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■夏の日の想い出・空を飛びたい(1)

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(C)Eriko Kawaguchi 2013-10-25
 
私は高校2年の夏、唐突に「女装」させられて、友人の政子と一緒に歌唱デュオとしてステージに立ち、1日だけかと思ったら月末までやってくれと言われて「ローズ+リリー」という名前も付き、更に来月以降もやってくれないかと言われて、9月1日から有効の「暫定契約書」にサインしてしまった。
 
ただこの時点ではそちらのプロジェクトでは、あくまでデパートの屋上とか、遊園地とかで歌うような雰囲気で、大々的に売り出すような話では無かった筈であった。政子も「バイト」の延長のような感じで、その度に私を「女装」
させることで
 
「冬って、ほんとに女の子の姿が似合うなあ」
などと、私を愛でる方に力点があった雰囲気もあった。
 
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私はこの件に関しては逐次∴∴ミュージックの畠山社長に報告していた。
 
最初唐突にステージに立つことになったことについては「冬ちゃんは代役の天才だねえ」などと笑っていた畠山さんも、月末までやってくれという話になったことを聞くと難しい顔をし
 
「それ本当に月末で終わるかな」
と懸念を示した。更に△△社の担当者(須藤さん)に乗せられて「暫定契約書」
にサインしたことを言うとマジ叱られた。
 
「唐本君。君とは確かにまだ契約書は交わしていない。でも僕としては君は既にうちの支配下ミュージシャンのつもりでいたし、君もそのつもりで居てくれたと思ったんだけど。ずっと競合していた○○プロさんに取られたんなら僕も文句言えないけど、他の所と唐突に契約って無いじゃん」
 
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ところが、その契約書を畠山さんにFAXしてみた所、畠山さんは、この契約書には大いに問題があると指摘した。
 
「ローズ+リリーの名前では勝手に演奏したり音源を作ったりしてはいけないとしか書かれていないから、その名前を使わなければ何をしてもよい」
 
「歌唱についてしか書かれていないから、楽器を演奏するのは構わない」
 
「専属歌手としての活動としか書かれていないから、作詞や作曲は自由」
 
「そもそも保護者の署名捺印が無いから、この契約書自体が無効」
 
更に畠山さんは、この契約書が9月1日からということになっているから8月中は全く拘束されない、と言って、次のシングル(『秋風のサイクリング』)について、私の演奏部分と歌唱部分を8月中に全部録音してしまったのである。
 
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ところでKARIONの歌声というのは純正律的に響くようになっている。その為には、メインボーカルの和泉の声の周波数と、きれいに整数比になる周波数で、私や小風・美空は歌わなければならず、譜面に書いてある音符のピッチのまま歌ってはいけない。
 
それで歌唱部分は響きを耳で確認しながら歌うため、4人で同時に歌って収録する必要がある。音程だけの問題であれば、例えばメロディーラインを何かの楽器に演奏させて、それと響き合う音で歌うという形で収録する手もあるのだが、その方法では拍を完全に合わせるのが難しい。特にシンコペーションやフェルマータなどのタイミングまで揃えるのは至難の業である。結局は私が歌う前に最低でも和泉のパートは収録済みでなければならない。
 
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ということで、私の歌唱を収録するためには結局ボーカル部分を4人まとめて収録するのが良いということになり、私たちは急いで新譜の譜面を確定させ、4人で歌唱部分のみ先録りしたのである。つまりこのCD『秋風のサイクリング』
に含まれる3曲は、ボーカルを先に録音し、後から伴奏部分を収録するという方法で行うことにした。
 

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私がローズ+リリーのプロジェクトに関わり、△△社と「暫定契約」を結んだという件を聞くと、案の定小風が難しい顔をした。
 
それに対して、畠山さんは
「契約問題に関しては、僕に一任してもらえない? 今その問題に関してある人と相談している所で。とにかく蘭子がKARIONの活動に関わっても問題無い形に持って行くから。ただ、その問題が決着するまでは、蘭子をお客さんのいるステージに上げるのは控えておこうか」
と言った。
 
それで小風も社長がそう言うのであれば今は自分は何も言わないと言って、普段通りに、私と一緒に歌ってくれた。
 
もっともステージに上げるのを控えるといっても、実際にはこの時期はKARIONもそんなに売れている訳でも無かったし、アルバムの発売は9月だし、この8月下旬の時期は実質何も活動していなかった。KARIONも最初の年は、普段はレッスンなどに出て行く程度で、時々音源製作やキャンペーンライブをしているという感じの「暇なB級アイドル」に近かった。活動内容に関しては貝瀬日南や谷崎潤子、秋風コスモスなどと似たようなレベルである。
 
