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「通ったね」
とお母さんは言った。
「はい?」
「千里ちゃんの友だちを思う気持ちは通じたよ」
「ほんとですか?」
「神様は明らかに反応した。この件、多分悪いようにはならないと思う」
とお母さん。
「男の子にとって、おちんちん失うなんて、死にたくなるくらい辛いことだもん。何とか失わずに済む治療法が見つかるといいですね」
と千里は言う。
「そうだね。普通の男の子の場合はそうだよね」
「ええ」
「でも最近は逆に失いたい子もいるみたいね」
「ああ。でも多分その本人にとっては、おちんちんが付いていることが凄い苦痛なんですよ。女の私には分かりませんけど」
と千里は開き直って平気な顔で言う。
「私の同級生にもそういう子がいてね」
とお母さんは遠い所を見るような目で言った。
「結構本人はそういう性癖を隠していたから、知ってたのは少数だった。でもその子、高校を出た後はすっかり女の子の格好で暮らすようになって、数年前タイに行って性転換手術受けて、本当の女になったんだよ」
「タイ?」
「タイには性転換手術をしてくれる病院がたくさんあって、世界中から希望者が集まっているんだよ」
「へー」
「千里ちゃんも、お友だちとかに、そういう子が居たら教えてあげるといい」
「そうですね。でもその同級生さんも、きっと色々悩んだんでしょうね」
「うん。理解してくれない人も多いだろうから、あれこれ苦労したと思うよ。大学はずっと女の格好で通学したものの、就職するのに、受け入れてくれる所が無くて、大変だったみたい」
「確かに、なかなか理解してくれる会社は少ないでしょうね」
「そういう子はおちんちんは取ってしまいたいだろうけど、同級生の男子に聞いたら、おちんちん切られるくらいなら死んだ方がマシなんて言ってた子も居たよ」
千里はにわかに鞠古君、自殺したりしないよな?と不安になった。
いや、ひょっとしたら・・・・おちんちんをどうしても切るということになったら彼は自殺を考えるかも知れない。いや、既に考えていたかも知れない。
「彼・・・・自殺したりしませんよね?」
「こないだ一緒に来た、彼のガールフレンド。あの子が彼を愛してあげている限り大丈夫だと思う」
「ああ」
そうか。留実子がいたから何とかなったのかも知れない。
「そして千里ちゃん、あなたの行動も彼を救ったと思うよ」
「あぁ・・・」
千里は溜息のようなものを付き、遠い所を見る仕草をした。
「千里ちゃん、面白い所見るね」
とお母さんは、本当に面白そうに言った。
「はい?」
「今千里ちゃんが眺めていた所は、古い磐座(いわくら)の場所だよ」
「いわくら?」
「神様が降りてくる所。そして千里ちゃんが見詰めていた時、確かにそこに神様がいたよ」
「へーー!!」
「ほんとに千里ちゃん、霊感が強い。そして強い守護霊に守られている」
「そうですか?」
「千里ちゃん、もし貴司と別れたとしても、留萌にいる間はここの巫女をしてよ」
「はい。それは構いません」
「誰かが千里ちゃんを呪おうとしても、跳ね返されるだろうね」
「呪いですか? 怨まれるようなことってあまりしないつもりだけど」
「こちらは普通にしているつもりでも相手が呪いたくなることもあるのさ」
「そんなものなんでしょうか」
千里はまた遠い所を見た・・・・つもりがさっきと同じ場所を見詰めていることに自分で気付いてしまった。
実際にその磐座の場所にお母さんと一緒に行ってみた。
「神々しい岩ですね」
「うん。でも何かに似てるでしょ?」
「えっと・・・・女の子かなぁ」
「そうそう。陰陽石の一種だよね」
「いんようせき?」
「しばしば男の子の形とか女の子の形の岩は信仰対象になった。それを並べて信仰している所もよくあるよ。だから、ここも古くは男の子の形の岩もあったのではと言う人もいるけど、よく分からないね。神社の記録にはそういう話は無いようだし」
「じゃ、やはりここに居るのは女神様ですか?」
「うん。この神社の御祭神は三柱の神だけど、その中の姫大神の御神体がここかも知れないと思う」
「でも三柱の神のお名前を唱える時、姫大神は最後に言いますね」
「一般に神社では後から祭られるようになった神様を最初に唱えて、最初から居た神様を最後に唱える」
「へー。真打ちなんですか?」
「ああ。そういう考え方はあるかもねー」
とお母さんは少し考えるように頷きながら言った。
「でもさっき水垢離の時に見ちゃったけど、千里ちゃん、おっぱい全然無いね」
「あ、済みません。男みたいな胸だってよく言われます」
「ふふふ。男みたいな胸ね。でもまあその内、大きくなるかもよ」
