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(C)Eriko Kawaguchi 2014-05-16
2006年。千里高校1年の年。
千里たちバスケ部の春の道大会(インターハイ予選)は6月17-18日の土日であったが、その前の週9日(金)の放課後にM高校女子バスケ部との練習試合が組まれた。こちらN高校も女子バスケ部で出るのだが、向こう側からのリクエストで千里がチームに参加することになっていた。
「でも村山は男子なんですけど、いいんですか?」
とN高校女子バスケ部主将の蒔枝が言った。
「彼女の件は、うちの松村(友子)が同じ中学だったということで聞きました。男の子になりたい女の子なんだそうですね。それで男子として高校に入ったとか。でも松村も中嶋(橘花)も対決したがっているから、ぜひやらせて下さい」
とM高校の女子バスケ部主将。
蒔枝は『同じ中学だったという人から、どう聞いたんだ!?』とは思ったものの、向こうが千里の入ったチームとの試合を望んでいるんだから、それでいいか、というので、その構成で行くことにした。それで数日前から千里に女子バスケ部の練習に参加してもらい、コンビネーションなどの確認をしておいた。
「千里ちゃん、シュートだけじゃなくてパスも凄く正確だね。男子バスケ部辞めて女子バスケ部に移らない?」
などと同じ1年の暢子などから言われた。
「えー?でもボク、戸籍上男子だから」
「戸籍は男子でも医学的には女子なんでしょ?」
「うーん。医学的にも男子だと思うけどなあ。精密検査とかされたことはないけどね」
「ああ。じゃ精密検査してみようよ」
「へ?」
それで暢子はその日、練習が終わってから千里を市街地のビルの中にある小さな診療所に連れて行った。
「ここの診療所は夜9時まで開いてるんだよ」
「それは凄いね」
「で、ここで1000円で血液検査してくれるんだよね」
「へー」
「それで妊娠してるかどうかとかも分かるんだよ」
「それは需要があるかも・・・」
受付で血液検査をしたいと言うと、
「ではこの注射器で自分の血液を採って下さい」
と言われた。
「・・・・あのぉ、自分でこの注射針刺して、採るんですか?」
「そうです。やり方は、待合室にビデオが流れているので見て下さい」
さすが1000円! でも自分で注射針刺すのって、怖いよぉ。
待合室でビデオを見る。採血とかは過去に病院で何度もされたことはあるのでだいたいのやり方は分かる。それでビデオを見て、その手順を再確認する感じになった。
腕をゴムで縛って血管を浮かせる。青い色の静脈の所をアルコール綿で消毒。そして・・・・・
「刺さないの?」
と暢子から言われる。
「だって怖いじゃん」
「自分で手術とかしろと言ってる訳でもないし。市販の血液検査キットだと指先からしみ出した血液使うから精度がぶれるらしいね。ここのはちゃんと血管から採るから正確なんだって」
「それを患者がしていいの?」
「法的には微妙かも。そもそもここの診療所も怪しい。先生の腕は確からしいけど。でもインシュリン自己注射してる人たちいるしね」
「のぶちゃん、これしたことあるの?」
「友だちがしてるの見た」
「うーん・・」
千里は覚悟を決めて、その針を静脈に刺した。
あれ?
全然痛くない!
