[*
前頁][0
目次][#
次頁]
(C)Eriko Kawaguchi 2015-02-13
嵐山カップが終わった翌日、2008年5月7日。その日は連休明けの最初の通常授業の日であったが、この日は部活は臨時でお休みになった。補習も無かったので6時間目が終わった所で帰ったのだが、その帰り道、《いんちゃん》が言った。
『千里、今日は千里が性転換手術を受けてから1周年だよ』
『へー!』
『女の子1歳おめでとう』
『そっかー。性転換した日って私のもうひとつの誕生日なんだね』
『そうだね』
『でも実際、私が女の子の身体を使い始めてからもほぼ1年だもんね』
『あれは去年の5月21日だったね』
『よし、ケーキ買って帰ろう』
それで千里は一度駅前でバスを降りて商店街のケーキ屋さんでケーキを買って帰った。帰ると美輪子が
「千里、パスポートができたってハガキ来てるよ」
と言う。
「ありがとう。明日お昼に取りに行って来よう」
と言って、テーブルの上に置かれていたハガキを学生鞄の中に入れた。
「あ、そうそう。これお土産」
と言ってケーキの箱を出す。
「今日はどうかしたの?」
と美輪子が訊く。
「今日は私が女の子になって1周年らしい」
と千里が答えると
「へー。じゃ、女の子1歳おめでとう」
と美輪子は素直に喜んでくれた。
「ありがとう」
「でもさ、千里って女子高生になってる時と女子大生になってる時があるよね?」
と美輪子は鋭い指摘をした。
「えへへ。分かる?」
「5月3日までは女子大生だった。でも翌日女子高生になってた。今も女子高生だ」
「すごーい。どうして分かるの?」
「そりゃ一緒に暮らしてれば分かるよ」
「私、歴史的な時間と肉体の時間がパッチワークになってるみたい」
「そんな気がしてた」
「私が性転換手術を受けたのは2012年7月18日だったんだけど、その時、私の身体はまだ2007年11月12日だった。そして今日は2008年5月7日だけど、私の身体は2008年11月12日。だから肉体的に1年経っているんだよね」
「そのあたりの難しい話はよく分からないけど、要するに性転換した時間をローンで払ってるんでしょ?」
「どうもそういうことみたいなんだよねー。だから私、2012年の12月までは死んじゃいけないんだって。辻褄が合わなくなるから」
「そんな若くして死んじゃいけないよ」
「私もまだ死にたくないけどね」
「120歳くらいまで生きなさい」
「それはまた大変そうだなあ。だけどローンで払ってるから、まだ何度か男の子に戻らないといけないらしいんだよね」
「あらあら。まあ、頑張りなさい」
「うん」
翌日千里は4時間目の授業が終わるとすぐにバスで市役所まで行った。ハガキを見せ、手数料を払う。
「記述に間違いがないか確認してください」
と言われたので、中を開けて確認する。CHISATO MURAYAMA, 3 MAR 1991 Sex:F と記載されている。
「はい、間違いありません」
と千里は言ってパスポートを受け取って帰った。
その日、千里が2日連続でケーキを買って帰ると、春風アルトが来ていた。
「おいでになる気がしたのでケーキ買ってきました」
と言って千里はケーキの箱を出す。
「すごーい。ちゃんと分かるのね」
と春風は喜んでいる感じ。
「婚約おめでとうございます」
「ありがとう」
春風アルトは連休中の4月29日に作曲家・上島雷太との婚約を発表。30日から5月2日まではあちこちのテレビ局に出演して、たくさんインタビューを受けていた。とても幸せそうな顔をしていた。
「もし良かったら結婚式にも来てもらえないかなと思って。10月12日なんだけど。交通費も出すから」
「ええ。いいですよ。お伺いします」
「千里、あんたその時期、バスケの大会があるのでは?」
と美輪子が心配するが
「だいじょうぶ。上手い具合にぶつかってないんだよ」
と千里は答えた。