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一方、私はこういう状況を○○プロの丸花さんの方にも随時報告していた。(双方に報告していることは、畠山さんも丸花さんも承知である)
 
すると8月29日になって、○○プロから△△社に、ローズ+リリーの主として営業に関する件を○○プロが担当したいという申し入れがあり、津田社長も須藤さんも驚愕した。そもそもローズ+リリーなどという、CD1枚作っただけの臨時編成ユニットのことを○○プロが知っていたこと自体に驚いた感じであった。
 
私は丸花さんが元々の○○プロとしての「私の帰属」に関する権利を主張してきたのかなと思い、津田さんたちとは別の戸惑いを持ったのであったが、この件に関して、畠山さんに急遽連絡すると
 
「うん。特に問題無いから、そのまま○○プロの話に乗っていいよ。むしろ、こちらにとって好都合だから」
と言った。
 
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私は首をひねったのだが、畠山さんがそう言うならと思い、津田さんと須藤さんに連れられて○○プロを訪問し、浦中部長と前田課長に挨拶をしてきた。
 
「冬ちゃん、政子ちゃん、このままメジャーデビューに持って行こうよ」
と前田さんはにこにこした顔で言っていた。
 
「前田さん、この子たちのこと知ってたの?」
と津田社長が不思議そうに訊く。
 
「ふたりとも何年も前から○○プロに出入りしてたんだよ。各々別口でだけどね」
「えー!?そうだったのか!」
と言って津田さんは本当に驚いていた。
 
それでローズ+リリーは、○○プロとの共同プロデュースということで、△△社との話はまとまってしまったようであった。
 

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○○プロの申し入れというのは、私もそのことをかなり後になってから知ったのだが、実は「四社密約」によるものであった。それは○○プロ、∴∴ミュージック、$$アーツ、ζζプロの各社トップ(丸花社長・畠山社長・前橋社長・兼岩会長)の間で、口頭で交わされた密約で、私も須藤さんも、△△社の津田社長や○○プロの浦中部長でさえ知らない中、私と政子のアイドル歌手へのレールが密かに敷かれていたのである。
 
ただ、当時、私は丸花さんから直接
「君がKARIONに関わること自体は構わないから」
とは言われていた。それで丸花さんと畠山さんとの間で何らかの話はあったのだろうなというのだけは思っていた。
 
「ただこの問題に関してはもう少し調整が必要だから、KARIONのステージなどに伴奏やコーラスででも参加するような話があった時は、念のため僕にも事前相談して」
と丸花さんは言っていた。
 
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当時、丸花さんや畠山さんは、ローズ+リリーは年内くらいインディーズで活動して、年明けくらいにメジャーデビューという線になるだろうと考えていた節があり、それまでにその付近の調整もすればいいと思っていた感じであった。私もそのくらいのことを考えていたのだが、事態は急展開してしまう。
 
その背景には、6月の時点で既に、★★レコードの加藤課長が私が雨宮先生と作った音源、政子と2人で作った音源の双方を聴いていて、それで私と政子をデビューさせるべく★★レコード社内でのプロジェクトが動き出していたためだったのだが、私はそのことを翌年の春まで知らなかったし、丸花さんや畠山さんもこの時点ではレコード会社の動きまでは察知していなかったようである。
 
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あの時期は本当に色々な人が勝手にそれぞれの立場で動いており、それがやがて町添さんを中心にひとつの流れにまとまっていくのだが、実際問題として完全にまとまったのは翌年の夏に「ファレノプシス・プロジェクト」が稼働してからである。
 

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9月13日。私と政子は△△社の設営作業+前座で荒間温泉に行っていたのだが、そこに上島先生がローズ+リリーに曲を書いてくださったので、即CDを作って★★レコードから2週間後に発売する、などという話がもたらされ、私は驚愕する。このあたりは後から考えてみると、多分に須藤さんの暴走という気もしてならない。こんな急な発売になったのは「上島フォン」のせいだろうと私は思っていたのだが、上島先生も自分の曲でCDを出してあげてとは言ったが今月発売というのを聞いた時はびっくりしたなどと後から言っていた。
 