「そうですね。大きくなるといいなあ」
千里はバレたかも?という気はしたが、お母さんが優しく微笑んでいるので、この場では取り敢えずバッくれておくことにした。
鞠古君一家と留実子は、火曜日に旭川の病院に行き、そこで紹介状を書いてもらい、水曜日に札幌の病院に行った。そこで検査をされてその結果を見て木曜日に両親とお医者さんが話し合った。それで、まだ未認可の薬の治験に参加してみることになった。ただ、その薬には重大な問題があった。
「その薬使うと、生殖機能が失われるんだって」
と留実子は千里に札幌から電話して来た。
「でも睾丸取っちゃうという話だったんだから」
と千里は答える。
「そうなんだよ。だから取っちゃうくらいならこの薬使ってみようかと。それで、この薬を使う場合、その前1ヶ月くらい掛けて精子の採取と保存をするって」
「保存?」
「うん。精子を出して、それを冷凍保存しておくんだって」
「へー。精子を出すってどうやって出すの?」
「あのなぁ・・・・」
千里は実は中1になっても射精の経験が無いので、時々こういう問題でトンチンカンなことを言ってしまう。千里はセックスの仕方を知っているくせにオナニーの仕方をこの頃はまだ知らなかったのである。
「まあ冷凍しておくと10年でも20年でも持つらしいよ」
「それは凄いね」
「その保存が終わってから治験だって」
「じゃ、おちんちんとタマタマは取らなくてもいいの?」
「分からない。この薬が効いて、もし腫瘍が小さくなってくれたら、おちんちんは全部切っちゃうんじゃなくて、腫瘍のある所だけを切るので済むかも知れないということ」
「結局切ることは切るんだ?」
「腫瘍のある所を切って、その前後をつなぎ合わせるらしい。だから、おちんちん短くなっちゃうけど全部失うよりは良いよね?」
「私は男の子の感覚が分からないけど、多分全部なくすよりは随分いいんじゃないかな?」
「きっとそうだと思う。それでタマタマの方も、この薬を使うと機能停止して男性ホルモンも生産しなくなってしまうから、取らずにそのままにしておいても構わないって」
「へー!」
「でも薬が効かなかったら、やはりおちんちん全除しかないらしい」
「効くといいね」
「ボクもそれを祈ってるよ」
「で、これは期待しないで欲しいということでさ」
「うん?」
「おちんちんも睾丸も運良く温存できた場合で、病気の治療が完全に終了した時点で、男性ホルモンを取ると、確率は低いけど睾丸の機能が回復する可能性もあるって」
「そうなったらいいね」
「過去の例では、その薬を投与して治療が完了した後で、睾丸の機能が回復したのは、30人中2人だけらしい」
「鞠古君がその3人目になるといいね」
「うん」
「それで女性ホルモンは摂るの?」
「それは摂るけど、成分を調整すると言ってた」
「ふーん」
「その処方だと、身体が丸みを帯びたりとかは起きるけど、おっぱいはそんなに大きくはならないって」
「ほほぉ」
「まあ多少は大きくなるかもとはいうことだけど。トモもボクのおっぱいより大きくならなかったらいいことにするかなあ、なんて言ってた」
「じゃ、るみちゃん、自分のおっぱい大きくしよう」
「まあ、それでもいいよ。ボクは自分の胸が大きい状態はそれなりに楽しんでいるし」
「うんうん」
留実子は小学5−6年生の頃は、胸を小さくしたいと時々もらしていた。自分が女の身体に変化していくことが多分辛かったのだろうが、それなりに妥協できたのだろう。自分は自分が男の身体に変化していくことに妥協できるのだろうか?千里はその自信が無かった。
「一応、手術したあと2年間女性ホルモンを投与して、それで再発とかしなかったら男性ホルモンに切り替えてみましょうということらしい」
「なるほど」
「結局この病気は男性機能に深く関わっているらしくて、治療のためにはいったん、どうしても身体をホルモン的に女性にしてしまわないといけないみたい。でも治療が終わったら、また男に戻せばいいんだよ」
「陰陽反転か・・・・」
千里は貴司のお母さんが算木の陰と陽をくるくると回しながら反転させていたのを思い出しながら言った。列車で会った人も陰と陽は簡単にひっくり返るのだと言っていたなと千里は考えていた。
「うん。男女反転。でもそれは身体だけの問題だからさ。身体がどうなっていても心が男であるのなら、トモはやはり男の子だし、ボクもトモの恋人でいられる」
「うん、頑張ってね、るみちゃん」
「ありがとう」
「じゃ、鞠古君、もう女装しないよね?」
「ああ。今度女装してたら、股ぐら蹴ってやるぞと言っといた」
「るみちゃんのキックは痛そうだ」
