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あの2人の関係も不思議だ。留実子が男の子的な言動をするのを鞠古君は許容している。カップル限定のイベントに行って「男性同士は困るのですが」などと言われたこともあるらしい。(男女ですと言ったら、留実子が男で鞠古君が女かと思われたが、面倒なのでそういうことにしたらしい。実際留実子の方が鞠古君より髪が短い)
その鞠古君は病気治療のために2年間にわたって女性ホルモンの投与を受け、一時期はかなり身体が女性化していた。本人としては憂鬱だったようであるが、それを留実子は優しく包み込んでいた。鞠古君が治療を完了させることができた背景に留実子が心の支えとなっていたことは大きいであろう。既に交際開始から5年半近くたつが、かえって鞠古君の病気があったからこそ、2人は続いたのかも知れないという気もする。
一方、その頃からやはり付き合っていた(?)蓮菜と田代君は先月のデートで喧嘩して別れたと言っていた。でもそもそもあの2人はいつも喧嘩していたし、本当に「付き合って」いたのかどうかも怪しい感じはある。一応過去に数回セックスはしたようではあるが。そして取り敢えず別れても、また仲が復活する可能性もある気がした。
そして自分は彼らと同じ頃から付き合い始めた晋治とは中学に入る時に別れちゃったし、その後付き合い始めた貴司とも春に別れちゃったし・・・・。いや、別れたんだよね?多分。
千里はちょっとだけ自信が揺らぐ気がした。
道大会のあった数日後。学校で4時間目の体育が終わってから着替えようとしていたら、校内放送で呼び出されたので、千里は着替えを中止して体操服のまま校長室に行った。職員室はしょっちゅう来るが、校長室というのはちょっと緊張する。
「失礼します」
と言って中に入ると、校長と宇田先生がおり、見知らぬ男性がいる。
座ってと言われるので着席する。
「先日はアンチドーピングの検査にご協力頂きありがとうございました」
と言われる。
ああ、こないだの検査の結果が出たのかな?
「採取させて頂いた検体を専門の分析センターに送り厳密にチェックした所、全く問題はないという結果が出ましたのでご報告します」
と男性は言った。
「ああ、良かった。変な薬は飲んでないつもりだけど、緊張しますね」
と千里。
「そりゃうちは、選手に怪しげな薬飲ませて寿命を縮めるようなことはしませんよ」
と宇田先生は言う。
「過去のオリンピックとかでは結構怪しい人がいましたよね」
「ええ。ドーピング検査が厳格化されることになった途端引退表明した人とか」
「どうかした国では選手に栄養剤などと称して、実はかなりあぶない薬を長年にわたって摂らせていた所もあるみたいです」
「そういうのを国家政策でやってた所もありますからね」
「女子選手に男性ホルモンを摂らせて、筋肉を発達させたりしていた国もあるみたいです。生理停止してしまったり、男みたいな外見になっちゃった選手もいるようでね」
「ひどい話ですね」
などといった話も出る。
「それで今は検査項目に男性ホルモンもあるのですよ。村山さんの検査表でもここですね」
と言って、アンチドーピング機関の職員は指で指す。
「テストステロンというのが男性ホルモンです。男性は女性の10倍の数値になるのですが、村山さんの場合、ちゃんと女性の正常値の範囲に入っているので問題ありません」
と職員さん。
ん?という顔をして宇田先生が千里を見るが、千里は気にしないことにした。何だかこの手の話は今更だ。もしかしたら前夜に女性ホルモンを大量に飲んだので、睾丸の機能が低下してテストステロン濃度が低くなったのではと千里は思った。
「どうかすると女性でも男性並みの数値があったり、男性でも明らかに多すぎる数値になっている人がいるんですよ。外国の例ですけどね」
と職員さんは言う。
そういえば、こないだ暢子に連れられて行った病院での血液検査でも、女性ホルモンが女性の正常値、男性ホルモンも女性の正常値だったよな、と千里は思い起こしていた。でもあの検査、私がお金払ったのに検査シートは暢子が持って行って、かなりの人数に見せているっぽい!
