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■夏の日の想い出・ひたすら泳いだ夏(8)

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「陸上部に復帰すればいいのに」
「いや、それは色々問題があって」
「合唱部と兼部でも何とかなるでしょ? 若葉も陸上部とテニス部の二足のわらじだし」
「いやそれが・・・」
「まあいいけどね。私も辞めた身だし。3月の駅伝は出るよね?」
「はい。それは男子Aチーム4区か女子Aチーム4区か、どちらかを走ってもらう、と貞子から言われています」
 
「ふふ。どちらを走るの?」
「やはり男子の方かと」
「女子の方を走ればいいのに」
「医学的に男子なので」
 
「ほんとかなあ。今も女の子パンティに着換える時、あのあたりを上手に隠してたね」
「そんなの人に見せられません」
「でも付いてたら一部私の目に触れるはず、という角度から何も見えなかった気がする」
「えーっと」
 
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「まあいいや。じゃ配達よろしくね」
「絵里花さんも勉強頑張ってください」
「うん。配達終わった後、英語のヒアリング練習にまた付き合ってくれない?」
「いいですよ」
「あんた英語の発音、物凄くきれいだもんね」
「洋楽のCDを大量に聴いているせいかな」
 

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駅伝の練習は2月から始まる。ボクも含めた助っ人を加えて男女AB4チーム、補欠を含めて36人で、基礎的なトレーニングから、実際の区間を走る練習を重ねた。今年は交通規制の問題で区間が少し変更になっており、3区の最後がもう坂道に掛かっていて、3→4区、5→6区の中継は坂道の上り始めの部分で行われるようになっていた。その分、折り返し地点が坂道を終えた所から400mほど先になっている。たぶん4区は去年より難しく、5区は去年より少し楽かなと思った。しかし3区は疲れ切っている所で最後に少し坂を登ることになるので辛そうだ。
 
「冬、半年近く陸上から離れていたのに全然スピード落ちてないね。去年区間新記録出した時より速いペースじゃん」と貞子から言われる。
 
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「うん。ずっと水泳やってるし、それから合唱部の方ので発声の訓練で毎日腹筋500回してるから、その成果かな」
「冬、陸上部にいた頃は、腹筋なんていつも50回くらいでギブしてたのに」
「うーん。ごめん」
「ねえ、来年の春の大会にも大会だけでいいから出ない?」
「えーっと・・・」
 
「あれ?冬、水泳やってるの? うちの水泳部の大会に出ない?」と若葉。
「さすがに大会に出られるほどのスピードは無いよ」
「400mをどのくらいで泳ぐ?」
「こないだ計ってみたら5分20秒だった」
「うっそー。私より速いじゃん。行ける行ける」
「えっと、ボク男子の方にエントリーしないといけないけど男子の水着は着れないし」
「冬は女子でいけるはず。去勢してから2年以上経ってるよね?」
「いや、去勢はしてないって」
「別に隠さなくてもいいのに」
 
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水泳の練習している所を見たいと若葉がいうので、その日は若葉と一緒に市民プールに行った。
「なるほど。私と全然遭遇しなかったのは、わざわざ隣町に行ってたからか」
「あはは。だって水着姿を知り合いに見られたくないじゃん」
 
「へー。唐本冬子・性別女で定期券作ってるのか」
「だって女子水着に着替えるのに男子更衣室は使えないし、女子更衣室の鍵をもらうには女子として定期券を作らないと」
 
「そりゃ、女の子の身体になってるんだから、男子更衣室では着換えられないよ」
 
若葉は本当にボクが性転換済みと信じている感じである。
 
「胸が全然無いけど、まだ中学生だから胸の無い子もいるということで勘弁してもらって」
「うん。ほんと男みたいな胸の子、まだいるよ」
と若葉も言う。
 
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「でも女性ホルモン飲んでないの?
「飲んでない、飲んでない」
「睾丸を取っちゃってるのなら、どちらかのホルモン剤飲まないと身体がホルモンニュートラルになって、あれこれ不調になるよ」
「一応付いてるから」
「冬って、小学5年生の頃から背がもう伸びてないよね」
「うん。167cmで止まってる」
「その頃去勢したから、身長も止まったのかな、と思ってたんだけどね」
 
それはたぶん睾丸の機能を低下させてるからだろうな、とボクは思った。
「若葉。ボクと若葉の仲だし、この練習終わってから、水着脱いだら触らせてあげる」
「ふーん」
 

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ボクたちはシャワーを浴びて準備運動をしてから、まずは一緒に上級者コースに入り、軽くクロールで100mほど泳いだ。若葉が先に泳ぎ、その後をボクが泳ぐ。
 
