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2007年3月3日(土).
千里は16歳の誕生日を迎えた。姫路では清香がケーキを公世がケンタッキーのチキンを買ってきてくれて、ささやかなお祝いをした。
「ありがとう」
「私の誕生日には千里がケーキ買ってくれたし」
「同じく」
3月5日(月).
千里Rは、学校の授業を夜梨子とジェーンに任せて明石市の運転免許試験場に行き、原付免許の試験を受けて合格した。実はA大神から原付の免許を取ってという指示があり、急遽受けたのである。どうも千里が16歳になるのを待っていたようである。
なお、東の千里と西の千里は別の戸籍・住民票を使っているので、各々運転免許も独立に取得している。
3月8-13日、
東の千里が就学旅行で京都・奈良・東京に行った。
・京都の嵯峨野では、“えよこ”という女性と笛の競演をし、その後、笛を交換した。この笛は千里以外には誰にも吹けなかった。
(彼女とは平家物語の横笛の話をしたが、YOKOBUE という単語の中にEYOKOという名前が隠れている)
(先週、就学旅行の時に京平と会ったと書いたが誤り。京平と会ったのは京都を再訪した4月末:後述)
・東京では東京湾のナイトクルージングをした。
3月10日(土).
西の千里はA大神の指示で京都に向かい、洛北の白風町というところで、大神のしもべのひとりで顔見知りの加藤さんという人から土地を引き渡された。
そして千里は九重たちを召喚し、この土地に地下室を作らせた。6畳の居室とピアノルームである。ピアノルーム(20畳)は防音壁の内側に音響壁を立てる構造である。音響壁には江差ヒバを使った。土日掛けて地下室の工事をしたあと、その上に2階建てのユニットハウスを運んできてポンと置いた。そして地下室への階段ユニットを取り付けさせた。地下への階段は40段もあり、通常の階段ユニットを3つつないだ(踊り場が2つある)
「エレベータの設置推奨」
「よろしく」
それで九重たちは小型のエレベータも取り付けてくれた。
「この家は何に使うんですか」
と千里は大神様に尋ねた。
「お前が住む」
「私は今姫路に居ますが」
「高校を出たら京都に4年間住む」
「へー」
4年間って、私、京都の大学に進学するのかな。でもここは仮住まいっぽいから大学を出たらまた別の街に行くのだろうか。それとも姫路に戻るのだろうか。
「それ以前にも以後にもここは自由に使っていいから」
「分かりました。ありがとうございます」
「ここは住居だから司令室は2年後に」
「了解です」
日曜日の夕方には加藤さんが軽トラを運転してきて、荷台に積んでいたホンダのスクーターとブリヂストンの自転車を置いていった。
「このスクーターと自転車は自由に使ってって」
「ありがとうございます」
多分このために原付の免許を取らせたのだろう。
前橋がテプラで名前シールを作ってくれたので、取り敢えず貼っておいた。
千里が庭に立ち、景色を見ていたら何と花絵さんが通り掛かる。千里は声を掛けた。
「花絵さん」
「あれ千里ちゃん、何してるの」
「ここ私の別宅なんですよ」
「へー。いい所に家があるね」
「花絵さんの通う國學館ってこの近くですか」
「國學院ね。わりと近く。それで今アパート探し中」
「へー」
「ねね、この家、部屋数(へやかず)に余裕ある?」
「ありますよ。そもそも本格的に住むのは高校出てからだし」
「だったらここに下宿させてもらえない?」
「全然OKです。それに誰も住んでないと家は傷むから誰か居てくれた方が助かります」
「だったら、ここに1年間住んでここから國學院に通ってもいい?」
「OKです」
ということで花絵はアパートとか借りるのをやめて千里の京都別邸に1年間住むことになったのである。千里は自転車やスクーターも自由に使ってもらっていいと言った。
「スクーターで買物行こうかな」
「ああ、都会では軽とかより使い手があるかも」
「北海道ではスクーターは冬の間使えないけどね」
「無茶ですよね」
「ついでに千里ちゃんも高校出たら國學院に入ろう」
「そこ高卒が条件なんですか」
「そそ。だから制度上は専門学校と同じだよね。千里ちゃんも神職の資格を取れば、和弥が留萌に行ってる間、私か千里ちゃんのどちらかが姫路に残っていればいいことになる」
「なるほど」
「私は1年コースに入るけど、千里ちゃんは2年コースに入りなよ」
「それどう違うんですか」
「1年コースでは神職の階位の下から2番目の権正階が取れる。2年コースならその上の正階が取れて、更に2年間神社に勤めた上で試験を受けると更に上の明階が取れる」
「へー」
「千里ちゃん大学はどこに行くの?」
「何も考えてません」
「この界隈なら同志社とかもあるよ」
「それキリスト教の大学なのでは」
「関係無いよ。学生のほとんどは仏教徒だと思う」