取り敢えずケーキの箱を開ける。今日千里が買って来たのはプティケーキのセットで12個入りである。この時、テーブルの奥側に春風アルト、玄関側に千里、シンクと窓のある側に美輪子が座っていたので、千里はケーキの長方形の箱の長辺を美輪子に向け、短辺を自分と春風に向けた。こんな感じである。
春風
■■
■■
■■
■■美輪子
■■
■■
千里
「春風さん、お好きなの取ってください」
と千里が言うので
「私、ウェディングドレスのサイズが合わなくなるとやばいから2個くらいにしとこう。カロリーの少なそうなの」
と言って、箱のいちばん遠く(千里側)にある、フルーツロールケーキとプリンを取った。
「おばちゃんもどうぞ」
と千里は言うので
「私、少しお腹がすいたから3個もらっちゃおう」
と言って、真ん中付近にあるイチゴショート・モンブラン・チョコケーキを取った。
「じゃ私も3個行っちゃおう」
と言って千里は、残っている中で手前付近にあるミルフィーユ・ティラミスと、春風側に残っているモンブランを取った。
美輪子が入れてくれた紅茶と一緒に頂く。
「これ美味しい〜。お店の名前メモさせて」
と春風が言うので、千里は箱に貼ってある店名と賞味期限の書かれたシールを剥がして、そのまま渡す。
「それで占い師さん、占って欲しいんだけど」
と春風は食べながら言った。
「はい。何でしょう?」
「私、上島とうまくやっていけるか、それから子供ができるかどうか占って欲しいの」
「子供のことを占うというのは何か不安があるのですか?」
「うん。実はアイドル歌手なんかやって、デビューする前もずっと歌手の卵としてレッスン受けてて、10代の頃体重を抑えていたせいもあるんだろうけど、私ずっと月経不順を抱えているのよ。2ヶ月くらい生理無いかと思ったら2週間で来ちゃったりとか無茶苦茶。1度3ヶ月くらい来なかった時はまさか妊娠してないよね?と自分で不安になった。その時期にセックスした覚え無かったのに」
「まあセックスせずに妊娠するのはめったにないことですね」
「でもごくまれにあるらしいですよ。若いカップルがまだセックスする勇気が無くてペッティングしてて、中には入れてなかったのに、外で射精した精子が膣口から進入して、膣・子宮を泳ぎ切って卵子と出会うなんてことがあるらしいです。ひじょうに珍しい現象だそうですけど」
「セックスの快楽を味わえずに、出産の苦痛だけを味わうのは割に合わないな」
「ですよねー」
千里は筮竹(ぜいちく)を取り出して、略筮方式で卦を立てた。略筮の良いところは一瞬の集中で済むところだ。本筮などやると物凄い長時間集中を維持しなければならないし、そういう集中ができるようにするのに、問題によってはその前数日間に及ぶ潔斎が必要になることもある。明治の易聖と言われた高島嘉右衛門(高島呑象)もそのほとんどの占いを略筮で行ったと言われる。
地山謙2爻変(地風升に之く)が出た。
「謙は通る。天道は下済にして光明なり。地道は卑くして上行す。人道は満つるを憎んで謙を好む。謙は尊くして光り、卑くして越ゆべからず。六二は鳴謙たり。貞にして吉なり」
と千里は卦辞・爻辞を暗誦する。
「基本的に吉です。多くを望みすぎなければ何とかなっていきます。以前に占った時にも出てますけど、彼氏が浮気するのは止められません。それは開き直るしかないです。ただ、相手は今後は他の女性と子供まで作ることはないですよ。之卦が地風升なので、状況は少しずつ良くなっていきます」
「うん。それは彼のプロポーズを受け入れた時、覚悟は決めたつもり。まあ我慢できなくなったら、なった時だけどね」
「ええ。無理せず、多くは期待せず。でも相手はあなたのことが好きなんです」
と千里は占断を告げながら、それって自分と貴司のことみたいとも思う。貴司が浮気するのは、もはや彼の人格の一部だ。それを止めることはできないから、こちらは開き直るしか無い。
「ただ彼は決して自分を捨てないし、どんなに浮気してもこちらのことを愛しているんだということを信じましょう」
