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■夏の日の想い出・空を飛びたい(5)

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(C)Eriko Kawaguchi 2013-10-26
 
この11月のKARIONのツアーでは私は基本的にキーボードだけを弾くことになっていた。何かの時のために一応愛用の《Flora》のヴァイオリンは持ち歩いていたものの、それを弾く予定は無かった。7月のライブの時はキーボードを弾きながらヘッドセットマイクを付けて歌ったのだが、今回は権利関係の調整がまだ付いていないので歌唱には参加しないでと言われた。しかし小風は一応私が出てきてステージに参加したことで、私を許してくれている雰囲気だった。
 
7月のライブの時と比較して増えたのは10月下旬に発売したばかりのシングルの曲3つだけだが、それだけでもライブ構成のやりくりは楽になっている。
 
新曲『秋風のサイクリング』でスタートし、前半にこれまで出た3枚のシングルの曲を演奏していく。そして前半最後は樟南さんから頂いた乗りの良いナンバー『Shipはすぐ来る』であった。
 
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ゲストコーナーでは今回のツアーにはKARIONのデビューCDでバックコーラスを務め、来年の2月か3月くらいにメジャーデビュー予定であった《ミルクチョコレート》が出演した。今回のツアーに全部付き合う。KARIONのバックコーラスからメジャーデビューへというので、今回のコーラス隊を務めてくれた中学生4人組が熱い視線で千代子と久留美のペアを見ていた。
 
ちなみに《ミルクチョコレート》というのは、千代子の子供の頃からのアダ名が「チョコ」で、久留美は名前を逆読みすると「ミルク」なので、ふたりが半ば自虐的に付けたユニット名だったが、インディーズでCDを出してライブなどもしたりしていると、覚えやすくて良いという反応が多く、本人たちも気をよくしていた。
 
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ふたりの音楽は基本的にはポップロックで、KARIONとは全く違う傾向の音楽である。楽曲は青島リンナや道上前略などの∴∴ミュージックのアーティストにも楽曲を提供しているシンガーソングライター、山吹亜技斗さんの提供だった。(山吹さん自身はインディーズでのんびり活動しているので、世間的に見ると作曲家だが、本人はシンガーソングライターと自称している。福留彰さんと似たような活動だ)
 

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後半は新譜の中の曲、福留さんの『嘘くらべ』から静かにスタートする。後半はアルバムの中の曲を9曲演奏し、最後は『水色のラブレター』で締める。単独ダウンロードが10万件近く来ている凄い曲である。CDは1人で数枚買う人もあるかも知れないが、ダウンロードは1人1つのストアでは1回しかダウンロードできないから、これは本当に10万人の人が聴いてくれているということになる。私も和泉もありがたいねと言っていた。
 
幕が下りてアンコールの拍手がある。幕が開き美空・和泉・小風の3人が出て行き、御礼の挨拶をする。そしてアンコール曲『空を飛びたい』を今回のツアーでは、相沢さん・木月さん・鐘崎さん・黒木さん・児玉さんの、トラベリングベルズの中核5人の伴奏で歌う。
 
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そして更にアンコールの拍手。あらためて和泉が挨拶をして本当に最後の曲として『Crystal Tunes』が告げられる。相沢さんたちは下がり、私とグロッケン奏者が出てきて、グランドピアノとグロッケンシュピールのみの伴奏でこの美しい曲が奏でられ、ツアー初日札幌公演は終了した。
 

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翌日の仙台公演、翌々日の金沢公演については何も言われていなかったので、丸花さんに電話して確認したら、出られそうなら出てと言われたので出ることにした。それでその日は結局母に連絡して和泉たちと一緒に札幌に泊まり、翌日飛行機で仙台に移動して、公演に出た。更にその後、飛行機で小松に移動して、金沢市内で泊まり、11月3日のKARION金沢公演に出た。
 
公演が終わってから3日の夕方、小松空港で羽田行きを待っていたら政子から電話が入る。
 
「冬、1日からどこに行ってたの?」
「あ、ちょっと○○プロさんの用事」
「へー。それで私、冷凍室のストックが無くなっちゃって」
「ああ。じゃ火曜日くらいに作りに行く」
「今日は〜?」
「今日はまだ用事がもう少し掛かる」
「私、お腹空いた〜」
「スパゲティくらい自分で茹でられない?」
 
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と言ったのだが、10分後くらいに
「鍋の底に大量にスパゲティがくっついて取れないんだけど、これどうしたらいいの?」
と電話が掛かってきた。
 

