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■夏の日の想い出・君に届け(8)

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これは後から“亮平君”から聞いた話である。
 
3月4日の記者会見で政子は“婚約指輪は返却した”と言ったのだが、実はあの時点ではまだ返却していなかった。亮平君が受取りを拒否したからである。それで政子は取り敢えず持っていた。しかしすぐ手放すことになったのである。
 
それは記者会見をした翌日、3月5日のことであった。私は震災復興イベントの件で、和泉・音羽・カノンと4人だけで打ち合わせしようと、カノンのマンションに行っていた。カノンのマンションが選ばれたのは、あまりマリに口出ししてほしくなかったこと、音羽のマンションはゴミの山で座る場所もないこと、和泉のマンションには食料が無く(和泉は基本的に外食か出前である。和泉は料理はしない人)長時間の滞在には不便であることで、消去法でカノンのマンションになったのである。
 
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それでマリが1人で恵比寿のマンションにいた時のことである(妃美貴が来ることになっていたが、まだ来ていなかった)。マリのスマホが鳴るので見たら、原野妃登美であった。
 
「ちょっと話したいことがあるの。入れてくれない?」
「いいよ」
と言って、政子は彼女を上げた。
 

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「マリちゃん、亮平と別れたの?」
と彼女は尋ねた。
 
「うん。別れた。結婚しない」
と政子は答える。
 
2年ほど前の2018年5月、政子が亮平と一度別れた後、原野妃登美は亮平と付き合っていた、というより実は一時期亮平のマンションに同棲していたのである。当時妃登美は事務所との契約を解除され、郷里に帰る費用もなく途方に暮れていた。
 
しかし妃登美はその後、郷里に帰って結婚すると言い、亮平のマンションの鍵を政子に渡して本当に帰ってしまった(結局引越の費用は亮平が出してあげた)。それで亮平は妃登美に振られてしまった。そして数ヶ月後、政子との関係は復活してしまった。
 
一方原野妃登美は本当に郷里で元同級生の男性と結婚したのだが、その男性との結婚生活は数ヶ月で破綻してしまった。だいたい妃登美みたいに華やかな生活をしていた(一時期は年収が億を超えていたはず)都会的女性が、保守的な田舎でサラリーマンの主婦など務まるはずが無かった。それに彼女は料理音痴で、カレーやスパケディどころか、スクランブルエッグさえも作れない。亮平の話によると、結婚生活中に夫から日本酒の燗を付けてと言われ、アルコール分が全て抜けてしまうほど日本酒を沸騰させてしまったらしい。亮平との同棲中は、御飯は全て亮平が作っていた。
 
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それで離婚後、妃登美は亮平を頼って東京にまた出て来て、ケイの紹介で@@エンタテーメントと契約し、歌手としてカムバックしたのである。アパートもケイが保証人になってあげて借りた。
 

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「昨日の記者会見見てびっくりして。お腹の中の子供って亮平の子供でしょ?」
「そうだよ。でも他の人には言わないでね」
「まあマリちゃんが亮平と付き合ってたこと知ってる人自体が少ないよね」
「多分ね」
 
「それでさ、相談だけど」
「うん」
「マリちゃんが亮平と別れるなら、私に譲ってくれない?」
と原野妃登美は言った。
 
「うーん。まだちょっと惜しい気はするけど、妃登美ちゃんならいいよ。譲ってあげる」
 
と政子は言った。妃登美に亮平を譲ってしまえば、亮平と再度恋人になることは多分永久にないだろう。しかし政子はこの時点で、亮平にまだ怒っていたので、それでもいい気がした。
 
「だったら、このくらいの代金でいい?」
と言って、妃登美は政子の前に、日本銀行の封印がされた札束を5つも並べた。
 
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政子が目を丸くする。
 
「お金は要らないよ」
 
「でも無償トレードは悪いからさ、金銭トレードにしない?」
と妃登美は言う。
 
「トレードか。それもいいかもね」
と政子はその“トレード”というのが気に入ったようである。
 
「交換できるような彼氏がいたら交換でゆずってもいいけど、あいにくそういう人がいないし」
 
「そういうのも面白いね。でも亮平は妃登美ちゃんに売っちゃおう」
「買い取り成立ね」
「成立、成立」
と言って、2人は笑顔で握手した。
 

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「だったら妃登美ちゃんに、これあげるよ」
と言って、政子は亮平のマンションの鍵、そして亮平が受けとらなかったエンゲージリングの入ったジュエリーケースを出した。
 
「あれ?指輪は返却したんじゃなかったんだ?」
「返そうとしたけど、受けとってくれなかったんだよ」
「じゃ私がもらっちゃおう。入るかなあ」
「妃登美ちゃん細いから入ると思うよ」
「あ。入った」
「でも少し余ってる感じ。やはり妃登美ちゃん細いから。宝石店で直してもらいなよ」
「そうしようかな」
 
そういう訳で、政子と妃登美の間で“亮平のトレード”の話がまとまったのであった。妃登美は実際この後宝石店に行き、指輪のサイズ直しをしてもらった。サイズを小さくする調整だったし、調整量も小さかったので、その日の夕方までには、サイズ調整は完了した。
 
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なお、指輪の内側には" FROM R TO M" と刻印されていたのだが、原野妃登美も本名が幡多野富(はたの・みつる)でイニシャルが政子と同じMなので、流用可能なのである!
 