そういえばさっきの受付の人が、針が細いからほとんど痛みは無いですよと言ってたな、というのを思い出す。
線の引いてある所まで採った所で針を抜く。ブラッドバンを刺した所に貼り、採血した注射器を受付に出す。ブラッドバンを貼った所を2分間圧迫する。
待合室で20-30分待つと名前を呼ばれる。検査結果シートをもらい、1000円払う(お金は千里が出した!)。
病院を出て、近くのハンバーガー屋さんに入り、千里は烏龍茶、暢子はハンバーガーセットを頼む。
「練習した後なのに、お腹空かないの?」
と暢子から言われる。
「えー? でも帰ってから晩御飯食べるし」
と千里。
「私は練習の後はパンとかおにぎりとかハンバーガーとかいつも食べてるなぁ。それで帰ってからもご飯6杯は入るよ」
「6杯も? すごーい」
「まあ女子としては多い方かな。でも練習でカロリー消費してるもん。千里はやはり7−8杯食べる?」
「私は1杯しか食べないけど」
「・・・・それ絶対少ない」
「そうかなあ」
「だから、そんなに痩せてるのかな。もっと食べないと、おっぱい大きくならないよ」
「うーん。おっぱいは大きくしたいけど」
検査シートを一緒に見る。検査項目の意味については一緒にもらったパンフレットに記載されている。また各々の数値の横に、正常値の範囲が記され、正常値から逸脱している所には★が印刷されています、と書かれている。
「取り敢えず、Murayama Chisato, Sex:F になっているのはお約束だよね」
「私、性別Fの病院の診察券が3枚もある」
「なるほどねー。私、だいぶ千里の実態が分かってきた気がする」
「そうかな」
「血糖値は正常だけど、HbA1c(過去1ヶ月程度の血糖値の平均が反映された数値)が少し高めだね。千里みんなの前では少食を装っていて、実はこっそりドカ食いしてるってことは?」
「それはないよ」
「じゃ、家系的なものかなあ」
「ああ、お父ちゃん、何度も血糖値が高いって注意されてるみたい」
「でも一応正常値の範囲に入ってるよね。あ、鉄分も赤血球も高い。私たちくらいの年代の女子って、しばしば鉄分の低い子がいるんだよね」
「私、生理が無いからだと思う」
「ほんとに無いんだっけ?」
「あったら大変」
「そのあたり、るみちゃんとかの話聞いてると疑惑を感じるけどなあ」
そして暢子は、ある数値に注目する。
「ね。E2(エストロゲン:卵胞ホルモン)の数値が《正常値》の範囲なんだけど。低めではあるけど」
「正常だから、いいんでしょ?」
「千里が女子であったらね。あ、P4(プロゲステロン:黄体ホルモン)も正常値の範囲じゃん。こちらも低めだけど」
と暢子。
「ふーん。やはりエストロゲンとかプロゲステロンが低めだから、私おっぱいの発達が遅いのかなあ」
と千里。
「・・・・・・」
「どうしたの?」
「私、時々思うけど、千里って普通に話してる時と自分の性別のことで嘘ついてる時の表情や話し方に全く差異が無いよね」
「へ? 何のこと?」
「まあいいや。あ、テストステロン(男性ホルモン)が《正常値》だよ」
「正常だから問題無いよね」
「まあ、要するに、千里はホルモン的には《正常な》女子であるということだよね」
「ボク男子だけど」
「今更何を言ってる?この検査シートが、医学的に女子であるという証拠。これ蒔枝さんと向こうのキャプテンにも見せちゃおうかな」
「個人情報保護法違反!」
それで練習試合の当日になる。会場はM高校の体育館を使うということで、こちらのチームがバスで移動してM高校まで出かけて行った。お互いに握手して、試合開始。今日の試合は疲れるほどやっても仕方無いということで、10分・10分の2ピリオド制である。
千里はスターティングメンバーで出る。暢子も出る。向こうのチームも橘花と友子が出ている。双方1〜2年生を中心に編成している。ジャンピング・ボールは向こうが取り、2年生PG茉莉奈がドリブルで攻めてくる。そしてSGの友子にパスする。友子がボールをセットして撃つ。
・・・・と思ったら、ボールが手の中に無い!?
そしてこちらのPG久井奈がボールをドリプルして速攻で攻め上がっている。
実は友子はボールを受け取ってから撃つまでの間、瞬間的に無警戒になる癖があるのである。それを千里が事前にチームに周知しておいたので、久井奈が死角から近寄って奪ってしまったのであった。
久井奈がスティールを仕掛ける瞬間から千里はスティールの成功を確信して走って敵陣に走り込んでいる。千里は決して後ろを見ない。そこに向けて久井奈がボールを投げる。ボールが到達する直前千里は振り向いてボールをキャッチ。そこから2歩で足を停めて、即ショット。
入って3点先取。
「でも千里ってロングパス投げた時に受け取る直前まで振り向かないよね。それでちゃんとキャッチできるから不思議」
と千里は随分久井奈から言われた。
「後ろに目があるとしか思えないよね。手許が狂った時でもちゃんと到達地点に走り込んでるんだもん」