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11月7日(金)。私と政子は須藤さん、津田社長と一緒に、午後学校を早引きして、鍋島康平先生の御自宅を訪問した。これまで何度かご挨拶にという話はあったものの、先生の御都合が付かず(実際には体調が良くなかったようであることを別ルートから私だけは聞いていた)、延び延びになっていたが、この日は大丈夫ということであったので、私たちの学校はあるものの、鍋島先生のご負担にならないよう昼間の訪問となったのである。
 
政子は学校の制服であるが、私が私服だったので、須藤さんから「これ着て」
と言われて、ふたりお揃いの女子高生の制服っぽい服を着せられての訪問となった。
 
「ふふふ。女子高生の冬は可愛いなあ。でもさあ、冬、実はうちの高校の女子制服を持ってたりしないの〜?」
などと訊かれる。
 
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「そんなの持ってる訳ないじゃん」
「ほんとかなあ」
などと政子は少し疑っている雰囲気だ。確かに政子にも何度か女子制服姿は曝してるが、借り物ということにしている。
 
「だいたい男の子が女子制服買いに行っても売ってくれる訳無い」
「そりゃ、普通の男の子ならね。でも冬は《男の娘》のほうだから」
「女装してなきゃ男の子としか思われないよ」
「いや、冬は学生服を着ていても女の子に見える」
 
「まさか! それに知ってる? うちの高校の制服は作る時に販売店から高校に依頼者の名前がオンラインで照会されて、高校側のシステムが承認しないと受け付けない。だから部外者はもちろん、男子生徒でも女子制服を作ることはできないんだよ」
 
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「あ、そんなシステムあったんだ」
「よからぬ目的のために制服作ろうとする奴がいるからさ。うちの高校の制服は可愛いから、特に神経とがらせてるみたい」
「うーん。でも冬なら何とかしそうだけどなあ」
 
実際は私の性別のことを理解してくれていた高田先生が、私が女子制服を作ることができるように、洋服屋さんからの照会用データベースに私の名前(唐本冬彦・冬子の両方)を追加しておいてくれたのである。
 

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鍋島先生の御自宅は、田園調布の静かな住宅街にあった。家の作りもしっかりしていて、中に入ると調度や家具も品の良いものを使っている。そんなにお金を掛けている訳ではないものの、センスの良さが感じられ、さすが芸術家の家だと思わせられた。
 
「おはようございます。ローズ+リリーのケイと」
「マリです」
と挨拶したら
 
「おお、可愛い子たちだねぇ」
とこちらに寄ってきて、いきなりマリに抱きつこうとし、マリから蹴りをくらった。フェイクガールの私ではなくトゥルーガールのマリの方に行ったのは勘がいいなと思った。須藤さんが慌てていたが、先生は
 
「うんうん、元気で良い」
と楽しそうにしていた。
 
先生は私の祖母(若山鶴乃)と同い年だったはずなので今年82歳になるはずだ。病気をして少し老けたなどとおっしゃっていたが、まだ70歳前後にしか見えない。しかも作曲家として現役で、毎年数人の歌手に新曲を提供している。目が若くてまるで少年のようなきれいな目をしている。私はこの先生きっと女遊びも現役だなと思った。
 
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「だけど僕を蹴ったくったのは、ゆきみすず君以来だ」
などと言っている。津田さんは
「すずくりこさんには蹴られなかったんですか?」
と言って笑っている。
 
「あの子にはグーで殴られた」
と先生。
 
確かにゆきみすず先生とすずくりこ先生はスノーベル時代に鍋島先生の曲を一時期歌っていたことがあった。
 

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美味しいアッサムの紅茶を入れてもらい、しばし歓談した。
 
「あの曲は前に****君に歌ってもらったんだけど、確か数百枚しか売れなかったんだよね」
「演歌のようで演歌とは少し違う雰囲気の曲ですから。演歌歌手が歌うより、こういう子たちが歌った方が、曲に合ってたんでしょうね」
と津田社長。
 
「うん。CDを聴いたけど、凄くロックっぽいアレンジになってたね。これは面白い!と僕も思ったんだよ。ミクシングのセンスもいいね。若いミクサーさんでしょ?」
 
取り敢えず先生があのアレンジを気に入ってくださっているようでホッとする。先生に献納したCDは、最初に雀レコードから出したものではなく、★★レコードから再版したものなので、実は須藤さんのアレンジ・ミックスしたものを私が密かに再調整させてもらったものである。
 