9月27日の発売日に私たちは埼玉県のレジャープールでイベントをしたのだが、翌日の横浜のデパートでは、観客が押し寄せてきて怪我人が出る騒ぎになる。メジャーデビューCDの『その時』も初期プレス分が発売日当日に売り切れ、レコード会社では慌てて追加プレスをした。
 
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その状況の中で私たちは10月1日に★★レコードで町添部長・加藤課長・担当の秋月さんに会い、10月中に全国キャンペーン(札幌から福岡まで)、11月には全国ツアーなどというスケジュールを提示されて驚く。
 
「私たち、放課後と土日限定で活動しているのですが・・・・」
「うん、だから土日限定で全国を回る」
 
と言われて、私と政子は思わず顔を見合わせた。
 

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10月4日(土)は関東周辺、5日(日)は新幹線で大阪に行き、関西周辺でそれぞれ大量にイベントをこなす。後で秋月さんに当時の記録を見てもらったら4日は16ヶ所、5日も12ヶ所でイベントをこなしている。物理的に有り得ないような数字だが、分刻みのスケジュールを作るのが好きな須藤さんらしいやり方である。
 
10月11日(土)は高松・岡山・広島と新幹線と車で移動している。むろん東京に戻る。
10月12日(日)は新潟まで新幹線で行き、富山・金沢と移動して小松から帰還。
10月13日(祝)は福島・仙台・盛岡・八戸・青森と移動して空路帰還。
10月18日(土)は札幌・福岡と飛行機で移動して神戸泊。やはりこの日の移動が凄いが、この日福岡で 4日にデビューしたばかりの XANFUSの2人と遭遇して仲良くなった。
 
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10月19日(日)は神戸・大阪・京都・名古屋とキャンペーンして、最後は東京のCDショップで歌って、怒濤のキャンペーンツアーを終了した。この日大阪ではXANFUSに再会したし、お昼を食べた時に「ひとりデュエット」をする芸人さんを見て、政子から「冬なら男声と女声でひとり男女デュエットできるね」と言われた。
 

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私は自分のことは棚に上げて、政子に
「この活動について何も親に言わないのはまずい」
と言い、最低でもお母さんには言いなよ、と強く言った。
 
それで10月の初旬、政子はお母さんに電話した。
「あ、お母ちゃん、あのね。私今度CD作っちゃったの」
「CD? 何のCD?」
「えっと、歌を歌ったCD。冬と一緒に歌ったんだけどね」
「ああ、唐本さんと? でもあんた歌下手なのに、よくそんなもの作る気になったね」
「冬と一緒に作った『遙かな夢』という曲と、ワンティスの上島雷太さんの『その時』という曲なんだけどね」
 
「ああ、そういえば2人で曲を作ったりしてたね」
「そちらに1枚送ろうか?」
「ああ、いいよ。お正月に1度帰国しようかとも言ってたから、その時見せてもらってもいいかな」
「うん。それでもいいかな」
 
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などと言って政子は電話を切った。
 
「マーサ、今のではカラオケ屋さんのCD作成サービスとかで自分で吹き込んだCDか何かだと思われていると思う」
「だって、歌手になっちゃったと言う勇気無かったんだもん。だいたい冬はどうなのよ?お父さんに言ってないんでしょ?」
 
「うん、まあね。どうしよう? これヤバイよね」
 

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さて、私が「契約期間前」の時間を使って歌唱に参加し、制作にはどっぷりと浸かって作ったKARION 4枚目のCD『秋風のサイクリング』が10月22日(水)に発売される。これまでにない凄い初動が来たが、今回は前作からソングライター陣を一新していたので、その路線変更が当たったのだろうということで、★★レコードの幹部が新しいソングライト陣に会いたいという話が来る。
 
『秋風のサイクリング』は福島在住の櫛紀香さんの作詞・相沢さんの作曲。『嘘くらべ』はシンガーソングライターの福留彰の詞にやはり相沢さんが曲を付けたもの。そして『水色のラブレター』は森之和泉作詞・水沢歌月作曲とクレジットされていた。これはこのクレジットで公表された最初の曲である。
 
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櫛紀香さん、福留彰さん、相沢さんは、各々松前社長や町添部長と会食したのだが、水沢歌月については、情報を知る人をできるだけ少なくしたいと畠山さんから★★レコード側に申し入れがあり、都内の料亭で森之和泉と一緒に会うことにした。
 
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夏の日の想い出・空を飛びたい(1)

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