「他にどういう項目が検査されたんですか?」
と千里が訊くと
「興奮剤の類いはかなり広範囲にチェックされています。例えばここのエフェドリンというのも興奮剤の一種ですね。でも、この成分は風邪薬の葛根湯とかにも含まれているので、国際大会に出る選手とかは注意が必要なんですよ」
「きゃー。私、この検査受けた前夜に体調悪かったので葛根湯飲もうと思ったんですけど、疲れてたから結局飲む前に眠っちゃったんですよね。飲まなくて良かった」
「特別な薬とかでなくても、割とその辺にふつうにあるものがドーピングに引っかかることもあるので選手も大変なようです。今回の検査内容には含まれていませんが、競技によってはアルコールもチェックされます。昔はお酒を一杯飲んでから競技に出るなんて選手もいたようですが、現在はそれは自動車競技とか、アーチェリーや空手などではドーピングとみなされます」
と職員さんが言う。
「自動車競技だとドーピングというより飲酒運転ですね」
「ですです」
「それに高校生がお酒飲んでたらドーピングの前に退学ですね」
と校長。
N高校はお酒とタバコに厳しい。一週間謹慎で3回やると退学などという高校も多いが、N高校の場合は一発で退学になる。
アンチドーピング機関の人との話はなごやかに30分ほど続いた。最後にご協力ありがとうございましたと再度言われ、もしオリンピックや世界選手権などに日本代表として出るような場合は、今回の検査がドーピング検査の実績としてカウントされますとも言われた。検査は基本的には任意という立場を取っているものの、拒否や連絡がつかずに検査できないことが多い場合はドーピングしているとみなされ失格するらしい。
職員さんを見送ってから宇田先生が言う。
「この検査表の性別がFになっているの見ても僕は全然驚かなかったよ」
「いつものことですね」
と言って千里も動じない。
「村山って、男性ホルモンの量が女性並みらしいけど・・・・」
「まあ、そんなこともあるかも知れないですね〜。だから私、声変わりがまだ来ないのかな」
「睾丸を既に除去しているのでは、という噂が他の部員の間であるんだけど」
「取ってませんよ。取りたいけど。それにこないだ初めて射精を経験しました」
それは千里にとっては自分の身体がやはり男性化してきていることを意味するとても嫌なできごとであった。(但し次の射精は1年後だった)
「今まで無かったの?」
「はい。朝パンティーに何か付着していたから何だろうと思ってびっくりして友人に電話したら、それ精液だよと言われて」
ちなみに千里が電話した相手は留実子である。かなり呆れられていた。
「夢精だったんだ?」
「ええ。私自慰とかしないし」
正確には《できない》かな?と千里は自分でも思う。
「ああ、そうだろうね」
と宇田先生は少し呆れるような言い方をしたのだが、千里はその先生のニュアンスに気付いていない。
「でもハイドンとかの頃は17-18歳くらいで声変わりしていたらしいから私ってその頃の人並みなのかも」
「なるほどねえ」
と言ってから宇田先生は言う。
「ちょっと小耳にはさんだ話なんだけど、オリンピックとかでやるセックスチェック、今は遺伝子のY染色体があるかどうかでチェックしているけど、けっこうこれが判定困難なことがあるらしくてね」
「ええ」
「それで性別についてはテストステロンの濃度で判定しようかという話も出ているらしいんだよ」
「へー」
「だからさっきの人が言ってたみたいに、女子選手なのに男性ホルモンを摂っているような人はテストステロンの濃度が高いから、オリンピックに出たいと言うのなら男子選手として出場してもらう」
「ああ」
「逆に村山みたいに男に生まれたかも知れないけど、女の子になりたいという人は睾丸を除去していたりして、テストステロンの濃度が低ければ女子選手として出てもよい」
「へー!」
「村山、テストステロンの濃度が女子の正常値らしいし、連盟に申請すると女子選手として認められる可能性がある。前々から、一部の部員の間でそういう声があるんだけど、村山、女子バスケ部の方に移動しない? 村山が女子選手として出て行っても相手チームは何も文句言わないと思う。むしろこれまでの試合で、毎回相手チームから『なんで、そちら女子選手が入ってるんですか?』と言われているし」