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「あれは須藤君のアレンジ・ミックスじゃなかったっけ?」
と津田さんが言うが
「そんな気もしてたんですが、聴いてみると私の仕事じゃないみたいだから、あの時、スタジオのミキサーさんに頼んだような気がします」
と須藤さん。
 
「ああ、その時担当してくれた人がたまたまセンス良かったんだろうね」
などと津田さんは言っていた。
 
細かいことを記憶していないアバウトな須藤さんらしい。おかげでこちらの裏工作がバレなくて済む。
 
その場で鍋島先生がピアノを弾いてくださって、私と政子が『明るい水』を一緒に歌った。それを津田社長がMP3レコーダーで録音していたが、これは結果的には鍋島先生の最後の実演演奏記録になったようである。(鍋島先生の全集を作った時に収録された)
 
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先生はマリが持っているオーラから、
「君、詩人でしょ?」
と言い、その後、ふたりで結構、和歌や俳句の話で盛り上がっていた。
 
津田さんも頷きながら聴いていたが、須藤さんはその手の話には興味が無いようで途中から半ば心ここにあらずという感じにしていた。
 
「でもマリ作詞・ケイ作曲の『遙かな夢』は凄くいい歌だよ」
と先生は褒めてくださった。
 
「正直、上島君の『その時』より出来がいいと思った。こちらをタイトル曲にしても良かったと思う」
 
「それはさすがに褒めすぎです。この子たちをうぬぼれさせますよ」
と津田さんは釘を刺す。
 
「でも津田君、次のローズ+リリーのCDにも、このふたりで書いた歌を入れた方がいい。2曲か3曲入れてもいいと思うよ」
と先生はおっしゃった。
 
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津田社長も頷きながら
「それは私もそれがいいかなと思ったんですよ」
と言う。
 
「どうかした事務所なら、アイドルが作詞作曲したり、アイドルが楽器を演奏したりするとイメージが壊れるとかいって嫌いますが、うちはそんなの何も気にしない事務所ですから」
と津田さん。
 
「まあ、プロデューサー的な人がいないから適当にやってるだけだよね」
と鍋島先生も歯に衣(きぬ)を着せない。
 
そんな感じで、私たちと鍋島先生の対談は(須藤さん以外)とても楽しく過ぎて行ったのであった。
 

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さて翌日11月8日は午後に大阪でKARION公演、夕方から横浜でローズ+リリーの初ホールライブという無茶なスケジュールである。私はそのハードスケジュールに備えるため今夜はぐっすり寝ておきたかった。
 
ところが鍋島先生の家を辞して、自宅に戻り夕飯の支度をしていたら、上島先生から私の携帯に直接電話が掛かってきて「新曲をあげるから今夜取りに来て」と言われた。この時はまだ私は、上島先生のこの手の言葉の意味を知らなかった。
 
須藤さんに連絡すると、それなら政子も連れて頂きに行こうということになり、3人で御自宅を訪問することになった。私は母に急用が出来た旨を告げて
 
「このシチューの鍋はこのまま40分煮込んでから、ルーを入れれば食べられるから」
と言って、出かけた。
 
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私たちが上島先生の御自宅を訪問すると、数人のアーティストが応接室で待機していた。篠田その歌も居て、お互い手を振って挨拶代わりにする。そして上島先生は何やら演歌系レコード会社の担当さんと話し込んでいる。
 
私たちは前の人の予定がずれているのかな、などと思いながらも緊張してひたすら待っていたのだが、その内、その歌が席を立ち、私にも、ちょっと来てという感じのジェスチャをしたので、私も席を立って廊下に出た。
 
「遅くなったけどデビューおめでとう」とその歌。
「いえ、こちらこそ挨拶に行かずにごめんなさい」と私。
 
「でも献納CDは聴かせてもらったから。上島先生、無茶苦茶リキが入ってるじゃん」
「ムーちゃんにあげてもいいくらいの曲だと思った」
「私は最近少し手抜きされてる気がする」
「うーん・・・」
 
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「今、先生はAYAに力入れてるからね」
「凄く売れそうな曲を渡してるね」
「冬に渡したのはAYAに渡してる曲とは違う意味でリキ入ってる。あれは実験曲だと思う」
「やっぱり?」
 
「普通、アイドルにこういう曲を歌わせないでしょ?」
「うん。何か微妙な違和感があったんだけどね」
 
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