広告:不思議の国の少年アリス (2) (新書館ウィングス文庫)
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■春宮(8)

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2018年5月24-27日、東京辰巳水泳場でジャパンオープンが開かれた。
 
8月18-24日に行われるアジア大会(ジャカルタ)の日本代表は既に確定しているのだが、その前の8月9-12に東京で行われるパンパシフィック選手権の代表は800m, 1500m ともに代表は2名だけ決まっており、あと1人はこのジャパンオープンの成績と、先月の日本選手権の成績を総合的に判断して決めることになっている。
 
青葉は日本選手権で800m,1500mいづれも3位であった。1位のジャネと2位の永井は既に2つの大会の代表に決まっている。もし青葉がジャパンオープンで優勝すれば、日本代表になる可能性は高い。
 
それで絶対代表にはなりたくない!という気持ちで出て行った。
 
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青葉はまず2日目午前中に、女子800m予選に出場する。これは予選だしと思って気楽に泳いだ。予選は4組に分かれておこなわれ、青葉は4組目に出たのだが、タイム4位で決勝に進出した。
 
そして午後の決勝に臨む。青葉は予選4位なので6コースである。隣の5コースは予選2位の南野さん、その向こう側が1位の金堂さんである。
 
800mはプールを8往復する。まあまあの長丁場である。青葉は3位か4位くらいになればいいと思い、南野さんに付いて行く感じで泳いだ。その向こう側で金堂さんが飛ばしているのを感じる。
 
レースはそのまま金堂−南野−青葉と並ぶ形で進行する。3コースを泳いでいる人の動向が分からないが、青葉は上に2人もいれば“安全圏”だと思っていた。
 
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やがて最後の往復となる。このままなら3位か4位でゴールだなと思っていた。ところが、あと少しでゴールという時に突然南野さんのペースが落ちた。
 
え?どうしたの?と思ったが、こちらまでペースダウンする訳にはいかない。青葉はあっという間に彼女を抜きゴールした。
 
青葉は彼女に語りかけた。
「南野さん、どうしたの?」
「足がつっちゃって」
「あらあ」
「ラストスパート掛けようと思ったら急に足が痙攣したみたいになって」
と言って彼女は足をさすっていた。
 
その時、大きな歓声が起きた。時計の表示が出たのだが、見ると青葉は結局2位でゴールしていたのだが、1位の金堂さんが日本新記録を出していたのである。
 
1.KANADO__ 8:23.50 NR
2.KAWAKAMI 8:24.83
3.MINAMINO 8:25.23
4.HIRATA__ 8:26.01
 
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「おめでとうございます!」
と青葉も南野さんも言い、彼女と握手をした。
 
「ありがとう!」
と言って、金堂さんも満面の笑みである。彼女は日本選手権では5位だった(3位が青葉で4位が南野さん)。しかしこの大会で日本新記録を出して優勝したのなら、間違い無く彼女が代表になるだろう。青葉は助かった!と思った。
 

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1日おいて5月27日、女子1500mがあるが、これはタイム決勝である。
 
800mでも1日に2度泳ぐのはしんどかったので予選ではやや手抜き気味に泳いだのだが、1500mは1日に2度泳ぐのは辛すぎる。ということでタイム決勝になっていて、その代わり最後の組のレースを決勝の時間帯に行うのである。
 
参加者は24名で8人ずつ3つの組に別れている。青葉は南野さんや金堂さん、800mで4位に入った平多さんと同じ3組目に入れられていた。
 
この日は14時までに予選が終わり、15時から決勝が始まるのだが、その先頭で1500m女子の最終組が泳ぐことになった。
 
ところがここに出るはずの金堂さんが来ていない。
 
「金堂さんどうしたのかな?」
と南野さんに言っていたら、平多さんが
「よく分からないけど、事務局の人に呼ばれてどこか行っちゃったよ」
と言う。
 
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「なんだろう?」
「競技の時間なのに」
 
「もしかして何かで失格になったのかも」
と同じ組の佐藤さんが言う。彼女は800mでは5位だった。
 
青葉と南野さんは顔を見合わせた。
 

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結局金堂さんは出ないようである。コースの調整が行われ、青葉が4コース、南野さんが5コース、平多さんが3コース、佐藤さんが6コースを泳ぐ。この組は7人で泳ぐことになった。
 
