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■夏の日の想い出・高校進学編(8)
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目次 8
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その日、ボクが学校から帰り、宿題をするのに机の引き出しからシャーペンを出そうとして、ふと手が止まった。
引き出しが完全に閉められている。ボクはこの引き出しをいつもわざと3mmほど残して閉めるようにしていた。ああ、たぶん母が見たんだろうなと思い、中をあけて、その奥に入れている薬の瓶を手に取ってみた。封印が掛かったままである。ボクは『お母ちゃん、ごめんねー』と心の中で呟いた。
それは年明けのことだった。
ボクは中学校の廊下で若葉を呼び止め、階段の物陰に誘って諭吉さんと一葉さんを渡した。
「お年玉もらったから、例のお薬のお金返すね」
「あれは1万円でいいよ」
「うん。そうは聞いたんだけど、1つ調達して欲しいものがあって」
「ふーん」
「エチニルエトスラジオールの瓶入り、1個買ってくれない?」
「プレマリン・プロベラと併用するの?」
「ううん。未開封の瓶を机の引き出しに入れておきたいの」
「・・・・偽装工作用か!」
「そう。お母ちゃんに疑われてる気がしてさ。女性ホルモンの瓶が机の引き出しに入っていて未開封なら、飲むかどうか迷ってて、まだ飲んでないと思ってもらえるでしょ?」
「ふふふ。いいよ。それなら1000円でいいよ。消費期限切れのを安く入手できると思うから」
「若葉のおばちゃんの会社って、そんなものも在庫があるんだ」
「キャンセル品がどうしても出るからね。それに商社ってロケットからゆりかごまでって言って、違法じゃないものならたいてい買える。欲しかったらジャンボジェットのキャンセル品でも調達できるよ。120億円くらい出してもらえたら」
「うーん。何かで儲けたら自家用機に買うかな」
ある時、唐突にそんな会話になったことがある。
4月下旬。奈緒とちょうど帰りが一緒になって、ボクたちはおしゃべりしながら高校の校舎を出て校門の方に歩いて行っていた。
「冬は自分の性的な発達をわざと停めてるでしょ」
「うん・・・まあ」
「どうやって停めてるの? 去勢してないことはこないだ再確認させてもらったけど」
「寝る時にいつも睾丸を体内に収めてる。高温になるから機能低下する」
「ふーん。。。でもそれだけで、ここまで停められる?」
「まあ何とかなってる感じかな」
「冬のヌードって、あれさえ見なきゃ、バストの発達が遅れてる女の子の身体に見えるよ。男性的な骨格とか筋肉とかが全然発達してない。喉仏も目立たない。小学生の頃から思ってたけど、脂肪の付き方とか触った感触がむしろ女の子。男の子の体臭もしないし。女の私には分からないけどひょっとして女の子の体臭持ってない?」
「うーん」
「女性ホルモン飲んでるでしょ?たぶんもう4〜5年くらい」
「・・・・・」
「私にまで隠すことないじゃん。ああいうことまでした仲なんだし」
「えーっと・・・」
「こら。ありていに白状いたせ」
「・・・・・誰にも言わないでよ」
「やはり飲んでるんだ」
「いつから飲んでるかってのは勘弁して。でも生殖機能が死なない程度にだよ。夢精が起きた時に顕微鏡で見て精子の数と活動性をチェックしてる」
「ああ、オナニーはしないんだったね」
「めったにしない。だから夢精が月に1回くらい起きる」
「月のものなんだ!」
「そうそう。そろそろ来そうと思ったらナプキン付けて寝るし」
「あはは。ホントに生理だね」
「けっこうその気分。ボクほぼ28日周期なんだよ。突然ずれる時はあるけどね。一応来た日はカレンダーに赤い印付けてる」
「やっぱり冬って、女の子なんだね」
「そうだね」
ゴールデンウィーク。ボクは絵里花・貞子・美枝・若葉と誘い合って高尾山に登った。動きやすい服装をしてきてと言われたので、その日はTシャツにストレッチジーンズを穿き、ウォーキングシューズを履いていた。
「絵里花さん、楽しいことってこういうことだったんですか?」と美枝。「うん。身体を動かすのは楽しいことだよ」と本当に楽しそうな顔で絵里花は言う。「山って・・・高いんですね」とボクが言うと
「上り坂のスペシャリストが何言ってんの?美枝もだけど」と言われる。