と千里は言うが、それは自分自身へのメッセージでもあるような気がした。
「なんか今から結婚する人に贈るメッセージじゃないね」
と美輪子は言うが
「いや、そういう人だとは分かっていて結婚しますから」
と春風は言う。
「今彼の隠し子って何人居る?」
千里はだまって筮竹を左右に分ける。左手に残った筮竹を8本単位で数えていくと4本余った。
「4人です」
春風は目をぱちくりさせる。
「去年の秋に尋ねた時は村山さん、隠し子は3人って言ったのに」
「え?私そんなこと言いました?」
と千里が驚いて言う。
「ああ、だいたいどこかから降りてくることばをそのまま語ってるから自分では覚えてないよね」
と美輪子が笑いながら言う。
千里は自分の部屋から「魔女のタロット」というタロットを持って来た。007の映画『死ぬのは奴らだ(Live and let die)』の撮影のために製作されたタロットで、現代的な絵柄が美しい。
「おばちゃん、ちょっとごめん。法律違反」
と言うと、千里は冷蔵庫から白ワインのボトルを出して1杯飲む。アルコールを入れることにより、脳みそをブーストさせる。
それから黙って4枚引いた。
聖杯の4、金貨の3、女司祭、魔術師
という4枚のカードが出た。
「その子供って4年前、3年前、2年前、そして昨年と1人ずつ生まれてます」
と千里は言った。
「要するに、去年占っていただいた後に1人産まれたんですか!?」
「でもその子の母親とは既に切れていたと思いますよ。切れていなかったら、たぶん結婚を考えたと思うから」
「小アルカナと大アルカナが出たね」
と横から美輪子が言う。
「たぶん小アルカナはふつうの人生を送る子、大アルカナは社会的に名前が売れる子です」
「ミュージシャンとかになる?」
「かも知れないですね」
と千里は微笑んで言う。
「これって、上から女・女・女・男だよね?」
と春風。
「そこまでは確信できないですけど、その可能性ありますね」
と千里。
春風はちょっと疲れたような顔をしたが、ふと思い返したように
「そうだ。私の子供は?」
と訊く。
千里はニコっと笑った。
「それは既に占っています。このケーキです」
「え!?」
「春風さん2個ケーキを取りました。ですから子供は2人ですよ」
「わあ、生まれるんだ?」
その言い方から、春風は自分は子供を産めないかもと思っていたかもと千里は思った。
「でもできるまで時間がかかりそう。春風さん、いちばん遠いところからケーキを取ったもん」
「なるほどー。それはあり得る気がするよ」
「子供ができるまでは、夫婦水入らずの生活で」
「でもあの人、仕事ばかりしてるから。婚約発表した後、私1度も会えてないんだよ」
「ああ。この連休はAYAの件で無茶苦茶忙しかったはずです」
「大騒動だったね」
「でもおかげで大いに話題にされて、今までAYAを知らなかった人もいやでも知ることになったから」
「結局、ランキングでAYAは1位、テスレコは圏外。消費者が明確な判定を下した感じですね」
「テレビ局はおもしろがって両方を並べてオンエアしたりしてますね」
「それでAYAの方が上手いし、アレンジも良いからますますAYA派が増える」
「両者の歌唱力が違いすぎますし」
「でも、その裏で上島はあちこちとの調整で飛び回っていて、メールの返事も来ないんだよ」
「まあ、浮気されるよりはマシですよ」
「それ、(日野)ソナタちゃんにも言われた!」
ところで千里は後から美輪子に尋ねられた。
「あの時、春風さんがケーキ2個取ったから子供は2人と言ったよね。私は3個取ったけど、子供3人?」
「だと思う。おばちゃん近くから取ったから、結婚したらすぐできるよ」
「千里も3個取ったね」
「うん。だからきっと私も子供が3人できるんだよ」
「あんた、生殖腺無いよね?」
「そのあたりが良く分からないんだよねー」
[*
前頁][0
目次][#
次頁]
女の子たちのBoost Up(1)