「かなり力付けてるね。夏の合宿の時はみんなに結構遅れる感じだったのに、今日は私がスピード上げてもちゃんと付いてきたね」
「うん。自分でも随分泳力付いてるという気はする」
 
「じゃ、私見てるからひとりで泳いでみて。全力で1往復してきて」
「了解」
 
ボクが全力で泳いでくる。若葉はタイムを計っていた。
「34秒6。うん。私の全力より速い。でも、泳法を少し修正するともっとスピード出るよ」
「ほんとに?」
 
若葉はボクの泳法の変な癖を指摘して、直させる。ボクはそこを意識して再度全力で25mプールを往復してきた。
「32秒8。ほら。2秒近く短縮した」
「すごっ。若葉、教え方の天才。ボクの先生になってよ」
「先生になってあげるから、来年の夏の水泳部の大会で女子として出てよ」
「それはできないんだよなあ」
 
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その日はその後ゆっくりしたペースでふたりでひたすら上級者コースを泳いだ。小学生の頃、ふたりでずっと校舎のまわりを走っていた時のことを思い出した。考えてみると、若葉ってあの時からボクの先生だったんだなあ、と思う。
 
1時間半泳いでからあがることにする。初級者コースに移り、ゆっくりとしたペースの背泳でクールダウンをする。それから整理運動をして更衣室に戻った。ボクは若葉をトイレに誘った。一緒の個室に入る。
 
「やっぱり若葉には知っててもらわないといけないと思って」
ボクは水着をまず半分脱ぐ。
「ふーん。胸はパッドか」
「まあね」
「でもパッド無しでも胸あるよね。これ夏の合宿の時よりまた膨らんでない?」
「それは置いといて」
と言ってボクは水着を下まで脱いでしまう。バスタオルで身体を拭く。
 
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「おちんちん、やっぱり無いじゃん」
「隠してるんだよね。武士の情けで目を瞑ってくれない?触ってもいいから」
 
と言って、ボクはお股に貼り付けていた防水テープを剥がした。若葉の手をそこに触らせる。
「わっ」
 
ボクは素早くショーツを穿いてしまった。
「もう目を開けていいよ」
「付いてたのか」
「御免ね。身体の中に押し込んでこの防水テープで留めてるんだよ。トイレに行けないのが欠点だけど、付いてないように見えるでしょ?」
 
「残念だなあ。女子のリレーのメンツに入れたかったのに」
「ごめんねー」
 
ボクたちはトイレを出て更衣室で着替えながら小声で話していた。
 
「でもこの際、男子選手扱いでもいいよ。たしか男子でも女子水着の着用は禁止されていなかったはず」
「そうなの?」
(男子が公式大会でワンピース型の水着を着ることを禁止されたのは2010年)
 
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「でも男子の方で競えるくらいのスピードが出るかなあ」
「練習あるのみ! 私練習に付き合ってあげるよ。私もここの定期券作ろう。性別女で。冬と一緒に練習してたら私もレベルアップできそうだもん」
 
「若葉が性別男の定期券作ったら大変だね。若葉かなり胸あるもん」
「冬も女性ホルモン飲んで、おっぱい大きくしなよ」
「うーん。。。」
 
「ってか、その胸、実は飲んでるんじゃないの?」
「これはビッグバストドロップっていうサプリを飲んでるんだよ」
「ああ、雑誌の広告とかに載ってるやつ! あれ効くんだ!」
「姉ちゃんはプラセボ効果だって言ってる」
「ああ、そうかも知れない」
「それにいつの間にかボクの学生鞄の中にエストロゲンの錠剤の瓶が入れられていたし」
 
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「あはは、もう覚悟を決めて飲んじゃいなよ」
「まだ男を捨てる決断できないし」
「・・・・冬、とっくの昔に男は辞めてるって」
 

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そして駅伝大会の日がやってきた。今年男子Aチームのアンカーは野村君(部長)、女子Aチームのアンカーは貞子(副部長)である。4区は男子Aチームがボク、女子Aチームは美枝、と昨年と同じメンツ。美枝も陸上部は辞めているのだが駅伝にはボク同様引っ張って来られた。
 
「私、去年3人抜きやったから、またこのきつい4区になっちゃったなあ」
「まあ、お互いに今年でお役御免だし」
「うん。頑張るか」
 
昨年はうちの男子Aチームは最初の方で出遅れて8位でここまで来たのだが、今年は前半みんな頑張ったようで、3位で来た。こうなると責任重大だ。ボクは走り出して、たすきを受け取る。
 
今年はいきなり坂からなので最初から重力を利用した前傾姿勢で走る。倒れ込むようにして、倒れる前に足を前方に進めるという加藤先生直伝の走り方である。
 
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中継時点で2位とは1分、1位とは2分の差があった。上位チームはそれだけ優秀なランナーが走っている。それをどのくらい追い上げられるか。昨年は8位の順番だったからたくさん追い抜くことができてそれでスピードを上げられた。今年は孤独な戦いだ。ボクは自分に気合いを入れてキックの力を上げた。
 