彼女の芸名は“富”の字がたいてい“とみ”と誤読されるので開き直って“ひ”を付けて“ひとみ”にしてしまい、“はたの”という苗字もしばしば“はらの”と聞き間違われるので、それも開き直って“原野”にしてしまったものである。
 
亮平は、政子のことは“まさりん”、富のことは“みつりん”と呼んでいた。どうも“りん”を付けるのが好きなようだ。
 

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「マリちゃんにはこれも言っちゃおう」
と言って、妃登美は重大な秘密を打ち明けた。
 
「実は私妊娠してるの」
「え?亮平の子供?」
「違うよ。彼とは、2年前に別れた時以来してないよ」
「じゃ誰の子供?」
「名前は言えないけど、ある若手作詩家さんなんだよ」
「へー。その人と結婚しないの?」
「ところが彼は、二股しててさ」
「ああ。悪い男だ。そういう男は去勢しちゃおうよ」
「賛成。でもそのライバルの女がさ」
「うん」
「音楽業界の大物さんの娘なのよ」
「ああ」
 
「だから彼はその人を振っちゃうと、この業界で仕事ができなくなる」
「それで妃登美ちゃんが振られちゃったの?」
 

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「そういうこと。彼は私が妊娠している子供は認知もするし、出産費用や養育費も出すと言ったけど断った。だって、彼がその娘さんと結婚した場合、彼が認知した子供を私が産んだら、私、その女に睨まれて、この業界で仕事ができなくなる」
 
「ああ、妃登美ちゃんは子供産んでもお仕事やめないよね」
 
「当然。男のタレントが結婚するからとか妻が妊娠したので引退しますなんて言ったら、何ふざけてるんだと言われるじゃん。女だけ引退を要求されるのは男女差別だよ」
 
「そうそう。私もそれ不愉快だった」
と政子はこの点では妃登美と意気投合する。
 
「それにマリちゃんも昨日の記者会見で言ってたけど、今年はコロナの影響でどっちみちライブができない。だから妊娠していても、活動を停止する必要がない」
 
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「そうそう、そうなのよ!せいぜい出産した後1ヶ月くらい休ませてもらえばいいかも」
「私もその方式でいくつもり」
「予定日は?」
「9月10日」
「私より1ヶ月くらい前か」
「マリちゃんは10月?」
「うん。10月18日が予定日」
 
「じゃママ同士また仲良くやっていこうよ」
「うん。そうしよう」
 

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「実はそれで認知とか養育費とか断ったら、せめてものお詫びと言われて、500万円もらっちゃったのよ」
 
「それがこの500万円か!」
「何かで使ってしまいたかったしね」
「それがスッキリでいいよね。だったら出産費用や養育費は亮平に払わせなよ」
「それを期待している」
 
政子は亮平の優しい性格なら、自分の種で無かったとしても、そういう費用はちゃんと出してあげるだろうと想像したのである。
 
その優しすぎるのが欠点なのだが・・・・・
 
「だったら亮平は今年の秋には2児の父になるね」
「マリちゃんの子供と私の子供のね」
と言って、ふたりはジュースのグラスを合わせて乾杯し声に出して笑った。
 

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その日、大林亮平は、次のWooden FourのCDの音源制作の作業が終わり、23時頃、帰宅した。一堂に介して制作が出来ないから、4人が別々のボックスに入り、各々歌って収録する。しかしこういうのは譜面通りに歌えばいいというものではない。お互いの呼吸を感じあって調整していく必要がある。その作業が、別々のボックスで歌っているとお互いの呼吸や空気を感じ取りにくく、なかなか大変である。亮平は普段の倍疲れたような気がした。
 
「疲れたなあ。今日はもう何も作る気力無いから、カップ麺でいいかな」
などと独り言を言ったら
 
「あなた、お帰りなさい」
という声があるので、びっくりする。
 
思わず「まさりん?」と声を出して振り返ると、そこに居たのは政子ではなく富(みつる)である。
 
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「みつりん!!」
 
「お腹空かせて帰ってくると思って、ビーフシチュー作っておいたよ」
「みつりんが作ったんだ!?」
と言って驚く。臭いだけ嗅ぐと美味しそうな匂いがしている。
 
「鍋ちょっと焦がしちゃった。ごめん」
「そのくらい平気。でも、どうしたの?」
「マリちゃんから、鍵をもらっちゃった」
と言いながら、富(みつる)はスープ皿にビーフシチューを盛り、亮平の前に置いた。一口食べて見ると美味しい。随分料理が進歩してるじゃん!
 
