度雨宮先生の居場所探す時に頼ろう」
 
これは毎年1〜2回、頼まれることになる。
 

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5月1日(火).
 
千里は桜鱒プロジェクトの柳里君や佐々木君たちを敦賀に呼んだ。先日千里たちが乗った春風観光のクルーザーに乗せてあげようと思ったのである。留萌でもこういうコンセプトは使えると思った。留萌の観光開発の参考になるということで、市の振興課長の木崎さんも一緒に招く。
 
それで、サハリンの運転するセレナに、rと柳里・佐々木・田崎と木崎課長が乗り旭川空港に向かう。それで桜模様のジェット機で伊丹に飛んだ。
 
「へー。網元さん所有の自家用機ですか」
と課長は感心していた。
 

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伊丹からはコリンの運転するエスティマで敦賀に行った。ここでRがrと交替した。予め買っておいたチケットを柳里君たちに渡す。
「へー。5000円もするんですか」
と木崎さんが驚いている。
 
それで乗船口のところにいる香織の父に挨拶して乗船する。千里が外の景色の見えない甲板下の船室に入っていくので木崎さんは怪訝な顔である。柳里君たちも不思議そうな顔をしている。しかしラウンジで楽団がヴィヴァルディの『春』を演奏し始めると柳里君たちは「なるほど」という顔をした。木崎さんは首をひねっている。これは都会生活の経験者にしか分からない価値観かもと思った。指揮者さんが千里に目を留めて
「村山さん、何か演奏しません?」
と言うので、千里は
「では今日は少し趣を変えて」
と言って、龍笛(赫夜:かぐや)を取り出し『春光』という曲を吹いた。
 
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「美しい」
「心が洗われるようだ」
といった声があがっていた。
 
「それ笛も凄くいい笛みたい」
という声があるので千里は解説した。
 
「これは“龍笛”(りゅうてき)と呼ばれる笛です。愛好者の多い“篠笛”(しのぶえ)と外見は似ていますが、構造も吹き方も全く異なります」
 
「材料は竹ですが、古い家屋の囲炉裏(いろり)の天井にあって何十年と火気にあぶられ煤(すす)の付いた竹が最高とされます。しかし今時、囲炉裏のある家なんて無いので、そういう材料はほぼ入手不能になりました。この笛に使われている竹は北海道の初山別村(しょさんべつむら)というところで明治13年に建てられた家が1980年代に解体されましてその家から得られた物です」
 
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「凄いね」
「100年掛けて乾燥させた竹というのが良いようですね」
「西洋楽器に使う木材も10年以上乾燥させた木を使うからね」
 

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そのあと楽団はベートーヴェンの『田園』を演奏する。
 
「あれ?さっきも演奏した曲だっけ?」
と木崎さん。
 
「似てますが別の曲です。さっきのはヴィヴァルディの『四季』、これはベートーヴェンの『田園』です」
と柳里君が解説する。
 
「ああ、やはり似た曲ってあるよね」
「まあドレミファソラシドの組合せは有限だから仕方無いですよ」
 
お食事も出てくる。
 
「美味しい」
と柳里君とや佐々木君たち。
「これは都会の一流レストランの味だ」
と田崎君も言っている。
「5000円も取るのはこの音楽代と料理代か」
と柳里君たちは納得したようである。
「こういうコンセプトなら景観とかの売り物が無い所でも行けるでしょ」
「ひとつのやり方だね」
 
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課長さんはナイフとフォークを使うのが苦手なようで、お箸を出してもらっていた。
 
後で柳里君たちと話したのだが
「あの課長さんに任せると、ソーラン節を演奏して、漁師料理が出てくる船ができそう」
ということで意見が一致した!
 
しかし桜組の主導で留萌のクルーズ船は実現し(後述するが市の主導でなくて良かったと思う)、バンド演奏と洋食で3000円というクルーズ船が年内に留萌に登場することになる。これは土日祝のみの運航で年間500万円ほどの売上になり、運営する桜組の大きな副収入となった。(ヒグマの売り上げと肩を並べる?)
 

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クルーズの後は柳里君たちは2月に桜鱒を買ってくれた京都の料亭に挨拶に行き(これには千里も付き合った)、そのあとそこの女将さんの紹介で富山の鱒寿司の業者さんと会い、桜鱒の売買の仮契約をした。これにはrに同行してもらった。柳里君が
「このプロジェクトの網元で自家用ジェットで飛び回る凄腕の占い師」
と千里のことを紹介し、千里がほんの余技で、業者の奧さんが紛失したUSBメモリを見付けてあげたら、随分こちらを信用してくれた。
「姫路と留萌に自宅があって、その間を毎月数回ジェット機で往復しているんですよ」
「凄いですね」
 

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ところでクルーズ船での千里の龍笛演奏には
「心が洗われるようだ」
などという声もあがっていたのだが、元々千里の龍笛には浄化作用があるし、今回特に浄化するような曲を吹いている。それで幾つかの作用が出たのである。
 
・オーケストラの楽団員さんで退団しようと思っていた人が5人も思い直してくれた(この件また後述)
 
・昨年「女の子と一緒にお風呂に入りたい」などと言って
「何なら女の子と一緒にお風呂に入れる身体に改造してあげようか」
と千里が言い、取り敢えず「遠慮する」と言っていた田崎君が
「ほんとに改造してもらおうかな」
と言うので
「元には戻せないからね」
と言った上で
「それでも改造してほしい」
と言うので、本当に改造してあげた。
「女の子の身体は凄く気持ちいい」
と喜んでいた。彼(もはや彼女)は本当に札幌市内のスパで女湯も体験してきて
「感動した」
と言っていた。生理は思ってた以上に大変で少し後悔したらしいが、全体的には新しい性別に満足しているようである。女の子の服を着るのもとても楽しいし、お化粧も面白いと言っていた。現在は桜鱒プロジェクトの数少ない女性メンバーとして頑張っている。彼は実は前々から女装はしていて、女装旅行とか女子水着を着けてのプールとかも経験があるらしい。
 
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・木崎課長は実は混乱の極致にある留萌市自然電力会社の社長として出向してくれないかと言われていたのだが、敢えて火中の栗を拾い、引き受ける決断ができた。
 

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木崎さんは電力会社の社長になると大胆な方策を採り始めた。
 
・1億円銀行から借りて、発電施設を作り直した。今度は苫前町でいくつも風力発電所を建てている工務店に依頼した。
 
・避雷針をいくつも立てて、雷から施設を守った。
 
・周囲にコンクリートの壁と有刺鉄線の二重の囲いを作り、ヒグマの侵入を防いだ、
 
・蓄電施設や変電施設など、更には送電線もデュアルにしてダウンしにくい体制を作った。
 
新しい施設からの送電は9月から開始され、市は病院などの予備電力を確保するとともに数百軒の加入者を得て事業は2008年に黒字化したのである。
 
1億円の借金などは批判され議会でも追及されたが、ちゃんと3年ほどで返済できた。
 
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それで2010年には今度は市の西部に2基目の風力発電所も建設されるに至った。
 
木崎さんは電力事業“では”成功した。後に彼は市に復帰して助役に出世している。
 

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