「みんな受検で身体がなまってるんじゃない? やはりちゃんと身体動かさなきゃね」
それでもさすが陸上部OGの集団で、途中あまり休むこともなく山頂まで結構短時間で一気に登ってしまった。
「お弁当と水筒持参、着替えも準備しておいで、と言われた時点で走るか歩くかするんだろうな、とは思ったけどね」と貞子。
「でも汗掻くのは気持ちいいね」
みんな山頂近くにあったトイレでTシャツやポロシャツを交換している。
「眺めも素晴らしい」
「だけどみんな無事女子高生になれて、めでたいめでたい」
「貞子も奇跡的に公立に合格したしね」と美枝。
「私は運が強いんだよ」と貞子は言っている。
「若葉どう?私立は」
「うん。なんかおしとやかなお嬢さんが多いから、猫かぶってるよ。友だち同士呼び合うのに『様』なんだよね」と若葉。
「わあ、『由維様』『若葉様』なのね?」とボク。
「そうなのですよ、冬子様」
「わたくしたちも『様』で呼び合います?絵里花様」と美枝。
「かったるーい」と貞子。
「でも若葉って外見取り繕うのうまいもんね〜」
「でも猫かぶってるといったら冬だよね」
「私てっきり女子制服で通学するんだろうと思ったのに」
「へへ」
「まあいいや。またうちで着せ替えごっこしよう」
「うん。でも生徒証はこうなっちゃってるんだよね」
と言って、ボクは生徒手帳をみんなに見せる。
「おお!」
「ちゃんと女子高生してるじゃん!」
「なんでこういうことになってる訳?」
「よく分からないけど、入学手続きに行った時に、写真撮影に行かされた部屋がなぜか女子の方の部屋だったみたいで」
「ああ、冬の場合、よくあるパターンだ」
「それで制服の採寸もされちゃったんだけどね。一緒に」
「じゃ、女子の制服を作ったの?」
「ううん。作ってない。採寸はしてもらったけど注文してないから」
「よし。私が冬の家族を装って電話して注文入れてしまおう」と絵里花。
「ちょっとぉ」
その翌日は、今度は奈緒・有咲・若葉・由維・初美と誘い合って町に出てゲームセンターで遊んだり、安い洋服屋さんを物色したりした。若葉とは2日連続だが、若葉は奈緒たちの前で絵里花たちとのことは言わないし、絵里花たちの前で奈緒たちとのことも言わない。だから、ボクが2日続けて女の子の服を着たことは若葉しか知らない。
ボクたちがその日竹下通りのマックでハンバーガーを食べていたら少し離れた席に花見さんと政子が来た。こちらは女の子の格好をしているので、それをあまり政子たちには見られたくなかったし、向こうはデートのようなので邪魔したくもなかったから、声も掛けないし、できるだけ視線も送らないように気をつけた。
しかし、そのふたりの様子を有咲が見て言った。
「ねえ、あそこの席の高校生カップル、なんかぎこちないね」
「ぎこちない?」
「あれ何か喧嘩したんじゃないかなあ。女の子の方が凄い不機嫌だもん」
「へー」
むろん有咲も向こうに直接視線をやったりはしない。
ボクたちがふつうにおしゃべりしていた時、向こうのテーブルのそばに、もうひとり女子高生っぽい子がやってきて、いきなり花見さんに文句を言い始めた。
「どうしたんだろうね?」と奈緒。
「三角関係じゃないの?」と有咲。
ああ。なるほど。ボクたちはみんなそちらを直接は見ないのだが、どうも花見さんに何か言っている女の子は花見さんの「浮気」をなじっている感じだ。その内、政子がすっくと立ち上がる。そして花見さんが飲んでいたコーラ?のカップのふたを取ると、花見さんに頭から掛けた。そして悠然と去って行った。
「今行っちゃった子の方が本命みたいね」と若葉が言う。
「どうして分かるの?」と奈緒。
「雰囲気。後から来た方がむしろ浮気相手だよ」
「若葉って、何かそういうの鋭いもんね」
ゴールデンウィーク明け。放課後書道部の部室になっている化学教室に行くと、谷繁部長、静香さん、政子、カオルが来ていておしゃべりしていたので、ボクもその輪に入った。
「あんたたち、何かいつ見てもしゃべってるばかりだね」
と近くのテーブルで何やら化学の実験をしている科学部の女子が言った。「琴絵ちゃんもこっち来て、一緒におしゃべりしない?」とカオル。
「そうだなあ。じゃ、この実験が終わったら」
と言っていたが、その子はボクたちがおしゃべりしていた時、突然「うっ」という低いうめき声を上げた。ボクが振り返ると、彼女はドドドっと水道の所に走って来て、口の中をすすいでいる。
「どうしたの?」とちょうど近くにいたボクは声を掛けた。
