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■夏の日の想い出・いと恋し(8)
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目次 8
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幕が開く。3人で出て行く。種類の違う制服だが、中高の女子制服3人で並ぶのもそれなりに美しい。
Eさんが最初に「先ほどはお見苦しい所をお見せしました。もう大丈夫です」
と挨拶した上でピアノの前に座る。ヴァイオリンを持った私とフルートを持ったAさんがそばに立つ。Eさんのピアノ前奏に続いて、Aさんのフルートが
ラー・レミファソ・ラーソラー
と悲しげなメロディを奏でる。本来はオーボエで演奏するパートである。そこに私のヴァイオリンが背景的な和音を重ねる。
約3分ほどの短い曲だが、知名度の高い曲故に、客席の反応も良い感じだった。
やがて終曲。
大きな拍手。楽団員が全員登場して、一斉にお辞儀をし、幕が降りた。
私たちはファミレスに移動して、ささやかな打ち上げをした。
「いや、唐本さん、今日で終わりというのは寂しいよ。また時々でもいいから出てこない?」
などと第二ヴァイオリンのNさんから言われる。
「済みませーん。部活やってるし、お稽古事もしてるので、ちょっと時間が取れないので」
「あ、じゃ、私みたいに演奏会の時だけ臨時に加わるのとかは?」
と、前半私の隣でヴァイオリンを弾いたKさん。彼女はいわゆる「常トラ」と言って、エキストラだが、だいたい毎回参加しているらしい。
「いやあ、練習時間取れないし」
「じゃ、取れた時だけでもいいから」
「そうですねー」
ということで、私は結局、練習には参加せずお呼びが掛かった時に時間が取れたら、演奏会には出てもいいという線で妥協した。
でもそれって、演奏会でよく弾くような曲を常時練習してないといけないじゃん!
私が随分引き留められたのに対してT君を引き留める声は全然出ていなかった。あるいはもう彼の退団は半ば既定路線だったのかもという気もした。
後日、Eさんから電話で聞いたところでは、演奏会は支援者グループが要求した観客数を一応超えていたこと。また演奏の内容も良く、ハプニングへの対処が素晴らしくて、とても良い雰囲気であったことから、支援継続・増額が決まったということであった。
「でもハプニングの対処はほとんど冬ちゃんのお陰だよ。弦が切れた時もたまたま、冬ちゃんが管楽器の方に移動して残しておいたヴァイオリンが役に立ったしね。着メロの対応なんて最高に素晴らしかった。また出てこない?」
「ごめーん。でもよく事故が起きたね〜」
「ほんと、ほんと。まあ私はその戦犯のひとりだけどね」
演奏会に来ていた人(実際には楽団員と同じ学校の生徒でタダでチケットをもらって動員されてきている人が大半)の中から「この楽団に入れます?」
と言ってきた人もあり、秋からは25人で練習をするようになったとのことであった。支援金が増えた上に楽団員が増えたことから、毎月の部費も5000円から2000円に減額され、また練習場所ももっと交通の便の良い所にある廃校の音楽室を無償で使っていいことになり、色々負担も減ったので、まあ受験で忙しくなるまでは続けるかな、などとEさんは言っていた。
辞めたT君の後任の第一ヴァイオリン首席には、リーダーが友人をスカウトしてきて据えたらしい。それまで楽曲のアレンジや活動方針をめぐってリーダーとT君の衝突をしばしば見て楽団員がみなうんざりしていたので、後任の人とリーダーがスムーズに意思疎通しているのを見て、ホッとしていると言っていた。
結局、この時連れてきた新しいコンマスさんが人当たりも良く、また行動力があったため、翌年には彼が2代目のリーダーになり、対外折衝や会場の確保などもうまく行くようになり、この楽団は数年後には60人ほどの楽団員が所属する一般的な規模のオーケストラに成長した。
ちなみに、T君のヴァイオリンだが、弦が切れたというより、糸巻きが折れていたらしい! あはは。やはり前日の衝撃の後遺症?? 私、知ーらない!!
また、置き去りにしたパンティは返すと言われたが、捨ててくれと言っておいた。絶対頬ずりするか舐められるか、されてそうだし!