と暢子からもよく言われる。
「勘だよー」
向こうも攻めてくる。茉莉奈は友子の近くにこちらの久井奈がいるのを見て、逆サイドに居る橘花にパスする。橘花が強引にゴール下にドリブルで進入し、レイアップシュートを撃つ。こちらの暢子がそれを叩き落とす。しかし橘花は平然とそのボールを自分で再度取り、後ろ向きにレイアップ。
入って2点。3対2。
暢子と橘花が視線をぶつけ合っていた。
千里たちのN高校側は、SG千里の3ポイントを使うパターン、PF暢子やSF穂礼がゴール下から得点するパターンを使い分け、更に長身の留実子がリバウンドから叩き込む。PG久井奈は基本的に運び屋に徹していた。
一方のM高校側は、万能タイプの選手が多いようで、ボールを取った子が自分でフロントコートまでボールを運ぶ(一応PGは茉莉奈)。そしてそのままゴール下まで行くパターン、友子にパスして3ポイントを狙うパターン、SF橘花・PF月乃が攻め入るパターン、C葛美がリバウンドを狙うパターンなどを駆使していた。
リバウンド争いは、葛美(181cm)・橘花(182cm)・留実子(179cm)・暢子(177cm)が主だが、4人とも長身だし、ジャンプ力もあるので、熾烈な争いになっていた。
千里の3ポイントは完全フリーで撃つと高確率で入るので、とにかく撃たせまいと向こうはディフェンスしてくる。まず千里をフリーにしないように努力するのだが、千里は不思議と久井奈がパスする時はフリーになっていることが多い。パスを受け取ったと見ると、長身の葛美がチェックしにくるが、パスを受け取ってからリリースまでが速いので、だいたい間に合わないことが多い。それでも葛美は長身の身体と高いジャンプ力を活かして、千里のシュートを3回も叩き落とした。
メンバーは適宜交替しながら試合を進めたのだが、千里・暢子・友子・橘花の4人は最初から最後まで出ていた。得点もこの4人が大半を稼いだ。千里は友子の体力がかなり付いていることに驚いていた。中学時代は連続して5分程度しかまともにプレイできなかったのである。
結果は54対53で千里たちN高校の勝利だったが、どちらも20分間に完全燃焼して気持ち良い試合であった。
試合終了後、握手だけではなく、あちこちでハグし合う。千里も友子・橘花のほか、さんざん対峙した葛美ともハグした。
「なんか試合前に暢子ちゃんが、千里ちゃんが医学的に女子である証拠とかいう診断シート見せてくれたけど、ハグして分かるよ。間違い無く千里ちゃん女の子だよね」
などと橘花は言っていた。
「あれ見せたんだ!」
「うちのキャプテンは、千里ちゃんは男の子になりたい女の子らしい、と言ってたけど、友子さんから聞いたら逆に女の子になりたい男の子だと言うんだよね。でもハグした感覚からすると、多分女の子になりたい女の子」
と橘花。
「・・・・それは普通の女の子という意味?」と千里。
「うーん。私も分からなくなった」と橘花。
「実は最近、自分でも分からなくなりつつある気がする」と千里。
「ああ」
試合後、M高校の食堂に移動し、N高校顧問宇田先生のおごりでジュースを配って簡単な親睦会をした。なんか個人的にカレーライスやラーメンを注文している子もいる。さすがスポーツ少女たちである。
「シューター対決は、千里ちゃん8本、友子ちゃん5本で千里ちゃんの勝ちかな」
「千里ちゃんが3ポイントを荒稼ぎできるひとつの理由が分かった気がする」
と橘花が言う。
「千里ちゃんって気配が無いんだよ。普通の選手なら、良いプレイヤーほど存在感が凄いから、近づいてくると結構気配で察知できる。でも千里ちゃんって撃つ直前まで透明なんだよね。え?なんでそこに居るの?と思っちゃう」
と橘花。
「それ中学時代にも何度か指摘されていたけど、以前よりそのステルス性能が上がっている気がする。ほんっとに気配が無い」
と友子。
「千里は小学1〜2年生の頃にかくれんぼすると、誰も見つけきれなかったね」
と留実子が言う。
「なるほどー」
「でも、おかげて『ちさとちゃん、きっともう帰ったんだよ』と言われて放置されてしまってたんだよ。暗くなっても帰宅しないんで騒動になったこともあった」
と千里は言う。
「ああ、何か消防団とかまで出て大騒ぎになったね」
と留実子。
「忍者になれるな」
「そうそう。千里は忍者プレイヤー」
「でも撃つ時の気迫は逆に物凄い。私も最初の内、気後れして近寄れなかった。気合い入れ直して頑張ったけどさ」
と葛美が言う。
「葛美さんに3本も叩き落とされたし、2本軌道を変えられた」
と千里。
「まあ特訓したからね。私が《仮想千里》になって、3ポイントじゃんじゃん撃って、葛美がじゃんじゃん撃ち落として」
と友子が舞台裏を明かす。
「でも軌道変わって外れたのは2本とも暢子ちゃんが叩き込んだね。私、取るぞと思ってたのに全然取れなかった」
と橘花。
「外しても暢子が取ってくれることを信じて撃ってるよ」
と千里。