かなり走った所で、やっと前方にランナーの影を捉える。300mくらい。よし。行くぞ。ボクは更にペースを上げる。少しずつ近づいていく。その選手が後ろを振り向いた。
 
が、特にペースを変えるとかは無い。ああ、女子だから関係無いと思われたかな? ふふふ。ボクってそういうの便利な選手かもね。
 
向こうのペースはむしろ落ちてきている。ボクは速度を上げて・・・・・・あっという間に抜き去る。
 
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「女子のトップかな?」という声が聞こえた。ボクは少し微笑むと更にペースを上げて、まだ見えない前方の敵に向かって突き進んでいった。
 
そのトップの選手が見えたのは、もう坂が終わりかけた所だった。よし行くぞ。ボクは一段シフトチェンジしてまたペースを上げる。ボクこんなにスピードが出たっけ?と自分で疑問に感じるほどの速度になったが全然きつくない。やはり水泳で鍛えている成果かな?
 
相手との距離を詰めていく内に坂は終わってしまう。その後はボクの不得意な平地を400m走らなければならない。ボクはトラックの400mを走る時の気持ちに切り替えて全力疾走の態勢に入った。スタミナはまだ充分残っている。
 
向こうは平地になったからスピードを上げるかと思ったのだが、やはり上り坂で消耗したのか、あまりペースは上がらないようだ。ボクはぐいぐい間合いを詰めていった。しかしまだ相手との距離はかなりある。たぶん100mくらい?ボクは5区の梶本君に何とかトップでたすきを渡したいと思って歩幅を縮めて、代わりに足を速く動かすようにする。これは夏の合宿で教えられた走り方だ。ボクのように背の低い選手はこの方がスピードが出るんだよと言われた。
 
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相手との距離が80m。。。。50m。。。。20mと縮まっていく。でも中継点も既に視界に入っている。どこまで行けるか。。。
 
そしてボクは中継点のすぐ手前で前の選手に追いついた。たすきの渡し方で数秒分変わるぞ。軽いポジション争いをする。昨年は4区から5区へたすきを渡してから5区の走者が折り返し点のポールを回ったのだが、今年は逆に4区の走者がポールを回ってから5区の走者に渡す。ポールを内側で回りたい。しかし向こうも内側で回りたい。
 
そして向こうが強引にボクより内側に回り込んで来た時、ボクは相手の虚を突くようにスパートを掛ける。相手より外側になったが、相手を3mほど離してポールを回る。もう梶本君は走り出している。更に最後のスパートを掛けて距離を縮める。「はい」「はい」。たすきを渡して、ボクはコース外に走り抜けた。
 
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今年は昨年みたいに倒れたりはしない。膝に手をやって大きく息を付きながら5区走者の行方を見る。うまく受け渡しができたので、結果的に10mくらいの差が出来たようだ。最後を争った選手が握手を求めてきた。
 
「君凄いね。最後は作戦負け」
と言って微笑んでいた。
「そちらもお疲れ様」とボクは微笑んで言った。
「あ、やっぱり女子ですよね。凄いなあ」と彼は言っていた。
 

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5区で梶本君は2位に結局100mくらいの差を付けて6区につないだ。その後、うちの男子Aチームは快走を続け、野村君も8区の区間記録を更新する走りを見せ、トップでゴールに飛び込んだ。
 
女子の方も3区から4区にたすきをつないだ時点では4位だったものの、美枝が昨年同様の頑張りで2人抜いて2位に浮上、5区の若葉が1位との距離をぐっと縮めて、6区彩絵・7区稀夕も1位のチームと抜きつ抜かれつの争いを続け、最後に8区アンカーの貞子が相手アンカーを猛烈ダッシュで振り切って1位でゴールインした。昨年に続く男女アベック優勝であった。
 
野村君と貞子が優秀選手賞に輝き、ボクも4区の区間記録をまた更新したということで、賞状とメダルをもらった。賞状の名前がまた「唐本冬子」になっていたが、気にしないことにした。(野村君は優秀選手賞に加えて区間新記録賞ももらった)
 
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「私よく分からないけど、これ凄いことだよね」と花崎先生。
「凄いことですよ」
「いや君達が凄いんだよね」
「先生がのびのびと練習させてくれたからです」
と貞子は疲れた表情の中で笑顔で答えていた。
 
「やはり唐本を女子から男子チームにトレードしてたのが大きいなあ」
と野村君。
「ボク、男子チームにトレードされてたんですか?」
「だって唐本は女子だからな」
 
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夏の日の想い出・ひたすら泳いだ夏(8)

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