さて演奏会から一週間ほどした日、私は川崎に来ていて、ばったりとT君に駅で出会った。私はその日は実は東京駅まで父と一緒になってしまったため、その時点ではまだ男装であったが、女声で会話した。
「やあ、こんにちは」
「こんにちは」
と私は儀礼的に挨拶だけは交わす。
「珍しい所で会うね」
「そうですね」
「こちらは民謡のお稽古か何か?」
と私が手に持つギターケースを見て言う。
「答える必要は無いですけど」
「うん。そうだよね。でも僕ひとつだけ勘違いしていた気がしてさ」
「はい?」
「僕、君が女装男子だと思ったから、つい恋してしまったけど、こないだの公演のアンコールで、Aさん・Eさんと組んで演奏しているのを見て間違いに気付いてしまった」
「間違い?」
「唐本さんの男装見たのも実は初めてじゃないんだ。何度か学生服を着ている所を見かけた」
「ふーん」
しかし何度も見たって・・・こいつストーカーしてたのか? とも思う。
「それで学生服姿の君にますます恋してしまったんだけど」
「へー」
「でも君は中身は女の子なんだ。僕が以前知っていた男の娘たちって、中身が男半分女半分って人が多かったけど、あのアンコールでEさん・Aさんときれいに溶け込んでたでしょ。ふつうの男の娘の場合、完全に溶け合わずに遠慮みたいなのがそこに混じっているんだよね」
「まあ、私、厚かましいし」
「で結局考えてたんだけど、唐本さんって、女装男子というよりむしろ男装女子なのかもと思った」
「はあ・・・」
「だって中身が女の子だから、女の子の服を着ている時が普通。今日みたいに男の子の服を着ている時が男装女子」
「ふふふ、それはあり得るかもね」
「僕も実は出会った日に名古屋までの便の中では、てっきり本当の女の子だと思ってたんだよ。女の子にしては話しやすいなとは思ったけどね」
「そうですか」
「だけど帰りの便でもまた一緒になった時にさ、君にヒゲがうっすらと生えていることに気付いて。もしかしてこの子・・・と思ったら、『男の娘』なのかも知れないという気がしてきて」
「ああ。夕方でしたからね」
「普通は気付かないと思う。君、雰囲気が女の子だから、多少ヒゲが薄くあっても、少し濃い産毛くらいに思ってしまう。でもメンテさぼらない方がいいよ」
「ご忠告感謝。でも実はT君もバイだったりしてね」
「実はそんな気もしてきたんだよ! だって純粋に女の子である君を好きになってしまったんだから」
「今度は普通の女の子の恋人作ってみたら? でもあんな強引なことしたらダメよ」
「うん。反省してる」
「そうそう。Tさん、今は何してるんですか?」
「取り敢えずヴァイオリンの修行中。鍛え直すことにした。こちらに母の知り合いの知り合いの音楽大学教授がいて、レッスン受けに来たんだ。レッスン代が1回3万円するけどね」
「わあ、凄い」
「さすがに月1回だけどね。あとは名ヴァイオリニストの演奏のCDを聴いてる。それでちょっと僕もこれまであまりまともに受験勉強してなかったんだけど、これから頑張ってして、大学に入って、大学のオーケストラに入ろうかと」
「頑張ってください。どこかの音楽大学?」
「それはさすがに無理。今狙ってるのは※※工業大学」
「ああ。男子が多そう」
「いや、それも実は一瞬考えた」
私たちの会話は後半はけっこう和やかな感じになり、最後は握手して別れた。
T君と別れた後、私は駅の多目的トイレでいったんセーラー服に着替えた上で、川崎市内のホールに行く。今日は三味線で小さな大会の伴奏である。
津田さんのお友だちの若山瑞鴎さんとふたりで演奏する。服は楽屋で津田さんが用意してくれていたお揃いの和服に一緒に着替えた。
「和服着るの、だいぶ上手になったね」
「振袖がまだうまくひとりでは着られないんですよ」
「振袖は難しいもん。まあ少しずつ慣れていくといい」
大会が始まる前に演奏予定曲目の内、何曲かピックアップして合わせてみた。
「冬ちゃんって、今まで何度か演奏を見たけど、凄く柔軟な演奏をするよね」
「そうですか?」
「その時に組む相手の空気というのか流れというのか、それを読み取って自然に調和するように弾く。セッションセンスがいい。今も何だか私のいつもの演奏の仕方にきれいに合わせてくれて、とっても楽だった」
「私、協調性が無いって友人からはよく言われるんですけどね」
「多分、目立つべき所と目立たないでいた方がいい所をわきまえてるんだよ。冬ちゃんの演奏って」
「ああ、その辺は野生の勘で」