「こちらの先生も身体が女の子の身体みたいになるから、女の子として暮らしてみてはというのは無茶すぎる。そんなの50年前の論理だとか言ってたよ」
「同感」
「それで御両親もこちらの先生を信用する気になったみたい」
「じゃ、今後の治療はそちらの病院で進めるのね」
「うん。協力してもらえる留萌の病院も別の所だよ。千里が言ってた学閥ってやつみたい」
「なるほど」
「だから、千里がトモの代わりに女性ホルモンの注射を打ってた件もバレない」
「あははははは」
「でも千里はずっと女性ホルモン打って欲しかったんだったりして」
「それはそうだけどずっとやってたら絶対バレてたからね。それに、ここ数回打ってもらったのだけでも、私は凄く心理的に楽になった。中学になってから、何か小学校の時より遥かに男女の扱いが違うんだもん」
と千里は言う。
「それはボクも同感。すっごく不愉快。だから最近ボク反動で男装する時間が増えてる」
「・・・・ね、まさかるみちゃん、男装して鞠古君に付いてるんじゃないよね?」
「男装してるよ」
「嘘!」
「だから鞠古君の御両親はボクのこと、トモの男友だちと思ってる」
「えーーー!?」
「ホテルの部屋もトモと一緒の部屋にしてるし」
「・・・あのねぇ」
でも千里は何だか楽しい気分になった。
「そうだ。るみちゃんさ。男装してる時は男子トイレ使うんでしょ」
「うん」
「どうやって立ったままおしっこできるの?」
「ふふふ。それは秘密さ」
うーんと悩んでみたが、そもそも自分が立っておしっこをしたことがないので千里は考えてみてもさっぱり分からなかった。
「だけどさ」
と留実子は言う。
「万一、トモが女の子になっちゃったら、ボクが性転換して男になってトモと結婚してもいいかもともチラッと思った」
「ああ、そういう愛の形もあるだろうね」
と言いつつ、千里の頭の中は若干混乱していた。陽が陰に反転し、陰が陽に反転すれば、結局ふつうの関係になってしまう??
週明け、鞠古君も留実子も登校してきた。鞠古君はもちろんワイシャツに学生ズボンである。鞠古君はついでに髪を切ったようだ。これまでスポーツ刈りっぽくしていたのを三分刈りの丸刈りにしている。しかし、彼にしても留実子にしても何だか表情が明るい。千里はきっと新しい治療方法はうまく行くだろうと信じた。
鞠古君はみんなの前で、もしかしたらチンコ取らなくてもいいかも知れないということを話し、特に男子達から「良かったなあ」と言われていた。
「まだその新しい薬を使ってみるまでは分からないけどね」
と一応彼は言う。
「あ、そうだ、村山、これやるよ」
と言って、鞠古君は千里に紙袋を2つ渡した。
「何?」
「姉貴からもらったセーラー服。こちら冬服、こちら夏服」
「ああ、先週お前が着てたもの?」
「そそ。でもちゃんとクリーニングした。俺がこれを着ることはなくなったから、村山、要らないかと思って」
「ありがたいけど、私はもうセーラー服持ってるし。それに鞠古君の身体に合う制服が私に合うとは思えないし」
」
と千里が言うと、
「そこに着たそうな目をしてる子がいるけど」
と恵香が言った。
「おお、高山、お前なら俺が着てた服でも入るよな?
「え!?」
と本人は唐突に名前を呼ばれて驚いている。
「それは良いことだ!」
と周囲から声が上がる。
「高山、取り敢えず着てみろよ」
と他の男子からも言われる。
「えっと・・・」
「セナちゃん、女子制服着てたら、女子トイレを使ってもいいよ」
などと近くで蓮菜が言う。
「ほらほら、着替えて」
とせかされて、女子数人が作ってくれた円陣の中で、高山君はノリで女子制服を着てしまった。
「足の毛は処理してるね」
「ちゃんと女の子下着着けてるね」
「今日は体育が無いから、きっと女の子下着だと思った」
などと円陣を作っている女子。
それで高山君が着替え終わると
「可愛い!」
という声が女子からも男子からもあがる。
本人は物凄く恥ずかしがっているが、彼はセーラー服を着たらちゃんと女の子に見える。
「高山、今日はこれで授業受けなよ」
「えーー!?」
「明日からもそれで学校に出て来なよ」
「それは叱られる〜」
「誰も変に思わないから」
「鞠古の女装は違和感ありありだったね」
「同感同感」
彼はその日は本当に1日セーラー服のまま授業を受けたが、先生たちは誰も彼の女子制服姿に注意はしなかった。更に千里や蓮菜が手を握ってあげて、女子トイレに連れ込んだりしたが、彼は普通にトイレの列に並んでいて
「セナちゃん、女子トイレ慣れしてる〜」
と言われていた。
このクラスの男女比は4月には男15女11だったけど、このままだと男12女14になっちゃうかも、などと千里は思った。