「びっくりしたー。硫酸をメスピペットで吸い上げてて、うっかり口の中まで入っちゃった」
「硫酸!?大丈夫?」
ボクはびっくりして訊く。
「あ、平気平気。洗えば問題無い」
これが琴絵とのファーストコンタクトだった。
その日、琴絵も実験を終えてこちらに来て、おしゃべりの輪に入ったが、その後で花見さんがやってきた。
「遅れて済まん。ちょっと生活指導に絞られてて」
と言ってボクたちが集まっている所に座るが、花見さんが座るのと同時に政子がさっと席を立ち、向こうのテーブルに行ってしまった。ボクはカオル・静香さんと顔を見合わせる。
カオルが政子を気遣うように政子の行ったテーブルの方に移る。何となくボクと静香さんもそれを追い、ん?と周囲を見回した感じの琴絵も付いてきた。
「政子ちゃん、どうかしたの?」とカオル。
「うん。何でも無いよ」と政子が答えるので、結局こちらのテーブルではまたふつうのおしゃべりが再開する。
取り残された形の部長と花見さんは、仕方なくふたりで何か話し始めたようであった。
ゴールデンウィーク前は、政子はいつも花見さんのそばにピタっとくっついている感じだったのが、これ以降はめったにそばに寄らないようになった。
「花見さんと別れたの?」とカオルが訊いたが
「ちょっと喧嘩しただけ」と言っていた。
結局ふたりは半月くらいで仲直りしたようではあったが、花見さんが呼んでも無視していることが多く、ボクたちが心配して
「ね、花見さん呼んでるけど行かなくてもいいの?」
などと言うと
「ああ。今度の日曜にデートするから今日は別にいいよ」
などと答えていた。
5月のある日。ボクは書道部の方で30分待ったものの誰も来なかったので、体育館で弓道部の基礎トレーニングをしていた奈緒の練習を見学していたが、近くにいる者は誰でも使えということで、用具の出し入れを手伝わされる。その時、ボクは用具室の中にピアノが置かれていることに気付く。ああ、入学式の時、このピアノで国歌・校歌の伴奏をやってたんだっけと思い至る。
用具の搬出が終わった所で、ボクは用具室の中でピアノに触れてみた。ラの音を弾いた途端、ピアノがボクを誘うように思えた。ボクは宇多田ヒカルの『Flavor of Love』をピアノで弾いてみた。うん。いい感じ。そしてピアノで弾いているうちに歌いたくなったので、ソプラノボイスで歌い始める。
ああ、気持ちいい! やっぱり歌うの大好き!
フルコーラスを歌いきった時、パチパチパチと拍手が聞こえる。びっくりしてそちらを見ると、ピアノの向こうに女生徒がひとり立っている。
「あなたピアノ上手いし、歌がすっごく上手いね! ね。私コーラス部なんだけど、うちの部に入らない?」
と彼女は言った。
「あ、ボク、書道部に入ってるから」
と何となくボクはソプラノボイスのまま答える。
「ああ、そのくらい兼部で行けるんじゃない?」と言いながら彼女はこちらに回り込んでくる。
「私、1年8組の近藤詩津紅(しずく)。あなたは?」
と言ってから、ボクの学生服に気付き
「え?なんで、男子の制服とか着てるの?」
と言う。向こう側からはピアノのかげになって、ボクの服装は見えなかったのだ。
「1年5組の唐本冬彦です。ごめんなさい。ボク男子だからコーラス部には入れないの」
とボクはソプラノボイスのまま言う。
「声変わり来てないの?」
「うーんと。一応来てるんだけどね」とボクはバリトンボイスに切り替えて言ってから
「ここにピアノあるの見たら、何か突然弾きたくなっちゃって。弾いてたら歌いたくなっちゃって」
とソプラノボイスに戻して言った。
「男子かあ。惜しいなあ。でも男子で、そんな声が出るって凄い。ソプラニスタっていうやつだよね?」
「うん。そうそう。カウンターテナーの声域より高いもんね。でもこの声では声量が小さいのが欠点で。腹式呼吸の練習とか腹筋とかして鍛えてるけど、なかなか思うように向上しないのよね」
「ね、『言葉にすれば』歌える?」
「うん。今コーラス部で練習してるよね。こないだ音楽室の近くを通りかかった時に聴いたよ」
と言うと、ボクはピアノを弾きながら、この曲のソプラノパートを歌い始める。すると詩津紅がその曲のアルトパートを歌って合わせてくれた。
ああ、ハーモニーが気持ちいい。ひとりで歌うのもいいけど、ふたりで歌うのもいいなあ。ボクはその時真剣にそう思った。
やがて歌い終わる。パチパチパチとお互いに拍手した。
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