やばい、やばい。金堂さんが絶対的に速いからと安心していたのに。南野さんに“勝たないように”気をつけなきゃなどと考えていたら、スタートの合図が鳴ったのに一瞬出遅れてしまった(と思った)。慌てて飛び込んで泳ぎ出す。
 
青葉のスタートが一瞬遅れたせいか、南野さんは青葉の2mくらい先を泳いでいる。あまり恥ずかしい記録を出すわけにもいかないので、彼女に付いていって2位でゴールすればいいなと思った。日本選手権では青葉が3位、南野さんは4位だったが、南野さんが優勝すれば優勝の重みは大きい。
 
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それで青葉は付いて行きやすいように少しだけポジションを改良して、南野さんの1mくらい後ろを泳いでいった。
 
1500mは長丁場である。体力の無い選手は途中で極端にペースが落ちるし、最後まで持つようにあまりペースをあげないで泳ぐ選手もある。しかし南野さんと青葉は1m差くらいのまま14往復して最後の往復に入る。
 
青葉は少しは頑張った感じにしようと思い、ペースをあげて、一時は南野さんにほとんど並ぶ。すると彼女が追いつかれまいとペースを上げる。それで15往復目はデッドヒートをするような感じに(多分)見えた。
 
そして残り10mくらいになった所で、まるで力尽きたように少しペースを落とした。
 

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結局青葉は南野さんから1m近く遅れた状態でゴールした。
 
「負けたぁ。優勝おめでとう」
と言って青葉は南野さんに握手を求めた。南野さんはやや首をひねっていたが、素直に握手に応じた。
 
ところがその時である。場内にアナウンスが響く。
 
「ただいまのレース、5コースを泳いだ南野選手はスタート時に違反があったため、失格となります」
 
え〜〜〜!?
 
南野さんは驚いて口に手を当てている。それで時計が表示される。
 
1.KAWAKAMI 16:05.13
2.SATO____ 16:08.24
3.HIRATA__ 16:10.39
 
やばい!私優勝しちゃったよ!日本代表に選ばれたらどうしよう!?
 

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次の男子800m自由形タイム決勝最終組がおこなわれている間に表彰式が行われる。青葉は表彰台のいちばん高い所で金メダルを掛けてもらい、観衆の歓声に応えながら、困るよ〜!だれか日本代表代わって!と思っていた。
 
表彰式が終わってから南野さんが寄ってきた。
 
「あらためておめでとう」
「ありがとう。南野さん惜しかったね」
「0.02早かったらしい。音を聴いてから出たつもりだったんだけどなあ」
「それ南野さんの反射神経が速すぎるんだと思う。最近の研究では現在フライング判定される反応速度より、トップアスリートの反射神経は速いという研究結果が出てきている。たぶんフライング判定の基準は変わると思うよ」
 
「うん。話聞くと、やはり音と同時に動き出したらフライング取られるというのでわざと一瞬遅れて飛び出す人が多いみたい」
「やはりね」
「でも川上さん、スタート遅すぎなかった?」
「うん。あれ考えごとしてて遅れたんだよ」
「それに全力で泳いでなかった気がする」
「うっ。ちょっと諸事情で日本代表になりたくなくて」
「面白い人ね〜」
と彼女は最後は笑っていた。
 
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「単純に川上さんに負けたんなら、代表譲ってよと言いたい所だけど、フライングじゃ仕方ないから、また1年間鍛える」
「うん、頑張ってね」
 
「じゃ秋の短水路選手権で」
と言って2人は握手した。
 

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表彰式の後で、JADAの人から「ドーピング検査お願いします」と言われる。青葉は、優勝したら当然検査されるよなと思い、検査官と一緒にトイレに入り、ほぼ全裸になっておしっこを出して検査を受けた。
 