「マリちゃんから言われてレシピ本見て頑張ってその通り正確に作ってみた」
 
そうそう料理下手な人は、勝手なアレンジをして味を壊してしまうのである。しかし政子の料理もかなり怪しいのだが!
 
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「マリから鍵をもらったのならいいよ。みつりんなら、自由にここに入ってもいいよ」
 
「じゃ、今日から私ここに住んでもいい?」
 
「うーん。まあいっか」
 
と亮平は言った。政子がいたら嫉妬されるだろうが、政子とは別れてしまったし、政子から富(みつる)が鍵をもらったというのであれば、富(みつる)が自分に再度アタックすることは、政子も承知の上なのだろう。
 
「じゃ、私、りょうの奥さんということでいいよね?」
と言って、富(みつる)は左手薬指を見せた。そこには政子に贈ったはずの大粒のダイヤを載せた指輪が輝いている。
 
「うそ?それもマリからもらったの?」
「うん。実は私、りょうをマリちゃんから500万円で買い取っちゃった」
「え〜〜!?僕、売られちゃったの?」
「金銭トレードかな」
「そんなあ」
 
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「だから、私今日から、マリちゃんに代わって、りょうの奥さんということでいいよね?」
 
亮平は少し考えたが、富(みつる)の申し出を断る理由は思いつかなかった。
 
「まあいいか。じゃ取り敢えずしばらく一緒に暮らそうよ。その後のことはまた後でゆっくり話し合わない?」
 
「それでいいよ」
と富(みつる)は言った。
 
「じゃ御飯が終わったら、私を抱いてね」
「その前にお風呂入っていい?」
 

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それでその夜亮平は、富(みつる)が作ってくれたビーフシチューとトーストしてくれたバゲットを食べた後、お風呂に入ってから寝室に行った。富(みつる)は既に布団の中に入っている。
 
「お疲れ様、マイダーリン」
と富(みつる)が目を開けて言う。
 
可愛い!と亮平は思った。
 
一昨日政子と別れたばかりで節操が無い気はしたのだが、富(みつる)と政子の間で話がまとまってしまっているのなら、してもいいかなと思った。
 
それで亮平は布団の中に潜り込み、避妊具を装着してから、既に裸になっていた富(みつる)を抱いた。
 
そして抱いてみて、やはり自分はこの子とも相性がいいなと思った。過去に付き合った他の恋人、ほつみ、さやか、りかこ、との間では亮平は実は完全な絶頂に到達することができなかった。完全に満足できたのは、今まで付き合った女性の中では、政子と富(みつる)だけなのである。
 
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それで、亮平は、今すぐ結婚は考えられないにしても、しばらくこの子と一緒に暮らすのは悪くないよなと思ったのである。
 

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疲れて仕事から帰ってきているし、そのあと美味しい御飯を食べ、お風呂に入り、そして満足するセックスをしたので、亮平は眠くなった。
 
その亮平に富(みつる)が話しかける。
 
「ねぇ、りょう、お願いがあるの」
「何だい?」
「あのね、あのね、りょう怒ると思うんだけど」
 
何だか可愛いじゃん。
 
「聞いてあげるから、言ってごらんよ」
「実はね。私のお腹の中にいる赤ちゃんのパパになって欲しいの」
 
「なんだとぉ!?」
と亮平は一気に目が覚めて叫んだ。
 

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3月6日、この日、私は夕方から政子と一緒に車で仙台に移動する予定だったのだが、お昼過ぎ、氷川課長が八雲礼江係長と一緒にマンションに来訪した。八雲さんは女装である!
 
私は2人を入れて、応接セットに案内し、取り敢えず暖かい紅茶(千里からもらったニルギリ)を出した。
 
「珍しい組合せですね。でもこないだから、八雲さん、何度も氷川課長のフォローをしてましたもんね」
と私は言った。
 
「実は私たち、結婚することにしたんで、その報告を先にケイさんにしておこうと思って」
と氷川さんは言った。
 
「それはおめでとうございます。しかし氷川さんも、八雲さんも、おふたりとも結婚するんですか?」
と私は尋ねた。
 
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ところが氷川さんが言った答えは、私を仰天させた。
 
「あ、違うんです。私と礼江が各々別の人と結婚するのではなくて、私と礼江が結婚するんですよ」
と氷川さんは笑顔で言った。
 
私の想像の範囲を超えた発言に、私は思わず
「嘘!?」
と叫んで、手に持っていたXperiaを床に落としてしまった。
 
 
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夏の日の想い出・君に届け(8)

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