「そ、そうですね。でも私、男だから」
「それ、誰も信じてないんだけど!?」
千里がアンチドーピング機関の人と話した翌日、留実子が朝教室に居なかった。担任が朝のSHRで
「花和さんは健康診断のため午前中の授業はお休みです」
と話した。
健康診断って、何か身体に異常でも生じているのだろうかと心配していたのだが、お昼になって出て来て
「参った、参った」
と言う。
「どこか調子悪いの?」
「いや、私さ、こないだのバスケの大会で対戦チームから、N高のメンバーに男子が混じっているのでは?とクレームが来たらしくてさ」
「ははは」
「私が医学的に女子である証明を提出してくれって、協会の方から言われたらしいんだよ。それでその診断を受けてきた」
「医学的に女子である証明って・・・、どんな診断されるの?」
「まあ、血液検査とか尿検査はいいけどさ。内診台に乗せられてつぶさにあのあたりを観察されたし、CTスキャンも受けたよ。停留睾丸とかが無いかの確認だって」
「内診台!」
「やだあ、あれ乗りたくない」
「千里も一回、あれに乗って確かに医学的に女子であることを確認してもらったら?」
「うーん・・・・」
「で、るみちゃん、医学的に男子であるという証明書もらった?」
「残念ながら、お医者さんは、医学的に女子であるという証明書を書いたよ。今教頭先生に渡してきた」
「あらあら」
「卵巣も子宮も膣もあるらしいし、陰茎・陰嚢・精巣は無いらしいし、染色体もXXだし、身体的特徴も完全に女性だそうだ」
と留実子。
「千里も少なくとも身体的特徴は女性だけどなあ」
と鮎奈。
「千里にも陰茎・陰嚢・精巣は無いはず」
と蓮菜。
「だよね〜」
夏越大祓は深夜まで神社では祭典が続くのだが、高校生の深夜労働は禁止されているので、千里は22時であがって帰宅した。しかしそれ以前の時間帯の神楽奉納では、千里が龍笛を吹き、女子大生の巫女・目時さんが舞を舞った。
翌7月1日(土)。特進組の授業に出ていく。さすがに疲れが残っているので、0時間目の始まる前、あくびしていたら
「寝不足?」
などと近くに居た鳴美から訊かれる。
「うん。神社のお祭りに出てたから」
「へー。千里はゲームとかはしなさそうだし何だろうと思った」
「私パソコン持ってないし、携帯は通話とメールしか使ってないし」
「まあ、そのメールが大量にあるんだよね?」
「えへへ」
「男の子とでしょ?」
「うーん。まあ、性別は男だろうなあ」
「千里は性別どちらなんだっけ?」
「ボクが女に見える?」
「女にしか見えん!」
と近くに居た数人の子に言われる。
そこに鮎奈と蓮菜が一緒に入って来た。
「お早う」
「お早う」
と声を交わす。
「千里〜。プレゼントあげる」
「へ?」
「これこれ」
と言って蓮菜が取りだしたのは、ウィッグである。
「ちょっと付けてみてよ」
「えっと」
蓮菜がまず千里の頭にネットをかぶせ、その上にウィッグを乗せて留め金を留める。
「おお、可愛い、可愛い」
という声が上がる。
「鏡で見てごらんよ」
と言うので、映して見た。ショートボブの髪型である。
「千里、ロングヘアのウィッグは持ってるけど、あれは長いし人毛だからメンテが大変でしょ? これは短いし、合成繊維の人工毛だから手入れも簡単だよ」
「人工毛だけど耐熱だからサウナに入っても縮れない」
「えー?でもこれ高かったんじゃ?」
「2980円だったから、私が1000円、鮎奈と京子が990円ずつ出した」
「わあ、ごめーん」
「いや、ウルトラ・スーパー・ベリーショートもいいけど、やはりインパクトが凄すぎるからね」
「ベレー帽、あげたけどかぶってないし」
「あれもごめーん」
「これは校内でいつも付けときなよ。むれにくいらしいから、夏の間でも、体育や部活の時以外は行けると思う」
「そうそう。人毛ウィッグは夏に使うと、更にメンテ大変だと思うよ」
「これシャンプー・コンディショナーも量を食わないしね」
「うん。確かに長い髪を洗うとシャンプーの減りが速い」