「そうかも」
「神道は八百万(やおよろず)の神を崇拝するからきっとヤーウェ様もその中のひとり」
「そんなこと言ったらクリスチャンの人に叱られそう。でもキリスト教の神様ってヤーウェというんですか」
「モーゼの十戒に神の名前をみだりに唱えてはいけないとあるから、その名前を言わないようにしていた。言わないようにしている間に名前は忘れられてしまった」
「冗談みたい」
「ただ神を表す聖四文字(テトラグラマトン)YHVHのみが伝えられた。近代になってこの読み方が問題になった。一時は“エホバ”ではないかという説が出てかなり信じられた。しかしその後、外国語に翻訳された古いキリスト教文書から実はヤーウェと読んでいたことが判明した」
「へー」
桜鱒プロジェクトは3月31日(土)に2006年度の納会をしたが、週明けの4月2日、市長さんがメンバーと話したいということだったので、柳里君・佐々木君・田崎君と千里が夕方市役所まで行って会ってきた。市長さんとは食事を交えて2時間ほど雑談をしてきた。市の振興課長で木崎さんという人も同席した。
「しかし何とか市を盛り上げていく方法は無いものだろうかね」
「やはり産業を隆興させることが重要ですよね。観光とかは一時的なものになりがちです」
「あまり観光資源もありませんしね」
「ニシン漁の遺構とかもそんなに残ってませんしね」
「見せるような景観もあまり無いし」
「変わった形の岩とかでもあれば観光船を出せるんですけどね」
「ゴジラ岩とかメガネ岩とか、ドラえもん岩とか、そんな感じの変わった形の岩でもあれば、いいんだけどね」
「何とか岩といえばイム岩くらいかな」
「何だっけ、それ」
「昔日照りが続いた時、イムというアイヌの娘がそこで雨乞いをしたという伝説があるんですけどね」
「そんなのあったんだっけ」
「知らない人が多い。小さな目立たない岩だし。雨乞いの後どうなったのかもよく分からない」
「よく分からないのでは観光案内できないなあ」
「やはり工場とかの誘致かなあ」
「どんな工場がいいと思う?」
「昔なら紡績工場とかパンスト工場とかで潤ったんですが、これからの時代ならIC工場でしょうね。高速道路も繋がるし、立地条件は良くなっていると思いますよ」
「ああ。高速が繋がるのは大きいよね」
「鉄道はもう瀕死ですけどね」
千里は雨乞いをした娘の消息についてP大神に尋ねてみた。
「ああ。覚えてる。器量のいい娘で言い寄る男も多かったよ。確か日本人のサムライと結婚した筈」
「へー。雨は降ったんですか」
「降らなかった。あの年はかなりの死者が出た」
「ああ」
「裸で7日7晩祈り続けたが、だめだったな」
「裸で祈るんですか」
「雨乞いの基本は女が裸で祈る事だぞ」
「へー。そうだったのか」
「男の裸は無価値だが、女の裸ならスケベな龍王がくるかも知れん」
勾陳みたいな奴だな、と千里は思った。
「でも雨乞いなんてしてもそうそう雨は降らんよ」
「ああ」
「人間の祈り程度で自然の天候は動かんからな。私たち神様にも動かせん。相手が大きすぎるよ」
「厳しいですね」
「にわか雨程度なら降らせられるが、干魃を救えるほどの降雨は難しい」
「ああ」
「千里くらいの強力な巫女なら雨乞いより地下水脈を見付けた方がいい」
「そういう手もありますね」
「千里は何代か前の前世でそうやって村を救っている」
「へー」
「しかし日本は海に囲まれているのだから水が欲しければ海水の淡水化をすればいいのに」
「ほんとですね」
2007年3月20日、天草エアラインが運行する、天草空港発熊本空港行きDHC-8型機の車輪がすべて下りないトラブル発生。緊急手動操作で車輪を出し着陸した。けが人はなかった。DHC-8(ダッシュ8)はトラブル続きである。
2007年3月25日午前9時42分、能登半島北西沖を震源とするM6.9の地震が発生(2007能登半島地震)。石川県の輪島市、七尾市、穴水町で震度6強を観測。輪島市で1人が亡くなり、石川県を中心に北陸地方各地で279人がけが。能登有料道路が一部崩壊するなど各地でライフラインに被害。
2007年3月31日、NTTドコモのポケベルサービス「クイックキャスト」がサービス終了。
2007年4月1日、関西の私鉄で導入されているICカード乗車券PiTaPaが、近鉄、京都市営地下鉄、京阪電気鉄道大津線、神戸電鉄、奈良交通、エヌシーバス(奈良)の各社で新規導入され、新たに滋賀県、奈良県と、三重県および名古屋市の東海エリアに利用地域が拡大した。
2007年4月5日、熊本市の慈恵病院が設置許可申請していた赤ちゃんポストの設置を熊本市が認可した。安倍晋三など一部の保守的な政治家が反対を表明する。
4月9日、北アルプス水晶岳で、ヘリコプターが墜落、2名が死亡し、8名が重軽傷を負った。
2007年4月、統一地方選挙が行われた。