出演者は地元の素人さんたちである。事前に何本(邦楽でキーのこと)で歌うというのを登録してもらっているのだが、そこは素人さんで(前奏も無視して)予定と違うキーで歌い出す人も多いので、私の三味線は良いが、尺八を吹く瑞鴎さんは慌ててそばに置いている別の長さ(尺八はキーごとに別の長さの竹を使用する)のものに持ち替えて吹いたりしていた。
さて、出演者の演奏も続き、あと数人という時にその事故は起きた。
唄い手さんは『佐渡おけさ』を唄っていたのだが、2コーラス目を唄っておられた時に突然私の三味線の「三の糸」が切れてしまった。私は内心「うっ」と思ったもののこちらの都合で伴奏を停める訳にはいかない。私は残りの2本の糸だけで演奏を続ける。隣で尺八を吹く瑞鴎さんも驚いたようだが、動揺しないように演奏を続ける。
この唄い手さんは上手いので、演奏は長く続く。3コーラス目、4コーラス目と唄が続き、とうとう5コーラス目に突入した。その時、今度は「二の糸」まで切れてしまった。私は「ぎゃー」と思ったものの、平静を装い残りの「一の糸」
だけを使い演奏を続けた。私より瑞鴎さんの方が目を見張っている。
そして唄い手さんはついに6コーラス目まで唄って演奏を終えた。
(結果的にはこの人が優勝した)
私はその人の唄が終わった所で、急いで3本の糸全てを張り替えた。それを待ってくれていた司会者さんに会釈して、次の出演者が出てくる。
全員の歌唱が終わってから、瑞鴎さんから言葉を掛けられる。
「よく頑張ったね」
「幸いにも『一の糸』が無事でしたから」
「うんうん。『一の糸』が切れたらどうにもならないよね」
三味線の3本の糸の内、『一の糸』はいちばん太い糸、つまりいちぱん低い音を出す糸なので、その糸を短く押さえれば高音は出せる。しかし万一『一の糸』が切れてしまうと、他の糸では低音域が弾けないので、代替できないのである。
「せっかく調子良く唄っておられたのに、万一そういう事故が起きたら大変でした」
「しかし、糸を交換するのに、切れてない一の糸まで交換したね、君」
「だって次の演奏でその一の糸が切れたら大変じゃないですか」
「そう考えられる君が凄い」
と瑞鴎さんは言った。
「私、今日の演奏会の前に全部糸を交換したんですけどねー」
「ああ、やってたね。いつもやるの?」
「はい。伴奏で出る場合は必ず新品と交換します」
「偉いね」
「交換した糸は練習用に使いますし」
「君、有吉佐和子の『一の糸』って小説知ってる?」
「いえ」
「三味線の『三の糸が切れたら、二の糸で代わって弾ける。二の糸が切れても、一の糸で二の音を出せば出せる。そやけども、一の糸が切れたときには、三味線はその場で舌噛んで死ななならんのやで』。そんなことばが出てくるんだよ」
「まさにさっきの事故ですね!」
「『一の糸』の主人公でこのことばを言った三味線弾きも、公演の前には必ず糸を全部新品に交換していた。だから彼の揚がり糸は、喜んでもらわれて行っていた。あまり痛んでないから」
「なるほど!」
「でも切れてない糸で代替できるといっても、かなりしんどいよね」
「しんどかったです! 一の糸の普通の音をそのまま使っては二の糸や三の糸の出すデリケートな響きが作れないから、ちょっと弾き方を工夫しました」
「だよね。糸が切れたということを感じさせないようにうまく弾くと思った」
「唄い手さんを絶対に動揺させてはいけませんから。それに私、トラブルには割と強いかな。でも先日、クラシックの演奏会に出ていて、私じゃないけど、コンマスさんのヴァイオリンの弦が切れたんですよ」
「へー!」
「それで隣で弾いていた演奏者のヴァイオリンと交換して、そのお隣さんは後ろにいた人のと交換して、後ろの人が予備のヴァイオリンに持ち替えて」
「おお、そういう交換をするって、話には聞いたことあるけど、びっくりだよね、それ」
「ええ、三味線の糸にしてもヴァイオリンの弦にしても、糸にはドラマがありますね」
「その糸が生み出す世界が大きい分、泣き笑い、怒り歓び、そして恋もあれば感動もある」
「そうですね。私が音楽してるのも、その感動を味わいたいからかも知れないな」
と私が言うと瑞鴎さんも
「うん。私もここ40年ほど、そういうのを色々味わってきたよ。君も、自分で感動できて、お客さんも感動させられる音楽を紡ぎ出して行こうよ」
「はい」
と私は明るく返事をした。
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