もう3度目なのでかなり平気になったものの、ほぼ人権無視した検査だよなあと思う。巧妙な不正をする選手がいるので、ここまで厳しくなってしまったのだが。
 
それで大会が終わった後、帰ろうとしていたら、今度は水泳連盟の人から呼ばれて
 
「川上さん、申し訳ないのですが、あなたの性別検査をさせてもらいたいのですが」
と言われた。
 
「いいですよ。好きなように調べて下さい」
と青葉は答える。
 
ああ、これはいよいよ日本代表に選出されるのかもと思う。そうなった場合、性転換者である青葉を女子代表にするために、厳密な検査をしたいのだろう。
 
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普段着に着替えてから、水連の女性スタッフに付き添われてなんと東大に行く。そういえば、ちー姉もここで一度性別検査を受けたと言っていたなと思う。
 
それで青葉はあらためておしっこを取り、採血もされた後、MRIに掛けられてかなり長時間の撮影をされた。心理療法士のような人から色々質問される。心理テストをやっているようだった。その上で婦人科医の診察を受けて、身体全体の目視検査に、内診までされた!
 
「性転換手術を受けられたのはいつですか?」
「2012年7月18日です」
「6年前ですか!凄く若い内に受けたんですね。タイですか?」
「いえ。日本国内です。物凄く特例中の特例中の超特例で手術の許可が下りたと言っておられました」
 
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「その年齢で正式の手術許可が得られたというのは確かに超特例でしょうね」
 
医師は血液検査などの結果も踏まえて青葉が間違い無く女性であるという判定をしてくれた。
 
今更男だと言われたらどうしよう?と思っていたのでホッとした。
 

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1500mの表彰式があったのが15:20頃、そのあとドーピング検査があり、その後病院に来て4時間掛けて性別検査をされた。それで終わったのがもう20時すぎだったのだが、青葉はその後、水連事務局(岸記念体育会館)に連れて行かれた。青葉はこの建物、数年以内には崩壊するのでは?という気がした。むしろ今夜崩壊しても驚かない。
 
それで応接室に通される。
 
そして専務理事さんが出てきたので青葉はびっくりする。そして専務理事さんは言った。
 
「申し訳ないのですが、ジャパンオープンの800mの銀メダルを返還して頂けませんか?」
 
「え?何かありましたか?」
 
と言いながら、青葉はバッグの中から800mでもらった銀メダルを取り出す。
 
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さっきお医者さんは、私が間違い無く女だと断言してくれたけど、実は水連への報告書では男だとか書かれていたとか?あるいはドーピング検査に引っかかった??などと焦って考える。
 
そして青葉が緊張した面持ちで銀メダルを専務理事さんに渡すと、専務理事さんは
「代わりにこれをお渡しします」
と言って、金メダルを青葉に渡す。
 
青葉は仰天した。
 
「なぜ?」
 
「1位になった金堂選手がドーピング違反で失格になったのです」
「え〜〜!?」
 
「本人は決して意図的なものではないと主張しました。3日前に風邪気味で風邪薬を飲んだらしいのです。その成分が残留していたようです」
 
「あぁ・・・」
 
「彼女は高校1年生でドーピング検査を受けたのも初めてで、無名校の出身なので指導していた中学の先生もドーピング検査のことはあまりよく分かっていなかったらしいです。それで高校の顧問と校長、その中学の時の先生も上京して弁明してくれまして、彼女の将来のこともあるので、今回は今大会の成績だけを抹消して、厳重注意ということにしました」
 
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「それは良かったです。彼女は普通に競技してもきっと来年以降日本代表を争う選手になりますよ」
 
「私もそうなって欲しいと思います」
と専務理事さんは言った。
 
「そういう訳で、川上さん、あなたは日本選手権の800m,1500mでいづれも3位で日本代表選考に次点、そして今回はどちらの競技でも優勝しましたし、どちらも派遣II記録(800m=8:25.22 1500m=16:06.82)を突破していますので、8月9-12日に東京辰巳水泳場で行われます、パンパシフィック水泳選手権に日本代表として出て欲しいのですが、いいですか?」
 
この状況ではとても断れない!
 
「分かりました。頑張ります。よろしくお願いします」
 
と青葉は笑顔で答えながらも、日本代表なんて嫌だよぉ!と思った。
 
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「では明日から代表合宿があるので、そちらもよろしくお願いします」
「はい、若輩者ですが、他の代表の方たちの足手まといにならないよう頑張ります」
と青葉は答えながら心の中では焦っていた。
 
 
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